第五話 9
本当は気が合うのかもしれない、と思ったけれど、僕はその言葉を口にしなかった。
ふと、彼女がいつも持ち歩いている大きな布製の鞄が目に留まった。おそらくその鞄には彼女の描いたイラストが入っているのだろう、鞄からはスケッチブックが覗いていた。
「イラスト、良かったら見せて貰えませんか?」
僕がそう言うと、戸田翔子は「お見せするような物じゃないんだけど……」と恥ずかしがったが、「プロになりたいんでしょ?」と僕が笑顔で言ったら、彼女は照れながらも見せてくれた。僕は見せてくれたイラストを手に「うーん」と唸り、そして大仰に褒めてみせた。実際、彼女の絵は上手いと思ったから。すると、戸田翔子は俯いて照れた。
戸田翔子の絵は、やはり好きな作家だけあって、どこか村口勉を彷彿とさせるようなものだった。細かいタッチなのに、自由に生き生きと曲線が延びていて、見ている者を思わず笑顔にさせるような楽しい絵だった。しかも、彼女の人物画は、何故だか、中世ヨーロッパの時代を連想させるような服装ばかりしていた。それはまるで、今僕が書いている物語の登場人物を思わせるような……。どうして戸田翔子とはこんな偶然が起こるのだろう? きっと他にも好みの物で似通っている物があるのかもしれない。もしかしたら、あんな出逢い方をしなければ、彼女と僕は、最初から気の合う気さくな関係でいられたのかもしれない。
笑っている戸田翔子の笑顔は本当に可愛い。亡くなったはずの沢野絵美が、本当は今も生きて僕の目の前に座っていて、まるで、僕とのデートで楽しくお茶しながら童話談義をしているかのようだった。僕は、戸田翔子の笑顔を見ながら、「いや、違う。彼女はもう死んだんだ」という言葉を何度も何度も頭の中で反芻していた。そうでもしなければ、気が変になりそうだった。僕はまた、自分を見失い、公園に逆戻りしそうだった。僕は、楽しそうに話している戸田翔子の顔を見ながら、いつの間にか泣いていた。僕の意思に反して、勝手に涙が頬を伝わった。それに気付いた彼女は、驚いて喋るのを止めた。
「ごめんなさい……こんなつもりじゃなかったのに……。戸田さんは、実は亡くなった知人にそっくりなんです……」
「もしかして……童話好きの?」
「ええ」
「そうなんですか……。まだお若い方だったんでしょう? 残念ですね……」
「ええ」
戸田翔子は暫く僕の顔を見て黙って、僕を泣かせてくれていた。けれども、再び、意を決したかのように口を開いた。
「でもね、篠原さん、大丈夫。篠原さんの大切なものはもう現れているそうだから」
「えっ?」
「田中さんが言ってたの」
「田中?」
「ええ、田中さん」
「田中って、もしかして希望荘に住んでる田中青雲!?」
「そう。田中さんがそう言ってたの」
戸田翔子が、誰にも明かしていない僕の秘密を知っていることにも驚いたが、田中の爺さんが知っていることにも驚いた。このとき、やっぱり田中の爺さんは僕に何か隠していると確信したのだった。




