第六話 6
初めて入ったこの書店の蔵書を一通り確認し、その後、一冊だけ本を購入した。そして、僕はレジに入っていた戸田翔子に軽く会釈して外に出た。外に出た途端、背後から誰かがバタバタとこちらに走ってくる足音が聞こえ、僕は何故だか悪い予感がして振り返った。その瞬間、いきなり僕は羽交い絞めされ、お終いには首を絞められていた。
く、苦しい……。
い、息が出来ない!
僕は必死になって身体を捩り、僕の首を後ろから絞めている人間の顔を確認した。なんと、それはそれは恐ろしい形相をした中村誠だった!
な、なんで!?
どうして僕は彼に首を絞められているのだ!?
このままでは、本当に窒息死してしまう。僕は必死に抵抗し、渾身の力を込めて彼に肘鉄をくらわした。すると、中村誠は「うっ!」と呻いて僕の首から手を離し、腹を抑えてその場に蹲った。僕もあまりの苦しさに、身体を折り、両手を膝に当て、息をぜぇぜぇと吐いていた。
「突然、何するんですか!」
「お前こそ、なんだよっ! なんでここにいるんだよっ!」
「人がどこにいようと勝手じゃないですかっ!」
「彼女に会いに来たのかっ?」
「はぁ?」
「彼女に会いに来たのか?と聞いているっ!」
「彼女って?」
「お前! しらばっくれるのかっ!」
「何を言ってるんだ?」
「戸田翔子に会いに来たのかっ?」
中村誠が戸田翔子のことが好きだったことを、ほんの少しの間ではあったが、僕は迂闊にも忘れていた。部屋のドアをタンスで塞がれるようなことを二回もされたというのに! しかし、僕は戸田翔子を目がけてこの書店を訪れたのではなく、たまたま通りがかっただけである。濡れ衣にもほどがある!
「僕がいつどこで誰と会おうと君には関係ない!」
気付けば、そう言葉を放っていた。僕は、戸田翔子とは何でもないと中村誠に弁解しようとしていたのに、何故だか口を吐いて出た言葉がこれだった。
「別に特別な関係でも何でもないって言ってたじゃないかっ!」
「あのときは、本当にそうだったんだ!」
「じゃあ、今はっ?」
「中村さんっ! なんで僕にそんなに拘るんですかっ! 中村さんはハンサムだし、背も高いし、一流の会社に勤めてるし、僕みたいなプータローを気にする必要なんかないじゃないですかっ! 彼女にアタックしたかったら、勝手にアタックすればいいんですよっ!」
「……」
「僕なんか中村さんに比べて何もかも劣ってるんですからっ!」
そう僕が言うと、中村誠は悲しそうに僕を睨み付けて言った。
「僕だってそう思いたいよっ! でも、二十年前、あんなに大好きだった翔子ちゃんに大失恋してるんだっ!」
「なんで失恋したんですかっ!」
「優しくも出来ず、気の利いたことも言えず、本当のことも言えずにいたからだっ!」
「ちゃんと自分のことを分かってるじゃないですかっ! だったら、直せよっ!」
「それが出来れば、悩んだりしないんだよっ!」
「だからって、僕に何の関係があるんですかっ!」
「関係あるじゃないかっ! どうしてここにいるんだよっ!」
書店の前で大声で中村誠と喧嘩していたのだが、気付けば、大勢の人間が喧嘩のギャラリーになって僕たちを取り囲んでいた。僕と中村誠はお互い相手の肩を手で突いたり、睨み合っていたりしたが、中村誠がボクサーように体の前で拳を構えた瞬間、ギャラリーの中の一人が、「なんで勝手に二人で喧嘩してるのよ!」と割り込んで来た。声の主の顔を確認したら、戸田翔子だった。喧嘩をしていた僕と中村誠は絶句した。
「大体ね、私はあんたたち二人なんか、全然好きじゃないの! 私が好きな人は、あんたたちと違って、いつも周りの人に親切で、小さい子供たちが大好きな優しい人だった! 今も昔も私が好きなのは、その人だけなの! お願いだから、二人とも私に付き纏わないでくれるっ?」
戸田翔子にそう叫ばれて、僕たち二人は、その場に呆然と立ち尽くした。ギャラリーも「あ~あ、つまんねぇの」などと勝手なことを言いながら、蜘蛛の子を散らすように去って行った。中村誠は僕の顔をキッと睨み付け、くるりと踵を返すとその場を後にした。
一人その場に取り残された僕は書店の中を窺った。戸田翔子は何事もなかったかのように、もう普通に接客している。ふと気付くと、書店のウィンドウに僕の姿が映っていた。その姿は、やはり、ポチたまのポチのようなもっさい姿だった。僕は、戸田翔子のことなんか好きじゃない。彼女にも中村誠にも勘違いされただけだ。それなのに、僕は惨めだった。




