第4話 見つからない言葉
結局、私達はアドラス様とヘレーナを止めることはできなかった。
私に言葉をかけた後、ヘレーナはすぐに船に乗り込み、そのまま出発してしまったのである。
アドラス様は甲板から姿を消してから、再度姿を現すことがなかった。彼はアドールに何も言わずに、ヘレーナとともに外国に旅立ってしまったのである。
「アドール……」
「……」
船が去ってから、アドールは意気消沈していた。
彼の今の心情を考えれば、それは当然のことである。
そんな彼になんと声をかければいいのか、私にはわからない。父親にこんな形で置いていかれるなんて、あまりにも悲惨過ぎることだ。どのような慰めの言葉も、届かないような気がする。
「……父上は、ヴェレスタ侯爵家を捨てた訳ですね?」
「え? ええ、そういうことに……なるのでしょうね」
アドールは、ゆっくりとこちらに顔を向けてきた。
その表情は先程までと違って、平坦だ。彼の表面からは、感情が消えている。
「ということは、侯爵家は僕が継ぐことになりますよね?」
「そうなるでしょうね……」
「なるほど、まさかこれ程まで早く家を継ぐことになるとは思っていませんでしたが……」
「ええ、それは当然のことでしょうね」
淡々と今後のことを話すアドールに、私はなんとも言えない気持ちになっていた。
当然のことながら、今の彼は強がっているのだろう。これからのことを考えることによって、なんとか平静を保っているのかもしれない。
その姿はなんというか、痛々しいものである。
しかし、私にどうやってその痛みを和らがせることができるというのだろうか。それがわからず、私も上手く言葉を形作れなかった。
「……フェレティナ様、あなた――並びにフォルファン伯爵家には迷惑をかけることになってしまいましたね」
「いえ、それに関してはフェアよ。アドラス様が浮気していたのは、私達の妹なのだから、むしろ謝らなければならないのは、私達の方かもしれない」
「そう言っていただけるなら、こちらとしても助かります」
アドールは、私に対して壁を作っていた。
それは今まで家族として過ごしてきたはずなのに、今はとても距離が遠い。
もしかしたらそれは、アドールの覚悟なのかもしれない。彼はきっと、これ以上私を巻き込まないように、遠ざけようとしているのだ。
アドールは、どこまでも大人であろうとしているということだろう。
それは立派なものだ。私は彼くらいの年齢の時に、そのようなことは考えられていなかっただろう。
しかしなぜだろうか。私は納得することができていない。本当にこのままでいいのだろうか。私の頭には、そんな考えが過っていた。
◇◇◇
私とアドールは、とりあえずヴェレスタ侯爵家の屋敷に戻って来ていた。
お兄様は、今回の件をフォルファン伯爵家に報告しに帰った。よって、ここにいるのは私とアドールだけだ。
当主であるアドラス様がいなくなったことによって、やらなければならないことは色々とある。まず何からするべきなのか、私は考えていた。
「……フェレティナ様、本当によろしかったのですか?」
「……何の話かしら?」
そんな時、アドールが神妙な顔をしながら私に質問をしてきた。
その質問に、私は少し鋭い声を返してしまった。我ながら、嫌々しい態度だと思ってしまう。
しかし、こればかりは仕方ないことなのだ。今のアドールの質問は、愚問でしかないのだから。
「ハルベルク様と一緒にフォルファン伯爵家に戻らなくても、良かったのかと聞いているのです。あなたは、このヴェレスタ侯爵家にこれ以上付き合う義理なんてないはずだ」
「……」
私の言葉に対して、アドールも少し声を荒げて言葉を返してきた。
それは彼の心からの言葉であるように思える。少なくとも港で取り繕っていた時とは違う。
「勘違いをしているようだけれど、私はまだヴェレスタ侯爵夫人よ? アドラス様とは離婚していないもの」
「そんなことは、どうにでもなることでしょう。僕を見捨てて逃げた所で、非難されることはありません。僕だってあなたを責める気はない。この状況なら、誰だってそうする」
アドールの本心が聞けるということは、私にとっても嬉しいことだった。
できることなら、本音が聞きたいと思っていた所だ。このままずるずると引っ張られると、こちらとしてもどうしていいかわからなかっただろう。
ただ本音が聞けるなら、それに対して言葉をかけることができる。重要なのは対話することだ。私はアドールときちんと話し合えることに感謝する。
「あなたは見捨てて欲しいのかしら?」
「そういう訳では、ありませんがっ……フェレティナ様に、迷惑をかけたくはありません」
「迷惑ね……」
アドールの根底にあるのは、私に対する気遣いであるのだろう。
私をこれから起こるヴェレスタ侯爵家のごたごたに巻き込みたくない。彼はきっと、そんな風に思っているのだろう。
その気持ちは、素直に嬉しい。しかしながら、私はそんな彼の優しさを打ち砕かなければならないだろう。
こんな状態のアドールを放っておく訳にはいかない。
曲がりなりにも、彼とは家族として過ごしてきた。少なくとも私は、彼を一人残してここから去りたくないと思える程の情がある。
だからこそ、ここは強引にでも彼を捻じ伏せるべきなのだ。私はそう判断して、改めて目の前にいるアドールと向き合うのだった。
「アドール、あなたはどうやら何もわかっていないようね?」
「……なんですって?」
決意を固めた私は、アドールのことを睨みつけた。
ここでは、彼に対する親愛の情を一旦捨てなければならない。非情に徹して、彼に状況をわからせなければならないのだ。
「あなたは賢いし大人びているけれど、まだ子供なのよ? そんなあなたが一人で残った所で、ヴェレスタ侯爵家を守ることなんてできないわ」
「それは……」
私の言葉に、アドールはこちらからゆっくりと目をそらした。
当然のことながら、彼もわかってはいるようだ。自分一人では、このヴェレスタ侯爵家を守ることができないと。
となると彼は、この侯爵家が終わってもいいと思っているということだろうか。いや、そういうことではないはずだ。アドールは単に、諦めているだけなのだろう。
「まさかとは思うけれど、あなたはこのヴェレスタ侯爵家がどうなってもいいなんて、思っている訳ではないわよね?」
「そんな訳はありません。僕も、先祖達が代々守ってきたこの侯爵家を守っていきたいと思っています。でも、それは僕がやるべきことです。フェレティナ様を巻き込んでいいようなことではない……」
「やはりあなたは何もわかっていないようね……」
私は、ゆっくりとアドールとの距離を詰めた。
彼にはきちんと言い聞かせておかなければならない。これは今回の件に限らず、彼がこれから侯爵として生きていくためには把握しておいた方がいいことだ。
「アドール、侯爵といえども、全てのことが完璧にこなせるという訳ではないわ。時には人を頼る必要があるものなの」
「それは理解しています」
「いいえ、わかっていないわ。今のあなたは、私を頼る以外の道なんて考えるべきではないのよ。私のあなたに対する情を利用すればいいだけなの」
「情を、利用する……?」
私はアドールの肩に手を置いて、彼と視線を合わせた。
その目は心なしか、少し潤んでいるような気がする。流石に少し、怖がらせ過ぎてしまっただろうか。
しかしこれは、仕方ないことだ。これからのためにも、アドールにはきちんとわかってもらわなければならないのだから。
「そんなことはできません。だって、そんなのひどい話ではありませんか」
「あなたは次期侯爵なのよ? それくらい強かでいなければ、どうするのよ?」
「強か……」
「まあ、私のことが信頼できないと思っているなら、話は別だけれどね?」
「いえ、そんなことは……」
「それなら決まりね」
私は、強引に話を取りまとめた。
今はまだ、アドールも完全に理解できていないかもしれない。
しかしきっといつかわかってくれるはずだ。今は私を頼るべき時だったということを。




