第23話 譲れないもの
「……なるほど、あなたは脅している訳ですか」
「脅しているというのは、人聞きが悪いな、アドール。僕はただ事実を述べているだけだ。僕はヴェレスタ侯爵家のことを思って言っている。それを君にも理解して欲しい」
狡猾なることに、アドラス様は全てを計算した上で、ここに帰って来たようだった。
ヴェレスタ侯爵家に対しても被害が及ぶ。その場合私達は、対処せざるを得ない。
借金取りなんて来られると、困ることしかないだろう。それで悪評が広まったら、ヴェレスタ侯爵家にとって大きな打撃となる。
彼を亡き者にした場合、どうなるかは予想できない訳ではない。
質の悪い借金取りならば、私達の元に来るだろう。口振りからして、アドラス様は自分の正体を明かしている。
この状況で、彼を手にかけるのは得策ではないかもしれない。恐らくアドラス様は、私達がそう考えるなどと思っているのだろう。
「……アドラス様は、そんなものが脅しになると思っているんですか?」
「……何?」
「義母上?」
アドラス様の主張は、別に間違っている訳でもない。彼がもたらした問題は厄介だ。それは間違いない。
ただ、それで私達が従うなんて大間違いだ。ここでアドラス様に従ったりしたら、それこそヴェレスタ侯爵家の名折れである。
「……フェレティナ、君は一体何を言っているんだ?」
「アドラス様は、色々と勘違いしているようですね? そのようなことで、このヴェレスタ侯爵家を従えられると思っているんですか?」
「従えようなんて思ってはいないさ。ただ単純に、ヴェレスタ侯爵家のためを思っているだけだ。フェレティナ、僕は君のことも思っている。君はアドールのことを息子として愛しているのだろう。そんな彼のことを思えば、僕への支援くらい簡単なものであるはずだ」
アドラス様は、私の心情まで持ち出してきた。
そういった所を突いてくる彼には、人の心というものが案外よくわかっているのかもしれない。
彼は狡猾だ。他人の心を利用して状況を支配している。私は結婚した時から、彼にいいように利用されていたのかもしれない。
「支援? ふざけないでください。妹と駆け落ちしたあなたが他国で事情に失敗したからといって、私が支援などする訳がないではありませんか」
「……それがヴェレスタ侯爵家の、引いてはアドールのためであっても、か?」
「あなたに従うつもりなどありません……アドール、あなたもそうでしょう?」
「……ええ!」
私の言葉に、アドールは力強く頷いてくれた。
アドラス様の主張を受け入れない。その決意を、彼も改めて固めてくれたようだ。
「フェレティナ、アドール、君達は愚かだ。まさか、ヴェレスタ侯爵を捨てようというのか?」
「捨てる? 勘違いしないでいただきたい。その程度で揺らぐヴェレスタ侯爵家ではないと言っているのです」
「なんだと?」
「あなたのおかげで、苦境には慣れているんですよ。悪評なんて、すぐに覆してみせますよ」
「なっ……!」
アドラス様に対して、アドールは笑みを浮かべていた。
その不敵な笑みには、私も思わず笑ってしまう。やはりこの子は、立派なヴェレスタ侯爵になったものだ。
アドラス様は、明らかにその笑みに押されている。彼の額から冷や汗が流れているのが、その何よりの証拠だ。
「アドール、君は父親に向かって……」
「そのことについて、一言を言いたいことがあるのですが、少しよろしいでしょうか? アドラス様」
「君は……ロナーダ子爵家のリヴェルトか!」
アドールに対して表情を歪めていたアドラス様の前に、リヴェルト様が立った。
今まで黙っていた彼だが、その表情には確かな怒りが宿っている。私やアドールに対して不敵な態度を取るアドラス様に、彼も相当頭にきていたのだろう。
「あなたのことを、かつては尊敬している時もありました。父上から話を聞くあなたは、侯爵としてまた父親としても立派だと、思っていましたから……ただどうやら、あなたは最低の男だったようですね」
「な、何?」
「申し訳ないが、あなたの席はもうない。アドールの父親は、この私だ! 文句があるなら、いくらでも聞いてやる。私は、息子を――アドールを守ってみせる」
「……義父上」
リヴェルト様の言葉に、アドールはとても嬉しそうな笑みを浮かべていた。
目の前にいる立派な父親に、彼はとても感動しているようだ。実の父親であったアドラス様があまりにも不甲斐なかったからだろうか、かなり心にきているように見える。
もちろん私も嬉しかった。きっとストーレン伯爵も同じ気持ちだろう。アドールの父親が誰であるか、それは明白だ。
「この、知ったような口を――」
「あーあ、悪いな。取り込み中か?」
アドラス様は、激昂しようとしているようだった。
しかしそれは止まった。彼の後ろから、声が聞こえてきたからだろう。
その声には、聞き覚えがない。一体誰だろうか。本人も言っている通り、今は取り込み中であるのだが。
「でも、悪い話ではないと思うんだよ! おーい! 中にいる人に聞こえてないか! あーあ、広い屋敷だし無理か?」
「……この声は」
ただ、聞き覚えがないのは私達の方だけであるようだ。
アドラス様は、その声に悲痛な表情を浮かべている。どうやら彼にとって、その声は良いものではないらしい。
「お、開いた……?」
アドールが合図を出すと、屋敷の玄関の扉が開いた。
するとそこから、一人の人間がずけずけと入って来る。見るからに柄の悪そうなその男の姿に、私達は困惑してしまう。
ただ、アドラス様は別の反応をしている。彼は明らかに、焦っているのだ。
「いや、すみませんね、取り込み中……といっても、俺の目的はあなた方にとっても悪いことではないと思いますよ」
「……なんですか? あなたは?」
「お坊ちゃん……ああ、あなたがヴェレスタ侯爵か。こんなちっこいのが侯爵様なのか。すごいな」
「……中々に失礼な方のようですね」
男の言葉に対して、アドールは表情を歪めていた。
なんというか、とても軽薄な男だ。とても侯爵家の屋敷に足を踏み入れてもらいたくない。
しかしアドラス様の反応からして、ここは彼を受け入れるべきだろう。場合によっては、私達に利益をもたらしてくれるかもしれない。
「生憎育ちが悪いんですよ。ああ、そんなことよりも、この男を回収していってもいいですかね?」
「この男とは……その男のことですか?」
「ええ、そこで汗を流している男のことです」
軽薄な男は、アドラス様の方を不躾に指差していた。
その柄の悪さから、私はこの男の素性を理解していた。いや、それはアドラス様の反応からも予想できることでもある。
「ボガート、こんな所まで逃げるなんて、お前も中々に大胆だな」
「ゼブウォック……」
「まったく、俺もこんな侯爵家なんて来たくなかったんだがね。こっちにも面子というものがあるんだよ。お前にみすみす逃げられたら、家も名折れだ」
ゼブウォックと呼ばれた男は、アドラス様に対して歪んだ笑みを向けていた。
それにアドラス様は、怯えている。よくわからないが、彼はゼブウォックが属する何かに対して失礼なことをしたのだろうか。
「ま、待ってくれ。金なら返す算段ならついている。前にも言っただろう。僕は、このヴェレスタ侯爵家の前当主アドラスだ」
「ああ、そんなことを言っていたな」
「このヴェレスタ侯爵家の財力を持ってすれば、借りた金以上のものを返すことができる。僕を連れて行くことは得策じゃない」
アドラス様は、いとも簡単にヴェレスタ侯爵家を売っていた。
前当主として、なんとも情けない姿だ。私も思わず、顔を歪めてしまう。
結局の所、アドラス様は自分のことしか考えていないということなのだろう。わかっていたことではあるが、改めて事実を叩きつけられるとやはり気分は悪いものだ。
「……そういうことなら、現当主様にお伺いしましょうかね?」
アドラス様の言葉を受けて、ゼブウォックはアドールの方を見た。
軽薄な男ながらも、その視線は鋭い。色々と場慣れしていることが、その表情からは伝わってきた。
しかし、そんな男からの視線にもアドールは怯まない。彼は真っ直ぐに、ゼブウォックを睨み返している。
「あなた方に渡す金など、ここにはありませんよ。あなた方は恐らくあちらの国の組織でしょうから、本来なら過度な干渉はしませんが、争い合うということになったら容赦はしません。そもそもあなた方は、僕達からしてみれば排除するべき対象です。完膚なきまでに叩き潰してあげましょう」
「……なるほど」
アドールは、堂々と言葉を返していた。
その言葉に、ゼブウォックも感心しているようだ。彼は、どこか嬉しそうにしている。アドールの覚悟に好感を抱くくらいの善性は、持ち合わせているということだろうか。
とはいえ、彼はまともな人間ではない。これから争い合う相手になるかもしれないし、余計な情などは抱くべきではないだろう。
「もちろん、こちらもヴェレスタ侯爵家とやり合うつもりなんてないさ」
「……それは」
「侯爵家なんかと争っても、打撃の方が大きいだろうさ。家は面子を重んじているが、リスクは犯さない。そもそも、俺達を侮辱したのはボガートだからな」
ゼブウォックの言葉の意図は、理解することができた。
彼はあくまで、アドラス様をボガートという人物として扱うつもりなのだろう。ヴェレスタ侯爵家とは関係がないと、そうするつもりなのだ。
それはこちらにとっても、都合が良いことである。そもそもアドラス様は公的には亡くなっているのだ。あの事故で亡くなった彼が、他国で事業に失敗して借金を背負う訳はないのである。
「それじゃあ、ボガート、そろそろ失礼するとしようか。いつまでも、侯爵家の方々に迷惑をかける訳にもいかない」
「ま、待て! 僕はまだ納得していないぞ。勝手に話を進めるな!」
「うるさい奴だな……来いって言っているんだよ!」
「嫌だ! 僕は、僕はっ……!」
必死に抵抗するアドラス様を、ゼブウォックは引っ張って行った。
笑顔を見せてはいるが、恐らくゼブウォック達がこれから行う所業は非道なものであるだろう。それがわかっているから、アドラス様も必死なのだ。
アドラス様のことはともかくとして、ああいった者達をのさばらせておくのは良くないことだ。
とはいえ、彼らは他国の組織だ。私達からできることがあるという訳でもない。
よってアドラス様のことは、見捨てるしかないということである。まあもっとも、彼のことは私達からしてみれば自業自得である訳なのだが。




