Ⅵ 今日が終わり、また今日が始まる
最終章です。
楽しんでいただけたら嬉しいです。
Ⅵ 今日が終わり、また今日が始まる
「これで全部終わったね」
くふふ、と微笑みながら、メフィーが言った。
城の前に戻ってきてすぐ、コールディマの身柄をメフィーが呼んだログアムに引き渡した俺らは、各々睡眠をとり、翌朝には平和的に紅茶を楽しんでいた。
ただ、いつもと違うのは、俺の隣にイェナが座っていることだ。
猫舌な彼女は、ふうふうと紅茶を冷ましている。
「イェナ、傷は大丈夫か?」
コールディマの攻撃を受けたせいで、俺とイェナの身体は笑えるほどに包帯だらけ。「人間だったら起き上がれない。夜真族でよかったねぇ」とメフィーが言っていたほどだ。
メフィーはマントが破れたことに多大なるショックを受けていたが、身体には疲労以外何も影響が出ていないようだ。そこで不死を一瞬羨ましがってしまった。昨晩コールディマに彼女が「不死って、辛いよね」と言っていたばかりなのに。やはり、不死でない俺らにとったら、やはり軽はずみな憧れとなってしまうのかもしれない。
「兄ちゃんの方が傷ついているでしょう? あたしは大丈夫。それより自分のことを心配して」
「イェナ、お前って奴は優し――いえ、何でもないです」
何故だろうか。さっきから俺がイェナとじゃれあっている(ここ、重要)と、メフィーが不機嫌そうな顔で睨んでくるのだった。
メフィーにはクロがいるのだからいいじゃないか。
そう思いつつ、未だ部屋の隅で縛られているクロに目をやる。
若干、いや、かなりやつれた様子の彼女は、「ね、姉さんの、バカ……」とさっきからうわ言を繰り返している。いい加減解放してやったらどうかとは思うが、まだ彼女は敵。そうメフィーが認識している限りは解いてもらえなそうだ。
「ところで、コールディマの処分はどうなるのでしょう?」
メフィーに問うと、彼女は眉間にしわを寄せてうなった。
「どうだろうねぇ。殺すことのできない存在だから……まあ、世界が終わるまで牢獄入りかな? うーん、私にもわからない。言えることは、生易しい罰ではないことぐらいだね」
その言葉にイェナが俯く。彼女の心の内はわからない。何も声をかけられない俺は、無言で妹の頭を撫でた。すると、キッ、と鋭い視線が正面から刺さる。
「博士?」
「な、なな、何だい!?」
慌てて顔を背けるメフィー。しかし俺はその口がどこか尖っているのを見逃さなかった。
「何怒っているんですか?」
「怒ってないしー見間違いだしー!」
足を行儀悪くバタバタと動かすメフィー。
はぁぁ、と大きくため息を吐くと、隣で俯いたままクスクスと笑っているイェナに気付いた。
メフィーは機嫌が悪いし、イェナは笑っているし、何が何だかわからん。
首を傾げていると、イェナがそっと俺に耳打ちをしてきた。
「妬いているのよ、兄ちゃん」
「はぁ?」
ますます意味が解らなくなった俺を、メフィーは心なしか顔を赤くしてこちらを見ていた。
「わ、私もう寝る。疲れた、眠い!」
「お茶しただけでしょう? 何で疲れているんですか。年寄ですね」
「いーから! 私は寝る、ほら、さっさと出て行ってくれ!」
しっし、と手を払う。まだ紅茶を飲み切っていないのに、ずいぶんとワガママである。いつものことだが。
仕方がない、と温くなった紅茶を一気に飲み干し、カップやポットをワゴンに片付け始める。
「あ、手伝うよ兄ちゃん」
「お前はなんて気のきく子なんだ!」
イェナの性格に改めて感動し、無意識で抱きしめると、
「にゃぁあああああ!」
メフィーがついに発狂した。
それを見てイェナが申し訳なさそうに笑みをつくる。
「博士、うるさいです」
「……もうオートなんて知らない」
頬を膨らませ横を向いたメフィーに、俺は苛立ちを覚えた。
「何なんですかさっきから」
仕返しにとばかりに、メフィーのお茶菓子の一つを奪って口に入れた。俺が傷だらけの身体に鞭を打って作ったそれは、当然のようにおいしかった。優しく舌を包む卵の風味が何とも言えない。
「あ、ちょ、何するんだい!」
「イェナ、行くぞ?」
悔しそうに手を伸ばすメフィーを無視して、俺はイェナに声をかける。
「兄ちゃん、あたし、メフィフィルさんとちょっとお話したいことがあるから……メフィフィルさん、眠いところごめんなさい、いいでしょうか?」
イェナは頭を横に振ってから、メフィーに顔を向けた。メフィーは驚きながらも、嫌な顔せず「いいよー」と頷く。
話とは何だろうか。やはりイェナはメフィーのおかげで俺と再会出来たので、そのお礼だろうか。礼儀正しい、利口な子である。俺の育て方がよかったんだなぁ、としみじみ思う。
「じゃあ、俺は失礼します」
二人を気になりはしたが、これ以上いるとメフィーにまた機嫌を損ねられるので、静かに退室する。
「オートぉ、解いてよぉ、ぐるじいでず」
悲願する声がどこからか聞こえるが、気にしないことにしよう。甘やかして変に懐かれても困る。
さあて、イェナとの再会を祝してケーキでも作るか――。あいつの大好きな果物を添えて。腕が鳴る。
俺は鼻歌とともに、廊下を歩いた。
その時俺は気付いてなかった。
ある大事なことを話し合わないといけないということを、忘れていたのだった。
逢いたかった、逢いたくて仕方なかった妹に再会出来たことで、そこまで気が回らなかったのかもしれない。
俺らの、これからに関わることなのに。
――契約の重み――
「メフィーさん、あたし、メフィーさんに相談したいことがあるんです」
膝の上で拳を握って、彼女は緊張気味に口を開いた。
「あたしはこれから、どうしていけばいいでしょうか?」
あまりにも抽象的な質問だった。
しかし彼女がいずれこのようなことを私に言ってくるのは目に見えていたので、特に驚きもしない。ただ静かに、彼女の薄い翠色の瞳を見て問い返す。
「逆に、イェナ。お前はどうしたいんだい?」
「…………どうしたいって」
ややうつむいて、困ったように彼女――イェナは唇をかんでいた。
「せっかく自由になれたんだ。私はお前がしたいようにしてやりたいし、するつもりだ」
「あ、ありがとうございます。…………あたしは、あたしは! 村に戻ってもどうせ一人です。でも、兄をここから離したくはない」
離したくはない。その言葉を聞き不意に胸が苦しくなる。
私の本音を言うと、私もオートを離したくない。離れないでほしい。あいつは私の、大切な下僕、いや、言い直そう、従者だ。お願いだ、行かないでくれ。心の底にそんな思いがあっても、その通りにするわけにはいかない。なんせ私と彼は、「イェナを探す代わりに、私を支える」という契約だったのだから。イェナが見つかった今、その契約は切れた。
また、オートとイェナには二人でいて欲しいという思いもある。別れてから三十年、彼女はどんなに想われていただろう。考えるだけで切なくなる。
実を言うと、私も二人をどうしていいかわからないのだ。
「ワガママ言ってもいいですか?」
彼女の懇願するような目に、私はゆっくりと頷いた。
「兄の気持ちはわかりませんが……兄はここにいた方が、メフィーさんの下で働いていた方がいいと思うんです。村で暮らしていた時より、ずっと楽しそうな表情をしているから。村にいたときは、ずっと他人を恨むような顔をしていた兄が、あなたには心を開いていると思うんです。こんな言い方は失礼だけれど、あなたは兄にとって貴重な存在なんです!」
じっと訴えるように見つめてくる彼女の視線に、私は小さく息を吐いた。
「私も、彼にはここに残ってほしいと思っている。でもね、イェナ。契約上はもう、オートがここにいる理由がない。厳しく言うと、もう、いてはいけないんだ」
「契約が、そんなに大事ですか?」
どこか怒ったように、イェナが言う。私はその言葉に、首を縦に振ることしか出来ない。
「お前も魔術。触る程度は秘零学を学んだ身だ。わかるだろう? 秘零士にとってどれだけ契約が重くて大切なものか」
「それでも!」
「ダメなものはダメだと言っているんだっ!」
厳しく、強く、私は怒るように言い放った。
びくっと体を震わせたイェナが、それでも負けじと身を乗り出して問うてくる。
「あなたは兄ちゃんが村に帰ってもいいんですかっ! 本心で頷けますか!?」
「……私もワガママを言おう……オートは私の従者だ! 誰が何と言おうと従者だ! 行かないで、行かないでほしい! いつまでも私の従者でいてほしいんだ! ……これが、私の本音。だけど――」
「契約は切れたっていうんですか! なら、契約を新たに結べばいいじゃないですか!」
「簡単に言うな。結ぶとしても、理由は? 目的は? 内容は?」
攻め立てるように言った私に、イェナは何も言い返せない。
唇を噛んで、下に視線をやっている。
「……わかってくれ。お願いだ」
目を閉じてソファにもたれかかる。意識していないうちに、スカートを強く握りしめていることに気が付いた。そして、思う。私は、自分に嘘を吐くのが下手だ。だから、いつもオートを困らせてしまう。
「なら、あたしがあなたと契約を結びます! あたしが契約して、ここにいると言えば、兄はきっと無理やりにでも留まるでしょう。理由はないけど……いつか、見つければいいんじゃないですか?」
「うーん、まぁ、あのシスコンっぷりだからね。で、どんな目的でお前は私と契約するんだい?」
「……そ、それは」
考えるように唇に指を当て、首を傾けるイェナ。
しばらく時間が経った。時計の針が動く音だけが室内に響く。
まだイェナは考え付かないようで、固まっている。
本気なのだ。私と同じように、彼女も本気なのだ。
その姿を見て、私は「しゃぁーないな」と心で呟き、決意をした。
これが最高かなんて判断つかない。だが、最善だ。
「こういうのはどうだい? お前が――」
食指を立ててイェナに提案をする。
彼女はたれ目気味な瞳と口を大きくして、興奮するように手を組んだ。
「い、いいんでしょうか?」
「私が言い出したんだよ? いいに決まっている」
「わかりました……メフィーさん! よろしくお願いします!」
花が咲いたような愛らしい笑顔で、彼女は頭を下げる。
私はその頭に手を伸ばして触れ、「こちらこそ」と優しく撫でた。
「ね、姉さん! お取込み中悪いけど、そろそろ……」
あ。
クロのことをすっかり忘れていた。
◆
イェナの報告に、俺は驚きを隠せなかった。
「ほ、本当なのか?」
「うん。メフィーさんが、いいって」
恥ずかしそうに頬を赤らめながらイェナが言う。
「兄ちゃんは、どうする?」
「どうするって……お前が城に住むなら、俺もここに留まりたい」
「やっぱり。兄ちゃんならそう言うと思った」
ウィンクをして微笑むイェナ。その仕草に、俺は抱きしめたい衝動に駆られ、欲望のままに動いた。
「兄ちゃん……もうあたし子供じゃないんだから、やめてね」
苦笑気味に言われる。
構うもんか。俺にとっちゃ、いつまでもお前は子供のままなのだ。
彼女のぬくもりに飽きずに溢れる涙を見られたくなくて、俺はもっと強く抱きしめる。
イェナにはここに住む理由が出来た。しかし、俺にはない。
どうにかして理由をつくらなければ。
「……そうだ」
一つ、俺の頭にひらめいたものがあった。
俺が絶対にメフィーにしなければいけないこと。一生をかけてでもしなければいけない、重要なこと。
これだ、これしかない。
そう思った俺は、密かに涙を拭って、イェナを放した。
「ちょっと、行ってくる!」
「え? どうしたの?」
不思議そうに見てくるイェナを横目に、俺はメフィーの自室へと足早に急ぐ。
「博士!」
力強く扉を開けると、中でメフィーは驚いたように目を見開いていた。
「な、何だい?」
戸惑いながらも、座りたまえと促してくる。俺はそれに素直に従って、彼女の向かいに腰かける。
「博士、俺を従者にしてください!」
テーブルにぶつかりそうなほど深く頭を下げた俺に、メフィーは「はぁ? いきなり何さ」と動揺した声を上げる。
それに構わず、俺はしっかりとした声で続けた。
「まだちゃんとお礼を言っていなかった……イェナを救ってくださってありがとうございました!」
「正確には私じゃないよ……誰でもないけどね」
「でも、三十年前、あんたが俺を助けてくれなかったら、こうしてイェナに再会することは出来なかった。元を辿れば、そこから始まっていたんです。博士、いえ、メフィフィルさん。ありがとうございました!」
主人に、としてではなく、一人のメフィフィルと言う人間に礼を言う。
珍しく殊勝な俺に、メフィーは困惑している。俺に頭を下げられることが、そんなに予想外だったか。失礼である。
「だから!」
ここからが本題だ。
「俺に恩返しをさせてください!」
「……」
メフィーは黙って聞いている。どんな顔をしているのか見えないが、嫌な顔をしていないことを願う。
「俺があんたに仕えても、何も出来ないかもしれない。身勝手ですが、恩返し、させてください。それしかあんたに出来ることがない」
「…………ふうん」
素っ気なくメフィーが言った。拒否されるのか、と不安になって顔を窺うと、そこにはにやける口元を必死で抑えているメフィーがいた
「いいんじゃないの? 新たに主従契約して、ここに留まる。お前はそれでいいんだね?」
確認するように問われる。俺はもう一度頭を下げて、返事をした。
「はい。お願いします」
「……馬車馬のように使わせてもらうよ。じゃあ、これからも私に尽くしたまえ、オート」
嬉しそうなその声に顔を上げると、満面の笑みを送られた。
メフィーのいつもの、明るくて子供のようで楽しそうな、笑顔だった。
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次で完結です。