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侯爵令嬢エレーナと公爵夫人エメリの策謀

婚約者を親友に寝取られたので貴族の政略で徹底的にやり返しました

作者: エフピロ
掲載日:2026/03/17

 エレーナ・ウォードは侯爵令嬢としての責務をしっかりと果たしてきた。

 勉学、礼法、舞踊、友人関係。完璧で、順風満帆であった。


 婚約者と親友の裏切りを知った、先日までは。



「エレーナ様。先日、ロイズ様がアイーダ様と馬車に乗り込むところをお見かけした者がいるとか」


 茶会の場。友人の一人が言った。


 ロイズ・バーンウェルは侯爵家の跡取り息子。エレーナの婚約者である。

 アイーダ・ロックバードは伯爵家の次女。エレーナの友人でもある。


 その二人がエレーナに黙って逢瀬をしていたというのは、穏やかな話ではないはずだ。

 しかしエレーナは動じない。


「あら、ロイズ様とアイーダも友人同士。ご用事があったとしても不思議ではございませんわ」


 にっこりと微笑むエレーナ。

 騒ぎ立てるな。その笑顔はそう語っていた。


「ところで、それはどなたがお話しされていた噂でしょう? あまり確かでない他人の噂をするのはいかがなものでしょうか?」


「さ、さあ。私も聞きかじったお話ですので。失礼いたしました」


 友人は話を濁す。


 実のところ、エレーナはすでにその浮気を掴んでいた。


 エレーナとロイズは親に決められた婚約者同士だ。

 婚姻とは、貴族が力を増し繁栄するためのカード。誰もが知る不文律。エレーナは忠実にそのルールに従っていた。


 しかし、最近になって「愛」などという何ら利をもたらさないもののために、そのルールから逸れた者がいる。ロイズだ。


 見目麗しいアイーダはその武器を存分にふるい、そして、ロイズはあっさりと落ちた。方々の話から、既に相当に深い仲であることは想像に難くない。


 アイーダの目的は明白だ。伯爵家の次女が成り上がるために侯爵家の跡取りに取り入った。それだけのこと。ルール違反だが、ロイズよりはまだ理解できる。


 そんな状況だから、エレーナはまだ動かなかった。自らを、親愛する婚約者と友人を信じ抜いた悲劇の主人公にするために。

 エレーナにとって、結婚相手がロイズでなければならないといういわれはない。むしろ、バーンウェル侯爵家の次期当主が不貞の輩となれば、ウォード家の序列が明確に上になる。


 エレーナは冷静であった。しかし、わからぬだろうと侮られた屈辱、そして裏切られた寂寥(せきりょう)。この二つはエレーナの心に穏便に終わらせるだけでは済ます事ができない程度の昏い陰を落としている。


「エレーナ、ここにいたのか」


 そのロイズがやってきた。手には紙袋。

 ご丁寧に横にはアイーダもいる。


 友人たちは気まずいのかそそくさと退散する。


「これ、先日我が家族をお招きいただいたお礼に。良いものが手に入ったので」


「あら、ありがとうございます。アイーダと選ばれたんですの?」


 中の箱には銀の髪飾り。瀟洒(しょうしゃ)かつ精緻なデザイン。きっと名工の手によるものだろう。


「そうなんだ。アイーダはアクセサリーに詳しくて。それに君の友人だから君の好みにも詳しいかなと思ってね」


「素敵な髪飾りですわ。言ってくださればご一緒しましたのに」


「ロイズ様と一緒にね、内緒にしてエレーナを驚かせようってお話ししてたの」


 アイーダがフォローする。なるほど筋は通る。

 しかし、エレーナは知っていた。

 この髪飾りがアイーダの物であることを。


 昨年の学園での晩餐会でつけていたわね。

 私とテーブルが離れていたから気づかれないと思ったか、それとも――


 エレーナの中に負の感情が湧き起こる。

 鈍感なふりをしていれば、侮られたものだ。伯爵家の次女ごときに。


 ――始めましょうか、反撃を。


「アイーダとお揃いなんて嬉しいですわ」


 びくっ、と、ロイズの表情があからさまにひきつる。

 しかしアイーダは動じない。


「覚えていてくださったのね! そうなの、以前叔母様からお借りしたものと同じものなの。素晴らしい物だからエレーナに似合うと思って」


 どうせ、侯爵家間の礼品を買うという名目で家からお金を引き出し、それでアイーダ用のアクセサリーでも買ったのだろう。返礼の事実のために私にお古を回して。


 エレーナは冷静に見定める。


「素晴らしい品ですわ。どちらのお店でお買い求めに?」


「そ……それは……」


 ロイズが言葉に詰まる。そうだろう。店に行かれては昨日買っていないことがバレるのだから。


「あら、それは野暮というものよ、エレーナ。殿方からのプレゼントの詮索をするなんて」


 アイーダは流石だ。冷や汗ひとつかかずにペラペラとよく喋る。

 この乗っ取りに人生を賭けているだけの本気を感じる。


「左様ですか、銀のアクセサリーはメンテナンスも必要になりますので。うちの者ができるか確認いたしますわ」


 エレーナはここで引いた。

 なぜなら、これで充分だからだ。


 ロイズは明らかにうろたえている。この男は問題ではない。

 やはり本丸はこの女。


 エレーナが察したのはそれだけではなかった。アイーダはミスを犯した。叔母の名前を出してしまった。アイーダの叔母、エメリ・ラッドフォード様は王家に連なる公爵家に嫁がれた方。この方を出せば詮索もできず、品質も担保されると考えたのだろう。


 しかし、アイーダは知らない。

 ラッドフォード公爵家とエレーナのウォード侯爵家は遠縁にあたり、表立ってはいないが家業でも協力関係にあることを。パーティの場ではエメリ様がウォード家にいらっしゃることもままあるのだ。


 エレーナは、このアクセサリーのことを「御礼かたがた」お尋ねすれば良い。ただし、アイーダが口裏合わせの必要に気づいて叔母に泣きつく前に、迅速に。


「来月の舞踏会ではこれを付けてロイズ様と踊れるのですね、楽しみにしておりますわ。アイーダもありがとう。では参りましょう、ロイズ様」


 笑顔で淑女の礼を取り、ロイズの横に並ぶ。


 まだ婚約者はエレーナであり、エレーナはアイーダとロイズの関係を知らない事になっている。不自然さはまだ出してはならない。アイーダとロイズの関係が周知の事実となりつつある今だからこそ。


 エレーナは、ただ出し抜かれ婚約者を奪われた「間抜けで可哀想な令嬢」に収まるつもりはなかった。ロイズとアイーダにはまだそのことを悟られるわけにはいかない。


   *


「素晴らしいアクセサリーをアイーダにご紹介くださりありがとうございます、ラッドフォード公爵夫人。私もそのご慧眼の恩恵に与れました」


 あれから三日。ラッドフォード公爵邸。

 エレーナは父がラッドフォード家に用があるということだったので、帯同を申し出た。

 夫人へ髪に付けているアクセサリーを見せる。


「あらあら、素敵な髪飾りですこと。アイーダに? そうですか」


 さすがは百戦錬磨の夫人。話の裏の察しがついたわけではないだろうが、覚えがない事を素直に表には出さない。


「ええ、私の婚約者からいただいたのですが、アイーダが一緒に選んでくれたと聞きました。公爵夫人から以前お借りしたものと同じだと。素晴らしいものですのでマイスターに御礼申し上げたく、宜しければどちらでお買い求めになられたかお聞かせ願えませんか?」


 公爵夫人が扇を開いて口元を隠す。スッと目が細くなる。

 察した、のだろう。


「まあ、そうですか。何分古いものですから、いつどこで手に入れたものか……。今度出入りの者にあたってみましょう」


「ありがたく存じます。ちなみに、これをくださった私の婚約者はロイズ・バーンウェル。バーンウェル侯爵家の跡取りにございます」


 エレーナはそれだけ言って下がる。

 これで良い。これだけのお方に、喋りすぎてはいけない。


 バーンウェル家がエレーナとの婚姻で密かに望むものこそが、ウォード家を通じたラッドフォード公爵家の後ろ盾である。商いの上で公爵家と利害が対立する家業を持つバーンウェル家が、裏のつながりを紐解いてたどり着いた、公爵家に睨まれずに済むための方策。


 しかし、この件でエレーナの婚約がご破算になれば、その権益の全てをラッドフォード公爵家が得ることも可能になる。なにせ縁戚にして協業先のウォード侯爵家に無礼を働いたことになる。ラッドフォード公爵家は事業の拡大に「あらゆる手を尽くす」大義名分を手に入れられるのだ。


 それが察せぬ夫人ではない。

 姪の幸せを思うか、自らの今の家を思うか。貴族ならば自明であった。


「レナンド、ウォード侯爵令嬢を馬車までお送りしなさい」


「はい、お母様」


 奥から、エレーナより少し年上の男性がやってきて礼をする。

 ゆるいウェーブのかかった金髪に、青みがかった瞳。背はエレーナより頭一つ高く、その所作は優雅な貴族のそれであった。


 美しい人。エレーナは、外見なのか、所作なのか、ただそう感じてしばし青年を見つめてしまった。


「……失礼しました、エレーナ・ウォードと申します」


「レナンド・ラッドフォードです。ふふ、お久しぶりですね。参りましょう、可憐なお嬢様」


 レナンドは、屈託のない笑顔を浮かべ、エレーナの手を取った。


 この方とお会いしたことがあっただろうか?

 エレーナは記憶を辿ったが、思い出せずにいた。


   *


「アイーダちゃん。あなた、最近バーンウェル家のご令息と仲がよろしくて?」


 エメリ・ラッドフォード公爵夫人は姉の家を訪れた。

 そして、姪と二人きりになる瞬間を見計らい、尋ねた。


「あら、叔母様、よしてくださいませ。ロイズ様は仲の良い友人でございますわ。友人であるウォード侯爵令嬢の婚約者ですもの」


 今は、まだ。

 アイーダはその言葉を飲み込む。


「あら。私が応援して差し上げてもよろしくてよ?」


 エメリは扇で隠した口元で、姪に耳打ちする。

 アイーダは、叔母の顔を見つめる。冗談ではなさそうだ。


「叔母様、それは……」


 エメリが手の中のものを見せる。


「アイーダちゃんのためですもの」


 叔母の手には、アイーダがエレーナへ「選んだ」ものと同じ髪飾りが握られていた。


「ウォード侯爵令嬢……エレーナさんとたまたまお会いしましてね、私があなたへ教えた髪飾りだと教えてくれましたのよ。あまり滅多な嘘は吐いてはダメよ。あと、きちんと手順は踏んでね」


 エメリは、アイーダの髪に髪飾りを付ける。

 とっさの嘘が嘘ではなくなった瞬間であった。

 更に、何事かを耳打ちする。


「それでは、頑張ってね」


 アイーダは、叔母がエレーナの話から意図を察し、親族として明確な後押しをしてくれたことに感謝した。


 ――エレーナが叔母様と会ったのは誤算だったけれど、これで、早めに先に進める。


 アイーダは確信を持った。


 そして、エメリ・ラッドフォード公爵夫人の本心を知るは、エメリのみであった。


   *


 エレーナがラッドフォード公爵家を訪問してから数日が経った。

 今はまだ、変わらぬ日常を過ごす。

 いまエレーナにとって重要なのは、ラッドフォード公爵夫人の反応の見定めであった。

 想定では九割がた上手くいく。残る一割は静観の結果。自分に大きな見落としがなければ、だが。

 エレーナは捨てきれないその可能性を追う。それが貴族として生き残る道だからだ。


「エレーナ嬢」


 エレーナが学園から帰り、自宅にて馬車を降りたそのとき、声をかけられる。


「レナンド・ラッドフォードです」


 金髪の貴公子が玄関に立っていた。


 ――動いた。


 エレーナは、内心で微笑を浮かべる。


「まあ、レナンド様。今日はエメリ様とご一緒に?」


「いえ、今日はひとりです。僕は貴女に会いに参りました。どうぞ」


 そう言って、エレーナの手を取る。


「あっ」


 突然のことにエレーナは少し驚くが、馬車を降りるのをエスコートしてくれるという意味の様だ。


「ありがとうございます」


 手を取り、馬車を降りる。

 降りても、手を離してくれない。


「私には婚約者もおりますので……」


「存じております。お困り顔も変わらず可愛らしい」


 レナンドはまた、あの屈託のない笑顔を浮かべる。


 この方はエメリ様からの差し金に違いない。どこまでを知っていて、どういう魂胆か。エレーナは慎重に様子をうかがう。


「こちらを」


 レナンドはエレーナの耳元で囁き、もう片方の手を重ねる。その中には一枚の紙。


「また近いうちに。僕は貴女の味方です」


 耳元にて小声で言い残し、馬に乗り去っていった。


「味方、ですか」


 言葉通りか、否か。まだ結論を出すのは早い。

 しかし、公爵夫人が動いた事は事実。ならば。


 渡された紙を見る。

 そこには、七日前――銀の髪飾りを受け取った前日の日付でこう書かれていた。


 刻印依頼書

   銘  愛するアイーダのために

  依頼主 ロイズ・バーンウェル


  グノス細工師工房


   *


 学園の中庭。

 エレーナは平静を装うことに腐心していた。


 レナンドと公爵夫人を信じて良いのか。

 渡された紙の裏取りは進めている。

 味方、とは。どこまでの味方か。

 レナンドは自分の事を以前から知っているようだったが、どこで会ったのか。


 あの工房の依頼書が本物ならば、少なくともこちらの意に沿った動き。しかし、確証に至るピースがそろっていない。


 そんな中での学園でのロイズやアイーダとの会話。

 これまでと変わらぬやり取りを続ける。まだ、動くには早い。


「ご機嫌よう、エレーナ」


 最近、アイーダの機嫌が良い。これは勝ち誇った人間の余裕だ。

 公爵夫人はアイーダに対しては動いてはいないのか? エレーナは最近のこのアイーダの余裕が気になっていた。


「じゃあ、僕も今日は父に頼まれごとがあるので。また明日」


 ロイズも浮かれ顔で帰っていく。バラバラに帰るがタイミングを合わせすぎだ。わかりやすい。


「ご機嫌よう」


 エレーナは笑顔で見送る。二人との関係の距離は一定を保つ。つかず、離れず。仲の良い学友、貞淑な婚約者に見える程度に。


 足りない。この二人の決定的な証拠が。尾行でもするか。いや、自分がいけば目立ちすぎる。考える必要がある。



「レナンド様」


 エレーナが家につくと、客人が待っていると使用人に案内された。そこにいたのはレナンドであった。


「やあ、エレーナ嬢。学校生活はいかがかな」


「今日は何用でしょう?」


「君の考えを聞いておきたくてね。母は姪の恋路を手助けすると約束したらしいよ」


「……左様でございますか」


 アイーダのご機嫌はそのせいか。エレーナは合点がいった。


 公爵夫人の行いは理解はできる。しかし、それはどちらの意味なのか。いま伝える意図は。

 エレーナは警戒する。


「婚約者としては見過ごせぬお話ですわ」


 当たり障りのない回答で様子を見るエレーナ。


「正当な手続きを踏んで婚約を解消したとしたら、健全な交際になる」


「それは……家と家の話。簡単には参りませんでしょう。果たして、その様な利のないことを公爵夫人が望まれますでしょうか」


「そうだね。僕にも母の考えのすべてはわからない。一つ言える事は、我が母は貴族らしい人だ。それは間違いない」


 やはり。そういうことか。

 公爵夫人は公爵家のためにある。その覚悟を問われているのだ。


「公爵家に利するのならば、もっと深い証拠が必要ですわ。私はお役に立てます。だからそちらもご協力をお願いできますかしら」


「もちろんです。僕は貴女の味方ですから」


 いつもの微笑みを浮かべるレナンドであった。


   *


 また幾日かが過ぎた。

 今日もまたアイーダとロイズは同じ様な時間に学園を出た。

 エレーナは自らの馬車に向かう。


「レナンド様。お待たせいたしました」


 中にはレナンドが乗っていた。エレーナが呼んだのだった。


「いえ。こちらも準備万端です」


「お手数をお掛けします」


 エレーナは、アイーダとロイズの帰る時間をレナンドに共有していた。そして、そこから調査を進め、密会のパターンを突き止めたのだ。今日はその「答え合わせ」の日。


 馬車はしばらく進み、繁華街の街角で停まった。


「ここから少しだけ歩きましょう。目立たぬ様に」


 レナンドがエレーナをエスコートする。


 すぐ先の角を曲がったところで、ロイズの、バーンウェル家の紋の入った馬車が停まっているのが目に入る。

 答え合わせは「正解」であった。


「あそこですわ」


 街の酒場のひとつ。

 貴族が来るような店ではない。


 エレーナは二人がどちらかの馬車で連れだって出かけている事を知っていた。

 だから、二人の家の馬車の目撃情報を集めたのだ。

 直接動くことはできない。だから、レナンドを通じ公爵家の力を借りて。


「最近よくいらっしゃる身なりの良い客がいるというお話がありまして」


 アイーダとロイズ。二人の密会の場。

 馬車で乗り付けるとは、知恵の回らない。


 レナンドは、弁護人ギルドのギルド長と待ち合わせをしていた。

 これも公爵家の人脈によるもの。この人とその部下が証人となり、公正証書を作成する運びだ。


「上の二号室だね?」


 レナンドは店主に多めの金を握らせ、確認する。


 上。酒場の二階。

 そこがどういう場所かはエレーナも理解していた。


「帳簿では偽名、しかし外の馬車は確かに。あとはこの目でお二人が確認できれば要件は確立するかと」


 ギルド長が言う。


「では、私のみで確認をば。階段そばで待ち、出られるところを確認いたします」


「僕らは奥にいよう」


 レナンドに促され、エレーナは別室に向かう。


「……今、捕まえてしまっても構いませんよ」


 レナンドが言う。


「お気遣いありがとうございます。ですがご承知の通り、それでは足りないでしょう。公爵家の利益のためには」


「違いありません。……強いお方だ」


 エレーナも、できる事ならば今すぐにでも終わらせたいとは思っている。

 しかし、二人の不貞を暴いただけでは完成しないはずだ。公爵夫人の描いている絵は。


 しばらくして、ギルド長がやってくる。


「件のお二人であると確認いたしました。外に待機していた公証人二名も確認済みです。偽名の帳簿も筆跡鑑定をいたします。かなりの数の同じ筆跡があるかと。ギルドにて証書を作成してラッドフォード公爵家までお持ちいたします」


「公爵家で構わないのだが、僕あての親展にしてください」


「かしこまりました」


 ギルド長の開けたドアの先、酒場の窓から一台の馬車が発車するのが見える。

 ちらりと見えた乗客は、間違いなくロイズとアイーダであった。


 エレーナはロイズの事を好いてはいないし、アイーダとの仲もわかっていた。

 しかし、この様な場面に立ち会えばその身は怨嗟の炎に焼かれてしまう。

 嫉妬ではない。

 屈辱の業火である。


「いまに、見ていなさい……」


   *


 その一件から日も経たないうちに、それは突然始まった。

 エレーナが学園で皆とお茶を嗜んでいると、ロイズがやってきた。


「エレーナ! 僕は君との婚約を破棄する!」


 ロイズが衆人環視の下、エレーナを指差し宣言した。


「このような場で一体何を。突然どうされたのですか?」


 エレーナは驚いたふりをする。

 しかし、不快感が先に出てしまったかもしれない。


「君はせっかくアイーダが好意で選んでくれた髪飾りを歪んだ目で見て、ラッドフォード公爵夫人まで巻き込んで僕らの関係を疑い探っていたそうだな! 僕とアイーダとの、そして我が家との信頼を壊す行いだ!」


 公爵夫人の後ろ盾を得たと見て、そちらから動いたか。

 エレーナの中でパズルが組み上がっていく。


「そんなことはしておりませんわ」


「これを見てちょうだい!」


 ロイズの陰から現れるアイーダ。

 髪には、どう用意したのか、例の髪飾りを付けている。


「君は公爵夫人へアイーダがわざわざ使い古しを与えた様な言いがかりをつけた。しかしこの通り、夫人の髪飾りは君のものと別にきちんとここにある! 申し開きがあるか!」


 なるほど、おそらくこれは公爵夫人が用意したシナリオ。婚約破棄を仕向けるための。髪飾りもその後押しだろう。


「ひどいですわ、私とエレーナの仲ではなかったですか! 私が親友の婚約者を奪うようなことをするはずがありません!」


 涙を流しながら訴えるアイーダ。


「そうですか。何をもってその様な誤解をされているかわかりませんが、その様な事をおっしゃるのではもう私たちの関係はおしまいですわね」


 エレーナは認めはせず、しかし食い下がりもしない。

 ここで打ち勝ってしまっては、公爵夫人のお考えを台無しにしてしまうからだ。


「ご機嫌よう」


 エレーナは、冷たい刃のような挨拶を残し立ち去った。

 予想と異なる反応だったのか、アイーダは泣くのも忘れ立ち尽くす。


「わ、私たちが貴女と絶縁しに来たのですわ! 勘違いなさらないで!」


 精一杯の立場の主張。しかしエレーナが振り向く事はなかった。


 いつでも逆転できる手札は揃っている。あとは手順を守るだけ。

 今は甘んじて受けよう。

 それが、ロイズとアイーダが知らないエレーナの胸の内であった。


   *


 その夜。

 ロイズの家、バーンウェル侯爵邸。


「公爵夫人が僕らの恋を後押ししてくれています。エレーナとの婚約の破棄と、アイーダとの婚約を認めてください、父上」


 ロイズとアイーダは、ロイズの父、バーンウェル侯爵に頭を下げる。


「私たちの真実の愛に、叔母様も応援してくださっていますの」


 バーンウェル侯爵はしばし考え込む。


「ふむ。先方の落ち度による婚約の破棄。そしてラッドフォード公爵夫人の後ろ盾。ウォード家と無理に結ぶ必要もない、か……。よかろう、その裏取りができれば認めよう。しかし今後はこの様な無茶をしないことだ。まず私に相談しなさい」


「ありがとうございます! アイーダ、やった、僕らはこれで晴れて婚約者同士になれる!」


「ありがとう、ロイズ様!」


 親の前にも関わらず、固く抱きしめ合う二人であった。


   *


 それから、エレーナの学園での生活は一変した。


 誤解と嫉妬で公爵家まで敵に回し、婚約破棄された女――それがいまのエレーナの立場だ。


 後ろ指さされる日々。

 寄ってくる者は稀。

 エレーナは学園の中庭の片隅で、一人でお茶を頂いている。


 父より、ウォード侯爵家として正式にバーンウェル侯爵家に抗議状が提出された。しかし今世間に出ている情報の限りでは、バーンウェル家の主張を崩す事は難しいと思われても仕方がない。

 証拠はまだ隠されたままだからだ。


「こちら、よろしいですか」


 レナンドがエレーナの向かいの席に座る。


「堂々と、学園の中までも。私などと関わっていては問題あるのではございませんか」


「いいじゃないですか。僕だって少し前まではここの学生だったんだ。君も晴れて自由の身だしね」


「晴れて、ね……」


 エレーナは今、針のむしろにいる。とても「晴れて」などという気分ではない。

 レナンドにお茶を淹れるが、手つきが雑になる。


「おいしい」


 また、あの屈託のない笑顔を浮かべる。

 エレーナとしてはそれほどうまく淹れられなかったお茶なので、少々複雑な心境である。


 お茶を嗜むひと間を置いて、レナンドが続ける。


「僕は、ずっと貴女を気にかけておりました」


「私を以前からご存じの様ですよね。申し訳ありませんが私の記憶にございませんわ」


「無理もありません。もう十年以上も昔の事。あなたも幼かった。ほんの出来心の冒険心で家を抜け出し、街で迷い、雨に打たれ倒れていた僕を助けてくれた。貴女の優しさを忘れたことはありません」


 十年以上前。エレーナは記憶を呼び覚ます。

 確かに、幼い頃に馬車で母と街を通りかかった際、倒れている少年を見かけ母に言い助けてもらった記憶がある。

 ひどい熱で、家に連れ帰り家の者と看病し、元気になって別れたという記憶。

 名も知らぬままだったが、庶民の子ではなかったのか。


「……わずかに、記憶にあります」


「その後母と御礼にも伺ったのですが、その際はあいにく貴女とはお会いできませんでしたしね。先日お越しいただいた際に久しぶりにお会いできて、僕はとても嬉しかったのですよ」


「まさか、そんなご縁があったとは。私に味方してくださるのはそのためでしょうか」


「はい。ですが、もちろん家の事情もあります。なので、母と賭けをしたのです。この件を無事に解決し、家に大きな利益をもたらした暁には、貴女と婚約させてほしいと」


「えっ」


 あまりに突然の事で、エレーナはカップを落としそうになる。


「僕では不足ですか?」


 容姿端麗、優雅な所作。そして頭もよく、なにより公爵令息。

 そういった目で見たことがなかったが、考えてみれば非の打ちどころがない。


「そういうわけではありませんが……」


 エレーナは返答に困る。家の問題でもあり、人生の問題でもある。はいそうですかとこの場で答えられる様な話ではない。


「はは、すみません、困らせてしまいましたね。まずは片を付けましょう。明日、母が初めて二人の不貞を『知る』。あの証書を見ることになる」


 知る。

 もちろん公爵夫人はもとより勘づいてはいるが、公に知るという意味だろう。

 証書は少し前にはできあがっていたはずだ。タイミングを計っていたという事だろう。


「婚約破棄と新たな婚約を、正式にあの二人の家が認めるのを待ったのですね」


「ご明察です。先に母が知ってしまっていたら、それはあの二人の大義名分を潰してしまう。母は姪の恋路の後押しはすると約束した。しかしそれは不貞まで含むものであってはならない。正当な順序によるものだ」


 ――初めからこれを描いていた。公爵夫人、恐ろしいお方。


 エレーナは目を伏してお茶を一口飲む。


 あの婚約破棄騒動が正当な手順かはさておき、まだロイズとアイーダには義がある。公爵夫人は後押ししている立場。だから正式な婚約破棄と新たな婚約の道に進んだ。その両家の判断には公爵夫人の影響も大きいだろう。


 そして、侯爵家・伯爵家として決断した事が明白になってから、その正当性を根本から破壊する。


「子供のままごとなど眼中にないのですね」


「ご苦労をおかけして申し訳ない」


 我が家があの方に利のある存在で良かった。エレーナは心底そう思った。


「忙しくなりますわね」


「全く、貴族というのは難儀なものです」


   *


 今日は、学園の舞踏会の日。


 エレーナは相手もいないというなかで、赤く目立つドレスで会場にいた。


「エレーナ様、お一人であんな格好を?」

「捨てられてどうにかなってしまったのでは?」

「きっとこの場で次のお相手を探すのに必死なのよ」


 様々な声が立つ。当然エレーナの耳にも入る。

 しかし我関せずという態度のエレーナ。

 つかつかと歩き、真っ直ぐにある人物の元へ向かう。


「お越しいただきありがとうございます。ラッドフォード公爵夫人」


「あら、エレーナさん。素敵なドレスですことね。ご招待いただきありがとう」


 この舞踏会は学生が来賓を招待できる。社交の場として活用するためだ。それにしても公爵夫人の様な方を呼ぶ者は稀だ。


「レナンドと仲良くしてくださってありがとうね。私も貴女のお陰で助かりますわ。本日は姪に少し用もあって、ちょうど良かったわ」


「もったいないお言葉でございます。レナンド様には大変良くしていただいております」


 姪への用も存じております、とは言わない。それは本来触れるべき立場ではないこと。


「エレーナ嬢、僕もお礼を言わせてほしい。卒業以来久しぶりの学園のボールルーム、懐かしいよ」


 黒い正装に身を包んだレナンドがやってくる。

 いつもと違い髪までしっかりセットされていて、大人びた雰囲気が漂う。

 学園の女生徒たちは放っておかないだろう。


「レナンド様もありがとうございます」


「どうですか、一曲踊っていただけませんか?」


「まあ。踊るのは事が済んでからですわ」


 エレーナはレナンドの手を軽く叩く。


「叔母様!? レナンドお兄様!?」


 そこに、アイーダとロイズがやってきた。

 レナンドはアイーダの従兄弟だ、当然面識はあるのだろう。

 まさかいらしているとは、という驚きの表情。


 アイーダはエレーナを一瞥し、なんでお前がいるのかと言いたげな目をしたが、すぐに公爵夫人へ目を向け直す。


「叔母様、いらっしゃっていたのですね。紹介いたしますわ、こちらが私の婚約者となりました、ロイズ様ですの」


「お初にお目にかかります、ロイズ・バーンウェルでございます」


 二人が礼をする。


「アイーダちゃん」


 エメリ夫人がアイーダの元へ歩み寄り――


 パァン!


 その頬を力強く叩いた。


 パァン!


 ロイズの頬も。


「恥を知りなさい! ご友人が婚約者であることを知りながら不貞を重ね、あまつさえ公爵家の名を使いその立場をウォード侯爵家から簒奪するとは!」


 会場が静まり返る。

 全員の注目が一点に集まる。


「お、叔母様、何を……」


 叩かれた衝撃でよろけて倒れるアイーダ。

 そこでエレーナが前に出る。手には証拠の証書の写しが握られている。


「アイーダ、ロイズ。正式な調査証書よ。婚約破棄前のあなた方の不貞の証拠。帳簿の筆跡鑑定によると、数十回も。私が嘘つきで嫉妬していたですって? 他人の婚約者を盗んでおいてよく言えたものですわ。汚らわしい」


 証書の写しを投げつける。


「ああ、これもお返しします。貴女の使い古しなんていりませんわ」


 銀の髪飾りをアイーダに放る。


「こ、これは叔母様が……」


「確かに貴女も同じものを持ってたわね、私より新しいやつを。それで、ロイズ、これは何でしょうか?」


 アクセサリーへの刻印依頼書を取り出す。


「婚約者がありながら他の女へこんなもの贈っておいて、いいがかりですって? あなたなどこちらから願い下げです!」


 紙をロイズの顔に叩きつける。


「アイーダちゃん。手順は守りなさいと言いましたわよね」


 エメリ夫人が淡々と話す。


「私になぜこの事を言わなかったの。これでは私は悪しき横取りの片棒を担がされてしまったようなもの。ロイズさん、あなたも当然ご存知のこと。お家の方に何と申すおつもりですか」


「いえ……それは……」


「ラッドフォード公爵家、ウォード侯爵家はバーンウェル侯爵家ならびにロックバード伯爵家を正式に告発いたします。代償は高くつきましてよ」


「そんな……そんなぁ!」


 アイーダの悲鳴がこだました。


   *


 同日、夜。バーンウェル侯爵家。


「貴様はなんと言う事を……! 何をしたのかわかっているのか!」


「父上、ただ、僕は愛する女性と……」


 がっ!


 ロイズは、全てを言い終える前に父の拳を受け吹き飛ぶ。


「出ていけ! お前など勘当だ! 二度と顔を見せるな! ああ……この家はもうおしまいだ……」


 バーンウェル侯爵は頭を抱えて座り込んだ。



 アイーダとロイズは行くあてもなく家を放り出された。


「う、うう……アイーダ、僕らの愛は不滅だよな?」


「……近寄らないでちょうだい!」


 ロイズが肩を抱こうとした手をアイーダは跳ね除ける。


「なんで! なんでなの! 全てうまくいってたのに! 侯爵夫人になれるところだったのに! あんたが間抜けだから! このボンクラ!」


「そんな! 私はこれがいい、エレーナにはこれがお似合いよって髪飾りをくれたのは君じゃないか! 公爵夫人が味方についたって自信満々に婚約破棄を勧めたのも!」


   *


 それからしばらく経った。


 私欲のために不貞をもって他者の婚約の簒奪を企てたロックバード伯爵家は、正式な裁判の後に主犯として辺境へ移されることになった。現在の領地は縁者であるラッドフォード公爵家のものとなった。


 濡れ衣で婚約を一方的に破棄し、ウォード侯爵家への不義理を働いたバーンウェル侯爵家は、莫大な賠償金を背負うことになった。その上で家業はラッドフォード公爵家から容赦のない攻勢を受けることとなり、命脈は尽きようとしている。


「エレーナ嬢」


 エレーナが学園から戻ると、また玄関にレナンドがいた。


「あら、今日はどうされました?」


「やっと堂々と言える日が来ました」


 レナンドはひざまずいてエレーナに手を差し伸べる。


「これほど麗しく聡明なご令嬢をお一人にしておくわけには参りません。これは天が僕に与えてくれた機会に違いない。どうか、僕の手を取ってくださいませ。貴女でなければならないのです」


「賭けに勝たれたのですね。本当に、本気なのですね。しかし、結婚というものは……」


「家と家を繋ぐ利があってこそ、ですね? ご安心を、もう両家で話はついております。結婚後の共同事業の拡大について話をまとめました」


 この男は……! 手際が良すぎる。

 エレーナは感心を通り越して呆れてしまった。


「しかし、僕にとって愛しいという心こそ本心。利は後付けです。この様なもの貴女のためならいくらでもご用意しましょう」


 エレーナは何か言い返してやらないと、と頭を巡らせる。


「……浮気したら許しませんからね」


「よく存じております」


 エレーナは、そう言って苦笑いするレナンドの手を取ったのであった。


お読みくださりありがとうございました。

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公爵夫人視点のスピンオフを書きました。よかったらこちらもご覧ください。

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― 新着の感想 ―
いくら令息が麗しく誠実であったとしても、こんな恐ろしい公爵夫人を姑に持つのってめちゃくちゃ嫌だな…
めっちゃ面白いけど、ある意味、文章力レベル高い人が書いちゃうと、「前提としてどこにも描写されないけど、ここはナーロッパの中世っぽい時代の不思議な世界感だよ」っていうご都合設定が似合わない話になってしま…
これこそ貴族の有り様、ですよね。 昨今契約とは?貞節とは?と首を捻るどころか、ネジ切りそうな輩ばかり。胸糞悪い世の中です。 公爵夫人のような気持ちよい仕置き人がいてくださったら、この世も少し楽なのにね…
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