第1話 心地良い生活
ヴェレスタ侯爵アドラス様との結婚は、喜ばしいこととは言えないだろう。
もちろん、フォルファン伯爵家としては、侯爵家との婚約は利益であるといえる。ただ、これはヴェレスタ侯爵夫人が早逝したことでもたらされた結婚だ。この結婚の裏には、深い悲しみがあるということは、決して忘れてはいけないことである。
「フェレティナ、少し良いだろうか?」
「はい、なんですか、アドラス様」
「ロナーダ子爵と領地間の道の整備について話すことになった。いつもは、あちらの方から来てもらっているのでな。偶にはこちらから訪ねることにする。故に、しばらく家を留守にすることになるのだが……」
「わかりました。家のことはお任せください」
アドラス様は、とても紳士的な方だった。
彼は私のことをいつも気遣ってくれている。それは私にとっては、嬉しいことだ。
後妻ということもあって、色々と心配な面もあったが、今の所は特に問題も起こっていない。順風満帆な生活を送れているといえる。
「いつもすまないな。いや、本当に助かっている。君を妻に迎えられたことを嬉しく思っているよ」
「……急にどうされたのですか?」
「改めてお礼を言いたくなったのだ。君が来てから、もう一か月になるだろう。それが区切りという訳でもないが、ありがとうと言っておきたい」
「いえ、私は別に特別なことはしていません。侯爵夫人として、当たり前のことをしているだけですから」
アドラス様が唐突にお礼を述べたため、私は少し驚いてしまった。
しかしもちろん、悪い気はしていない。とても嬉しく思っている。
ただ気になるのは、どうしてそんなことを言ってきたのかということだ。
私はそこに、少し違和感を覚えていた。だが、それは些細なことだろう。偶然そういう気持ちになったのかもしれないし、深く考えても仕方ないことだ。
「それに感謝するのはこちらの方です。アドラス様は、私のことを温かく迎えてくださいました。本当にありがとうございます。感謝しています」
「それこそ当然の義務といえる」
私は、アドラス様にお礼を述べておいた。
いい機会なので、私の方からもそうするべきだと思ったのだ。
それに対して、アドラス様は笑ってくれている。その笑顔を見ていると、私の方も自然と笑みが零れていた。
「さて、それではそろそろ行ってくる。後のことは任せる」
「ええ、いってらっしゃいませ、アドラス様」
私はゆっくりと一礼して、アドラス様のことを見送った。
彼のいない間、しっかりと家を守らなければならない。私はそう思いながら、気を引き締めるのだった。
◇◇◇
「父上がロナーダ子爵家に、ですか?」
「ええ、しばらく留守にするみたいなの」
「そうですか……」
アドラス様が出て行ってから、私はある人の部屋を訪ねていた。
その人物とは、アドラス様と前妻との子供であるアドールだ。
父親が家を開けて、使用人がいるとはいえ継母と二人きりで過ごすことになるため、念のため声をかけておくべきだと思ったのだ。
「えっと、アドールはそのことを知らなかったのかしら?」
「ええ、今フェレティナ様から聞きました」
「そうなのね……」
少し想定外だったのは、アドールがこのことについて何も聞いていなかったことだった。
てっきり、私よりも先に息子に伝えたものだと思っていた。私と二人きりで過ごすことになる訳だし、アドラス様なら息子としっかりと話し合っていそうなものなのだが。
とはいえ、親子とは言えないながらも、私とアドールの関係は悪いという訳ではない。その辺りを考慮して、私に伝えさせることを選んだということだろうか。
「まあ父上も、あれで抜けている所がありますからね。僕に伝えることは失念していたのかもしれません」
「抜けている……そうなの? 私からしてみれば、そんな風には見えないのだけれど」
「父上も格好つけているのでしょう。化けの皮という程ではありませんが、きっとすぐに父上の素がわかると思いますよ」
アドールは、少し悪戯っ子のような笑みを浮かべていた。
基本的に真面目な彼も、こと父親については中々に辛辣なことを言う。
そういった所は、家族故の気軽さということだろうか。私もいつか、そうなるといいのだが。
「しかし父上がいないというなら、僕も少し気を引き締めなければなりませんね。一応、これでも次期ヴェレスタ侯爵ですから」
「一応も何も、アドールが次期ヴェレスタ侯爵であることは紛れもない事実じゃない」
「父上とフェレティナ様の間に男児ができたら、その限りではありませんよ」
アドールは、少し卑屈に笑っていた。
この子はなんというか、年齢の割に大人びている所がある。それは良いことでもあるし、悪いことであるように思える。
特にこういった時は顕著だ。彼は少し、難しく考え過ぎてしまっている。
「あなたが長男であることは変わらないのだから、基本的にはあなたが家を継ぐわよ。問題なんかを起こさなければだけれど」
「問題、ですか……それはもちろん、そんなつもりはありませんが」
私は、少し茶化しながらアドールを宥めた。
言っていることは、紛れもない事実である。余程のことがなければ、彼が家を継ぐことは揺るがない。
私もそれでいいと思っているし、反発する人なんていないだろう。それをわかってもらえると、いいのだが。
◇◇◇
アドラス様が出て行ってから、一夜が明けた。
当然のことながら、特に問題は起こっていない。
まあ問題なんてものは、そんなに起こるものでもないだろう。アドラス様もすぐに戻って来て、いつも通りの生活に戻るはずだ。
「……そういえば、フェレティナ様には兄弟がいらっしゃいますよね?」
「ええ、アドールも会ったことはあるわよね?」
「はい。ご挨拶させていただきました」
朝食の時間、アドールは私に質問をしてきた。
私には、兄と妹がいる。結婚しているのだから当然のことではあるが、アドラス様もアドールもその二人とは面識がある。
ただ、その二人についてアドールから聞かれるのは初めてのことだ。一体、どうしたというのだろうか。私は少し身構える。
「兄弟というものはどういうものなのか。参考までに少し聞いておきたくなって」
「あら、そうなの?」
「ええ、僕も弟や妹ができるかもしれませんからね」
「……まだ昨日のことを気にしているのかしら」
アドールの言葉で、彼が何故そのような話を振ってきたのかが、ある程度わかった。
私とアドラス様の間に子供ができた場合のことを、彼はきっとずっと考えていたのだろう。
そのようなことは、本当に気にする必要がないことだ。多分、子供ができるとしてもまだ先の話だろうし。
「いえ、そういう訳ではないのです。その、こういうことを言うのは少し恥ずかしいような気もするのですが……僕にも兄弟というものには憧れがあるのです」
「憧れ?」
「兄と姉は最早できる余地などはありませんが、弟や妹ができるなら歓迎……と言いますか、嬉しいと思うのです」
「なるほど……」
少し頬を赤らめながら話すアドールに、私は少し驚くことになった。
初めて彼から子供らしいことを言われたような気がする。アドールには少し失礼かもしれないが、可愛らしい考えだと思ってしまう。
ただそういうことなら、私としても話をすることに異論はない。とはいえ、実の所あまり明るい話ができるという訳でもないのだが。
「あのね、私は兄弟と……正確に言えば妹と、ね。お兄様との関係は良好だと思っているけれど、妹のヘレーナとはあまり仲が良いという訳でもないの」
「……そうなのですか? そんな風には見えませんでしたが」
「もちろん人前では普通に振る舞っているけれど、内情はそうでもないの」
私はアドールに対して、妹との仲を赤裸々に伝えた。
誤魔化しても良いかとも思ったのだが、彼は賢い子だ。本当のことを話した方が良いと、そう思ったのだ。
「ごめんなさいね、あまり明るい話ではなくて」
「いえ……」
「まあだから、私としてはアドールにそうなって欲しくないから、反面教師として見てもらいたいわね。そのためにどうすればいいのかは……これから考えるとしましょう」
「ええ、そうですね」
私の言葉に、アドールはゆっくりと頷いてくれた。
聡い彼のことだ。今の話で別に弟や妹が欲しくないなどとは、思わないだろう。私のことは私のこととして受け止めて、自分はそうならないようにと心掛けるはずだ。
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