いざ行かん蒼穹の先へ (ロリと共に)
お題『空』で書いた短編小説です。エレベーターガールが書きたかった話です。
いざ逝かん蒼穹の先へ
背後でドアの閉まる音がした。
「いらっしゃいませ、このエレベーターは最上階へと参ります」
制服をきっちり着たエレベーターガールが、青年を完璧な笑顔で迎えた。
先程までの子供の泣き声や、恐怖に凍りついた視線や、殺気立った気配はどこにもなかった。そこは本当にただのエレベーターの中だった。
空調の音だけが静かに響いていた。
「何だ、ちょっと、あんた誰だ」
目の前の女に思わず声をかけたが、彼女は完璧な笑顔を貼り付けたままこう答えるだけだった。
「最上階までは一度も止まりませんので、ご注意ください」
「いや、ちょっと」
「それでは参ります」
部屋は、きしむような音を立てて上へと昇り始めた。
そのエレベーターは壁の一部がガラス張りになっていて、昇降のためと思しき機械が下に流れていくのが見えた。
エレベーターガールの後ろには、仕立ての良いスーツの男性とパジャマ姿の小さな少女が立っていた。
男性は神経質に髭をしごきつつエレベーターガールに話しかけた。
「これはいったいどういうことかね、私はつい今まで車に乗っていたはずなんだが」
「ご心配なく、あの高級車は壊れてしまったようですが、後ろにいたご家族は無事だそうでございます」
「いや、そういうことではなくてだね」
「もちろん、お客様が避けたバイクの男性も無事でございます。もっとも彼は打撲傷が少々あるようですが」
「いや、そういうことでは」
男性はなおも何か言おうとしたが、何も思いつかなかったらしく何度か頭を振り、やがて額に手を当てて呟いた。
「何と言う事だ」
何が男性を失望させたのか、青年は傍から見ていてさっぱり判らなかった。
青年の袖が不意に引かれた。
「ねぇ」
パジャマの少女がいつの間にかすぐ側に立って、こちらを見上げていた。
「お兄ちゃん、どこから来たの?」
青年にとって、それは単純だが非常に答えにくい質問だった。
「あーその、銀行の中にいた……はずなんだが」
「ミナはねぇ、びょういんからきたの」
小さな子供の特性か、聞かれもしないのに少女は楽しげにしゃべりだした。
「すごくたかいお熱がでてね、びょういんにずっといたの」
邪険にするわけにもいかない。適当に相手をしてやることにする。
「そりゃ大変だったな、どんくらい?」
「んーとね、ちっちゃいころから。一さいのころからだっておかあさんがいってた」
青年は虚を衝かれた。少女は小学校にあがる位の年に見えた。
「今は? 大丈夫なのか?」
「うん」
少女は両手を広げた。
「きのうずっとおかあさんがおててぎゅーしてくれてね、きょうはおとうさんも来ておててぎゅーしてくれてたから」
そんなもので長い病気が治るのだろうか。
「おとうさんねぇ、お仕事やすんで来てくれたんだよ」
「そうか」
青年は、どう答えればいいかわからなかった。
エレベーターは未だ上昇を続けていた。最上階はよほど高い場所なのに違いなかった。
男性はぼんやりと壁に寄りかかり、少女はガラスに張り付いて飽きもせず機械を眺めていた。青年だけが所在無く立ち尽くしていた。
それなりに安全は確保していると青年は思った。こんな所にいるということは、とりあえず逃げられたということだから。
だが、こんな所は予定にあっただろうか。一体どうやってここに来た? 大体どうやって逃げてきた?
そもそも、逃げられる体だったのか?
青年は、エレベーターガールのほうを見た。
「なあ、お姉さん」
「はい、いかがなさいました?」
彼女は変わらず完璧な笑顔で答えた。
「あの、俺、さっきまで銀行にいたはずなんだけど」
頬に残る床の冷たさ。
「その、強盗が入って……銃で、人質に取ってたはずなんだけど」
広がる朱に比例して、体が冷えていく感覚。
エレベーターガールは完璧な笑顔のまま答えた。
「ご心配なく、あの後すぐ警察が突入したので、もう死傷者は出なかったようでございます」
「死傷者?」
誰も撃たなかったはずだ。銃を突きつけられて、みな怯えていたけれど。
「死傷者って、誰……」
その時、閃くものがあった。恐る恐る自分の体を見下ろした。胸、腹部、太股……。
視線が下端に達したとき、全てを悟った。
そうか、そうだったのか。さっきから、どうにも地面の感覚が曖昧だと思っていたのだ。
足元が、透けていた。
「お姉さん」
「はい、何でしょう」
「被害者は一人ってことは、俺、土壇場で人質のほうについちゃったんだね?」
「左様でございます」
エレベーターガールは、強盗グループの仲間割れで殺された青年に向かって、完璧な笑顔でうなずいた。
話を聞いていたらしい男性が髭をしごきつつ呟いた。
「そう言えば、ラジオで言っていたね。銀行強盗があって、まだ犯人達が立て篭もったままだとか」
青年は苦笑した。
「脅すだけで済むって言われてたんだけどさ、逃げる前に警察に囲まれちゃって、見せしめで撃つ撃たないで大揉めになって」
「お兄ちゃん、わるい人だったの?」
つぶらな瞳で見上げる少女の頭を、青年は苦笑しつつ撫でた。
「ワルになろうとしたんだけど、最後の最後で覚悟が足りなかった」
予定外の事に我を忘れた強盗の頭領を諌めようとして、逆に銃を向けられた。銃は直前まで、泣き叫ぶ子供を手っ取り早く黙らせようとしていた。
エレベーターの速度が急に増した。
速度が頂点に達したとき、薄暗かった部屋の中が、急に陽光に包まれた。
客の三人はガラス張りの壁から見える外の様子に一様に目を見張り、嘆息した。
建物を突き抜けて、エレベーターは空の中を上っていった。
まもなくベルの音が鳴り、ドアがゆっくりと開いた。綿雲を背に、エレベーターガールは微笑んだ。
「最上階、天国でございます。ごゆっくりお楽しみくださいませ」
読んでくださってありがとうございました。
未熟な文章書きですので、批判していただけるとありがたいです。