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希望荘の住人  作者: 早瀬 薫
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第六話 8

 初めて入った秋川緑の部屋は、女性の部屋にしては随分と簡素だった。ななえ婆さんの部屋とは対照的で、物を置くのがあまり好きではないらしい。ただ、数個の観葉植物の植木鉢と丸い形のガラスの金魚鉢が窓辺に置かれ、金魚鉢の中で出目金が二匹ゆらゆらと泳いでいた。その様子をぼんやり見ていると癒された。僕も何か動物を飼ってみようかなと思った。ななえ婆さんは、性懲りもなく、人の部屋にまで自分の七輪を持ってやって来て、必死になって炭をおこしていた。確かに炭火で焼いた干物は格別に美味い。僕は、自分の部屋から扇風機を持って来てコードを刺し、窓を開け、煙を追い出す準備をした。

 今日は天気の良い日だった。強い西日の差すこの部屋の窓から、沈みゆく赤々とした太陽が見えた。僕は太陽を見ながら、この太陽は太古の昔から変わらず存在していて、人間の命なんて太陽に比べたら儚いものなんだろうなと思いを巡らせていた。

 すると、太陽はいつの間にか満月に変わり、夢で見た女性が目の前に立っていた。けれども、正面を向いているはずなのに、どうやっても女性の顔が霞んで見えない。彼女は僕にこう言った、「二人だけの秘密よ」と。僕は、そのときの苦しい気持ちと嬉しい気持ちがないまぜになった複雑な感情の記憶が蘇ってくるのを感じていた。僕は彼女のことを深く愛していた。しかし、僕の目の前にいきなり炎が現れ、彼女の姿を見失ったと同時に、ななえ婆さんの「ぎゃあああ!」という声が上がり、我に返った。

 金魚鉢の前の小さなテーブルの上に無造作に置かれていた新聞紙から小さな炎が上がっている! 気が付けば、秋川緑もいつの間にか部屋に戻って来ていて、煮物が入った鍋を両手で持ちオロオロと部屋の中を歩きまわっていた。僕は、咄嗟に、傍にあった座布団を掴み、新聞紙の炎の上に覆い被せた。暫く経って、座布団を剥がしてみたら、ほんの少し新聞が焼け焦げた跡が残っていただけで、ちゃんと火は消えていた。

 ななえ婆さんは「勝手に火が点くなんて、何が起こったんだい?」と言い、秋川緑も「もしかして、ポルターガイスト?」とびっくりしていた。

「違いますよ。調度、焦点が合ったんですよ」

 僕がそう言うと、二人は「え?」と同時に言い、きょとんとした。

「水の入ったガラスの金魚鉢が太陽光線を浴びてレンズの役割をしてしまったんですよ。しかもちょうど焦点が合ったところに、新聞紙が置いてあったから、火が点いたんだと思います。今日は三人で食事をするために、ここにたまたまテーブルを移動させてたから」

 話を聞いていた二人は「はぁ……」と気の抜けた返事をした。

「すぐに火を消せて良かったですね。でも、金魚鉢の前に物を置かないようにしたほうがいいですよ」

「そ、そうね、そうするわ」

 そう言って、秋川緑は頷いた。


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