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希望荘の住人  作者: 早瀬 薫
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第二話 4

 大家と話した後、夜まで時間はたっぷりあるし、約一ヶ月ぶりに下宿を出て、外を歩いた。沢野絵美を捜すつもりだった。捜す当てはなく、足は自然と公園に向かっていた。沢野絵美と初めて出逢った場所だからだった。


 昼間の公園には浮浪者仲間は一人もおらず、子供を遊ばせている母親と子供が二組いるだけだった。

「やっぱり、いるわけないか……」

 そう思ったが、僕は勇気を振り絞って母子に近付き、スマホに保存されている沢野絵美の写真を見せ、「こ、この女の人を知りませんか?」と訊ねた。彼女たちは暫くスマホの写真に見入った後、残念そうに首を横に振った。けれども、見かけたら連絡してくれるとのことで、僕の名前と住所を教えたところ、母親二人の顔が急に強張った。僕はその二人の様子に気付き、「どうかしたんですか?」と訊ねた。

「い、いえ……、あ、あの、下宿には引越されて来たばかりだとおっしゃってましたよね?」

「ええ。住み始めてから、まだ一ヶ月しか経ってませんけど、それが何か?」

「また、すぐに引越とかされませんよね?」

「え? どういう意味ですか? 引越して来たばかりだし、出来たら長く居たいと思ってますけど」

「そうなんですか……」

 僕は母親二人の様子を怪訝に思いながらも、あの下宿に更生するために入居した浮浪者が十人中十人全員が逃げ出したという峰岸爺さんの言葉を思い出していた。もしかして、あの下宿に何かあるのだろうか?

「あの下宿に良くない噂があるのだったら僕も知りたいし、遠慮なくおっしゃってくださいませんか?」

「いえ、あの下宿のことを良く知らずに入って、すぐに引越して行った人を何人も見てきているので、つい……」

「あの下宿に何か原因があるんですか?」

「ええ」

「?」

「そ、その、出るそうなんです」

「えっ? 何が?」

「幽霊がです」

「幽霊!?」

「毎晩のように、どこかから泣き声が聞こえて来たり、実際に、化け物のような幽霊に遭遇したりしたそうです」

「えーっ!」

「篠原さんは、泣き声とか聞いたことはないんですか?」

「え、ええ、僕は、今のところ、ないですけど……あ、でも……」

「でも?」

 「幽霊には遭ったことがある」と、思わず口走りそうになったが、慌ててその言葉を飲み込んだ。僕が見たのは、この公園で沢野絵美の幽霊を見たのであって、下宿で化け物みたいな幽霊を見たわけではないのである。しかし、この公園で子供たちを遊ばせている彼女らに、その事実を告げようものなら、パニックに陥ることは目に見えていたので、絶対に喋ってはならないと咄嗟に判断した。

「いえ、そういえば、希望荘の前を通る人はみんな走り抜ける感じで、ゆっくり歩いてる人はいないなと思って……。みなさん、避けてる感じがしますね……」

「そうでしょう? 私もあそこの前を通るのが嫌なんです。なんだか、あそこだけ冷たい空気が流れてる気がして……」

「そうなんですか……。大家さんは親切なんですけどね……」

「いや、別に、実際、何か被害があったわけじゃないですから。気にしないで下さい。ごめんなさいね、余計なことを言っちゃって」

「いえいえ」

「篠原さんが捜してる女性のことですけど、見かけたら連絡しますから」

「ああ、すみません。よろしくお願いします」


 良かった、女性と普通に話せた。これなら大丈夫と、ほっと胸をなでおろしていた。そして、僕は公園の隅にある沢野絵美の幽霊がいたベンチに腰掛けた。僕は砂場で遊んでいる子供たちをぼんやりと眺めていた。やっぱり、もっと小さな子供の教師になりたかったなと考えていたら、一人の子供がもう一人の子供の砂遊び用のおもちゃを取り上げ、独り占めし始めた。それを見ていた母親は子供を叱り、子供は大声で泣き始めた。どんな顛末になるのか、僕はそっと見守っていたが、おもちゃを取り上げられたもう一人の子供は、母親に叱られて泣いている子供に近寄り、そっと頭を撫で始めた。すると、泣いていた子供は泣き止み、取り上げたおもちゃを返し、二人は再び仲良く遊び始めた。その子は、大人に叱られたからおもちゃを返したのではなく、友達に優しくされたからおもちゃを返したのだった。

 子供って素晴らしい。人に優しくする気持ちこそが、大切なことなのだとちゃんと知っている。そして、その優しさは連鎖するということも。そんなことを考えていて、ふと祖父が亡くなるときに、僕に語った言葉を思い出していた。「大切なものを見つけたとき、お前の人生はより豊かになるだろう」という言葉を……。僕の探さなければならない大切なものとは、人の優しさなんだろうか? ふと、そんなことを思った。

 その後、僕は小さな子供二人を相手に自分で作った法螺話を聞かせて、大笑いして遊んでいた。やっぱり、僕は祖父の血を引いているのだなと実感したのだった。


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