わたしの知らない世界
「どうしたの?」
居心地悪くて身じろぎしたら、咎められた。
いや、リアム殿下は咎めたつもりはないのかもしれないけれど……
「いえ……その、そろそろ降ろしていただけたらと」
ソフィア・リリン侯爵令嬢、つまりわたしの現在地は我が国の王太子様、リアム殿下の膝の上。
もちろん自分で乗ったわけではない、乗せられたのだ。
ドレスで、膝の上に乗せられて、腰に腕が巻き付くと、もうなにしろ動けない。
だから身じろぎするくらいは許してほしい。
この体勢では、どちらもお茶など飲めたものではない。
用意されていたお茶のセットは、役に立たないまま冷めてしまっている。
なお淹れてくれた侍女は、わたしたちのいる四阿からだいぶ離れた場所で立っている。
護衛の騎士は更にその向こうだ。
ぎりぎり、わたしが悲鳴を上げたら聞こえるだろうと思われる場所だ。
だけど、わたしが悲鳴を上げて、彼らが駆けつけてくれるかどうかは怪しいと思っている。
「でもソフィア、離れたら寒いでしょう?」
やわらかな髪が頬に触れるほど美しい顔を寄せられ、腰を撫でられてびくりと震えた。
「そんなに震えて。これでもまだ寒いのかい? 暖かい部屋へ行こうか?」
「い、いえ」
ふるふると首を振った。
深窓の令嬢らしくはない挙動だけれど、取り繕っている余裕があまりない。
晩秋の四阿で、寒いのは当たり前だ。
わざわざその寒い場所にお茶の支度をしておいて、寒いからと言っていきなり抱っこされて、そのままぺったりくっついているので動けないのだ。
確かに秋薔薇はもう見納めで、今日を逃したら来年の春までこの王宮庭園の薔薇を見ることはないだろう。
今年最後の秋薔薇はとても美しかった。
それは認める。
でも、この美しさも言い訳だ。
セクハラのための。
この過剰接触な痴漢行為のために、こんな寒い場所でお茶をしているのだ。
とは言え、屋内に入ることも躊躇われる。
うっかりリアム殿下の私室にでも連れ込まれたら、次に部屋を出る時にはお手付き済み確定だ。
そのくらいリアム殿下は信用ならない――という方向で信用に厚い。
婚約者なのだからちょっと早く初夜でもいいじゃないかという意見も、実はある。
殿下が二十三歳とそこそこのお歳なので、自分が生きている間にお世継ぎがほしい老臣たちはそんなことを言っているらしい。
言ってるだけじゃない。
重臣廷臣たちの陰謀でリアム殿下と二人きりにされそうになったことは、わたしたちが初めて出会った十三歳と十八歳の時から五年、両手両足の指では足りない。
平均しても年間四回以上、もちろん初期には少なく最近は多いわけで、ここのところは気が休まらない。
しかしわたしには、そんな思惑には乗れない理由がある。
わたしはいわゆる転生者というもので、この世界の秘密を知っているのだ。
ここは乙女ゲームの世界であることを。
わたしは乙女ゲームのライバル令嬢で、リアム殿下はその攻略対象なのだ。
もうじき現れる伝承の聖女様によってリアム殿下は骨抜きにされ、わたしは聖女様に負けて婚約を破棄される。
でも、ライバル令嬢なのよ?
悪役令嬢じゃないのよ?
リアム殿下を巡って競うだけで、なーんにも悪いことしてないのに、婚約破棄されちゃったらわたしの令嬢としての未来は閉ざされてしまう。
婚約破棄時にもう既にお手付き済みとなれば、ただでさえ捨てられた女として限界まで下落するわたしの貴族令嬢としての価値はマイナス査定となり、修道院かエロ爺の後妻くらいにしか行先はなくなる。
わたしの記憶によれば、乙女ゲームでは婚約破棄されたライバル令嬢のその後は描かれていなかった。
上手く立ち回って外国の親戚のところへ行ってほとぼりを冷まし、そのまま国外の事情をよく知らない貴族のところにでも嫁げれば万々歳だろう。
そのためにも、お手付きは避けなくてはならない。
「何を考えている?」
つつっとリアム殿下の指先がお腹から胸に辿り……またびくりと震えてしまった。
コルセットのおかげでお腹を撫でまわされても感触はあまり感じないが、胸の上の方までくるとコルセットが途切れる。
でもそもそもコルセットの上からでも、令嬢のお腹を撫でまわすのは痴漢行為だ。
「な、何も……薔薇を見ておりました」
しかし今は耐えなくては。
拒み過ぎて強権を発動されても困る。
聖女が現れるまで、あともう少しだ。
多少の痴漢行為は許容し、のらりくらりと躱して――
と、思っていたのに。
聖女が現れて、リアム殿下が聖女のお世話にかかり切りになって、聖女と殿下の親密な噂が流れ、乙女ゲームの通りに状況は流れていったと思ったのに。
何故、今、わたしはリアム殿下の部屋に連れ込まれて、押し倒されているのか。
「な、な、何故」
「何故って、私が聞きたいよ。君、外国に行く支度をしてるんだって? なんでそんなことしてるの?」
「そ、それは……」
婚約破棄後、速やかにこの国を離脱するためです。
傷心の旅に出たと噂してくれれば、笑いものにする噂の鎮火も速かろうかと思いまして。
……でも、今これを言っていいものだろうか。
この状況にとどめを刺してしまわないか。
「ソフィア……本当に君は、野放しにできない子だね」
おかしい。
時期的にこの呼び出しは婚約破棄だと思うじゃない。
殿下の私室だけど、危ないかもって思ったけど、入ったのに……っ。
「あ、あの、殿下、聖女様は……」
「ああ、聖女は神殿にいらっしゃるよ。じきに国内から浄化の旅を始められる。国内の瘴気の浄化が上手くいけば他国にも向かう。他国からも自分の国を先にという思惑で使者が続々と到着しているから忙しいけれど、仕方がないね、我が国から聖女が出たのは誉れだしね」
すらすら答えながらも、リアム殿下はわたしのドレスを脱がしている……
「殿下はっ聖女様と……」
「それはただの情報操作だよ。まあ、多少周りに綺麗どころを揃えてちやほやして、聖女様には良い思いをしてもらったけど。他国の者に篭絡されないようにね。どうやら本命が神殿が護衛につけた聖騎士になったようだから、今頃は神殿に籠ってよろしくやってるんじゃないかな」
そうか、乙女ゲームだから攻略対象は他にもいたんだった……!
わたしがリアム殿下を避けて聖女にも近づかずにライバル令嬢の仕事をしなかったから、リアム殿下のシナリオは進まなかったの!?
「目を離すと逃げようとする悪い子は、もう帰せないね。今日から、君はここで暮らすんだよ」
「ここでって……」
ここは、リアム殿下の私室ですが。
「うん。結婚まで外には出してあげないけど、いいよね?」
よくないです……っ、て言おうとしたけど、口が塞がれてしまった。
そして言える状況になった時には、外に出られない格好になっていた。
次に服を着たのは一週間後だった、なんて、とても言え…ない……
わたしは純潔を失くして、乙女ゲームはちゃんとイベントを起こさないと攻略が進まないという役に立たない教訓を得た。
……でもライバル令嬢の凌辱監禁調教イベントから続くシナリオの行方は、わたしも知らない。