第16話 静かな入室
「よく考えてみれば、私が部屋に入ってもいいものなのでしょうか?」
「別に構いませんよ?」
「……そうですか」
私の部屋までやって来たリヴェルト様は、少し躊躇うような素振りを見せた。
紳士的な彼からしてみれば、女性の私室に入るのは躊躇うようなことであるのだろう。
ただ、そんなことは私からしてみればどうでもいいことだ。何も気にする必要などはない。
「リヴェルト様、ここまで連れて来てくださりありがとうございました。お陰で助かりました」
「段々と酔いはさめてきたみたいですね?」
「そうみたいです。私、相当酔っていたんですね」
「ええ、恐らくはそうだと思います」
ここに来るまでの道中で、私は自分が先程まで酔っていたということを自覚することになった。
今でも真っ直ぐ歩ける自信がないくらい、私の体にはお酒が回っている。自分がこんなにもお酒に弱かったなんて、結構驚きだ。
「ですから、ベッドまではよろしくお願いします。あ、でも静かにしてくださいね。多分、アドールが寝ていますから」
「わかりました」
リヴェルト様は、慎重に部屋の戸を開けて中へと足を進めていく。
私も彼に支えられて、中へと入る。部屋が暗いため、辺りはよく見えない。ただベッドの場所くらいは、リヴェルト様もわかるはずだ。大きなものなので、存在感はある。
「んっ……」
「おや……」
「あら……」
ベッドの近くまで来た私とリヴェルト様は、聞こえてきた声に少し驚いた。
アドールは、ゆっくりと体を起こしてこちらにその顔を向けてきている。どうやら、起きているようだ。
「フェレティナ様……いえ、お義母様、戻られたのですね?」
「え、ええ、えっと、起きていたの?」
「いなくなったことは、なんとなくわかっていました。それから眠ってはいましたよ。浅い眠りではありますが……」
私は、とりあえず明かりをつけておく。アドールが起きている以上、こそこそとしている意味はないと思ったからだ。
彼は、眠たそうな目をしている。今まで寝ていたことは、本当のようだ。
「でも、どうしてリヴェルト様が一緒に?」
「え? えっと、それは……」
アドールの素朴な疑問に対して、私はすぐに言葉を返すことができなかった。
夜中に起きて、お酒を飲む。それは凡そ、良い大人の行動ではなかったからだ。
むしろそれは、悪い大人といえるかもしれない。アドールの見本にならなければいけない立場として、不甲斐ない限りだ。
私は横目で、リヴェルト様の方を見てみる。
すると彼も、ばつが悪そうな顔をしていた。恐らく、大体私と同じことを考えているのだろう。
「アドール、ごめんなさい」
「え? どうして謝るんですか?」
「いえ、その、私は悪いことをしていたから」
とりあえず私は謝罪の言葉を口にして、頭を下げた。
隣では、リヴェルト様も頭を下げている。それにアドールは、当たり前だが困惑しているようだ。
「悪いこと、ですか?」
「ええ、実はリヴェルト様とお酒を飲んでいたの」
「……アドール侯爵令息、ああいや、今は既にヴェレスタ侯爵ですね。全ての責任は、私にあるのです。情けない限りですが、こんな時間にお酒を飲んでいて」
「はあ……?」
私達の言葉に、アドールは首を傾げていた。
彼からしてみれば、あまり悪いことだという認識はないのかもしれない。
ただ、夜中にそういった趣向品を嗜むというのは、良くないことだ。将来、彼が同じようなことをしないためにも、私達はきちんと事情を説明しておかなければならない。
「お二人は大人なのですから、夜中にお酒を飲んでも別に構わないのではありませんか?」
「いいえ、それは悪いことよ。例えば、アドールで考えると……夜中にケーキを食べるというのは、なんとなく行儀が悪いでしょう?」
「ああ、言われてみれば、そうですね」
「そういったことをしてはいけないと言う私達が、こんなことをしていたのは情けない限りね」
「そんなに大袈裟なことなのでしょうか……?」
アドールは、考えるような仕草を見せた。
飲んでいたのがお酒ということもあって、まだいまいち理解できていないようだ。
「ふわぁ……あ、すみません」
「ああ、ごめんなさい。もう眠たいわよね?」
そこでアドールは、あくびをした。
流石に眠たいということだろう。それなら話は、また後日ということでいいのかもしれない。
とにかく今は迅速に、寝る準備をするべきだろう。そんなことを思いながら、私は笑顔を浮かべる。
「……そういうことなら、私はそろそろ失礼させていただきます」
「ああ、ありがとうございました、リヴェルト様」
「いえ、そもそも私が蒔いた種ですから」
「いいえ、それはお気になさらないでください」
寝ることを察したからか、リヴェルト様は部屋から出て行こうとしていた。
そんな彼に、私は改めてお礼を述べておく。彼がいなかったら、私はもしかしたらこの部屋まで戻って来られなかったかもしれない。
「リヴェルト様、お待ちください」
「……はい?」
そこでリヴェルト様は、足を止めることになった。
アドールが彼のことを引き止めたのである。まだ何か言いたいことでも、あるのだろうか。
「よかったらリヴェルト様もご一緒しませんか?」
「……はい?」
リヴェルト様を引き止めたアドールは、何やらおかしなことを言った。
ご一緒するとは、一体どういうことなのだろうか。その理解が追いつかない。
彼は、布団を少しまくっている。まさかリヴェルト様もここで眠るように、促しているということなのだろうか。
「ヴェレスタ侯爵、その提案はどういう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味です。一緒に寝ませんか?」
「……いや、それは無理です」
アドールの言葉に、リヴェルト様は首を横に振っていた。
珍しいことに、かなり焦っているようだ。それはそうだろう。私だって同じ気持ちだ。
「どうして無理なのですか?」
「その……フェレティナ様がいるでしょう」
「フェレティナ様がいると、無理なのですか?」
「ヴェレスタ侯爵も、紳士を志しているならわかるはずです」
「うーん……僕にはよくわかりませんね」
段々と冷静になってきた私は、アドールの様子がおかしいことに気付いた。
エメラナ姫に対して、彼は紳士的な対応を心掛けていたはずである。そういった事柄について、何もわかっていないという訳ではないだろう。
その上で、このような提案をしている。そこには何かしらの意図が、隠されているような気がする。
そこで私は、ある一つの仮説を思いついていた。
リヴェルト様のことを、アドールは慕っている。そんな彼からしてみれば、もしかしたら今のリヴェルト様との距離は寂しいものなのかもしれない。
「フェレティナ様、あなたからも何か言っていただきたい」
「リヴェルト様、もしかしたらアドールは呼び方を気にしているのかもしれません」
「呼び方?」
「ヴェレスタ侯爵という呼び方は、なんというか固くありませんか? 距離があるといいますか……」
「距離、ですか?」
私の言葉に対して、リヴェルト様はアドールの方を見た。
すると彼は、きょとんとした表情をしている。なんというか、思っていた反応ではない。
「アドール? 私の予測は違っていたのかしら?」
「え? あー、いえ、そうですね。ヴェレスタ侯爵と呼ばれるのは寂しいです」
「しかし、今のあなたの立場は紛れもなくヴェレスタ侯爵です」
「リヴェルト様とは知らない仲という訳でもありませんし、もっと気軽に話していただきたいですね。例えば、お義母様のように」
アドールは、物欲しそうな目線をリヴェルト様に対して向けていた。
私の予測は、間違っていなかったということなのだろうか。いまいちわからないが、彼がリヴェルト様からヴェレスタ侯爵と呼ばれることを望んでいないことは、間違いなさそうだ。
それに対して、リヴェルト様は困った顔をしている。子爵令息である彼かすれば、ヴェレスタ侯爵であるアドールに軽い口を聞く訳には、いかないということだろうか。
「リヴェルト様、アドールの言う通り、そう固く考える必要はないと思いますよ?」
「……いや、それは」
「ここには私とアドールしかいません。そんな中で軽い口を聞いた所で、咎める人なんていませんよ」
「しかし、だからといって礼儀というものはあると思うのです」
アドールの味方をして発した私からの言葉にも、リヴェルト様は微妙な反応を返してきた。
根本的な部分で、彼は真面目だということなのだろう。こんなことはもっと簡単に考えてもいいというのに。
いやそれは、私が前ヴェレスタ侯爵夫人だから、そう思えるのだろうか。立場によって、感じ方は結構変わるものなのかもしれない。
「リヴェルト様は結構固いですよね……そういった所は、尊敬できる所でもありますが」
「そ、そうですか……」
「でも、僕にとってリヴェルト様は兄上のような存在です。ずっと欲しいと思っていたんです。上の兄弟などが……下の兄弟は、今からでも望めない訳ではありませんが、そちらは可能性が低いですからね」
アドールはずっと、兄弟に憧れているのかもしれない。
そういえば前にも、弟や妹が欲しいと言っていたような気がする。あの時私は、確かヘレーナのことで彼をがっかりさせたのではなかっただろうか。
「お兄様ということなら、私にも尊敬できるお兄様がいるわね」
「ああ、ハルベルク様ですか?」
「ええ、今回のことでも色々とお世話になっているし、今度何かお礼をしないといけないわね……」
私がこのヴェレスタ侯爵家に留まっていられるのは、実の所お兄様の助力があるからだ。
アドールの傍を離れられなかった私に代わって両親を説得してくれたのは、他ならぬお兄様なのである。
今でも、ヘレーナのことで色々と苦労しているだろうし、今回の件ではかなり被害を受けているといえる。そんなお兄様への労いは、忘れてはいけないような気がする。
「兄と呼んでいただける程に慕っていただけていることは、嬉しく思います。ただ、それでもあなたはヴェレスタ侯爵で、私はロナーダ子爵家の次男でしかありません」
「なるほど、それはリヴェルト様のこだわり、なのでしょうか?」
「こだわり……まあ、そうなのかもしれませんが」
「それなら仕方ありませんね……でも、関係が変わるなら話は別ですよね?」
「……はい?」
アドールの言葉に対して、リヴェルト様は怪訝な顔をした。
それは私も同じである。今アドールは、何の話をしようとしているのだろうか。
なんというか、雲行きが怪しくなってきたような気がする。いや、怪しいというのも正しくはない。ただとにかく、変な空気だ。




