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Ⅰ 秘零士は従者を困らす②

ここまでのご愛読ありがとうございます!!

「これでよし」

 人一人いない静かな闇の海辺。波にかき消されない程度離れた砂浜に、大きな円を描き終え彼女は満足そうに微笑んだ。

 円の中には見慣れない記号がいくつかアトランダムに並んでいた。彼女は夜目が効かないはずなのに、よく巧く描けるなぁと感心していると、「ぷふっ」と彼女に笑われた。

「な、何ですか」

「教えたことを忘れたのかい? もう、困るなぁ」

 メフィーは円を描くのに使っていた流木を投げ捨てると、大げさにため息を吐いた。

「私はこの記号たちをね、流木を媒体にして、砂浜に零力を流して描いていたんだよ?」

「零力……ああ、生物の体の中にある原初の力のことですよね。それが?」

「私の左目はその動きが見えるんだよ。まったく、以前説明したことを再びさせるなんて……オートは私をどれだけ困らせたら気が済むんだい?」

 ああ、最後の言葉をあんたに返してやりたい……。「世話のかかる奴だなぁ~」と肩をすくめるメフィーに苛立ちの芽が生えた。だが、大陸より広い心の俺は、その新芽を根こそぎ摘み取り燃やして灰にする。

 という、俺の心中はどうでもよく。

つまり彼女は闇の中でも零力ならばどこにどうあるか見えるのである。なのであんなにすらすらと描いていたのだ。

そして先の円の記号は、メフィー曰く〝奇獣〟を呼ぶための餌となるものらしい。とてもおいしそうには見えない、と毎度のことながら思った。俺なら喰い付かない。

「あとは待つだけだね。オート、下がっていてもらえるかい?」

 そう言うと、彼女は左手を天高く突き上げ、

「獰猛なる朱き炎の礎をここに集わす。応えろ、世界の敵を滅ぼすために」

と静かに空へ告げた。

 すると、彼女の薬指にはまった白銀のリングがゆっくりと、ゆっくりと優しげな朱に染まっていった。星と月の光しかない夜の中、それはまるで宝石のように輝く。

 操環と呼ばれる、秘零士の武器である。彼らは司揮より授けられたこの操環で、創界に存在する万象の礎、エレメンティアを己の零力と交換に操って、秘零学に基づいた術を駆使するのだった。

 エレメンティアは単体ではほとんど力を発揮しないのだが、彼女がやっているように声をかけて集めると、自由自在に操環の属性の万象に限って操れるらしい。しかし逆に言うと、エレメンティアの薄い場所では秘零士の力も弱くなるということだ。幸い今いるこの場所はそんなことがないらしく、メフィーは順調にその手にエレメンティアを集わせていった。

彼女の操環の属性は炎。これは彼女が契約した司揮が炎のエレメンティアを司り守護しているからだ。

「今日もいい炎を咲かせてあげるからね~」

 ふと、誰にでもなく言った彼女が、左手を握って大きく開いた。すると、そこには言った通りに、美しい炎が咲いていた。「炎を出現させる」のではなく「咲かせる」。これはメフィーの術を初めて見た時俺が言った言葉だった。あれから三十年たった今でも、彼女は虚空に炎という花を咲かせることが出来るのだと感じている。彼女の右目とはまた違う朱の炎は今日も奇麗で神秘的だ。

「あ、博士。釣れましたよ?」

「お、いいタイミングだよ。私の火力も十分だ」

 円の中の砂が徐々に何かが盛り上がってきたのを見て俺が言うと、彼女は一つ頷き、そう答えた。

 〝奇獣〟が姿を現すまでのこの時間で、彼女の掌の花はどんどん大きくなってきた。

 メフィーが駆使する〝奇獣〟への攻撃方法は四つ。

 まず〈炎撃(ショット)〉。これは炎を球形にして相手に飛ばす基本形の技。球の大きさ、数は自由に変えられ、その威力は距離が近ければ近いほど強力。つまりは、相手が遠いと威力は減少するのだ。

 次に〈炎獄(ホール)〉。メフィーが掌の炎を、空中にあるエレメンティアに瞬間的に伝わせて、相手自身に炎を咲かせる技だ。欠点は相手が動けば動くほど命中率が下がること。

 〈炎羽(プルーム)〉は名前の通り、炎が羽となって相手に飛んでいく遠距離用の技。〈炎撃〉に比べれば威力は劣るらしいが、攻撃範囲は比べ物にならないほど広い。

 最後の自称究極奥義、〈炎精(スピリット)〉は他の技の数倍も零力を使うらしく、普段は使わない。そもそも、俺はそれを見たことがなかった。

 なんて、記憶を反芻していると〝奇獣〟が全体像を見せていた。犬のような姿をしたそれは、常例の〝奇獣〟と変わらず、影のように深い闇色をしている。

「全体像確認、中型獣、標準種と予想。目立ったスキルの保持、なし。攻撃に入る……」

 掌の炎でその存在を照らし確認したメフィーが独り言のように呟いた。そして一歩後ろに飛びずさり、さっと左手を突き出すと、人差し指を立てた。掌から指先に移動した燃え盛る朱き炎は鋭さを増したように見えた。

 彼女が戦闘態勢に入ったのを見て、俺は邪魔にならぬよう数歩退いた。もしもの時のために、と以前メフィーから渡された平凡な諸刃の短剣を右手に持つ。まあ、これで俺が参戦したことはそうそうないのだけれど。

 〝奇獣〟は最初餌に気を取られていたが、メフィーから放たれる尋常ではない殺気に気づいたのかふっと体勢を整えた。どうやら俺らを完全なる敵と認識したらしい。いつでも襲い掛かってきそうな唸り声を発していた。

「〈炎撃〉!!」

 数瞬〝奇獣〟を睨んだメフィーが人差し指を大きく上に振って攻撃を始めたのと、相手が地を蹴ったのはほぼ同時だった。

 しかし、炎の着弾のほうが数倍も早い。

 顔面に思いっきり、二メートルもない距離から〈炎撃(ショット)〉を喰らった〝奇獣〟は余程熱かったのか、両前足で顔を抑え悶絶している。

「雑魚ちゃんが……もう、つまらないじゃないか」

 その様子を鼻で笑ったメフィーが、視線は決して離さずに人差し指をまっすぐ〝奇獣〟に向ける。〈炎獄〉の構えだった。

「〈炎――!?」

 異変。

 攻撃されたらその敵しか見ない、そんな程度の知能しかない〝奇獣〟が、攻撃を仕掛けたメフィーではなく、ただ剣を持って傍観していただけの俺にその鋭い爪を向けてきたのだった。

「オート、逃げろ!」

 予想外のことに狙いがずれたメフィーにはどうすることも出来ない。だからって、逃げろなんて……。

「は? ナメてんですか?」

 バカにするな、そう思いながら俺は突進してきた「雑魚ちゃん」の攻撃をよけ、奴の斜め後ろへすり抜けた。そして思いっきり奴の首を深く切り裂く。

 剣を伝って何とも言えない気味の悪い触感を感じる。うげー……。

 頸動脈だか何だかを切ったのか(奴らに血管があるのか知らないが)、〝奇獣〟の首から漆黒の液体が噴水のように溢れ出た。

「〈炎獄(ホール)〉!」

 今にも死にそうな〝奇獣〟に、メフィーが情け無用で〈炎獄〉でその漆黒の身体へ大輪の炎を咲かせる。

 お見事――って、ん? 何で俺の服の裾まで燃えているんだよ、おい!

「ちょ、熱ッ! 俺まで巻き込まないで下さいよ!!」

 そう彼女をねめつけると、「てへ」と愛らしい仕草が返された。「てへ」じゃねぇよ、俺まで葬る気か。

 迷うことなく神速で彼女の額に全力でデコピンをした。次第に白い肌が赤く染まる。

「痛いじゃないかぁ! そこは頑張って〝奇獣〟を倒したご主人様にナデナデでしょ!?」

「甘えないでください、っつーか、ノーコンですね。俺が燃えたらどうするんですか」

「あ、あれわざとコントロール滑らせたのさ。何かオートの活躍にいらっと来てね♪」

「すみません、博士。俺の右手がどうしても、もう一回デコピンをしたくてたまらないみたいなんですけど、額貸してくださいこんにゃろうが」

「自分にすれば? そんなことよりも、呑もうぜッ!」

「無駄にさわやかですね」

「…………ちゃんと、敵が他にいないか確認してからのほうがいいよ。痴話げんかは。ね、メフィフィル・サスペンディットフォース」

 

聞いたことのない涼やかな青年の声。

 

とっさに俺とメフィーは〝奇獣〟が倒れている方向に視線を向けた。

 そこには未だ燃えている〝奇獣〟の死骸と

「何だ……お前は?」

 メフィーの口からぽつりと驚きを隠せない声が漏れる。

 背の高い人間(と確定したわけではないが)が一人颯爽と立っていた。

 暗めの金髪の青年だ。先の声は彼のものだと察せる。

 辺りの闇が深くて、きっとその姿は炎が照らしている部分と零力の動きしか、メフィーには見えていないだろう。こういう時に夜真族でよかったと感じる。もともとかなりの夜行性の俺にははっきりとその姿が見えた。夜真族を前に闇はないに等しい、とまではいかないが、むしろまぶしい方が見えなくなるのが種族の目の性質だった。

 切れ長の蒼い瞳の整った顔立ちに、左頬の大きな傷が目立つ青年だ。年頃は俺の見た目と変わらないだろうか、二十歳前後。

 ストライプ柄のカッターシャツとベージュのズボンというラフな格好で、彼はニヤニヤとした笑みを伴ってそこにいた。

「誰だ!?」

 メフィーが声を荒げてその人物に問う。いつもの彼女からは感じられない焦りが見られて俺は驚愕する。

「え? あえて言うなら〝奇獣〟の観察者、かな?」

 すると、そいつはハハッ、と愛想よく笑って答えた。

 すると流石に相手の顔が見えないことにしびれを切らしたのか、メフィーが「〈炎撃(ショット)〉」と静かに小さな灯火を出し、そっと相手の方へ移動させたが、そいつはそれを攻撃と勘違いしたのだろう、

「消した?」

メフィーが紅い瞳を大きく開いて狼狽する。

 ちょっとやそっとのこと、例えば普通の風や水では消えないはずの彼女の炎が消された。あくまで予想に過ぎないが、故意に消されたのはこれが初めてだったのだろう。何とも複雑な表情が彼女の顔を覆う。

 俺も自分の目を疑った。炎が消される前、奴の右手が一瞬だけ光ったのを俺の目は見逃さなかったのだ。

 詠唱はなかった。右手を動かしただけでの発動だった。しかし、よく見るとその手には銀色のリング。

「秘零士?」

 同じくそれを確認したのか、はたまた同業者の勘ってやつか知らないが、メフィーもそう考えたようである。

「秘零士か、お前……」

 彼女がすかさず訊くと、奴は「はーずれ」と癇に障る調子でそう答えた。ずいぶんと余裕である、それほど自分の実力に自信があるのか。

「いいこと教えてあげようか」

 右手の食指をぴんとあげた奴は、得意げにそう言う。その長い指にはしっかりと操環がはまっていた。

「秘零学はあくまでエレメンティアを操るための基礎だろ? だから少し発動までの回路を応用すれば強力な他の、俗に言われる魔術に成るんだよ。僕が使うのはそれ。知ってたかな、バカだから知らなかった?」

 ずいぶんと簡単に種明かしをしたが、俺が気になるのはメフィーが彼の挑発に乗らないでくれるかどうかだ。

 ここで相手のペースに巻き込まれたら負けだと本能が告げているからだった。

「知ってたよ」

 よし、乗ってない。いい子だ、そのまま続けろ。

「でもさ、私は秘零士だから。秘零士は秘零学を駆使して世界を守護する存在。知ってても、私はそんな外道なことはしないさ。そんな下衆なことの方がバカじゃないか? ってか、そんな自慢をしに来たのかい? 用件があるなら言ったら? 邪道が」

 むしろ挑発してしまった。いや、悪くはないと思うのだが、攻撃されて戦闘になったら面倒くさいと心の端っこで思う。

 さて、メフィーの挑発に相手がどう反応してくるか。俺は両手で剣を構え直す。

「………………は?」

奴の整った眉と眉の間にしわがよる。先ほどの余裕はどこか。奴は怒りを顔にもろに表わしたのだった。これにはこちらの方がぶっちゃけ「は?」だった。豹変というのを俺はこんなにもはっきりと確認したことがない。

「何、何何何!? 僕の方がバカだって言いたいのか」

「うん。バーカバーカ。なんつーか、生物の恥だよ」

「恥って! 僕は立派だ! そうだ、知らないんならこれも教えてあげる。バカって言った方がバカなんだよッ!」

「へー、でもバカって言い出したのお前じゃないか……ぷっ」

「笑うな笑うな!! バカバカバカバカ!」

「ふはははははは、おっかしいの」

「バカバカバカバカバァァアアカッッ!」

「ふはは、ふははは!」 

 暗く深い闇の砂浜で、メフィーの哄笑と、奴の「バカ!」の声が交互に響き渡る。



 …………………………ちょっと待て。

 無意識に俺は静止してしまった。

 何? この幼児レベルの口論……。

 俺はこの場から逃げたくなった。

 視線を、幼子のように拳を握りしめて動かしている青年の方へやると、その端整な顔は今にも泣きだしそうなことに気が付いた。

 さっきまでの「余裕綽々」の溢れ出る表情は夜空の彼方へ飛んだのか。開いた口が本当にふさがらない、あまりの変わりように、何なのこいつ、と心底思う。

「ふはははははははは、愚か愚か! その口はバカしか言えないのか? 語彙の少ない奴め、もう一度人生やり直してこい!!」

 加虐的にメフィーが笑う。あ、なんかこっちが悪役に見えてきた。いや、青年がまだ俺らの敵とは決まっていないのだが。

 っていうか、本当に俺帰ってもいいですか……付き合ってられん。

 ふと月を見つめる。今日は奇麗な三日月だった。俺は月と夜と共に生きる夜真族、やはり美しい月を見るとほっとする。

 ああ、月の女神よ。麗しき月の女神よ、どうしてそんなに遠くにおわす――。

 完全に現実逃避へ浸った俺に、もう二人の声なんて聞こえない。



 もう彼是一時間以上は経過しただろうか…………まだうるさいバカの言い合いが聞こえる。

午前二時すぎ、ここは港町なので人間たちもかなり早起きだろう。多分、バカという生き物は本当にバカなので、あと何時間でも続けるはず。そうなると、リミットは遠くない。そろそろこの幼稚な口げんかを止めてやらないといけないと思う。

「てかさー、〝奇獣〟の観察者だかなんだが知らないけど、私は早くお酒を呑みたいんだ。もう十分バカバカ騒いだだろう? 早く帰ってくれないかい?」

「知るか、そんな身勝手な都合!」

「身勝手はお前だよ、うん。何しに来たの? かまってほしかったの?」

「違う、ちゃんと君たちに言うことがあって来たんだよ!」

「じゃあ早く言って帰ってよ」

「だってまだ決着ついていないじゃん! このままだと僕が負けた感じで終わるじゃん!」

「はっ、所詮お前は生まれたときから負け犬なんだよ? この人生負け組が」

「黙れ黙れ! そんなに僕を怒らすと、もう用件言わずに帰るぞ!?」

「わかった、言わなくていいからさっさと帰っていいよ。それとも何? どうしても言いたいなら聞いてやってもいいよ」

「用件言わないで帰ったら僕、怒られるんだけど!」

「へえ、怒られなよ」

 ガラガラ声になってもまだ続けているのか、この二人は。まったく最高のバカだな。何かに表彰されちまえ。

「博士」

「何だいオート、黙っててくれないか? あとちょっとでこいつを再起不能に出来そうなんだけど」

「さ、再起不能って! いいよ、何度でも蘇ってやる!」

「俺の予想ですけど、もうとっくに酒場閉まっていると思います……」

「なぬ!?」 

 久しぶりにメフィーが俺に視線を向けた。美しい深紅の右目はこれ以上ないくらい開かれている。

「に、二十四時間営業求む!」

「いや、俺に言われても。っていうか、あんたらが滑稽なことしているから悪いんですよ?」

「滑稽? 僕のことを君までもバカにするのか!? お、お、オートだけは信じていたのに!」

「いつから俺はあんたの仲間になったんですか……どうぞ、海水で頭冷やせこの野郎」

 立てた親指を下に向け青年に送ると、何故か奴はとても傷ついた顔をしていた。勝手に傷ついていていいぞ、許すから。

「うわ~ん、オート。私はお酒が欲しいよ!」

「ぐずらないでください、博士。うるさいので」

「ぐす、帰ったら死ぬほど葡萄酒呑んでやるさ」

「ええ、死ぬほどやってみたらどうですか」

「じゃあ僕は帰ったら鼻血出るほどチョコレート食べていいかな?」

「いいかな? ってなんで俺の許可が必要なんですか、って、早く頭冷やしやがれ」

 今すぐにでも青年の首をつかんで海に放り出したい気持ちを抑え、俺は二人にある提案をする。

「じゃあ、二人とも己の欲望のまま飲み食いしたいのなら、一つ俺の言う事聞いてください」

「うん、わかった……」

「ん? 何でこんな流れになってんの? 僕の立ち位置おかしくない?」

「黙れ、腐れ野郎が」

 生意気に訴え始めた青年を一喝してから、俺は話を続けた。

「いいですか? まず博士はこれ以上挑発しないように。で、あんたは早く用件言って帰りやがれ。わかった人、はい挙手!」

 ああもう俺、失業したら保育士に転職しようかな……。

「はいはいはい!」

 元気に左手を挙げるメフィーと

「あ、うん。はいはい」

 戸惑いながらも小さく右手を上げる青年。

 これでよし、と。

「はい、じゃあ博士は挑発をよしてくださいね」

「(コクリ)」

「で、あんた、用件は結局なんなんですか?」

 改めて青年に向き合うと、奴は細い顎に手を当てて数秒考えるようなふりをした。

 まさか忘れたとかいうなよ。そしたら全力で殴ってやる。そんな心配は杞憂だったようで、奴はにやりと口角をあげると、さらり用件を告げたのだった。


「司揮、狂動のコールディマ様から君たちに宣戦布告だってさ」


 宣戦布告。

 その言葉に反応して、おろしていた右手が短剣を構えた。そっとメフィーを庇うように移動し、一瞬斜め後ろを一瞥すると、彼女を同じように操環の嵌った左手を前に出して開いていた。

「いや、構えなくていいよ。今は戦わないからね」

「その『今は』というのが気になるなぁ、ねぇオート」

「ですね」

 メフィーの口調こそは呑気だが、声からはとてつもない緊張感が感じられ、額には汗が数粒浮かんでいた。

司揮と言っていたが、コールディマとはどんな人物なのだろうか。聞いたことない名前だが、その名が出た瞬間メフィーの表情が変わったので、只者でないことは察しが付く。だいたい司揮に只者はいないだろう、なんたって世界の保持者である界王の子供なのだから。

「お前は……コールディマと契約しているのか」

「君とログアムみたいな契約はしていないよ? でもコールディマ様は僕の主人だ」

 あっさりと帰ってきた返答に、メフィーが下唇を強く噛む。

「博士、コールディマって誰なんです?」

 このままじゃ話についていけないと、思わず訊いてしまう。すると彼女は唇をかむ力を強め、俺から視線を外した。

「博士?」

「……………………コールディマは、大昔界王を裏切った司揮だよ。まあ、俗にいう堕天使みたいな奴だね」

「界王を裏切った?」

 どういうことだろうか、全く意味が解らない。

「あっれ? コールディマ様が界王を裏切った理由は言わなくていいのかな?」

 おどけた風に青年が言うので反射的にねめつけると、世の中の黒いものをかき集めてできたような笑みを返された。本当にこいつはよく豹変する奴だ。次の表情、行動が全く掴めやしない。

「…………私がオートにどう説明しようとお前には関係ないだろう?」

「じゃあ、僕が教えてあげるよオート。コールディマ様はね、亜族を――」

「ッさい燃やすぞ!?」

 耐えきれなくなったように身を乗り出してメフィーが叫ぶ。怒りのためか彼女の両手はこれ以上なく震えていた。

 メフィーの狼狽ぶりといい、青年の言う「亜族を――」の後はどう続くのだろうか?

「はは、相当のエゴイストだね。でもそれじゃオートのためにならないよ?」

「うるさい! エゴ? ああそうかもしれない、いやそうだ。だからなんだい? お前に何か関係があるかい?」

 せかすように早口でどんどん言葉を紡ぐメフィーに対し、青年は歯を見せて楽しそうに笑う。先の喧嘩とは対照的な二人に、俺も混乱を隠せない。

「ど~だろね~」

「じゃあ黙れ。次は本当に燃やすからな」

 メフィーがキッと睨みながら左手を青年に向ける。

 ここまで彼女が怒りをあらわにするのは珍しい。それほど「亜族を――」の後に続く言葉は禁句なのだろう。

「いいのかな、オート。知りたいでしょう、本当は」

 ニヤニヤ。青年がこれ以上なく楽しそうに笑いかけてくる。

 知りたい、教えてくれ。

 しかしここでそんなことを言ったら、きっと負けなのだろう。喉まで上がってきた二つの言葉を思い切りぐっと飲み込んだ。

「わかった、灰になりたいのだなお前は! いいだろう望む通りにしてやる!」

 もう我慢できないとばかりに、メフィーの左手に巨大な朱い炎が咲く。

 それでもまだニヤニヤ笑い続ける青年。二人を見比べ、俺は一つ息を吐いた。そして本心とは異なる一言をわざと唇から放つ。

「知らなくていいです」

 その数秒もかからない言葉で、メフィーの炎の勢いと、青年の楽しそうな表情がなくなった。

「へえ……いいの、君はそれでいいんだ。ふうん」

「別にそんなどうでもいいこと、知らなくていいです」

 舌打ちを鳴らしつまらなそうにする青年に、俺はきっぱりと告げた。チクリ、胸の中を何か鋭利なものが引っ掻いた気がした。

「……………オート……」

 やるせなさと疑いが混じったような目でメフィーが窺ってくる。

「二人にとっちゃあ大切なことなのかもしれませんが。だから博士、そんな顔しないでください。博士が俺に嘘をついたことはごまんとあっても、俺が博士に嘘を吐いたことなんてないでしょう?」

 小さく頷き、彼女は炎を下げる。月明かりでほのかに輝くやわらかな銀髪を、俺は優しくなでた。

「オート、そんな主人のエゴで君の人生の選択に関係する大事なこと、聞かなくてもいいの?」

「しつこいなぁ、いいと言ったらいいんです。それに、博士のエゴは今始まったことじゃないんで」

 ふん、と鼻で笑うと、青年は再びニヤリと笑いだした。相手をイラつかせる、不穏で嫌な笑みだと心の底から思う。

「ふぅん……いい下僕を持ったね」

「従者です。で、あんたの主人に宣戦布告されないといけないほどのこと、俺らがしましたか?」

「ああそうだ。私もオートもコールディマに恨まれる理由がない。妄想での宣戦ならば遠慮してもらおうか」

 困惑から我に返ったようにメフィーが睨んだ。本当、勝手な虚妄で宣戦されたら迷惑である。メフィーじゃないのだから、そんなワガママやめて欲しい。

 そう思っていると、青年が肩をすくめながらメフィーに視線を送り「わからないのかな?」と尋ねてきた。

「残念だな、高貴な私にはバカの考えることがわからない」

「ま、またバカって言ったな!」

「すぐそうやって興奮する……困ったちゃんだなぁ。今のバカはコールディマにだよ」

「じゃあ尚更僕は怒るぞ!?」

「私情はいいから早く話さないか? もうお前は面倒だから事務的にしゃべればいいよ」

「確かにそうだねッ!」

 認めた、認めたぞこいつ。

「あーもう! 僕も君ともうしゃべっていたくないからチャッチャと言って帰るね」

「ああ、それがお互いのためだ」

「コールディマ様が宣戦布告した理由は、」

「理由は!? さあ何だ!?」

「いちいち、ちゃちゃ入れるな!」

「え? 相槌は交流の基本だよ。まあ、お前と交流したくないけどね」

「じゃあ黙ってろ!」

「はいはい」

 いらないくだりを終わらせると、青年はコホンと咳払いをしてから

「理由はメフィフィル・サスペンディットフォースが人間の秘零士だからだよ!」

 きっぱり、青年は理由を薄い唇から吐いた。

 …………ん?

「はぁ?」

 無意識に間抜けな声が口から飛び出した。

 メフィーが人間の秘零士だから宣戦布告しました。

 これは何のおふざけ大会だ? まったくどこから怒っていいかわからない。「いい加減にしてください」そう言おうと俺は身を乗り出しそうになる。しかし、それはメフィーの一言で抑えられた。「そうか」というどこか悲しげで、どこか納得したような強い言葉で。

「そうか」

 もう一度繰り返す。

 そうか、だと? こんな理不尽な宣戦をあんたは受け入れるんですか?

 苛立ちが芽生え、反論するようにメフィーに視線を向ける。そこには、下唇を強く噛んで軽く目を伏せた銀髪の少女がいた。

「わかった……納得のいく理由だ。正々堂々戦おうじゃないか」

「どうしてですかッ? 博士、俺は納得いきません」

 するとメフィーは、困ったような笑顔をこちらにそっと見せてきた。

「確かにお前は納得できないかもしれないな。ちなみにオート、お前は何故普通の人間がほとんど零力を持っていないかわかるか?」

 いきなりの質問に俺は戸惑う。

「は? えっと、逆に何で博士はエレメンティアを使役できるほどの零力を持っているんですか?」

「奇跡に近い天賦の才能と、ログアム様との契約のおかげだ。で、私の問いの答えは?」

「……必要、ないからですか?」

「正解、かな。この世界にはバランスがあってね。人間は亜族にはない力を持っているから、零力が必要なかったんだ。この亜族にない力、それは高度文明を築く力だ。人間はこの力でいろいろなものを発明してきた。列車、ラジオ、兵器……じゃあ、反対に亜族は何を持っているかって? それが零力なんだよ」

 まるで幼子に説明するように、優しくゆっくりとメフィーは言葉を紡いだ。

 理解するのに数秒かかったが、確かめるように俺は自分なりの言葉で返す。

「つまりは、そのバランスを取るために人間は零力を持っていないってことですね。ってことは、人間であり零力も兼ねた博士は……」

「バランスの破壊者ともいえるね。簡単にいうと、いてはいけない存在なゆえに、いつ消されてもおかしくないんだよ」

 その語尾は消えそうだった。

「でも!」

 どこか納得いかない気持ちがこみ上げてきて、さらに反論の言葉を重ねようとしたが、メフィーはそれを許さなかった。

「オート! 主の言う事が聞けないのか! お前はあくまで従者だろう? 私が受けると言ったら受けるんだ! これは命令、いいな?」

 いつもは出さない威厳に満ち溢れ声。その威圧に俺は息を飲み込んだ。 

「……御意……でも、奴らの宣戦布告には俺も入っているんですよ? そこをちゃんと考えてくださいね」

「そんなことは心配するな、私が命を懸けてお前を護って見せよう」

 手を伸ばし俺の肩をポンポン叩く。

 そんなこと言われたら、苦笑しか出てこない。俺は力強く逞しいその言葉に呆れてしまった。

「その台詞、俺が言うことですってば。わかりました、身勝手なこと散々述べてすみません」

「何、気にするな。で、そこのお前。ちょっと忘れかけられていたお前だよ」

 さらっとひどいことを言いながらメフィーが青年の方へ身体を向けた。

「ちょ、僕忘れられていたの!?」

「ああ。で、こちらは収まったぞ。あとそっちから言うことはあるかい?」

「よし、これからもっと存在感出すぞ」

「え、別にいいよ。面倒くさいから」 

 バッサリ切り捨てられた青年が、何とも悲しげな表情で俺を見てくる。いや、敵だろう、俺ら。気持ち悪いのでその視線はやめて欲しい。瞬時に顔を逸らすと、「えー!」と残念そうな声返ってきた。何で敵に頼られているんだろう、俺。

「ねえ、何かあるの? あるなら言ったらどうだい?」

「あーうん。人間の秘零士である君を倒したい理由は、それだけじゃないんだ。コールディマ様は人間嫌いだからね。もし人間を滅亡へ追い込もうとしたとき人間側に力のある秘零士がいては困るんだよ。だから今のうちに消しておくって作戦ってのも頭に入れといて――ん? あれ、僕こんなに情報与えちゃっていいのかな。やべ……怒られそう」

 一人でしょぼんとしているバカをメフィーは鼻で笑い、「ま、どんな理由であれ私は勝つけど!」と宣言する。

 相変わらずだ、なんて思った瞬間、ふっと脳裏に引っかかりを覚えた。

 何に? 何に引っかかっているんだ。

 メフィーの勝利宣言? いや、その前。青年の、言葉。

「コールディマ様は人間嫌いだからね」

 そうだ、それだ。コールディマは、人間嫌い。

 ならもしかして、先ほどもめた「亜族を――」の続きは「マモロウトシテイル」?

 亜族。それは人間という特異種族が生まれる前からこの世界に存在していた種族の総称だ。のちに彼らは、容姿の違いや能力の違いなどを理由に人間から迫害されて徐々に減数していった。夜真族のように森でひっそり結界を張って暮らしている種族もいるが、半数、いやそれ以上の数の亜族は人間の手によって行き場を失い、消えていった。そのため、亜族のほとんどは人間を嫌っている。もしもコールディマが人間嫌いな理由が、亜族と同じだったら……それはきっと、亜族という罪なき被害者を守るため……?

 そうだとしたら、メフィーが俺にそれを聞かせたくなかったのもわかる。今ではそこまで人間に抵抗はないが、俺も人間が好きなわけではない。だから、だからコールディマに寝返る可能性もゼロではないのだ。

 完全にエゴだ。しかし、どこかそれが愛しく感じられる。彼女は俺を離したくなかったのでは? と思ってしまうのは自意識過剰だろうか。

「オート、オート!」

 名前を呼ばれて我に返る。

 はっとして焦点を合わせると、青年の姿も〝奇獣〟を滅した炎も消えていた。

「どうしたんだい、ぼーっとして。奴はもう帰った、ま、一段落はついたかな」

 メフィーが安堵のため息を盛大についた。

「ですね」

「とりあえず、朝一の列車で帰ろう。策を練るのはそれからだ」

「はい。って、え? 博士の口から列車に乗るなんて言葉が出たんですけど。大丈夫ですか、頭」

「失敬な。私だって急を要するときは我慢もできるんだよ」

 何とも幼稚なことを言って威張ってくる。

「見直しました」

「ああ、見直せ、見直せ。で、また夜もあけてないし、あと数時間くらい待たないとかな?」

「そうですね。お利口さんに待てますか?」

「お前はどれだけ私を見くびっているんだ」

 そりゃあもう、見くびりすぎていますけど。喉元まで登ってきた言葉をぐっと飲み込む。

「私は海でも眺めているよ」

「え、博士ってじっとできるんですか?」

「ぬぅ、燃やされたいのかい?」

「いや、失礼。じゃあ、俺は――」

「貝殻でも拾ってはしゃいでいろ!」

 そりゃあないだろう。乙女か、俺は。

 乙女がそんなことするのかは知らないけど。





まだまだ続きます、よろしくお願いします。

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