君を憎む日
「これ、絶対に誰にも言わないでね」
放課後の教室。
窓の外は、少しずつ夕方の色になっていた。
教室には。
私と君しかいない。
「当たり前じゃん」
君は笑った。
「私たち、親友でしょ?」
その言葉に。
私は笑った。
「……うん」
親友。
その一言だけで。
私は安心してしまった。
家族にも言えなかったこと。
誰にも知られたくなかったこと。
ずっと一人で抱えていたこと。
それを。
君にだけは話した。
君なら大丈夫だと思った。
君だけは。
私を裏切らないと思った。
だって。
私たちは親友だったから。
*
次の日。
教室へ入った瞬間。
何かがおかしいと思った。
話し声が止まる。
誰かが。
私を見た。
そして。
隣の誰かに何かを言う。
小さな声。
聞こえないはずだった。
でも。
「……本当なんだって」
聞こえた。
何の話だろう。
そう思った。
最初は。
自分のことだなんて。
思わなかった。
「かわいそう」
「でも、あれって……」
「本人、誰にも言ってないと思ってたんじゃない?」
心臓が。
少しだけ。
嫌な音を立てた。
そして。
次の言葉で。
全部が分かった。
私が。
昨日。
君にだけ話したこと。
誰にも。
知られていないはずのこと。
私が。
たった一人にしか。
話していないこと。
世界が。
急に。
遠くなった。
*
私は。
教室の中を見回した。
そして。
君を見つけた。
君は。
いつもと同じ席にいた。
でも。
私と目が合った瞬間。
すぐに。
目を逸らした。
その時。
私は。
全部分かってしまった。
「……なんで」
声は。
自分でも驚くほど。
小さかった。
君は。
何も答えなかった。
「なんで?」
もう一度。
聞いた。
君は。
黙っていた。
「私、君にしか話してないよ」
それでも。
君は。
答えなかった。
「誰にも言わないって言ったじゃん」
声が震えた。
「親友だって」
そこで。
君の顔が歪んだ。
「……ごめん」
「違う」
すぐに言った。
謝ってほしかったわけじゃない。
ごめんなんて。
聞きたかったわけじゃない。
「なんで?」
知りたかったのは。
それだけだった。
「私、何かした?」
「違う」
「じゃあ、なんで?」
君は。
何も言わない。
その沈黙が。
答えよりも。
ずっと苦しかった。
「……私、君のこと信じてたのに」
君の目から。
涙が落ちた。
私は。
それを見ても。
何も思わなかった。
いや。
何も思いたくなかった。
*
それから。
君と話さなくなった。
話せなくなった。
同じ教室。
同じ時間。
同じ授業。
それなのに。
君は。
もう。
知らない人みたいだった。
朝。
いつものように。
君の姿を探してしまう。
休み時間。
面白いことがあると。
君に話そうとしてしまう。
そして。
思い出す。
もう。
君は親友じゃない。
話しかけることなんてできない。
話しかけたくもない。
そう。
思わなければならない。
*
君の好きだった飲み物が。
自動販売機に並んでいた。
私は。
いつもの癖で。
それを押しそうになった。
指が。
止まった。
「……何やってんの」
思わず。
笑ってしまった。
馬鹿みたいだった。
もう。
君に渡すことなんてない。
君の好きなものを。
覚えている必要なんてない。
なのに。
忘れられなかった。
君が甘いものが苦手なことも。
雨の日は必ず靴下が濡れることも。
怖い映画を見ると。
絶対に強がることも。
全部。
覚えていた。
忘れたくないから。
覚えていたわけじゃない。
忘れようと思っても。
十五年分の記憶は。
そんなに簡単に消えてくれなかった。
*
雨の日。
私は。
学校の窓から外を見た。
雨は。
朝からずっと降っていた。
その時。
ふと。
君のことを思い出した。
傘。
持ってるかな。
そう思って。
すぐに。
自分で自分が嫌になった。
「……憎めよ」
小さく呟いた。
君は。
私を裏切った。
信じていた。
誰よりも。
君だけは。
絶対に。
そんなことをしないと思っていた。
なのに。
君は。
私の秘密を。
誰かに話した。
そして。
私の大切なものを。
壊した。
だから。
憎めばいい。
嫌いになればいい。
忘れてしまえばいい。
なのに。
どうして。
雨の中にいる君を。
心配してしまうのだろう。
*
卒業の日。
君は。
私の前に来た。
久しぶりだった。
二人だけで。
向かい合うのは。
「……ごめん」
また。
その言葉だった。
「まだ、理由聞いてない」
君は。
少しだけ。
苦しそうな顔をした。
「……あの時」
君が言った。
「私、怖かったんだ」
「怖かった?」
「君が」
意味が分からなかった。
「君が、私にしか話してくれないことが」
私は。
何も言えなかった。
「君は私のこと、親友だって言ってくれた」
君の声が。
少しずつ震えていく。
「でも、私は」
君は。
下を向いた。
「親友なのに」
言葉が。
途切れる。
「親友なのに、君の一番でいたくなかった」
……何を言っているのか。
分からなかった。
「君が私だけを信じてるのが、怖くなった」
「だから」
私は。
静かに聞いた。
「裏切ったの?」
君は。
泣いた。
「……うん」
その答えを。
私は。
ずっと聞きたかったのかもしれない。
でも。
聞いたからといって。
何かが戻るわけじゃなかった。
「そっか」
私は。
それだけ言った。
君は。
何かを待っていた。
許す言葉を。
もしかしたら。
待っていたのかもしれない。
でも。
私は。
何も言わなかった。
*
「私」
君が言った。
「もう一度、友達に戻れるとは思ってない」
「……うん」
「許してほしいとも、言わない」
私は。
少しだけ。
君を見た。
「でも」
君は。
泣きながら笑った。
「君のこと、ずっと親友だと思ってた」
胸が。
痛かった。
「……私も」
危うく。
そう言いそうになった。
でも。
言わなかった。
言えなかった。
親友だった。
それは。
嘘じゃない。
でも。
今も親友だと言えるほど。
私は。
強くなかった。
*
君は。
最後に一度だけ。
私の名前を呼んだ。
私は。
振り返らなかった。
振り返ったら。
きっと。
また。
昔みたいに笑ってしまう気がしたから。
だから。
前を向いた。
これで。
終わりにするために。
君を許すことは。
できない。
君がしたことを。
なかったことにもできない。
もう一度。
親友に戻ることも。
きっとできない。
それでも。
君を憎むことができなかった。
君が笑っていた記憶も。
一緒に泣いた記憶も。
くだらないことで喧嘩した記憶も。
全部。
まだ。
私の中に残っている。
君を憎めば。
その全部まで。
憎まなければいけない気がした。
だから。
私は。
まだ。
君を憎めない。
いつか。
本当に。
君を憎む日が来るのだろうか。
君を許す日ではなく。
君を忘れる日でもなく。
ただ。
君を憎む日。
そんな日が。
いつか来ることを。
私は今も。
少しだけ待っている。




