第四話 10
「お前さ、結局、今、どこに住んでるんだよ?」
「何、急に? なんでそんなことを訊くの?」
秋川緑は杉田康介と向かい合って、安い居酒屋で飲んでいた。
「いや、そりゃ、会社では毎日顔を見てるけどさ、前に住んでたマンションを引越したって聞いたからさ」
「誰から聞いたの?」
「後輩のかおりちゃん」
「うわ、まったく、おしゃべりね」
「いや、彼女、お前のことをすごく心配して、俺に相談しに来たんだよ」
「ふーん。じゃ、全部知ってるんだ」
「まぁ、ある程度はね」
「人の心配なんかしてないで、さっさと家に帰って、奥さんと子供に家族サービスしてあげなさいよ」
「心配ご無用。ちゃんとやってるから」
「そうだね、杉田君はそういうヤツだよね。今日だって、淋しい私に無理して付き合ってくれてるのよね」
「そうだよ。よく分かってんじゃん。それで、今はどこに住んでるんだよ」
入社したときから、親友のように助け合ってきた同期の杉田康介にだけは嘘は吐けないと観念した秋川緑は、自分が結婚詐欺にあった経緯を、いつの間にか彼に事細かく説明していた。
「えーっ、マジでっ!? それで被害総額はいくらなんだよ!」
「二千万」
「呆れた……。お前な、それ、れっきとした犯罪じゃないか! 警察に届けろよ!」
「届けようと思ったんだけど、ちゃんと借用書に印鑑も押してるし、結婚後に二人で住む予定だったマンションの頭金にするつもりだったの。そりゃ、世間の一般常識からして、男がお金を出すというのが当たり前なんでしょうけど、今なんて女が外で働いて男が主夫をやってる家庭もあるわけでしょ。だから、女がお金を出したって不思議じゃないというか、結婚するんだったら普通のことかなと思っちゃったのよ」
「まぁ、お前の言うことにも一理あるけど」
「でしょ?」
「でも、お前、偉いな。二千万なんてなかなか貯まらないぜ」
「そりゃ、貯めるのに苦労したわよ」
「だろうな」
「でも、すっからかんになって、ついでに男もドロンでしょ。自分の老後のことを考えたら、家賃の安いところに引越した方がいいと思って、それで今のところに行きついたのよ」
「今の家賃はいくら?」
「月二万」
「やすっ」
「それなりの部屋だけど、でも面白い人ばっかり住んでるから、そこが気に入ってる」
「ふーん。でも、なんか、ちょっと安心した。凄く落ち込んでると思ってたのに、そうでもなさそうだし……。やっぱり話が出来て良かったよ」
「ありがと。でも、今も落ち込んでるのは落ち込んでるんですけど」
「そりゃ、そうだよな。でもな、二千万は絶対取り戻せ。お前、そいつの写真、持ってるんだろ? 見せてみろよ」
そう杉田康介が言ったので、秋川緑はスマホに保存されている写真を見せた。そしたら、写真を見ている二人の背後で、「うそーっ! マジでーっ!」と素っ頓狂な声で叫ばれたので、二人ともびっくりして声の主の方を振り返った。声の主は見知らぬ若い女性で、彼女はいつの間にか二人の話を横から盗み聞きして、スマホの写真も一緒に覗き込んでいた。しかし、秋川緑はその若い女性の顔に、どこか見覚えがあると感じていた。どこで見たのだろう?と思い出していたら、それが篠原正義のスマホで見た彼の捜し人だと気付いた。
「あーっ! あなたっ! ち、ちょ、ちょっと! 私の知り合いがあなたのことを捜してたわよっ!」
「はぁ?」
「彼にはもう会った? 会ってないなら、連絡先を教えて! 彼にとって、あなたはとっても大切な人なのよ!」
「え? で、でも……」
「彼の名前はね、篠原正義というの。彼のこと、知ってるでしょ?」
秋川緑がその名前を出した途端、その若い女性、即ち戸田翔子は、急に苦虫を噛み潰したような顔になった。
「知ってるも何も、その方とこの間、図書館で大喧嘩してました」
「はぁ?」
「それより、そのスマホの結婚詐欺師の写真ですよっ! ソイツ、私の友達も騙してるんですっ!」
「えーっ? ほんとに!?」
「ほんとですよっ! これで常習犯だって確定しましたっ! もう絶対捕まえてやるっ!」
「でも、どうやって?」
「そ、そりゃ、ビラ配りするとか、町内掲示板に顔写真入りのポスターを貼るとか……」
「それ、いいかもしれないけど、やっぱり、詐欺で警察に届けたほうがいいと思うよ」
杉田康介が口を挟んだ。
「まぁ、そうですね。とにかく、今から友達に電話を掛けて、ここに呼びます。四人で話し合いをしてもいいですか?」
「別に、いいけど……」
秋川緑はなんとなく、乗り気ではなかったが、その後、すぐに出口美紗がやって来て、四人であれやこれや作戦を立てて話が盛り上がり、気付けば、酒の弱い戸田翔子と秋川緑がビールのジョッキ片手に、どんちゃん騒ぎしていた。二人は何を隠そう酒乱だった。
「だからねぇ、緑姉さん、男なんてものはねぇ、甘やかしたらぁダメなのぉー!」
「そうよねぇ。まぁ、いいかぁなーんて、思ったからぁ、騙されたんだよねぇー」
「そーそー。マンションくらぁい俺が買ってやるーって、言い張るくらいでぇ、ちょーどいーのよぉー」
「男はぁ男らしくぅ、女はぁ女らしくぅが、いーのよねー」
「そーなのよー。結局、大昔からぁ、あんまり変わってないけどぉ、それがいーのよー」
「翔子ちゃーん、若いのにぃ古臭いわねぇー」
「そぉお?」
「でもぉ、私はぁ働きたいのよぉー。だからぁ、家でぇ、料理作ってぇ、待ってくれてるぅ男もぉ好きよぉ」
「あー! 私もぉ、それがいいー。それ、賛成ー」
「なによぉ、さっきとぉ、全然違うじゃーん」
「楽しけりゃー、いいのよぉー」
「そうねぇー。はははは」
「はははははは!」
そのうち、二人は、瓶ビール片手に、店中の人にビールを注いで回り、その様子を杉田康介は一人呆れながら見守っていた。出口美紗はお決まりのように一人で酔いつぶれ、テーブルに突っ伏して寝ていた。店主は「もう、いや。めんどくさいのがまた増えた……」とぼやいていた。




