欠けた属性の少女
森の朝は静かで穏やかなはずだった。
けれど今日は違う。
風属性の僕——リオには、風が怯えているのがはっきりわかった。
風は世界の変化に敏感だ。魔物が近づけば荒れ、人の心が沈めば風も沈む。
だが今日の風は、まるで“何かを避けている”。
風の流れを追って森の奥へ進むと、倒木のそばに少女が倒れていた。
茶色い髪が朝の光を受けて揺れている。
「属性の気配が……ない?」
風感知で触れても、少女からは無色の空白しか感じられなかった。
少女はゆっくり目を開け、怯えた瞳で僕を見た。
「あなたは……誰?」
「僕はリオ。風属性の魔法使いだよ。君は?」
少女は胸に手を当て、言葉を探すように息を吸った。
「名前も、どこから来たのかも思い出せない。ただ……胸の奥が空っぽみたいで」
少女は立ち上がろうとしたが、足がふらついた。
僕は慌てて支える。
「迷惑かけてごめんね」
「迷惑じゃないよ。森の風が、君を“連れて行け”って言ってる」
少女は驚いたように僕を見た。
風は確かに、彼女を避けながらも、どこか導くように揺れていた。
「わたし、自分のことが怖いの。何も思い出せないのに、胸の奥だけがざわざわして」
「大丈夫。村に行けば、長老が何か知ってるかもしれない」
少女は静かに頷いた。
こうして僕たちは森を抜け、村へ向かった。
村に着くと、長老は少女を見るなり眉をひそめた。
「この子、属性が見えん。リオ、お前の風感知でも感じられんのだろう?」
「うん。まるで空気みたいに、何も」
長老は重く頷いた。
「村では判断がつかん。街の魔導院へ行くべきだ。
あそこなら、この子の属性がわかるかもしれん」
少女は胸に手を当てた。
「……知りたい。わたしが何者なのか」
その夜、魔導院の部屋でみのりは眠れず、窓辺に座っていた。
「胸の奥に空白があるみたいで、落ち着かないの」
「怖い?」
「少し……でも、逃げたら、ずっと欠けたままな気がする」
僕は隣に座った。
「僕も怖いよ。でも、君がいなくなるほうがもっと怖い」
みのりは驚いたように僕を見た。
「どうして、そんなふうに言えるの?」
「理由はわからない。ただ……君のことを知りたいと思うんだ」
みのりは胸に手を当て、静かに息を整えた。
「リオの風の音、好き。安心する」
風が優しく吹いた。
翌朝、魔導院の塔でみのりが水晶に触れた瞬間、
水晶が黒く濁り、砕け散った。
魔導師たちがざわめく。
「属性が……奪われている」
年配の魔導師は古文書を開いた。
「透明属性。
どの属性にも属さず、世界の流れの外側にある力だ。
記録が残るのは……北の森の遺跡だけだ」
みのりは胸を押さえた。
「……あの森、知ってる気がする」
そのとき、風が僕の耳元をかすめた。
(北の森……古い石……封じられた闇……)
「風が教えてくれた。
君の属性を奪ったものが、北の森にあるって」
みのりは静かに頷いた。
「行きたい。
怖いけど……このままじゃ、わたしは“欠けたまま”だから」
北の森の奥へ進むと、古い石造りの遺跡が姿を現した。
みのりは遺跡の前で立ち止まり、胸に手を当てた。
「ここ……知ってる気がする。怖いのに、懐かしい」
「無理に思い出さなくていいよ」
「違うの。ここに来た瞬間、胸の奥が強く反応したの。
わたしの“欠けてるもの”が、この先にある気がする」
「でも、危険かもしれない」
「あなたを巻き込みたくない」
「巻き込まれてるよ。もうとっくに」
みのりは息を呑んだ。
「どうして、そこまで……?」
風が囁いた。
(大切だから)
みのりは微笑んだ。
石碑が光り、闇の魔物が姿を現した。
黒い霧の体、中心に赤い核。
魔物が襲いかかる。
僕は風を足元に集め、跳ぶ。
「風歩!」
風刃は効かない。
霧はすぐに元に戻る。
魔物の腕が僕の肩をかすめ、痛みが走る。
「リオ!」
その瞬間、みのりの周囲に透明の揺らぎが生まれた。
魔物が動きを止める。
「今の……わたし?」
魔物が再び襲う。
透明な光が弾け、魔物の腕を弾き飛ばした。
みのりの胸が強く光り、透明な波紋が広がる。
魔物の霧が揺らぎ、核が露わになる。
「今だ、みのり!」
透明な光が核を包み込み、魔物は崩れ落ちた。
みのりの周囲に無色の光が揺れた。
「……わたし、生まれつき透明属性だったんだ。
どの属性にも染まらない力……だから、世界に馴染めなかった」
「でも、君は僕を守った。
その力は怖がるものじゃない」
みのりは微笑んだ。
「ありがとう、リオ。あなたがいてくれたから、ここまで来られた」
透明な光が強まり、みのりの輪郭が薄れていく。
「待って……行くの?」
「うん。でも、これは“さよなら”じゃないよ」
みのりはまっすぐ僕を見た。
「必ず戻るから。
そのとき、また名前を呼んでね」
茶色の髪が最後に揺れ、
透明な光とともに消えていった。
僕は風の感知で、
遠くで揺れる透明な気配を追い続けた。
風が静かに告げていた。
——また会える、と。




