第六話 1
朝起きて、一番にすることといったら、大抵の人がトイレに行くことだと思う。僕も御多分に洩れず、トイレに行きたかったので、起きてすぐ部屋のドアを開けようとしたのに開かなかった。また、中村誠が嫌がらせで、ドアの前にタンスを置いたのだろう。
しかし、今の僕は膀胱破裂寸前の大ピンチに陥っていた。火事場の馬鹿力はこんなときに発揮される。僕は渾身の力を込めて、ドアに体当たりし、「どんがらがっしゃーん!」と、タンスをドアごと吹っ飛ばしてやった。人間、やれば出来るものである。しかし、爆弾が落ちたかのような轟音が辺り一帯に響いたので、ななえ婆さんも田中の爺さんも、喧嘩の最中だった大家と隣の蔵元爺さんまでもが、僕の部屋の様子を見に、飛んでやって来た。けれども、僕は彼らの相手をしている暇などなく、急いでトイレに飛び込んだ。ななえ婆さんが、トイレのドア越しに僕に話し掛けてきた。
「だから、なんで中村誠はあんたに嫌がらせをするんだよ?」
「そんなの知りませんよ! 勘違いしてるんだと思います!」
「どうせ、また女がらみだろう」
そうななえ婆さんが呟いたので、よく知ってるなと感心していたら、田中の爺さんが「ご名答!」と言った。
「運命の女性は別におると何度も忠告してやっておるのに、あやつは全然見当違いのことばかりする」
え? 中村誠の運命の女性は別にいるだって? ということは戸田翔子以外の女性が彼の運命の女性なのか? 今、田中の爺さんは確かにそう言ったな。
「そういえば、この間の女は酷かったのう」
蔵元の爺さんが言った。
「ああ、あの女か! 男を尾行して来て『高級外車に乗ってるから、どんな豪邸に住んでるのかと思ったら、こんなボロ家に住んでるなんて、私が相手にするとでも思ってるの!』だとよ! 人の家をボロ家などと言いくさりやがって、実にけしからん!」
大家がそう言ったが、僕はトイレの中で「確かにボロ家には違いない」と吹いた。
用を足してすっきりしたので、颯爽とドアを開けたが、しかし、トイレの外は酷いことになっていた。吹っ飛んだドアとでかいタンス、それとタンスから飛び出した抽斗があちこち散乱して廊下を塞いでいる。僕は倒れたタンスを起こすと四号室のドアの前にしっかり置き、外れたドアの蝶番を直す大工道具を大家に借りるため、階下に降りた。




