第六話 4
いつか言おうと思っているのに、浜本琢磨は大学を辞めてしまったことを母親に言えずに、今回も静かに受話器を置いた。下宿の二階の廊下の突当りにあるピンクの公衆電話から掛けていた。浜本琢磨は携帯も持っていなかった。ふぅとため息を吐き、自分の部屋に帰ろうとして振り返ったら、そこに住井真紀が立っていた。住井真紀は今のやり取りを聞いていたかもしれない。なんだか彼女の顔は強張っていた。
「先輩、田舎に帰るんですか?」
今までこの下宿で顔を見かけることはあっても、まともに口をきいたことがない住井真紀が、唐突に質問をぶつけてきたので、浜本琢磨は驚いた。
「今の話、聞いてたんだ……」
「ごめんなさい」
「君、大学の後輩だったんだね。この間、君の友達に遭遇して教えて貰ったんだ。彼女、君のことを捜してたらしくて、すごく心配してたよ。ちゃんと連絡してあげなきゃ。名前は、えっと、確か……畑中、さんだったかな」
「あ、はい、大丈夫です。彼女にはちゃんと話が出来てます」
「そうか。それならいいんだ。じゃ、俺、バイトがあるから」
「あ、あの……」
「?」
「先輩、もう大学には戻らないんですか?」
「うん。残念だけど、もう退学届を出しちゃってるからね」
「そう、なんですか……」
「うん」
「私、先輩が大学からいなくなる前に、先輩が描いた設計図を見たことがあるんです。『星が見える家』とタイトルがついた設計図だったんですけど……」
「ああ、あれか。藤原先生の研究室で見たの?」
「はい、そうです。あの素敵な設計図を見た瞬間、設計した人に是非とも会いたくなって探してたら、天文研究会に所属してる先輩だってことが分かって、それで私も入会したんですけど、すぐに先輩がいなくなってしまって、本当にがっかりしたんです」
「もしかして、それがきっかけで、この下宿に住むことになった……とか?」
「ここに住むようになった最初の理由は、そうじゃなかったんですけど、でも結果的にはそうですね。ご、ごめんなさい。ストーカーみたいですよね……。私、興味が湧くと自制がきかない性質で、どんな人なのか突き止めたくなってしまって……。ほんとにほんとにごめんなさい……」
「それで、僕はどんな人間だったの?」
「お仕事を凄く頑張る素敵な人でした……」
住井真紀がそう言うと、浜本琢磨は満面の笑みになった。
「でも、もう止めます! ここからも出て行きます! だから、先輩、田舎に帰らないで下さい!」
「ちょ、ちょっと、待ってよ。まだ帰ると決めた訳じゃないんだから」
「え? そ、そうなんですか?」
「うん」
浜本琢磨がそう返事をすると、ほっとしたのか、住井真紀の目から、ぽろぽろと涙が零れ始めた。浜本琢磨は突然のことにびっくりして、どう対処したらいいのか慌てたが、住井真紀は「ご、ごめんなさいっ」と一言言い残すと、自分の部屋へ走り去ってしまった。一人取り残された浜本琢磨は、あっけにとられるばかりだったが、心の中は温かい気持ちで一杯だった。




