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5 魔法


 図書館での卯月さんとの語らいはとても楽しいものだった。いつまでも続けばいいと思う時間はあっという間に過ぎ去り、今はお互い帰路についていた。


 日が暮れるから帰る。当たり前といえばそれまでだけど、なんとなく寂しい。


 夜の帳が下りようとも誰かと過ごしてみたい、という憧れからだろうか。誰もいない家に帰ることへの虚しさからだろうか。


 そういえば伊丹はどうなったんだろう。あれから連絡もないけど……


「黒夜くん、本当は何か用事があった?」


「え? いや……どうして?」


「なんとなく、ね。そんな気がしたんだけど、そうだったら引きとめちゃって悪かったかな、って」


 物憂げな気持ちが顔に出ていたのか卯月さんが心配そうに聞いてくる。


「そんなことないよ。卯月さんの話、興味深い話だったよ」


「それならよかった」


 卯月さんは本当に安心したように笑顔を向けてきた。


 今日半日話しただけだけど、卯月さんはとても親しみやすかった。だからこそ胸に抱いている疑念が益々深まる。クラスで浮いている、というわけではないが、卯月さんに話しかける人をボクは知らない。この容姿と性格なら男女問わずにもっと人気があってもおかしくないはず。なのに誰からも話しかけられない、なんて不自然だ。何か別の……ボクの知らない理由でもあるのだろうか?


「卯月さんって……」


 そこまで言いかけたところで過ちに気付き、慌てて口をつぐむ。


 バカかボクは!?

 今何を質問するつもりだった!? 「卯月さんって誰からも話しかけられてないみたいだけど何か理由あるの? なんて不躾で無神経な質問をするつもりか!?


「ん……? なに?」


 そんな愚かなボクに気付く様子もなく、卯月さんは聞き返してくる。


 頭を切り替えるんだ!


「あ、いや……卯月さんって話してみるとすごい魅力的だし……」


 よし、自然な流れで頭を切り替えることが出来た。


「話す前から……その……かわいいのになって、思っていたし……」


 そこまで言ってボクは口ごもる。


 一体何を言っているんだ……! 頭を切り替えることしか考えてなくて何を言っているのかまで気が回ってなかった! ボクの正直な気持ちだけど、なにを口から垂れ流しているんだ! 


 一度口にしてしまったものを引っ込めることも出来ず、頭の中を真っ白にしてしまい言葉を失い、卯月さんの方を見てみると目を丸くしてこちらを見ていた。


「……あ、あはは、かわいい、なんて言われたの小さい時以来だよ」


「ごめん……! ボク……」


「道の真ん中でなにをイチャイチャしてんだよ、ちょうウゼーな!」


 急に大声で怒鳴られボクはびっくりして声のした方を見ると、そこにはお世辞にも育ちが良いとは言い難い三人の男がいた。


「こんな往来でナニやってんだよ、なめてんのかよ? オマエアンパン買ってこいよ!」


「黒夜くん、行こう」


 卯月さんは特に動じることもなく毅然とした態度で、怯え気味だったボクの手を引くとその男達を無視し、脇を通り過ぎようとした。

 だけどそれがそいつらを余計に刺激してしまった。


「なにいきなり上等きってくれんだよ、ちょううざってぇな、オマエどこ中だよ!? カマキリ型のチャリ乗ってんのかよ!」


 意味不明な脅し文句でボク達を威圧してくるが、その大声と雰囲気だけど効果は充分にあった。情けないことにボクの膝はガクガクと震え、立っていることも意識しないとその場に座り込みそうだったのだ。


 卯月さんはそんなボクの様子に気付いたのか、手を放しボクの事を見つめてきた。


「黒夜くんは先に行ってて」


「……え?」


 一瞬何を言われたのか理解出来なかった。だけど手を離された事と言われたこと、その二つを理解すると段々とボクの心を蝕んでいく。卯月さんはこの場にボクがいても何も出来ない、ボクに何も期待してないからその手を放し、先に行けと言った。

 女の子一人守れない。ボクはそこまで頼りなく見えたのだろうか……いや、実際そうなんだ。なんて情けないんだボクは。


「オマエが俺達の相手をしてくれんのかよ、それならそれでもいいけどよ」


 男達の卯月さんを見る目が厭らしい形に変わる。


「私なら大丈夫だから」


 卯月さんはボクを庇うように男達の前に立つ。


 ボクになんとか出来るわけもない。頼りにならないかもしれない。かっこつけるためだけに前に出たところで何にもならない。理不尽な暴力に身を晒されるかもしれない。


 それでもボクは卯月さんの前に出た。


「黒夜くん」


「卯月さんを残してボクだけ先に行けるわけがないだろう? 勝つことは出来なくても卯月さんが逃げる間の時間稼ぎくらいなら出来る」


 人として。

 最低限のところは譲れない。でもボクの声は震えていたので説得力は何もなかったかもしれない。


「……バカだね。黒夜くんは」


 言葉とは裏腹に卯月さんの声はとても優しかった。だけどどう答えたらいいのか解らず黙っていると、


「……黒夜くん、ちょっと目を瞑っててくれないかな……?」


「え? ……えぇ!?」


 卯月さんの要求にボクはこんな状況なのに全然別の事を想像してしまった。

 女の子が言う「目を瞑って」という言葉はこんなにも心をかき乱すものなのだろうか……!


「……見られたくないから……」


 ボクの心は更にかき乱される……!


「な、何を……!?」


 ボクの頭では間違った答えが出ているのだが、それを振り払うように聞いてしまう。


「私の魔法」


「え?」


 卯月さんはハンカチを取り出し、ボクの目のところを覆うようにキュっと結んだ。


 ボクの視界は一瞬塞がれた。


 そう『一回瞬きをする程度の時間』だ。

 ボクはすぐにハンカチを目からずらした。


 そこには全くボクの想定していなかった光景が広がっていた。ゴミ収集場所のゴミ袋と区別がつかないように転がっている三人の男達とそれらを平然とまるでゴミでもみるかのように冷たい視線で見下ろす卯月さん。


「……え……?」


「行こ?」


 何事もなかったかのように、卯月さんはボクの手を引くと転がっている男達にはもう目もくれることもなく歩き出す。


「でも、一体どうやって……?」


 いつまでも手を引かれ、恥ずかしくなってきたのでささやかな抵抗として身じろぎをしながらボクは卯月さんに思っていたことを聞いてみた。


 卯月さんも繋いでいた手が恥ずかしくなったのか慌てて手を放した。いざ離されるとなんだか惜しくなってしまう。柔らかい手だった。


「魔法だよ」


 卯月さんは笑っていたが、からかっているわけではないように感じた。


「……卯月さんが魔法を使ってなんとかした……って言うの?」


「そう。だってそうじゃない方法なんてないよね?」


 ……確かに三人もの男の意識を瞬時に奪うなんて……スタンガンみたいな武器を持ってるなら別だけど、卯月さんの服に何かを隠し持っているような不自然な膨らみはない。


 思えば卯月さんは図書館でも魔法を見せてくれた。ならこれも卯月さんの『魔法』なのだ。


「そう……だね」


 だけどボクがそう言ったことに卯月さんは驚いたようだった。


「黒夜くん……本当は魔法使える……?」


「え? いや……ボクは使えないけど……」


 卯月さんの質問の意図がよくわからない。どうして卯月さんの魔法を認めるとボクが魔法使えるという理屈になるんだろう……?


ボク(・・)()……? なら伊丹くんが……?」


「伊丹……? なんで卯月さんが伊丹を……?」


 卯月さんが誰かから話しかけられているところを見たことがない、というのはもちろん伊丹も含む。その卯月さんの口から発せられた伊丹という言葉が何故かボクの胸をチクリと刺した。


「…………」


「卯月、さん……?」


 一時の間。続けてボクが何か言おうとする前に卯月さんが口を開く。


「……選択教科が一緒なんだよ」


「選択教科……?」


 選択教科とはその名の通り、自分の希望する教科を選んで受ける授業だ。

 数学Iと数学Aという選ぶ意味があるのかどうか解らない選択から、書道、美術、音楽、と一つに絞らず複数選びたい選択まで色々ある。


 そのため、教室を移動しての授業は少なくない。


「黒夜くんは私達が何を選択しているのか知ってる?」


「何を選択って……選択授業は色々あって一個じゃない、よね?」


「全ての選択授業のうち、一教科だけ共通で選べる授業があるんだよ」


 今までの話の流れ、そして卯月さんの決して冗談を言っているわけではない真面目な表情。そこから導き出される答え。


 まさか……そんなことが本当に……?


「魔法の授業……選択教科にそんなものが……?」


 絞り出すように言ったボクの言葉に、卯月さんはにっこりと微笑んだ。

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