第15話 夜空を見上げて
アドールが寝静まってから、私は屋敷の食堂に来ていた。
彼と家族であることを改めて認識できたからか、はたまたお義母様と呼ばれたからか。理由は様々あるとは思うが、私の気分はなんだか高揚していて、眠ることができなかったのだ。
「あら?」
「おや……」
そんな訳でやって来た食堂に一人の男性がいて、私は少し驚くことになった。
その人物リヴェルト様も、私の来訪には驚いているらしい。こんな時間に、人が来るとは思っていなかったのだろう。
「リヴェルト様、こんな時間にこんな所で……晩酌ですか?」
「え、ええ、まあ、そんな所ですね」
リヴェルト様の前には、ワインとグラスが並んでいた。
彼がワインを嗜むなんて、私は知らなかった。夕食などの時に、彼はそういったものを求めない。だからてっきり、お酒の類は飲まないものだと思っていたのだ。
しかしこういった時間帯にこっそり飲むという行為には、色々と心配になってくる。
もしかして、何かストレスが溜まっているとかだろうか。その可能性はある。なんだかんだ言って、私達はリヴェルト様をこのヴェレスタ侯爵家の政務で頼りにしてしまっているから。
「何かあったのですか? 良かったら、話を聞きますよ。私で良ければ、ですけれど」
「ああいえ、別に特別なことがあったという訳では……いや、特別と言えば、特別なのかもしれませんね。フェレティナ様、外を見ていただけますか?」
「外、ですか?」
リヴェルト様の言葉に、私は窓の外の様子を伺った。
すると目に入ってきたのは、光り輝く丸い月と星の数々だった。
もしかして、今日は満月の日なのだろうか。確信は持てない。ただ一つだけ確かなことは、とても綺麗だということである。
「夜空が綺麗だったから、お酒を飲んでいた、ということですか?」
「ええ、そうですね……」
「それはなんだか、風流ですね」
「いや、あはは……」
リヴェルト様は、苦笑いを浮かべていた。
それはきっと、少しロマンチックなことをしたことを恥ずかしく思っているのだろう。
確かに、彼がそういったことをしているのは意外なことではある。ただ、別にそれは恥ずかしいことではないと思う。むしろ、素敵なことだ。
「リヴェルト様は、素敵な方ですね」
「え?」
「夜中に空を見上げて、綺麗だと思ってそれを楽しめる。そういった方は、心根が優しいといいますか……素敵な方だと思います」
「そ、そうでしょうか? そう言っていただけると、こちらとしては嬉しいですが」
私の言葉を受けて、リヴェルト様はゆっくりと目をそらしてきた。
私も言ってから、少し恥ずかしくなっている。気分が高揚していたからか、結構大胆なことを言ってしまった。もう少し考えてから、喋るべきだったかもしれない。
「せっかくですから、私も一杯いただいてもよろしいでしょうか?」
「え? ええ、もちろん、構いませんよ」
私のお願いを、リヴェルト様は快く了承してくれた。
私は、厨房に足を運んで適当なグラスを見繕う。それからリヴェルト様の元に戻り、彼の隣に並んだ。
「どうぞ」
「ああ、ありがとうございます」
「一応、良いワインらしいです。といっても、私はあまり詳しくないのですが……」
「そうなんですか? まあ、私もわかりませんが……」
リヴェルト様は、グラスにワインをそっと注いでくれた。
私は、普段お酒の類は飲まない。別に飲めないという訳ではないのだが、そこまで好き好んでいる方ではないのだ。
そのため、ワインの良し悪しなんてわからない。リヴェルト様もわからないとなると、このワインが本当に良いものかは謎である。
「リヴェルト様、乾杯」
「あ、ええ、乾杯」
私はリヴェルト様とグラスを合わせてから、ワインを飲んだ。
普通に美味しいと思う。ただ別に特別美味しいとは思わない。まあ、ワインを好んでいる訳ではない私が飲みにくいと思わない時点で、良いものではあるのだろう。
何はともあれ、気分は悪くない。まだ一口飲んだだけではあるが、気分は高揚しているような気がする。
「なんだか、ご機嫌ですね? 何か良いことでもありましたか?」
「え? ああ、はい。そうですね。良いことはありました」
リヴェルト様の指摘に、私は思い出す。そもそも自分の気分が高揚していたということを。
私の気分が良いのは、アドールのことがあったからだ。お酒を飲んだことは、多分まだ関係がないだろう。
「アドール侯爵令息のことですか?」
「……わかりますか?」
「ええ、お二人は最近一緒に眠っているようですからね。そこで何かあったのではないかと思いました。昼間も色々とありましたからね」
「まあ、わかりますか……」
リヴェルト様は、私の喜びの要因を見抜いていた。
ただ、それは今の私達の状況を知っている彼なら、普通に思いつきそうなことだ。
「……実はお義母様と呼んでくれたんです。義母上とも言われました」
「なるほど、そうでしたか。それはきっと、嬉しいことでしょうね」
「ええ、とても嬉しいことです。でも、本当に重要なのはアドールが私のことを家族だと思っていると、改めてわかったことです」
私は自然と、笑みを零していた。
やはり、アドールと家族でいられるということが嬉しくて仕方ない。
ただ、段々と酔いが回ってきているような気もする。だからだろうか、私の気分はさらに高揚していた。
「お二人の絆は、強固なものですね」
笑顔を浮かべる私に対して、リヴェルト様はそっとそう呟いた。
その呟きは、心なしか寂しそうにも聞こえる。それは私の気のせいだろうか。
「その絆というものを、私はとても素晴らしいものだと思っています。だからこそこれからも、お二人の力になりたいと思っています」
「リヴェルト様、ありがとうございます」
リヴェルト様は、私に対して笑みを向けてきた。
ただ、それは心からのものだとは思えない。なんとなく陰りがあるような気もする。
そこで私は、あることに気付いた。そもそもの話、リヴェルト様は別にヴェレスタ侯爵家の内部の人間ではないのだと。
今の今まで彼にはお世話になってきた訳ではあるが、一体いつまで手を貸してもらえるのだろうか。
ヴェレスタ侯爵家は、今非常に順調に歩んでいる。アドールは侯爵を継いだし、ストーレン伯爵家の協力は得られ、王家との婚約も結べた。段々と、その基盤は固まっている。
リヴェルト様の助力は、もしかしたらもう必要ないのかもしれない。
彼はロナーダ子爵家の次男だ。いつまでも頼ることができる存在ではない。私はそれを、すっかりと失念してしまっていたのだ。
「リヴェルト様、あの……」
「うん? どうかしましたか?」
「その……私は、リヴェルト様にもう少しここにいてもらいたいと思っています」
「それは……」
私の突然の言葉に、リヴェルト様は面食らっているようだった。
なんというか、色々と過程を飛ばし過ぎているような気がする。これでは、彼も何を言われているのかわからないだろう。
もしかして私は、酔ってしまっているのかもしれない。いつもなら冷静な判断が――いや、そんなに冷静沈着という訳でもないか。
「フェレティナ様にそう思っていただけているのは、私としても嬉しい所です」
「そ、そうですか?」
「ええ、しかし、いつまでもここにいられないのも事実です。私はいつか、ロナーダ子爵家に帰らなければなりません。それを少し、寂しく思ってしまいます」
「……私も同じ気持ちです」
私は、リヴェルト様の言葉にゆっくりと頷いた。
私が言いたかったのも、要するにそういうことだ。リヴェルト様がいなくなると寂しくなる。それが私は、嫌ということだろう。
といっても、それは回避することができないことだ。
リヴェルト様には、随分とお世話になっている。そんな彼に対しては、何か恩返しをしなければならない。
それこそ、ワインなどがいいのだろうか。しかし私はそういったものには詳しくはない。そもそも彼もそこまで好きという訳ではなそうだ。それなら一体、何がいいのだろうか。
「あの……リヴェルト様は好きな食べ物などはありますか?」
「……はい?」
リヴェルト様へのお礼を考えていた私は、わからなくなったため、相手に直接聞いてみることにした。
実際の所、それが一番確実な手である。ここで好きなものを聞いておけば、それをプレゼントすることができるのだから、何も問題はないだろう。
「急にどうされたんですか?」
「いいじゃないですか、教えてくださいよ」
「フェレティナ様? もしかして、酔っていますか?」
「え? 酔ってなんか、いないと思いますけれど」
私の言動に対して、リヴェルト様は違和感を覚えているようだった。
しかし私は、酔ってなどいない。意識ははっきりとしているし、目もよく見える。決して酔ってなどはないはずである。
というか、そんなことを言うリヴェルト様の方が酔っているのではないだろうか。実際の所、どうなのかは少し気になる所だ。お酒には強いのだろうか。
「いいえ、絶対に酔っています。いつものフェレティナ様らしくありませんよ」
「いつもの私って、どんな感じなんですか?」
「どんな感じ……まあ、冷静といいますか。もう少し論理的な会話をしてくださると思います」
「今の私は、論理的ではありませんか?」
「ありませんね」
リヴェルト様は、なんだか妙に辛辣であった。
いつもの彼ならもう少し優しいため、やはり酔っているのかもしれない。
「フェレティナ様、お部屋に戻ることをお勧めしますよ。私もそろそろ眠たくなってきましたし、お月見は終わりにしましょう」
「お月見? ああ、そういえば、そんな場でしたね……」
「忘れていましたか?」
「いえ、そんなことはありませんが……」
これがそもそもお月見のためだったことは、もちろん把握している。
ただよく考えてみれば、私はそこまでお月様を見られていない。これで終わりだというなら、きちんと目に焼き付けておくべきだろう。
改めて見てみると、綺麗な月だ。アドールにも見せてあげたいが、彼は今夢の中にいるだろうし、起こすのは可哀想である。
「私が付き添いますから、部屋に戻りましょう」
「付き添いなんて、そんな……」
「さあ、こちらに来てください」
リヴェルト様は、私の手を少し強引に引いてきた。
そんなことはしなくても、部屋には戻れる。そう思った私は、思っていたよりも足取りがおぼつかなくて驚いてしまう。
もしかして、私は酔っているのだろうか。そういえば、お酒を飲むのは久し振りだ。そもそも自分がお酒に強いかどうかも、よくわかっていないような気もする。




