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希望荘の住人  作者: 早瀬 薫
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第一話 2

 僕は、平凡な家庭の平凡な暮らしをしている両親の元に生まれた。九歳の時、弟が生まれた。それまで、僕は一人っ子だったものだから、弟が生まれたことを人一倍喜んでいたらしい。思えば、この頃が僕の人生で一番幸せな時期だったかもしれない。平凡な家庭に生まれた僕は、大人になったら両親のように普通の結婚をして、普通に幸せになれると思っていた。しかし、暫くして、僕の人生は、坂を転がり落ちるように不幸が続いた。


 まず一番最初の出来事は、両親の事故死だった。弟が生まれて一年後、両親は不慮の交通事故で二人同時に命を落とした。高速道路のトンネル内でトラックに追突され、両親の乗っていた小型車は大破し、炎に包まれるという痛ましい事故に巻き込まれた。その時、僕は、十歳で、弟は一歳の誕生日を迎えたばかりだった。保護者を失った僕たち兄弟は、父方の祖父母に引き取られた。僕は、年老いた祖父母に生活の面倒のすべてを委ねるのは申し訳ないと思い、まだ赤ん坊同然だった弟の世話をすすんでするようになった。祖父母のほうも、僕たち兄弟のことを不憫に思ってくれていて、両親が生きていた頃のように、何不自由なく育ててくれた。特に祖父は楽しい人で、いつも僕たち兄弟を伴って、色んな所へよく遊びに連れて行ってくれた。遊園地や映画館や盆踊り大会やありとあらゆるところに祖父は僕たちを連れ出した。それらは祖父との楽しい思い出として心に残っているが、一番印象深い思い出は、夜、寝入る前、祖父が布団の中で数々の童話を読んで聞かせてくれたことだった。最初、それは単純に絵本を読み聞かせるというものだったが、読む本が無くなってくると、祖父は自分の戦争体験や子供の頃にしたいたずらの話をし、それらの話のネタも尽きてくると、今度は近所の人たちが登場人物として出てくる作り話をし始めた。気に入らない近所の口うるさいお婆ちゃんは、実は凶悪な妖怪だったとか、公民館の押し入れは魔界への入り口になっていて、公民館長は罪を犯した人をその入り口から放り込んでいるとか、嘘八百を面白おかしく物語にして祖父は僕たちに語ってくれた。僕も弟も祖父の法螺話を聞くのが楽しくて仕方なかった。けれどもあるとき、祖父は、真面目な話を思い付いたと言い、神妙な面持ちで自分の作った話を聞かせてくれた。それは次のような話だった。


 昔々、故郷を離れ、旅をしていた王子がいました。王子はなぜ旅をしていたのかというと、自分にとって一番大切なものを探していたからです。王子の父親の王様は、「一番大切なものを見つけたときが、お前がこの国の王になるときだろう。一番大切なものを見つけるまでは、決して戻って来てはならない」と言いました。そこで、王子は王様の言いつけを守り、ずっと旅をしていました。


 祖父が言ったように、いつもより真面目な話だなと思った。僕たちは、この話の続きを聞くのを楽しみにしていたのに、それを聞く前に、弟は白血病にかかり、あっけなくこの世を去った。まだ、五歳だったというのに……。彼が亡くなったのは七月で、ちょうど多摩川の花火大会当日だった。弟は、あれだけ花火大会に連れて行ってもらうことを楽しみにしていたのに、花火を目にすることなく亡くなった。あの日、病院の窓から見た夜空は、燃えるように明るかったのを覚えている。両親が亡くなった時も地獄に突き落とされたような気がしたが、まだ幼い弟が亡くなったことは、もっと深く僕の心を傷付けた。それは、年老いた祖父母にとってもそうだった。これが、二番目に起きた不幸な出来事だった。しかし、不幸はこれで終わりではなかった。


 弟が亡くなって一年経った頃、祖父は胸を患い入院した。医師によると余命一年もないという。僕は再び絶望の淵に落とされた。それでも僕は、入院中の祖父の面倒をみながら、祖母を助け、学校に通った。僕は高校一年生になっていた。弟が亡くなってからというもの、祖父が僕に法螺話をすることは無くなった。それは本当に淋しく悲しいことだった。けれども、祖父は、亡くなる間際に、僕を枕元に呼んでこう言ったのだ、「いいか、あの話の続きは自分自身で探すんだぞ。これはお前の人生で一番大事なことだ。お前の人生の最大の転機になった時、それは訪れる。決して見逃してはならない。大切なものを見つけたとき、お前の人生はより豊かになるだろう」と。そのときの僕は、その祖父の言葉より、今にも亡くなろうとしている祖父のことで頭がいっぱいで、一体何の話をしているのか理解出来ずにいた。けれども、祖父は繰り返し僕に言った。

「一番大切なものを見つけることが、人生で一番大事なことだ。そこからお前の本当の人生が始まる。いいか、分かったな?」

「一体、何の話をしてるの?」

「童話だ……」

「童話?」

「もう忘れてしまったかもしれないが……」

「……もしかして、お祖父ちゃんが康人に最後に話して聞かせてた童話?」

「そうだ……。あの話の続きは自分で探せ……」

「う、うん……、でも、そんなことより……」

「俺の最後の願いだ……お前にだけは幸せになって…もらいたい……頼ん…だ…ぞ」

 そう祖父は、僕に言い残してこの世を去った。

 祖父が亡くなった後、祖父が病室で使っていたサイドテーブルの抽斗を何気なく開けてみると、そこにポツンとハイライトが残されていた。祖父は煙草好きでよくハイライトを吸っていたが、病気になっても止められなかったんだなと思った。僕の脳裏に焼き付いている祖父の思い出は、赤い火の付いた煙草を美味しそうに吸っている光景だった。成人してからも僕は煙草を吸わなかったが、他人が煙草を吸っているのを見掛ける度に、懐かしいような苦しいような複雑な気持ちになった。祖父が亡くなったこと、それが三番目に訪れた不幸な出来事だった。


 それから大学を卒業するまで、祖母と二人でひっそり生きていたのだが、僕が大学を卒業して就職し、やっとこれから祖母に恩返しができると思っていた矢先、四番目の不幸が起こった。祖母が心不全で急逝したのである。祖母が亡くなった日も忘れられない日になった。葬儀場の控室でつけていたテレビを見て、列席者たちが大騒ぎしていた。なんと! 富士山が、赤い炎を上げて噴火していた。

 祖母は遺書を残すような人だと思っていなかったのに、彼女は遺書を残していた。遺書と言っても、僕に宛てた手紙のようなものだったけれど……。きっと、祖母は自分の死が近いことを予感していたのだろう、その手紙にはこう書かれていた。

「正義君、今まで色んなことがありすぎて、あなたは本当に辛い目に合ってきたと思います。でも、おばあちゃんは、正義君と暮らせて幸せでした。本当にありがとう。でもね、やっぱり、あなたを一人だけ残して行くのは気掛かりです。だから、これだけは守ってください、おじいちゃんと約束したことを守るということを。『一番大切なもの』を必ず見つけてください。そうすれば、あなたはきっと幸せになれるでしょう」


 大切なもの? 大切なものってなんだろう? そう考えるとき、頭の中で時折蘇るあの燃え盛る炎を思い出す。大切な人を失ったとき、不思議なことに、いつも僕は炎にまつわるものを目の当たりにしていた。両親が亡くなった時は車が燃え盛り、弟の康人が亡くなった時は夜空に花火が上がり、祖父は煙草が原因で命を落とした。そして祖母が亡くなった今日、富士山が噴火した。僕が大切なものを失う時、必ず炎が纏わりついた。それらの炎と関係があるかのように、時折僕の脳裏に突如として浮かんでくるあの巨大な炎。一体何だというのだろう? あの炎によって、どんな大切なものを奪われたというのだろうか? それはもしかしたら、僕が生まれる前の出来事なのかもしれないけれど……。家族の死といつも共にあった炎。それらは僕に警告しているのかもしれない。これから先、炎と対決しなければならない時が来るのだと。

 「大切なもの」と「炎」。この二つのものは僕の中で、切っても切れないものとして、いつも同時に思い起こされるのだった。


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