Ⅳ 秘零士の後悔と、彼の決断、そして――①
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Ⅳ 秘零士の後悔と、彼の決断、そして――
「人間に、復讐するんだ」
ロープでぐるぐる巻きにされ、部屋の隅に置かれたクロは、メフィーの質問に静かに答えた。
あの後、泣きじゃくるクロをどうにかあやして城へ連れ込んだ俺らは、言い方は悪いが、彼女を利用することにしたのだ。
質問攻めをしようとなり、まず始めにメフィーが訊いたのが、「お前の目的は何なんだい?」という質問だった。
「師匠が、人間に殺されたから」
その言葉に、俺が真っ黒になった作業服を替えてすぐ淹れた紅茶に、バカみたいに大量のジャムを突っ込んでかき混ぜていた手が止まった。
「……人間に?」
確か彼女たちの師匠は亜族。三百年ほど前というと、丁度人間による亜族の迫害が激しかった頃なので、師匠もその波に襲われたのだろう。
「姉さんがいなくなって、四、五年後のこと。いきなり、僕たちの家。つまり、師匠の家に人間が攻め込んで来てね。やれ『化け物だ』、とか、『悪魔のしもべだ』とか勝手なことを言っていた。師匠はほら、人間と全然違う姿だっただろう? だから、『悪』として殺されたんだ」
悔しそうに唇を噛んで、クロがメフィーを見つめる。
「兄さんや、姉さんたちは?」
「殺されたよ。僕以外全員、死んだんだ」
「抵抗はしたのかい?」
「したよ。秘零学は使わないで、ね。本来、秘零学は相手を傷つけるためにあるものじゃない、守るためにある。その信念を、バカなほど真面目に貫いて、あっけなく殺された。僕は、人間だから、人間だから! 人混みに紛れて、簡単に逃げることが出来たんだっ! 怖かったから、逃げたんだ……」
うつむくクロに、メフィーはカップを置いて、彼女のもとへ無言で歩み寄った。
「姉さん、僕がこうなったのはね。あの時死ねなかったからだよ。弱い僕は、逃げて生き延びてしまったんだ」
「……」
メフィーは何も言えないようだった。その小さな手でスカートを握りしめ、妹弟子の眼前に立っていた。
「逃げて、逃げて、逃げて。街で彷徨っているとき、僕はコールディマ様に声をかけられた。どうやら僕の事情を全て知っていたようでね、『一緒に人間へ復讐しないか? お前は人間だけど、その思いが確かでしょ? おいで』って誘われたんだ。その時人間への憎悪で溢れていた僕は、何も考えず彼と契約をした。で、今に至るわけ。どう、わかった? 僕は人間、でも、人間が嫌いで、滅ぼしたい。それが僕の目的で、力にこだわる理由」
顔を上げて、クロが無理やりへらっと笑う。するとメフィーはその笑顔を見て――
「メフィフィルスペシャルアルティメットアタッック!!」
殴った。
「「はっ!?」」
俺とクロが同時に声を上げる。上げずにはいられなかった。
メフィーがいきなり、自分自身を殴ったのだから。
「ちょ、姉さん! 何やっているんだよ!? 姉さん!」
「博士、ついにおかしくなりましたか!?」
「……はぁ、はぁ……痛かった……」
頬をさすりながら涙目で言うメフィー。やはり、とうとう常軌を逸してしまったようだ。
「ねえさ――」
「クロ、私はどうすればいい?」
「どう、って?」
「クロが苦しんでいるとき、私は笑っていたんだよ? どうすれば、どんな罰を受ければ、私は己の罪に対する意識は消える?」
「罪、だなんて。僕は、姉さんを恨んでいないよ!」
「私は私を恨む!! 恨んで恨んで、殺したいほど恨む!」
「じゃあ、私を恨みなさい、メフィフィル」
突如、背後から声が聞こえた。聞き覚えのある、甘い声。
「メフィフィル、君をあの家から離れさせたのは、私だよ? 君の師匠が殺されるという惨事の時、君を幸せにしていたのは、私だよ? なら、私を恨めばいい。違うかい?」
「ろぐ、あむ……様」
俺らの後ろに現れたのは、間違いなく司揮、永炎のログアムであった。いつもの優しい表情とは異なる、真剣な目をした彼が、そこにいた。
「どうしてここにあんたがいるんですか?」
こんな短期間に二回も逢うとは、俺もついていない。そろそろ死ぬのかな、俺。
「ちょっとした報せがあってね、さっき源界から降りてきた。ずっといたのに、気づかないなんて、余程話し込んでいたんだね。で、その報せはとりあえず後にして。もう一度言おう、メフィフィル、私を恨みなさい」
「……ログアム様……そんなこと、出来るわけがないだろう!」
首を横に振って、メフィーが叫ぶ。ログアムはゆっくりと彼女に近寄ると、美しい銀色の髪を軽く撫でた。
「クロ君、だっけ? 彼女も君を恨んでいないようだ。だよね?」
いきなり振られて、戸惑ったような顔をしながら、クロがしっかりとうなずく。
「僕は恨んでないよ。だって、僕の願い。姉さんが幸せになることが叶ったんだから」
「らしいよ、メフィフィル」
「クロ、私は、私は!」
「お願いだから、姉さん。自分を恨まないで、憎まないで。そんな顔、しないでよ」
「罪は私に擦り付ければいい、私が君を連れだしたから、と責めればいい。君には、笑っていてほしいからね」
微笑んで、メフィーをそっと抱きしめるログアム。
……けっ!
え? 何でもありませんよ。何やっているんだ、あん野郎! とも思っていませんよ。今すぐ離れろ、で、帰れ! とかも考えてないですよ。
「わかった。私は、何も後悔しないよ? それでいいんだよね? ……ありがとう、クロ、ログアム様、オート……は何もしてないよね」
「ええ、何もしていませんけど?」
そこは流れで俺にも感謝してほしかったが、実際何もしていないので仕方がない。
「まあ、そこに落ち着いたということで、私の話に持って行ってもいいかな?」
メフィーを優しく放し、空いているソファに腰かけたログアムが、俺らを見渡した。
「そうだな、騒いですまなかった」
「ホントですよ」
「オートは黙りたまえ。で、ログアム様。ちょっとした報せとは何だい?」
ちゃっかりログアムの隣に座り、メフィーが紅茶のカップに手を伸ばす。
「アーリル」
一言、名前だろうか。ログアムが告げたそれに、俺は聞き覚えがなかった。
どうやらメフィーも心当たりがないようで、紅茶を含んだまま首を傾げている。
クロは、固まっていた。目を大きく開き、信じられないように「まさか」と呟く。
「アーリル、その名前を君は知っているんだよね。クロ君?」
「何でログアムが知っているんだよ!」
「源界の情報収集力を舐めないで欲しいなぁ、しかも相手はコールディマ。彼も司揮なんだから、すぐ知ることが出来たよ。ぶっちゃけると、そこまで深いことはわからなかったけどね」
「……アーリルのこと、どのくらい知っている!?」
ロープで巻かれた身をよじらせながら、迫るように問うクロ。
何だか二人で話が進んでいて気分が悪い。
「ログアム様、アーリルとは誰だい? 全く覚えのない名前だ。聞く限り、コールディマに関係しているようだけれど」
「うん、クロ君と同じくコールディマの部下だよ。ね、クロ君?」
何か黒いものを雑ぜたような笑顔でクロに視線を向けるログアム。すると彼女は瞬時に目を逸らした。
「このことに関しては、いくら口の軽い僕でも言えないよ」
「そう、残念だね」
最初からそのことを予想していたような調子で、軽くログアムが言う。
口の軽すぎる、バカ正直なクロでも言えない。となると、よっぽどコールディマの重要秘密らしい。
「なら、私から話そう。アーリルは、コールディマが三十年前にディマスで出会った少女だよ」
「三十年前っ!?」
思わず立ち上がる。過剰反応せずにはいられなかった。
メフィーも驚いたようで手に持ったカップを落としそうになっている。
いつもなら、こぼしたら自分で始末してくださいよ、と俺は言うだろうが、今はそれどころじゃない。落ち着いた様子のログアムに、掴みかかりそうな勢いで駆け寄る。
「本当ですか、それは! さ、三十年前にディマスでって、本当ですか!?」
三十年前ディマスで。イェナが居なくなったのも、その時の、その町だった。
「妹は、妹はコールディマのもとにいるんですか!?」
「落ち着きなさい、オート君。まだ君の妹が彼女だとは決まっていないだろう?」
ログアムに肩を叩かれて、何とか呼吸を落ち着ける。身体の力を抜くと、俺はそのままひざから崩れ落ちてしまった。
確かに、その少女がイェナだと確定したわけではない。
だが、アーリルと言う名前が偽名だとしたら、彼女がイェナである可能性がなくはないのだ。
「イェナが、イェナが……どうして?」
どうしてコールディマのもとに? 俺らの敵の、コールディマのもとに? もう運命の悪戯としか思えない展開に、俺はただ口を開くことしか出来なかった。
「イェナ……」
クロの方へ顔を向けても、彼女は話せないという風に首を横に振った。
「クロ、お願いだ! あんたの知っていること、全部話してくれ!」
敬語も忘れて、俺は取り乱す。クロを殴って全てを吐かせたいところだが、力の抜けた膝が、俺をその場から動かしてはくれなかった。
「悪いね、オート。僕は、あくまでコールディマ様の部下。彼に忠誠を誓った身。こんな捕まった状態でも、それだけは、彼の害になるようなことは、言えないんだ」
「何で、何でだ、よ」
力なく床を拳で叩く。しばらく項垂れていると、頭の上に、ポン、と手が置かれた。
小さくて温かい、メフィーの手だった。
「なら、コールディマに直接問えばいいよ」
「……はい」
「三十年間、ずっとイェナのことばかり考えて来たんだもんね。すまなかったね、私は、無力だった」
「……いえ」
中腰になって、俺の目線に顔を合わせるメフィー。本来ならここで、本当だ、今まで何をやっていた! と責めるべきだっただろうが、彼女の深紅の右目を見たら、その気持ちは一気になくなってしまった。
「大丈夫、です。博士が宣戦布告されたおかげで、イェナがそこにいるかもしれないという情報が入ったんですから。むしろ、ありがとうございます」
軽く頭を下げると、彼女は困ったように微笑んだ。
「私もクロと再会できたし、何だかコールディマに感謝しないとかもね」
敵に感謝するなんて言語道断だが、メフィーの言うことも正しい。
「これも、狂動の力か……?」
ログアムが小声で呟く。
「は?」
「いや、運命というものを、狂動の力で『動かし』たのかなぁ、なんて思ってね。そんなわけないか……」
「そうなる、運命だったんだよ、ログアム様」
俺の頭をゴシゴシと撫でているメフィーがふざけたように言う。
運命。それは本当に何なのだろうか。今起こっている全ての物事が運命だとしたら。余程女神さまは面白いことがお好きらしい。
「そうだ、一つ覚悟したまえよ、オート」
不意に真剣な眼差しになってメフィーが見つめてきた。
「彼女がコールディマの部下と言うことは、私のように妹と戦う羽目になるかもしれない。無理なら私が戦うが……」
俺を気遣ったその言葉に、顔を上げてしっかりと答える。
「いえ、俺が戦います。博士も、クロと真正面から向き合いました。今度は俺の番です。イェナがどうしてコールディマのもとにいるのかわかりませんが、理由は何にしろ、俺は戦います」
「お、カッコいいね、私の従者は」
「あー、次下僕って言ったら……って、へ? 今従者って」
「聞き間違いじゃないかい?」
ぺしぺしと俺を叩いてから、メフィーは立ち上がり、ログアムを見据えた。
「というわけでログアム様、私たちはコールディマのもとへ行くよ。彼の居場所はわかるのかい?」
「もちろんさ、そうなると思って準備はしているよ」
「さすがログアム様!」
親指を突き出すメフィーに、ログアムは笑って喜ぶ。はっ、勝手にいちゃついていろよ。ん、別に苛立ってなんかいませんから。
「クロ、お前はここで大人しくしていたまえ」
「大人しくも何も、こんな恰好じゃ動けないって、姉さん。あ、そうだ、オート……アーリルは、その……。いや、何でもないよ。姉さん、武運を祈る。ってのはおかしいね、敵同士だもん」
悪戯っ子の様に笑って、クロが舌を出した。
それにしても、彼女が言いかけたことは何だろう。気になるが、自分の目で確かめよう。
「コールディマは空間を『動か』して創った世界にいるからね。逆召喚、つまり〝奇獣〟を召喚するときの逆で、こちらが陣を渡って向こうへ行かなければならない。やり方は知っているよね、メフィフィル」
「知識は、ある。やったことはないが、何とかしてみせるさ」
「何とかして見せてくださいね、博士。では、行きましょうか」
「あ、まだ行かないよ?」
立ち上がった俺に、メフィーが待ったを掛ける。
「は? 行かないんですか?」
「だって夜じゃないと、月の光を浴びてからじゃないと、オートが本領発揮出来ないからね」
「そう、ですね。ありがとうございます」
「ま、本心はクロとの戦いで疲れたから一回休みたいだけなんだけどね」
あ、俺のためはついでだったんだ。
「ちょっ拗ねないでよ、オート」
「拗ねてませんし!」
「私から見ても、オート君、君は拗ねていると思うけどなぁ」
「拗ねてません! あんたまで何ですか!?」
「とりあえず、私は源界へ帰ろう。メフィフィル、オート君、健闘してくれ」
そう俺をスルーしてから言うと、彼は一瞬にして消え去った。いつの間にか現れ、瞬時に消える奴だ。
「オート、お前も休みたまえ。私は寝るとしよう、零力の回復のためにね」
言い訳をしているが、本当はただ単に眠いから寝ます、と大あくびが告げていた。
「あ、姉さん!」
部屋の隅のベッドに向かおうとしていたメフィーを、クロが急に呼び止めた。
「このロープ、外してよ!」
「だぁめ。クロはまだ、敵じゃないか」
意地悪く笑うメフィー。
「まだ」敵じゃないか。ということは、今後メフィーはクロのことを敵として見ない予定なのだろうか。
「姉さんのバカ。あ、オート、お願――」
「散歩でも行ってきまーす」
「え、え、えぇ!? 苦しいんだけど、痛いんだけど! 姉さん、オート、この際ログアムでも、ねぇ!」
静かになった部屋に、空しくクロの叫びが響いた。
◆
もし、アーリルがイェナだとしたら。
俺は彼女とどう向き合うべきだろう。メフィーには大口をたたいたが、やはり内心不安はあった。
メフィーの城の近くの森を散歩しながら、俺は一人思考を巡らせていた。
イェナは、望んでコールディマの部下になったのだろうか。だとしたら、彼女も人間への復讐を考えているのだろうか。
確かに俺らの母は、人間に殺された。だから彼女が人間を憎む理由がないわけではない。だが、心の底では人間を憎みながらも、好んで街に出かけていた彼女が、復讐なんてしようと思うだろうか。
アーリルと言う少女が彼女と確定したわけではないのに、あれこれ悩んでしまう。これでイェナじゃなかったら、ショックは計り知れないが、希望を持っていてもいいと思う。
三十年間、毎朝毎晩、イェナは無事だろうか。そんなことだけ考えて時を過ごしてきた。辛かった。逢いたかった。日を重ねるたびに、想いは強くなる。
大きくなっているんだろうな、綺麗になっているんだろうな。もう百五十歳になっているのか。俺のこと、憶えていてくれているよな……。
苦しくなって、無意識に拳を握りしめた。
「イェナ!!」
空に向かって叫んでも、当然何も返っては来ない。
「俺は、兄ちゃんは、逢いたいから! イェナのこと、心配で仕方がないんだからなっ!」
叫ぶ、叫ぶ。想いを叫ぶ。
それが届いてくれ、なんてロマンチックなことは言わない。ただ、自分の気持ちを俺は確かめたかったのだ。
俺がメフィーの従者となった理由も、イェナのためだった。
俺が人間の街で倒れて、気まぐれで救ってくれたメフィー。
客間のベッドで目覚めた俺に、彼女はまずこう告げた。
「何か、事情があって街へ出たんだろう? ここまで助けたついでだ、手伝ってやるよ」
彼女が人間であると気づいた俺は、力の入らない身体で反抗したが、すぐに炎で抑えられたのだった。
「人種差別なんて、やめて欲しいね。私は亜族を尊重しているし、迫害したこともない。人間だからと差別するのは、人間じゃないんだから、やめてくれるかい?」
嘲笑うかのように言われた俺は、後先も考えず、全てのことを彼女に話したのだった。
信頼したわけではない、助けを求めたわけではない。だけれど、相手に有無を言わせないで自分の流れに持っていく不思議な力を、彼女は秘めていたのだ。今思えば愚かなことをした。こんなワガママ主に毎日付き合う羽目になってしまったのだから。
そうしていつの間にか、人間で言ったら長い時間が流れていた。
しかし、今、こうしてイェナに再会できる可能性が芽生えている。無駄な時間ではなかった、そう感じたい。
「一人で叫んで恥ずかしい野郎だなぁ、オート」
「……盗み聞きなんて性質が悪いですよ、テイコさん」
振り向くと、細長いシガレットを咥えたメイド服のテイコが立っていた。
くそ、聞かれたのか……恥ずかしいったらありゃしないが、顔に出したらまた笑われるだけなので、いたって無表情を貫く。
「いいなぁ……」
空を見上げて彼女が呟いた。
「何がですか? 叫びたいならどうぞ、笑ってあげます」
「違う、家族だよ」
ふぅぅ、と長くテイコが煙を吐いた。
「あたし、一人も生きていないんだよね、家族って言う奴。他の亜族と類に違わず、有鱗族も滅亡に追い込まれたんだよ、人間の手によって。今生きているのはあたしを含めて十人いるかどうかってところ」
人間の姿に似ていない亜族ほど、早く人間の手にかかった。
有鱗族は一見人間と同じように見えるが、その身体には蛇のような鱗がびっしりとある。異形を差別する人間の目に、彼らはどう映ったのだろうか。
夜真族は容姿が人間と全くと言っていいほど変わらない。夜行性で月光を浴びて力を得ること以外は、恨めしいほど同じだ。そのため、今いるこの森の奥深くにまで住処を移すことにはなっても、数が大きく減るようなことはなかった。他の亜族から見たら、十分幸せだと思う。
「だから、オートがうらやましいよ」
ははっ、と淋しげに笑う。その顔を見て、俺はある質問をしたくなった。
「テイコさん、あんたは人間が嫌いですか?」
「は?」
「今現在、人間を憎んでいますか?」
しばらくの沈黙。目は伏せたが、ごまかしているようには見えなかった。
「逆に、お前はそう思っているのかよ」
「……わかりません。亜族が隠れて生きていかなければならなくなったのは、間違いなく人間のせいです。そのせいでたくさんの亜族が滅び、たくさんの罪なき者が消えました。許すことなんてできるはずがない、亜族という立場からすれば、人間なんて嫌いです。憎いです。ぐっちゃぐちゃに壊してやりたいです」
そこで一度口を閉ざす。テイコの様子を窺うと、彼女は心なしか辛そうに目をつむって、服の裾を握りしめていた。
俺は唇を軽く舐めてから、言葉を紡ぐ。
「でも、俺。オート・ガルフト自身の意思としては、あまり嫌いと思っていません」
「……」
「憎く無いわけじゃない、俺の母さん、人間に殺されたんですよ。なのに可笑しいでしょう? そいつと同じ種族である博士に忠誠を誓ったんです。そして毎日寄り添っている。嫌いだったら、とっくの昔に逃げています。矛盾していますよね、変ですよね?」
「ああ、変だな。だけど……変じゃないよ」
「すみません、意見を一つにまとめてください」
「えぇ? ったく、理解出来ねぇの? バーカ」
「いや、誰も理解できませんし」
「周りから見れば変だけど、人間の近くで生きる亜族はみんなそんなものだから、変じゃないってことよ」
「そう、ですかね?」
「あたしもそうだ。時代は、人間は昔のままじゃないと信じている、信じたい」
根拠は? そう訊きたかったが、彼女には彼女なりの深い想いがあるのだろう。
「ま、あたしらがそう思えるようになったのは、メフィフィルっていう一人のチビがいるからだと思う。あたしは、感謝しているんだ」
俺も、と断言はしたくない。だけども、そう思っても少しは許されるような気がした。
「ところでテイコさんは、どうしてここに?」
「博士に頼まれたんだよ。オートが泣いていないか見てこい、と」
「泣くわけないです」
「はは、で、オート。妹が見つかるかもしれないんだろう?」
「可能性が、あるだけです。他人ということもあります」
そういったのは、自分にあまり期待をするな、と忠告するためだった。
「ともかく! 妹と再会出来たら、真正面から向き合えよ。家族が、ちゃんといるんだから。あたしが言いたいのはそれだけ。妹を、大切にな」
「はい」
ニカッと歯を見せて笑顔をつくると、テイコは俺に背を向け片手をあげた。
「お前に運命の女神さんの加護があらんことを!」
◆
午後九時半。今夜は月が一層輝いて見える。
城の前には、深紅のマントを羽織ったメフィーと、彼女からクロと戦う前にもらったあの剣を携えた俺がいた。
「これで完成!」
逆召喚のための陣を描き終えたメフィーが、額の汗を拭った。いつもの〝奇獣〟を召喚するときの何倍も複雑な陣だった。
「いい出来だ」
うんうんと頷く度に、リボンでまとめられた前髪が揺れる。
左目を隠すようにおろしている前髪を、今は零力がしっかりと見えるようにあげているのだった。これから敵の陣地へ乗り込むのに、どこか間の抜けた格好である。
丸見えになっている、秘密の左目。それはとてつもない威圧感を放っていた。
紅い右目とは違い、闇のように黒い瞳だ。眦はやや吊り上り、白目はない。まるで猛獣のような、鋭い目である。そこに部分だけ悪魔と交換したのではと思ってしまうほどだ。初めて見たときは、恐怖さえ感じたものだった。
「準備はいいかい、オート」
「はい」
夜で、しかも月が出ている今は、俺にとって一番体調のいい時間だ。内側から力が漲るような気もする。
「じゃ、行こうか!」
そっと陣を壊さないように、メフィーが円の中に入る。促され、俺も同じようにして後を追う。
「呼び掛けに答えよ、声に応えよ。往くべき地は創造と消滅の異世界。理を捻じ曲げ作られた、暗黒の世界。さあ、道を! 歩みを紡ぐ白き道を!!」
メフィーが優しく、強く言葉を連ねた。
すると、陣の中から真白い光が溢れ出て、俺らを包むように球を成していった。
まるで銀世界――そう思った矢先、反射的に目をつむるほどの強烈な光が虚空で点滅を始めた。
「目、合図出すまでつむっていたまえ」
メフィーにそういわれ、瞼に力を入れる。閉じていてもわかるほど、明るくまぶしい光は、数分経って落ち着いた。
「いいよ、開けてごらん?」
「……え?」
目の前に、道が出来ていた。この世のものとは思えない、白く美しい道だった。俺らの視界に映る世界は、全て白い光で埋まっているのにも拘らず、その純白はありえないほど目立っていた。
「いやぁ、私も初めてだから驚いているよ。これは逆召喚だから、私に呼ばれて〝奇獣〟がいつもこの道を通っているのかな?」
メフィーが歩みを始める。まるで遠足にでも行くように、軽い足取りで、歩く、歩く。
俺も、白い世界で映える深紅のマントに続いて、足を踏み出した。
暖かくて、柔らかな道だった。寝そべって居眠りしたいくらいに、歩きづらいが気持ちがいい。
どこに果てがあるのか知らないが、メフィーと一緒なら不安はない。そう思える自分は、幸せ者だと思う。
「待ってろよ、コールディマ! 人間に復讐だか知らないけど、〝奇獣〟が操られて私の仕事が増えたら困るからね、成敗してやる!」
「いや、そこは世界のためとか言っておきましょうよ。人間が滅びたら、世界が変わってしまうんですから」
「え、そうなの?」
「そうでしょう、たくさんの亜族が人間に滅ぼされて、世界の動き、空間、万象が変わったって話を長老から聞いたことあります。しかも、人間は世界の構築の大半を占めていますから、それらが一気に消えたら、高い可能性で、世界が不安定になります」
「あ、そ、そうだよね……じゃあ、世界のために、メフィフィル、頑張る!」
「正直言ってキモイです、博士」
閲覧ありがとうございます!!