第二話 9
次の日の朝、昨晩降り続いた雨は上がり、晴天だった。僕は、昨日出掛けた際に買って来ていた煎餅の箱を手に、意を決して、一号室の部屋のドアをノックした。田中青雲という人は、どんな人なんだろうと思いながら、ドアの前で待っていたら、すぐにドアがバッと勢いよく開いた。その瞬間、僕は「八号室の篠原正義と言います! よろしくお願いします!」と言いながら頭を下げ、挨拶代わりの煎餅の箱を両手で掲げるように相手に突き出した。しかし、その田中青雲という人は、煎餅の箱を一向に受け取る気配がなかった。仕方ないので、僕は恐る恐る顔を上げた。彼は、顔を上げた僕の顔を舐めるように観察すると、急に顔がぱっと輝き、こう言った。
「おお! お主! やっと来たか! 待っておったぞ!」
初対面の相手に意味不明なことを言われて驚きながらも、僕も相手をマジマジと見返した。
目の前には、髭を蓄えた長い白髪の仙人みたいな容貌の老人が立っていた。僕は、昨晩の佐々木吉信騒動のときと同じように、腰を抜かしそうになった。自分が今、何時代のどこにいるのか訳が分からなくなっていた。それと同時に僕は心底、げんなりした……。昨晩の佐々木吉信といい、大家といい、隣家の禿頭の爺さんといい、ななえ婆さんといい、目の前にいる仙人といい、この界隈には、頭のおかしな人間が大勢巣食っているとしか思えなかったからだった。
僕の目の前に、この下宿にまつわる幽霊屋敷の噂の正体が、厳然と立ちはだかっていた。
第三話へ続く