第六話 7
それから、すぐに下宿に帰る気にもなれず、僕の足は自然と公園に向かっていた。あと小一時間もすれば、日が暮れる。日が暮れれば、峰岸爺さんが帰ってくるだろうから、二人でまた酒でも飲もうと思っていた。公園に着くと、以前、戸田翔子捜しをお願いしていた母親二人と子供たちがいて、彼女たちは僕を見てお辞儀をしてくれた。そして、僕は捜していた人は無事に見つかったと報告した。子供たちもちゃんと僕を覚えていてくれて、三人でこの間のように、暫く遊んでいた。そのうち、日が傾きかけて来たので、子供たちは母親に連れられて帰って行ったが、この時間にはいるだろう峰岸の爺さんは公園に帰って来なかった。公園の片隅に置かれていた段ボールとブルーシートが無くなっていることに気付き、もしかしたら、峰岸の爺さんは塒を引越したのかもしれないと思った。仕方がないので、僕は自分の塒、希望荘へ帰ることにした。
希望荘の手前、百メートルくらいまで来た時、前方で怒号が飛び交っているのに気付いた。目を凝らしてよく見てみたら、やっぱり白髪頭と禿頭が闘っていた。またか、とうんざりしながら、二人に気付かれぬようにこっそり希望荘に入ったつもりだった。それなのに、玄関に入る一歩手前で呼び止められた。
「お前! 今ワシの敷地を通ったな!」
禿頭の蔵元の爺さんが僕に向かって言った。僕は地面を見回して確かめたのだが、確かに、爺さん二人を避けようとして、遠回りして玄関に向かっていた。僕は慌てて「すみません! 今度から気を付けます」と言ったが、やっぱり蔵元の爺さんは許してはくれず、その場でまた大喧嘩に巻き込まれてしまった。すると、また二階の部屋の窓が開き、ななえ婆さんが「うるさいっ! くそじじい!」と叫んだ。すると、今度もまた蔵元の爺さんが、「だまれっ! くそばばあ!」と応酬した。するとななえ婆さんはにやりとして、「ちょっと、あんた! ちゃんと水をやらないから、パンジーが枯れかかってるじゃないか」と言った。そしたら蔵元の爺さんは、萎れているパンジーの鉢植えのほうを振り返り、慌ててジョウロを持って水汲みに行った。その隙に、僕と大家は蔵元の爺さんから逃げおおせたのだった。
自分の部屋の前まで来たとき、ドアを塞ぐように段ボールやら雑誌やら新聞やら山ほど資源ゴミが積まれているのに気付いた。僕は、ふうっとため息を吐いた。戸田翔子に「私はあんたたち二人なんか、全然好きじゃないの!」と言われて、僕への対抗心なんか無くなっただろうに、それでも中村誠は嫌がらせを続けるつもりのようだった。二十年前と同じように、またもや失恋した痛手を、中村誠は現実のこととして受け入れられていないのだろうと思った。いつものように、四号室の彼の部屋のドアの前に資源ゴミを置き直そうかと思ったが、今日はやっぱり酷かと思って、僕は外のゴミ置き場へ持って行った。その様子をななえ婆さんは見守っていたらしく、僕の部屋の前で、「田中の爺さんから、また干物を貰ったんだけどさ、一緒に食べるかい?」と声を掛けてくれた。僕はただ、無言で首を縦に振った。
ななえ婆さんの部屋で食べるのかと思ったら、今日は、秋川緑の部屋で食べるのだそうだ。なんでも、また秋川緑が上司と喧嘩して、有休を取って会社を早退してきたらしい。今、下の台所で煮物を作ってくれているという。中村誠も実は帰宅した後そのまま自室に籠っているらしく、一緒に夕飯を食べようとななえ婆さんが声掛けをしたが「今日はそんな気分じゃないです!」と断わられたそうだ。田中の爺さんは、すでに夕食は済ませたらしく、中村誠のつっけんどんな断り方を横で聞いていて、「だから言わんこっちゃない。また、失恋したんじゃろうて」と呟いていたと、ななえ婆さんは僕に語った。




