第三話 2
僕はトイレに行くのを我慢していたので、トイレに入ろうとしてドアの前に立ったが、しかし、どうも彼とのやり取りを誰かに見られているような気がしていた。僕は、後ろを振り返ってみた。そしたら、振り返った途端、真ん中あたりの部屋のドアが急に閉まったような気がした。おそらく、僕の部屋の真向いの三号室だろう。僕は三号室の前まで行ってドアを確かめたが、しっかり閉まっているようだった。それを確かめると、安心してトイレに入ったが、僕がトイレに入った途端、またどこかの部屋のドアが開くような音がした。僕は、トイレを出て洗面所で手を洗い、また三号室のドアを確かめたが、やっぱりドアは閉まったままだった。ま、いいかと思いながら、自分の部屋に入ってドアを閉めた。しかし、気になってしようがなかったので、自分の部屋のドアを少しだけ開いて、廊下の様子をそっと窺っていた。すると、三号室のドアがすーっと開き、長髪の若い女の子が部屋から出てきて、下宿の外に出て行った。かなり慌てているようだった。
彼女も今の時間から、新聞配達でもしているのだろうか? 三号室の若い女の子といえば、この間、台所でみんなが話していた真紀という子だろうと思った。もしかしたら、彼女は、一度も見かけたことのない僕の姿を見つけて怖がっていたのかもしれない。だとしたら、ちょっと申し訳ないことをしたかなと思った。けれども、それにしてもシャイな女の子だな、確かに中村誠とはちょっと性格が違うかなと思った。
それから布団の中に入って寝ようとしたけど、頭が冴えて全然眠れない。仕方がないので、布団をたたんで押し入れに入れると、机に向かって本を読むことにした。僕は、抽斗から沢野絵美に貰った絵本を取り出した。妖精の国の王のミリルの父が王子ミリルに「一番大切なものを見つけた時が、お前がこの国の王になるときだろう。一番大切なものを見つけるまでは、決して戻って来てはならない」と語っていた。その絵本を読んでいて、僕は再び、「いいか、あの話の続きは自分自身で探すんだぞ。これはお前の人生で一番大事なことだ。お前の人生の最大の転機になった時、それは訪れる。決して見逃してはならない。大切なものを見つけたとき、お前の人生はより豊かになるだろう」という祖父が死際に僕に残した言葉を思い出していた。人生の最大の転機って、一体いつなんだろう? 家族と愛する恋人を失い、職までも失った今なのではないだろうか? もうすぐ僕はその大切なものに出逢うのだろうか? 出逢ったとき、決して見逃してはならないと祖父は言っていた。祖父の言う通りにすれば、僕は幸せになれるんだろうか?
僕は、沢野絵美の「夢を諦めないでほしい」という言葉を思い浮かべ、祖父が話して聞かせてくれた、あの童話の続きを書き始めていた。