26 腹パン(二回目)
「黒夜くん、何をするつもりなの……?」
ゆっくりと近づいてくる黒夜に雪音が不安な顔を浮かべながら質問する。
「ファンとの触れ合い……かな?」
じりじりと距離を詰めていき、やがて息が触れるくらいの距離になると黒夜は雪音に倒れこんだ。
「恐ろしく早い腹パン……オレじゃなきゃ見逃しちゃうね」
「そこからじゃ見えないでしょ」
黒夜が教室にいない事を雪音にジェスチャーで伝えてた伊丹だが、当然雪音の側に黒夜が現れたのを発見し、急いで向かってみたらこの有様だった。
「いや、昇の体が衝撃でズレてたし、大丈夫? 昇の内臓破裂してない?」
一度見た事のあるものを思い出し、心配そうに聞く伊丹。
「力加減解っているからそんなヘマはしない。そんな事より黒夜くんを」
重そうに黒夜を抱えていた雪音が伊丹に黒夜の体を預ける。
「一体何があったんだ?」
「解らない……様子のおかしくなった黒夜くんが、見張られている事に勘づいてここに来たようだったけど……」
「マジか……干渉しているやつがいるのがこれで間違いないって証明されてしまったのか……!」
「とにかく、伊丹くんは黒夜くんを教室に連れていって、机に寝させておいて」
「昇にとって今の休み時間の出来事は夢だったオチにさせておけばいいんだな?」
雪音は頷く。
「私は今からちょっと心当たりのある場所に行ってくるから」
そう言って返事も待たずに駆けだす雪音。
「あ、おい!? 一人で大丈夫……」
後ろから声をかけるも雪音は立ち止まらない。追いかけたい気持ちが伊丹にはあるが、黒夜をここに置いておくわけにもいかず、後ろ髪をひかれる思いで教室へと向かう。
「後でちゃんと説明してもらうからな……」
この場にいない雪音と意識のない黒夜両方に対して伊丹は独り言を呟いた。
一方雪音が向かった先は魔法準備室。ノックもせずにドアを開け、乱暴に入る。
「誰ですか騒々しい。部屋に入る時はノックをする事」
乱暴にドアを開けられ顔をしかめていた石神井だが、雪音の顔を見るとその表情を更に硬くした。
「黒夜くんに何かしたでしょう?」
だが雪音は石神井の言葉には取り合わず、自分の意見だけをぶつけた。
「黒夜君に? 何か、とは?」
「とぼけないで。黒夜くんが今おかしくなってるのは夏炉奈が何かしたからでしょ!?」
「何を言っているのか解りませんが、黒夜君がおかしくなってたとして何故私が何かしたと思ったんですか」
「ここ数日黒夜くんを見張ってみて、その間に接触した魔法使いが夏炉奈くらいしかいないし、私にも気付かれないように精神に影響を与える魔法なんて夏炉奈くらいしか使えない」
「もう一つくらい理由があるんじゃないですか?」
「……」
石神井の言うもう一つの理由こそ雪音の中で最大の理由だったが、あまりにも拙いので口には出さなかった。
「私の事が嫌いだからでしょう? だから私が何をしても気に入らないし、何か良からぬ事を企んでるに違いない。そんな風に思うんですよね? 卯月さん」
その通りであったが、それを石神井の目の前で肯定する程雪音は未熟ではないつもりだった。石神井には既に看破されているので、それは何の意味も成していない事ではあったが。
「接触している魔法使いというなら伊丹君がいるじゃないですか。私なんかより余程同じ時間を過ごしていますし、精神系の魔法にも精通していますよ?」
「そんな事は解っている! でも伊丹くんにはそんな事をする理由がない!」
「私にもそんな事する理由ないんですけど、卯月さんには解らないんでしょうかね」
「なら一体誰が何の目的で黒夜くんに干渉しているというの!?」
駄々っ子のように喚き散らす雪音に石神井は軽くため息をつく。
「本当に干渉している人なんているんですか? 黒夜君の精神に何か影響のある魔法をかけている人物がもしいたとしたら私が気付かないわけありません。知っていると思いますが精神に悪影響を与える魔法をかける事は犯罪ですからね。この学校内でそんな事をしている人はいません」
「じゃなんで黒夜くんの様子がおかしくなってるっていうの!?」
「私はそのおかしくなっている黒夜君を見ていないので解りませんが、この年頃の子は人からの印象を変えようと急に変な性格を演じて周囲にアピールする事も珍しくないですよ。魔法が使えるようになってちょっと調子づいてしまっているだけなのではないでしょうか」
「そんなんじゃない! 黒夜くんは大人しくて優しくて、人を傷つけることなんて出来ない人だから……!」
「あなたは黒夜君に理想を押し付けているだけです。理想と少し違った行動を取られたのには理由がある、と決めつけて否定しているだけです。私から見た黒夜君はそこそこ野心を秘めている普通の男の子ですよ。人を傷つける事だってあるでしょう。間違った行動もするでしょう。人間なのですから」
「違う……そんなんじゃない……! 夏炉奈は何も解ってない……!」
「解ってないのは卯月さんの方ですよ。もう少し理性的に考えてみてはどうですか」
これ以上話しても意味がないと思ったのか、あるいはいたたまれなくなったのか、雪音は準備室から飛び出していった。
「失礼しまー……あれ、雪音? どこに」
入れ替わりで伊丹が入ってこようとしたところ、雪音とすれ違うが雪音は足を止める事なく走り去っていく。すぐさま後を追おうとする伊丹だったが、石神井に止められる。
「待ちなさい伊丹君。今卯月さんの後を追っても良い事ありません。今は感情が昂っているようなので、落ち着いてから探偵ごっこより人の気持ちの機微について考えるように諭してくれませんか? 星さんでもいいですよ?」
伊丹の後に続いて星姉妹の姉、明も魔法準備室に足を運んでいた。
「一週間付き合う約束を交わしているので」
石神井の提案をすげなく断る明。
「それで二人の要件は何かしら?」
「雪音がこっちに走って行ったから様子を見に」
「わたしも卯月さんが凄い勢いで走っていくのを見かけたので何事かと」
「そうですか。二人から見て黒夜君は誰かに精神を干渉されているように見えるのかしら?」
石神井の質問に伊丹は逡巡し、明の方を見るが明は先に答える気がないようで目線を合わせもしなかった。
「……オレは正直そんな事をしてるヤツがいるとは思えないですね。雪音が確信してるみたいなんで合わせてますけど」
伊丹が意見を言い終わるのを確認してから明が口を開く。
「わたしはそういう事もあるかもしれないとして動いています。干渉されているように見えるか見えないかで言えば黒夜さんとはそんなに付き合いがあるわけでもないので解りません。危険があるのかないのか見極めているところです」
「危険、ねぇ。確かに模擬戦の時みたいな感情の抑制が出来ない状態を見ると危険があるかもしれませんね。小さい頃から魔法に触れていれば経験として解る事が、黒夜君にはありませんからね。小さい子に刃物持たせたようなものかしら。もう少し目を配っておいた方が良いとは思うんですが、私も一人の生徒にかかりっきりにはなれませんし、弱りました」
困り顔を浮かべながらもチラッと視線を二人の生徒に向ける石神井。
「そこは大丈夫! オレが見てるから任せてくださいよ!」
「はぁ。今までと変わった事をするでもないのに何を任せるんですかね。甚だ疑問なんですが」
安請け合いをする伊丹に明が不満を漏らす。
「それはだな……」
「逆に石神井先生が精神を安定させる魔法を黒夜さんに使われては?」
「そんな事したら卯月さんが嬉々として私を責めに来るわ。精神に影響を及ぼす魔法を使っている! ってね」
「え、良い魔法でもダメなのか?」
「精神に良い魔法かどうかは卯月さんでは判断出来ないでしょう。精神に影響がある魔法をかけられている、という一点を卯月さんは気にしてしまうと思います。それに精神に良い魔法と言ってもリラックスしやすくなる、イライラしにくくなるくらいの効果ですし、感情の起伏が激しい人にはあまり効果ないんですよね。もっと強い効果を求めると専門医の資格が必要になってきますし」
「黒夜さんにかける魔法を卯月さんに説明してからかけるのは?」
「私が説明したところであの子が聞いてくれるかどうか」
疲れたような表情を見せる石神井。
「説明すれば雪音なら解ると思いますよ」
「伊丹さん、そういう事ではなく、多分感情のお話です。卯月さんと石神井先生の間に何かあるんですよね?」
「そうね……私の事でもあるんだし、話してもいいかもしれませんね」
そして石神井はぽつぽつと過去を語りだした。




