9 偽物の脅威
「どうだった? 今日やったとこはノートにまとめておいたから、活用してね」
授業が終わり、卯月さんが話しかけてきた。まぁその授業をしてくれたのは卯月さんなんだけど……ボクのためにノートまで作ってくれて、本当に嬉しい。卯月さんから貰った物……大切にしよう。
「早く昇と対戦したいぜ!」
「気が早いよ。まだ実際には魔法使えないんだし……」
ボクは苦笑いを返すが伊丹は本当に楽しそうにしていた。ボクだって早く魔法を使えるようになりたい。でもどんな魔法を使えたらいいんだろう。やっぱり攻守補助と、一通り出来るようになりたい。悪く言えば器用貧乏、だけどそれぞれが高いレベルでまとまれば万能になる。そんな風になれたらいいな。
そんなこんなで放課後。卯月さんと伊丹が魔法についてもうちょっと詳しく教えてくれるらしい。ボクは時間のかかる外清掃の担当だったので掃除が終わり次第、特別棟の教室に向かうことになっている。二人は多分先に待っているだろう。
あれこれと想像は膨らむ。ゲームの中くらいでしか見た事がない魔法を使えるなんて……魔法を使う自分の姿を想像したり、今日の卯月さんの授業を思い出していると自然と顔がほころぶ。すごい楽しみだ。
でもなんだろう、徐々に気分が落ちてくる。ほんの少し前からだ。確かに楽しかった気分が今は霧散している。理由は解らない。まるで明日が来ないような……そんな嫌な気分にさせる何かがボクを襲っている。
「まだ気付かないの?」
不意に後ろから声をかけられ、はっとして振り向くと、女子生徒がボクを睨みつけていた。授業の時に見かけたから多分魔法使いだと思うけど、声をかけられた時の口調と今の棘のある態度からして、友好的とは思えなかった。
「なにか?」
「なにか、じゃないわよ。結界を張ったのにも気付かないくらいなんだし、今から魔法を学んだって遅いのよ。魔法を学ぶのはやめなさい。でないと死んだ事にも気付かない内に死ぬわよ。アタシあアナタを殺す機会がどれだけあったのかも解らなかったでしょ?」
言葉に棘があるなんてものじゃない。言う事を聞かなきゃ殺す、と彼女は言っているのだ。だけど現実感は伴わなかった。人が人を殺すハズがない、ボクはそんな風に思っていた。だからボクは軽口を返す。
「ご忠告どうもありがとう。死なない程度にがんばるよ」
ボクがそう答えると女子生徒はゆっくりと手を前に差し出した。
前に、つまりボクに向けて。
嫌な予感がしたが遅かった。
「!?」
彼女の手から生み出され、放たれた光が肩に直撃し、ボクは激痛に耐えられず無様に床に転がってしまった。
「な、に……を……」
痛みに耐えながら絞り出すようにしか声が出せない。
「今死にたいなら別にそれでもアタシは構わないけど?」
本気なのか……? こいつはボクを殺してもいい、と思っている!? 肩の激痛はボクの考えが間違っていないことを感じさせるには十分すぎるくらいの痛みだ……! でも何故!? ボクが魔法を学ぶと何か不都合なことでもあるのか!?
「……なんで、こんなことを……!?」
自分の命が危険に晒されるのだから黙って相手の言う通りにする方が賢いのだろう。でもボクは愚かにも思った事を口に出してしまっていた。
「それを聞いたら諦めるのかしら?」
やはりボクはバカだ。殺してもいいと思っているならそんな事答えてくれるわけがない。ボクを殺せば相手の目的は達せられるのだから。
だが女子生徒はクスクスと笑うとボクの予想を裏切った。
「どっちでもいいんだけど、どっちかって言うと後処理が面倒だから教えてあげる。結構大変なのよ? 死体を消し炭になるまで焼くのは。焼いている最中、火力が足りないと血が床に広がっちゃうしね?クスクスクス……
まぁ教えても納得出来ない時は……仕方ないけどね」
女子生徒の言葉にぞっとする。ボクを殺す事とその後始末を天秤にかけて揺れるくらいボクの命は危うい場所にいる……!
「アナタがいると、アナタのクラス、クラス戦に参加してくるでしょう? あの二人がクラス戦に参加してくるのは面白くないのよね。アナタがどんなに足を引っ張ったとしても確実にクラス戦の上位に食い込んでくるわ。つまり足を引っ張るだけのアナタもその二人に寄生してるだけでクラス戦上位の魔法扱いになるの。そんなの許せないでしょ? 納得できないでしょ? 明らかに自分より劣る魔法使いが自分と同じランクだなんて認められるわけないじゃない? 個人戦では確かに問題にならないと思うわ。でも個人戦の成績が悪くてもクラス戦で上位なら仲間を援護するのに優れた魔法使いとして扱われるの。実際は何もしてなくてもね」
女子生徒の理由にボクは唖然とした。身勝手な理屈を並べ立てているだけだったから。
「そんなくだらない理由で……」
「くだらなくはないわ。アタシのクラス戦のメンバーは二人とも援護系なの。本当に援護に優れている魔法使いの目にアナタはどう映ると思う? って聞くまでもないわよね。今までの説明で解らないなんてこと……」
「そんなことをはボクの知ったことではない」
被せるように言ったボクの言葉に女子生徒は片眉をぴくりと動かし、不快感を露にした。
「足を引っ張るだけのボクが本当に援護に優れているわけじゃないことは誰にでも解るハズだ。認める必要もない。本当に援護に優れている魔法使いの目に、ボクは援護に優れていない魔法使いとして映るだけだと思うが?」
「……アナタ、自分の命がかかっている今の状況、そしてそのリスクをしっかり理解した上で発言してるんでしょうね?」
一段低い声で脅してくるが、恐怖とは別の感情が少しずつボクを支配していった。
「そんなくだらない理由で人を殺すのが魔法使いというのなら多分ボクは君に殺されなかったとしても別の魔法使いにすぐに殺されるだろうし、だったらボクは自分で正しいと思う事を言うよ。それに多分、ボクを殺す事も出来るのにわざわざそんなことを言ってくるくらいだから君は優しいんだろうね」
もちろん皮肉だ。
「……人を生き返らせる魔法なんてないのよ?」
ボクが生き返る魔法をアテにしているとでも思ったのだろうか、それとも殺されないとタカをくくっていると思ているのか、釘を刺してくる。
「それは残念。ゲームにあるからあるものだと思ったよ」
生き返る魔法なんてアテにしていない。さっきまでは確かに魔法が使えるということを楽しみにしていた。だけどその気持ちはもうすっかりなくなっていた。魔法とは相手に苦痛を与えるものなのだ。実際この女子生徒にやられたように。
「それでもまだ同じ事を言うのかしら?」
「言うよ。でもキミの言う事も聞くよ。苦痛を与え合う魔法使いなんてゴメンだし。人を傷つけることが魔法なんだろ? だったらボクはそんなものにはならなくていい」
「え?」
「聞こえなかったのなら何度でも言うよ。魔法を学ぶのはやめる。だからもう行ってもいいかな」
心底どうでもよくなったことが解るように吐き捨てたボクの言葉をどう受け取ったのか女子生徒は視線を下に落とした。
「……苦痛を与え合う事が魔法使いじゃないわ。大切な人を苦痛から守るのも魔法使いよ」
この女子生徒が何を思っているのかさっぱり理解できない。魔法を学ぶのはやめろと脅してきた癖にやめると言ったら魔法を擁護してきた。どんな理由であれボクがやめると言っているんだからそれに反論する必要はないと思うんだが。
「ボクは魔法を学ぶのはやめる。キミの言う通りにするんだから問題は解決しただろ?」
「二人にはなんて言うの? 魔法を本当に諦めるの? アタシを倒そうとは思わないの?」
その場しのぎのウソだと思ってボクを疑っているのだろうか。
「興味がなくなった、って言うよ。魔法は学びたくない。元々魔法とは無縁の生活していたんだ。今日一日の事は夢だとでも思うよ。これでいいかな? 疑うなら誓約書にしてもいいし、次の授業にボクが顔を出したらまたこうやって人気のないところで殺しにでもくればいい。一日やそこらでボクに魔法を防ぐ手段なんで出来るわけなさそうだし」
「あの、でも……二人とも悲しむと思うし、納得しないと思うけど……」
「キミは一体何を言っているんだ!? やめろと言うからその通りにするって言ってるんじゃないか! キミに二人の気持ちを言われる筋合いはない! 二人が悲しむ事なんて言われるまでもなく解りきっている! 正直なところイライラしているんだよ! キミのおかげで魔法というものを前もって体験出来たし、その結果興味もなくなった! キミの目論見通りに事は進んでいるではないか! 魔法を学ぶのはやめると言っているのだからな! ボクを見下しながら嬉しそうに高笑いでもしていればいいだろ!? それともなにか、『魔法を学ぶのをやめたりはしない』と言い張るボクを殺したかっただけなのか!? 条件が整わなかったら殺しが出来なくなるルールでもあるのか!? そんなルール無視して殺したかったら殺せばいいだろう! そうすればボクも魔法に興味がなくなったと告げて失望する二人の顔を見なくて済むからな! あんなに楽しそうにしてた伊丹を裏切らなければならないことを考えなくてもいいし、卯月さんがせっかく作ってくれたノートを燃えるゴミに出さなくても済むしな!
ボクを殺してもいいし、魔法をやめる方でもいい。
本当にキミの望む方はどっちだ? ボクが叶えてあげるよ。キミの望みを叶えるなんて言い回し、まるで魔法使いみたいじゃないか! オカシイと思わないかい? どっちにしろ魔法なんて使わないのに! これで満足だろう? キミの望みが叶うんだからさぁ……
笑えよ……
ワラエヨォオオオオオオオオオオオオオッッッ!!!!!」
途中で女子生徒の瞳から大粒の涙が零れていたが、それがボクの心を苛立たせた。
「……っく…………ひっく……ごめんなさい……こんなつもりじゃ……」
「……」
どうでもよくなったのでボクは女子生徒に背を向け歩き出す。その時不機嫌の塊が舌打ちという形になりボクの口から漏れた。
「ノート……捨てないで……!」
後ろから聞こえるか細い声。ボクはそれに答えない。答える気もない。
後ろの方で走り出す音が聞こえた。音は段々と遠くなっていく。けど振り向く気にはならなかった。
なんだか酷く後味が悪いし気分も最悪だ。卯月さんと伊丹のところへ向かう気にもならず、ボクは誰にも見つからないように校舎を後にした。




