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1. 正門の金髪

 

「迎えに来た」


 異世界でお別れを告げたはずの恋人に、押し掛け女房ならぬ、押しかけ旦那に会いました。

 あの感動的な別れのシーンはなんだったのだろうか。

 記憶が混濁する中、ため息を吐きたい気分で私の視界はブラックアウトした。



 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー




 徐々に増えてくるクラスメイト達。朝の挨拶からはじまり、あちこちで宿題の確認やら、昨晩のテレビがどうだったやらと話題は尽きないらしい。

 窓際の席から校門を覗くと、知り合いを見つけては合流する人たち。

 学校という場所はいつだって音で溢れている…

 なのに、音が遠く感じられる。


「……か…って…」


 水の中にでもいるかのようだ。今いる場所に現実味がない。

 夏バテか?

 いやそんな柔な体はしていないはずだ。

 窓越しに見える、校門に吸い込まれる人々。誰かを探しているような気がするのに、誰を探しているのかわからない。


「聞いてるのか!!」


 頭皮の痛みとともに届いた声。いっせいに音が流れ込んでくる。ざわざわと多くの音が届く。

 ふと顔を向けると、不機嫌そうにしかめられた男の顔が間近にあった。もう見慣れた顔だが、やはり間近で見ると整った顔立ちだと再認識する。短く切りそろえられた髪は、活発そうな雰囲気を感じさせ、パッチリとした目は人懐っこい性格が表れている。


「ああ、ごめん。おはよう。」


 挨拶を返すと私の髪を引っ張っていた彼は、手を離し不服そうな顔をする。これは十中八九、かなりの時間私は彼を無視していたのだろうことが窺えた。そんなことを思いながら彼を観察していると、嘆息したのち、今度は心配そうな顔をする。相変わらず表情豊かなやつだ。


「…はよ。ってそうじゃなくて!お前最近ずっとそんなだけど本当に大丈夫なのかよ。」

「平気。というかいい加減、髪をひっぱるのはやめて欲しい。それ別にスイッチとかそんなんじゃないから。」


 ポニーテールをした私は、横髪を長めに伸ばしている。いわゆる触覚的なあれだ。

 私が度々彼の呼びかけに気づかないため、それを引っ張られるのだ。彼のせいで部分ハゲにでもなったらどうしてくれるのだろうか。


「だったら、ぼうっとしてないでしっかりしろよな。」

「…あんたよりはしっかりしてる自信があるわ。」

「はあ!!どういう意味…「おい!増川はいるか!」」


 立ち上がって抗議しようとしたところで教室の入り口から声がかかった。

 数学教師の三上だ。

 三上は授業はわかりやすく、生徒の質問などにも熱心に答えてくれるため生徒からの評判はいいと言っていい。ただし、課題忘れなどにはとても厳しいことで有名だ。一度でも叱られた経験のある者は二度と課題は忘れないと言われている。

 だがしかし、


「増川!お前はまた今週の課題出してないだろ!!」

「え!?今週はちゃんとだしたよ!」

「お前が出したのは、先週忘れてた分の課題だ!ちょっとこい。」


 ご覧の通り、鬼の三上相手に何度もやらかすボケっぷりだ。首根っこをつかまれてずるずると引きずられながらも、なにがしか助けを求めるような声を上げているようだが、クラスメイトもいつものことだと増川を見送る。

 声が遠ざかったところで思う。

 そういう意味だ。




 休憩時間も掃除の時も、果ては授業中もうるさい増川を適当にあしらいつつ、やっと放課後になる。増川に捕まらないうちにさっさと部室へ向かおう。そう思って荷物を持ち、早足で隣の校舎へ歩く。

 どうして増川はああも元気なのだろうか。

 今日の昼も、購買に限定10食の特製たまごパンを今日こそは手に入れると言って、授業後すぐに走り去ったかと思うと、帰ってきた彼はなにも手にしていなかった。事情を聞くとお金を持っていかなかったそうだ。あの抜けっぷりは筋金入りだと思う。


 そんな風に思考を飛ばしていると、部室にたどり着いた。文学部と達筆に書かれた木製の看板を視界に入れながら、三回きちんとノックをする。


「失礼します。」


 別に部則が厳しいわけではないが、一連の流れは習慣になっている。


「うおおい!リョウちゃん!元気かね!今日も美しいポニーテールだ!いやぁ良き日だね!」


 ポニーテールならなぜ良い日になるのか皆目わからないが、相変わらずテンションが高い。


「ああ部長、こんにちは。」

「いやん、リョウちゃんってばクールぅ!そんなところも大好き!」


 一つ学年が上の先輩はツインテールを揺らしながら、抱きついてくる。

 身長は160㎝余りと女子にしては高めの私の胸辺りに顔を埋める彼女は、小柄でとても可愛らしい先輩だ。放っておくといつまでも離れてくれないのは経験的に知っているので、早めに声をかける。


「あの部長、荷物を置きたいので…」


 そういうと、しぶしぶといった体で離れてくれる。


「もう!リョウちゃん、藍って呼んでって言ってるのに!」

「すみません。藍先輩。」


 度々そう注意されるが、習慣というものはなかなか修正できるものじゃない。




 解放してもらった私は自分の名前が書かれたロッカーに手をかける。


吉野涼(よしのりょう)


 自分の名前のはずが、その字面に違和感を覚えてしまうようになったのはいつからだろうか。生まれてからずっとこの名前であるはずなのに、どうしてもその違和感を拭えない。心に引っかかりがあるものの、いつまでもロッカーを見つめているわけにはいかないので荷物を放り込み、いつもの定位置に座る。


 ここ文学部は文学部と名乗ってはいるものの、活動内容は様々というより決まったことはなく、文化祭で毎年部誌さえ発行すればあとは何をしても構わないという大変フリーダムな部活である。読書好きな私にはぴったりな部活だと思い入部してからもう一年が経つ。

 私は今日も好きなだけ好きな本を読んで、下校時間になったら帰るつもりだが、藍先輩はというと最近はニードルフェルトで動物園を再現するのが目標らしい。

 他にも若干名、部員はいるにはいるが、毎日顔を出すのは私たちくらいだ。



 本を広げてさあ読もうと意気込むが、文章の上を滑るだけで内容が全く入ってこない。先ほどからページをめくっては戻り、めくっては戻りを繰り返している。読書はあきらめて、ロッカーに書かれた自分の名前に再度目を向けてみる。


 吉野涼。


 どうしてこれがしっくりこないのだろうか。自分の身分証明書はどれにもこの名前が記載されていてもう17年も共にしてきたはずの名前。

 いや、吉野涼が自分だという感覚はあるのだ。

 そう音感はしっくりとくる。だから呼ばれて違和感を感じることはない。

 漢字、だろうか…。

 そう思って、近くにあった裏紙に「吉野涼」「よいのりょう」「ヨシノリョウ」「Ryo Yoshino」と書いてみるがどれも違う気がする。というか、ローマ字がしっくりくるなんて生粋の日本人としておかしな話だ。

 なんだか馬鹿馬鹿しくなってペンを放る。これはきっと長年見ているせいで起きた一種のゲシュタルト崩壊のようなものではないのだろうか。そう思うと一気にそんな気がしてきた。放っておけばいつの間にか気にならなくなるはずだ。そう結論付けると少しスッキリして今度は読書に集中できた。


 ちなみにその間先輩はというと、一心不乱に羊毛フェルトに針を突き刺し続けていてこちらの動きには気づいていないようだった。こういうそれぞれの世界に没頭できる空間が文学部である。

 集中しすぎて瞬きを忘れた結果、目を血走らせながら作業する先輩の姿はなかなかに鬼気迫るものがあったが、それもここでは気にすることではない。




「藍先輩、そろそろ時間です。」


 声をかけられた先輩ははっとして部室に備えつけられている時計を見る。その動きと同時にぞうさんの目になるだろう部分に針が深々と突き刺さっている。


「あれ?もうそんな時間か!集中してて気づかなかったよ!」


 そう言ってバタバタと片付けをはじめる。

 作りかけのぞうさんは部室の棚の上に置かれた。

 針は突き刺さったままである。

 先輩、その向きで置かないでくれ。ぞうさんがこっちを見ている。

 こわい!見るんじゃない!

 ああ!先輩、よしっじゃないです!

 ある程度片付け終わったところで、先輩が目を瞬かせて手で擦る。


「どうかしましたか?」

「うーん?何だか目が乾燥してるみたい...?」


 そりゃあ、あれだけ目を血走らせてたらな。むしろホラーだよ。そう思ったが口には出さず、


「最近ドライアイの人多いですからね。目薬あります?」


 時には口をつぐむことも処世術である。

「ある〜。」と言ってポーチから目薬を取り出し、早速さす先輩。

 先輩、白目になってますけど大丈夫ですか?

 普通にしていれば、非の打ち所のない可憐さの藍先輩なのだが、高確率で残念さが隠しきれていない。否これくらいの方が可愛らしいのかもしれない。


「おっけい!!片付け完了!」

「私も終わりました。帰りますか。」


 そう声をかけたところで、部室のドアが盛大な音を立てて開かれた。

 ギョッとしてドアを見ると満面の笑みを浮かべた馬鹿がいた気がするが、気がしただけだったようだ。さあ藍先輩、もう日も暮れてきましたしさっさと帰りましょう。鞄をひっかけて、部室をあとにしようとした。

 が、そう思いどうりにはいかないらしい。


「あれ?増川くんじゃん!どったの?」


 ああ、先輩それはスルーすべき物体だったのに。


「おい、涼。今知らないふりしていこうとしなかったか?」

「いやいやいや!気のせいだよ、増川クン!アハハ」


 胡乱な目でこちらを見てくる増川に笑みを浮かべて答える。こいつがくるとなかなか解放してもらえなくなる。どうにかこれを撒く方法を考えていたら、どうやら増川と藍先輩は一緒に帰ることが決定してしまったらしい。

 よし、じゃあ私はお暇しよう。


「涼ちゃん…もちろん一緒に帰るよね?」


 したから見上げてくる先輩。

 くそ、あざとかわいいかよ。

 ふざけんな。


「…ええ、もちろん。」


 かわいいには逆らえない性分でして…。



 そして、不本意ながら増川とも一緒に帰ることとなってしまった。そもそもなぜこんなにも増川と帰りたがらないかというと、こいつ馬鹿だが顔はいいのだ。どんなに馬鹿でも女子が放っておかない容姿を持っている。

 つまり、下校時間という多くの生徒が正門を通る時間帯にこいつといると視線に殺されそうになる。精神衛生上、これは良くない。だから基本増川とは教室以外で接触しないようにしている。にもかかわらず、増川は気まぐれに放課後やってきてしまう。

 どうしたものか。

 友人としての増川は本当にいいやつなのだが、彼の周りにいる女性たちはなかなかにドロドロしているため、あまり近づきたくないのも事実。同性どうしだったら気にしなくてよかったのに、と思う日は多い。


 つらつらと考え事をしていると、いつの間にか正門にたどり着いていた。

 するとなんだか、人だかりができている。

 藍先輩が首を傾げて言う。


「あれ?なんかすごい人だね。どうしたんだろう?」

「誰か有名人とか来てんすかね。」


 そう藍先輩と増川が話すのを聞いて自分も人だかりに目を向ける。

 見たところ女子生徒が多い。何事だろうか。

 人が多すぎて通れないため、三人で思案していると人の垣根が徐々に開かれた。

 そうして、その注目の人物がこちらへ向かってくるようだ。


 夕日にキラキラと輝く金の髪。

 女性受けしそうな甘いフェイス。

 それに反してがっしりとした体躯。

 一歩一歩踏み出す姿は洗練されていて、気品すらある。

 目が離せないままの私の前に彼は立ち止まった。

 そして、懐かしそうな、愛おしそうな笑みを浮かべて、


「迎えに来たよ」


 と言い放った。

 私は遠のく意識の中、懐かしい熱を感じていた。



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