第2話 おかしな訪問
問題なんてものは、そうそう起こらないものだ。
そのように考えていた私は、とんだ愚か者だったといえるだろう。楽観的に考え過ぎていたといえる。
ただ今私にもたらされている問題は、想定していたものとは違う。目の前にいる男性を見ながら、私はただ疑問符を浮かべざるを得ない。
「ヴェレスタ侯爵夫人、それではヴェレスタ侯爵はこちらにいらっしゃらないということでしょうか?」
「ええ、そうですね……」
「まあ急な訪問である訳ですから、仕方ないことですね」
私の目の前にいるのは、ロナーダ子爵である。
彼は所用で近くの町まで来ており、時間的に余裕があったため、お土産を携えて訪ねて来て下さったのだ。
その行為に、特別な意図などはないだろう。ロナーダ子爵はとても穏和な人だ。恐らく善意だけで、お土産を持って来て下さったはずである
ただ問題は、私の主人は今彼の元を訪ねているはずだということだ。昨日出発した彼は、この時間にはきっともうロナーダ子爵家の屋敷に着いている。しかしそれなら、ここにロナーダ子爵がいるということがおかしいのだ。
「えっと、ロナーダ子爵、領地間の道について主人と話し合いをしているとお聞きしましたが……中々難しい問題だと聞いています。そちらの方はもう解決されたのですか? 差し出がましいかもしれませんが、お聞きしておきたいのです。主人は何も話さなくて……」
「ああ、その問題についてなら、解決しましたよ」
「なるほど、そうでしたか……」
私が試しに質問してみると、ロナーダ子爵は快く答えてくれた。
その答えからして、アドラス様がその問題でロナーダ子爵を訪ねた訳ではないということが、よくわかった。
彼は何か別の事情で、出かけているということになる。しかも解決した問題をわざわざ言い訳にして。
「ヴェレスタ侯爵夫人、どうかされましたか?」
「いえ、無事に解決したというなら良かったです」
「ふむ……まあ、ヴェレスタ侯爵もお忙しい訳ですから、結果を言うのを忘れていたのでしょう。本当につい先日解決したことですからな」
「ええ、そうなのでしょうね。大事な所で抜けていると言いますか……」
私は、少し焦っていた。
何故アドラス様は、嘘をついてこの家から出て行ったのだろうか。
それはまったくわからない。という訳でもないだろう。妻に嘘をついて出掛ける。そこから導き出される答えは一つだ。
アドラス様に限って、そんなことをするものだろうか。しかし状況的には、そうとしか思えない。これは由々しき事態であるといえるだろう。
◇◇◇
「フェレティナ様? なんだか顔色が悪くありませんか?」
「え? そ、そうかしら?」
ロナーダ子爵との訪問から、私はかなり悩んでいた。
悩んでいる内に夕食時になって、アドールと顔を合わせることになった訳だが、これはやはりまずかっただろう。
もしも仮に、アドラス様が私の予想していた通りのことをしているとなると、大変だ。アドールにはそれを絶対に悟られてはならない。
「何か問題でもあったのですか? そういえば、昼間少し騒がしかったような……」
「いえ、なんでもないのよ。少しお客様が来たというだけで……」
「お客様、ですか?」
私の言葉に、アドールは少し目を細めていた。
この子は聡い子だ。私が何かを誤魔化していることに、気付いているかもしれない。
ただここは、なんとかして誤魔化さなければならないだろう。アドールに余計な心配をかけるなんてことが、あっていい訳がない。
「ぎょ、行商人の方が訪ねて来てね」
「行商人、ですか?」
「ええ、何も買ってはいないのだけれど……そう、本当に何も買ってはいないのだけれど、少しだけ商品を見せてもらって」
私は、適当に誤魔化さなければならない理由を咄嗟に作った。
このような言い方をすれば、アドラス様に内緒で買い物をしてしまった。アドールはそのように思ってくれるのではないだろうか。
事実として、彼は今少し呆れたようにため息をついている。これでなんとか、やり過ごすことができただろうか。
「フェレティナ様はそのようなことをする方ではありません。ということは、今回の訪問は何か僕に話せないようなことが起こったということなのですね?」
思っていた以上に、アドールは賢い子であった。
まさか、全て見抜かれているなんて驚きだ。彼はなんとも、鋭い子である。
「よくわかったわね……」
「あ、本当にそうなんですね?」
「……うん?」
「ああいえ、なんでもありません」
私の言葉に、アドールはゆっくりと首を振った。
そんな彼を見ながら、私は頭を抱える。要するに私は、鎌をかけられたということなのだろう。
我ながら情けない話である。聡いとはいえまだ子供である彼にやり込められるなんて、もっと精進しなければならない。
「もちろん、言わないことは聞きません。でも何かあったら……僕に役に立てるかはわかりませんが、手助けしますよ。これでも僕は、ヴェレスタ侯爵家の跡取りなのですから」
「……その気持ちだけで充分よ。大丈夫、今回のことは私が解決してみせるから」
アドールならば、きっと私の力になってくれるだろう。子供だからとか、そういったことは関係はない。
ただ今回の件で彼を頼ることは、やめておいた方がいいだろう。もしも仮に私が考えていることが事実であるならば、これは私一人で解決するべき問題だ。
◇◇◇
アドラス様のことを調べたい所だが、侯爵夫人である私まで屋敷を離れるのは、あまり良いことであるとは言い難い。
という訳で私は、どうしようかと手をこまねいていた。やはりここは、実家であるフォルファン伯爵家を頼るのが、一番だろうか。
そんな風に考えていた私は、ヴェレスタ侯爵家を訪ねて来た人物に驚くことになった。私の目の前には、今お兄様がいるのだ。
「え? ヘレーナが行方不明、ですか?」
「ああ、数日前に家を出てから、帰って来ない。お前が何か知っていないか、こうして訪ねて来た訳だが、徒労であったな」
「……ヘレーナが私の元を訪ねて来る訳がないでしょう? お兄様だって、それはわかっているはずです」
「もちろんだ。しかし父上や母上はそうでもないらしい」
私とヘレーナの仲――というか私達とヘレーナの仲が良くないという話を、お父様やお母様はあまり把握していない。
普段はいがみ合っているが、根底では分かり合っている。二人はそのように考えているようなのだ。
実際はもっと根深い問題ではあるのだが、それはこの際どうでもいいことである。問題はヘレーナの行方不明だ。それについては、考えなければならない。
「困りましたね。実の所、私の方で問題を抱えていて……」
「問題? 何かあったのか?」
「アドラス様が、嘘をついて出て行ったのです。もしかしたら浮気かもしれません」
「浮気……そうか」
私の言葉に対して、お兄様は特に驚いたりしなかった。
そういうこともあるくらいに、考えているのかもしれない。それについては、私としても同感だ。
「別に恋愛的な結婚ではないため、浮気自体を重く捉えてはいません。問題は、その相手と本気である場合です。その場合、厄介なことになるかもしれませんからね」
「合理的な考えだな。流石だ。なるほど、そのことについても調査する必要はあるか……そちらの方が、雲を掴むような話であるヘレーナよりも簡単そうだな?」
「あ、いえ、お兄様はそちらを優先してもらっても……」
「いや、ヘレーナのことだ。どうせどこかをほっつき歩いているのだろう。そんなことよりも、今はヴェレスタ侯爵家の問題の方が重要だ」
お兄様は、ヘレーナの行方不明を重く捉えていなかった。
それは当然のことだろう。あの子は気まぐれだ。その行動に一々取り合っていたら切りがないのだから。
「そういうことなら、どうかお願いします」
「ああ、任せておけ」
私もお兄様と同じ考えであったため、遠慮せずにお願いしてみることにした。
結果的にではあるが、お兄様がここを訪ねて来てくれたことは幸運だったといえるだろう。これで、アドラス様のことがわかりそうだ。




