10 一方その頃
特別棟魔法教室では、雪音が何か書き物をし、伊丹は携帯を弄びながらお互いに黒夜昇を待っていた。窓の外では降り始めた雨が段々とその勢いを増しており、厚くなった雨雲が空を覆っていた。
「昇遅いなー。雨がもっと早く振ってれば外清掃なんてやらなくてもよかったのに、タイミング悪いな」
伊丹はチラっと雪音に視線をやるも雪音からは何の反応も返ってこなかった。
「こんな天気だとあまり良い買い物日和とは行かないけど、コレ終わったら雪音も行くか?」
先ほどは独り言だろうと思い反応しなかった雪音も名前を呼ばれては反応せざるを得ない。
「なんで伊丹くんと買い物になんか。行かないよ」
「でも早めに昇には召喚魔法の契約とかさせた方がいいんじゃね?」
「むっ、黒夜くんのか……そうだね。それなら付いていった方がいいかな。黒夜くんがエビとかカニを呼び出さないようにするためにも」
「カニいいよね。いい。そんな風に言い合えたらとは思うけど、さすがに昇に選ばせるよその辺は」
「うわあああん……!」
その時一人の女子生徒が泣きながら雪音の元に駆けてきた。雪音は驚きながらも女子生徒の体を受け止めた。
「渋山さん? どうしたの?」
「ひっく……ひっく……ごめん……」
渋山と呼ばれた女性生徒は泣きながら謝るばかりで一向にどうしたのか解らない。雪音は渋山の頭を撫でながら優しく問いかけた。
「落ち着いて、何があったのか、教えてくれるかな?」
「ア、アタシ……黒夜に取返しのつかない事を……!」
「伊丹くん」
「解った」
雪音は伊丹に目配せすると伊丹はそれを察し、黒夜を探しに飛び出した。
「大丈夫だから、ね? 無理に話そうとしないでもいいよ」
それきり雪音は渋山を問い詰めるような事はせず、ただずっと渋山が落ち着くのを待った。
しばらくすると伊丹が息を切らせながら帰ってきた。
「ダメだ。見つからない。ここに向かっていたのは確認出来たんだが、途中で追跡阻害魔法使ってるな。昇自身の魔法だってところまでは解ったんだがそれ以上の追跡はオレには無理だ」
雪音はそれを聞いて神妙に頷いた。
「魔法の使い方教えてないのに無意識で使ってるなんてアイツ才能あるぞ。これは楽しみになってきたな」
思わずにやける伊丹だったが泣いている渋山を前に不謹慎だと思い、気遣う顔に直そうとして驚愕の表情を浮かべた。
「おい、なんだそれ……さっきは気付かなかったけど、よく見たら精神汚染の呪詛がかけられてるじゃねーか……!?」
「黒夜くんの魔法だね。伊丹くん解呪できる?」
雪音の問いかけに渋山をじっと見つめ思案する伊丹であったがやがて答えを導き出した。
「ちょっと無理そうだな。雪音は……出来たらやってるか」
「時間が経てば経つ程効果が薄くなっていくタイプだから、待っているだけでも大丈夫だとは思うんだけど」
辛そうな渋山を見る雪音は出来るならすぐにでも解呪してあげたかったが、ここにそれを出来る者はいなかった。
「しかし、昇が精神汚染の呪詛? 想像出来ないな……」
腕を組んで眉をひそめる伊丹。精神汚染の呪詛は消費MPの他に相手の心を抉る言葉も必要とする。しかも的確に抉らないと効果がない。伊丹には黒夜が人の心を抉るような言葉を口にするとは思えなかった。
「アタシのせいなの……!」
ようやく涙が止まり、少し落ち着いたのか渋山が口を開く。それでも声は震えていた。
「誰も責めないから、大丈夫だよ」
雪音は優しく諭す。
「黒夜……ゲーマーだって聞いたから……命の危機に瀕した時覚醒した、みたいなシチュエーション好きかなって思って、それで……」
「襲ったのかよ」
「伊丹くん」
言外に黙れと。伊丹は大人しく従った。
「……魔法やめるか、死ぬか迫ったみたの……」
……コイツバカなのか? 伊丹は思ったが口にはしなかった。
「……最初は魔法やめないって言ってくれてたんだけど、ちょっとした脅しで、絶対ケガしない痛みだけの軽い魔法当てたら……」
悪役をノリノリで演じてた様子が伊丹には想像出来た。改めてバカだと確信したが口にはしなかった。
「急に……! ひっく……」
呪詛は弱くなってきたとはいえ、まだ消えていない。その時の事を思い出した渋山は再び涙ぐんだ。
雪音も伊丹も黙って渋山が落ち着くのを待っていたが、伊丹が痺れを切らして口を開いた。
「昇の逆襲にあったんだろ? 昇は魔法使ったみたいだし、結果的に覚醒したみたいな感じになってオマエの思惑通りになったんじゃねーの? 精神汚染の呪詛で反撃されるとは思ってなかったんだろうけどさ」
「違うの! 黒夜、人を傷つけることが魔法使いだというならそんなものにならなくていい、とか興味がなくなったとか言い出して……! 魔法を否定してきたの……!」
(痛みだけの軽い魔法……なんとなく想像つくけど、あれマジで痛ぇんだよな……解っていればちょっとした行動阻害魔法程度にしか思わないんだろうけど昇は本当に殺されると思ったんだろうな……そして魔法を誤解した。そりゃこんな展開になっても仕方ないと思うんだが……コイツバカだからな……考えられなかったんだろうな……昇がゲームかなんかの主人公のようにスゴイ力に目覚めるに違いない、くらいにしか思ってなかったんだろうな……個人戦の時も派手な攻撃一辺倒で何も考えてなさそうだし……)
伊丹は口元まで出かかった言葉を飲み込み、フォローすることにした。
「魔法否定を精神汚染に組み込むかー、そりゃキくなぁ。そんな自分の心まで抉っちまうようなこと魔法使いじゃ言えないよなぁ」
「!?」
その言葉を聞いた途端、雪音の体に電流が走った。
「待って……今なんて言った……?」
雪音の珍しい表情に伊丹は驚く。
「お、おう、なんか変な事言ったっけか……?」
「黒夜くんはもう魔法使いなんだよ?」
それを聞いて伊丹も何気なく言った自分の言葉の意味を理解した。
「自分を否定している……ってことは昇自身も呪詛の対象になってんのか?」
「そう思っていいだろうね」
「あの! それでね……卯月の作ったノート、燃やすって……ひっく……うっく……」
渋山はまた嗚咽を漏らし始めてしまっていた。雪音は出来るだけ優しい顔と声で渋山を安心させようと慰めた。
「ノートなんてまた作ればいいだけだから、ね」
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
「完璧に自分も対象になってるな」
「間違いないね」
黒夜が普通ならそんなことを言うはずがない事を解っている伊丹とそれを察した雪音はお互い顔を見合わせた。
「でも時間が経てば弱くなるタイプってことは今頃効果も薄くなってるよな?」
「無意識で発動させているんだろうし、自分にかけ続けている可能性もあるよ」
「昇の家に直接言って様子見てくるか?」
「私達が行っても解呪出来ないよ」
確かにその通りだと納得し、伊丹は未だ雪音に抱き着いている渋山に目を向ける。
「コイツ連れてっても意味ないだろうしなぁ……」
「伊丹くん」
「スンマセン黙ります」
「ねぇ渋山さん、アカリさんかヒナタさんってまだ残っているかな?」
渋山は首を小刻みに横に振った。
「呼べる?」
「今日は……なんか……用事あるって……」
「そっか。じゃ、やっぱり明日まで様子見かな」
「もし自分にかけ続けてたとしたら明日はすごい被害妄想に取り付かれて別人のように変わった昇が見れるかもな」
少し楽しそうに言う伊丹を見た雪音はため息をついた。




