第七節 俺の唯一
第七節 俺の唯一
栞姫が玉梓に拐かされたその日、現八は栞姫の実家である里見義成の屋敷へ行った。ことの詳細を現八から詳しく聞いた義成は驚き、そして玉梓に怒りを露わにした。そして、娘でもある栞姫の安否も心配している。
現八は義成に謝罪をした。
「我が妻、栞は義成様の大事な娘。栞を守れなかったのは俺の落ち度でございます。申し訳ございません」
「謝るな。まさか、玉梓が私ではなく娘である栞を狙ってくるとは思わなんだ。現八よ、八犬士の名にかけて栞を助けてくれ。これは、父としての頼みだ」
「もちろんでございます」
現八は頭を下げた。
屋敷を出ると、目を瞑る。風が吹いて現八の長い髪を揺らした。栞姫の声がしないことに不安と焦りが生まれる。早く助け出さなくては、栞姫の命に関わる。出血もしていることから彼女がどこかしらに怪我を負っていることも想像がついていた。
すると現八は懐からあるものを出した。
それは「信」と書かれた珠だ。彼が八犬士であることを示すもう一つの証だ。
「きっと・・・罰が当たったんだ」
現八は珠を見ながら呟いた。
現八は当初栞姫に対して、良いとは言えない態度と言動をした。栞姫の言葉にしっかりと耳を傾けて、素直になれなくても最初から拒絶せず受け入れていればきっとこんなことにはならなかったと。
これが罰。
「信」の珠。人を信じることを象徴するかのような珠を持つ現八にとって、これほどの罰はない。心なしか珠に力が入る。すると、信の珠が白く光だした。それには現八も驚き、目を見開いた。
珠が光るのは、八犬士が揃って呼応するときや聖なる光を放ち闇を割るときだ。自分の意思とは無関係だが、現八は藁にもすがる思いで珠に力を込めて言った。
「お願いだ。信の珠よ。栞の居場所を教えてくれ。栞にした仕打ちは、俺が必ず身をもって償う。だから頼む! 栞のいる場所を教えてくれ!」
現八が珠を握りながら叫んだ。すると、信の珠から一閃の光がまっすぐと伸びた。その光は、立ち込める黒い霧が発生している方へ伸びていた。
「あそこに栞がいるのか?」
現八に迷いはなかった。現八は襟を正して光のさす方向へ進み出した。
その頃、栞姫は黒い霧の中で目を覚ました。
「ここは・・・。っ?!」
栞姫は顔を顰めた。着物は裂かれ、腕からは血がダラダラと流れている。栞姫はここまでの経緯を思い出す。読書をしている最中に黒い霧に包まれ、対抗した瞬間に玉梓の幻影に襲われてなすすべなく拐かされたのだった。
すると栞姫の前に玉梓が現れる。
「ようやくお目覚めかい? 栞」
「あなたは・・・玉梓?! 我が里見の国に呪いをかけた魔女」
「魔女? あははは、酷い言いようだねえ」
玉梓は栞姫の腕を乱暴に掴んだ。皮膚が裂けるかのような強さに栞姫は悲鳴をあげる。しかし、その目は玉梓を睨みつけて屈しない意志を示している。
「お前は餌だ」
「餌?!」
「八犬士の犬飼現八を誘き出す餌だ。お前を拐かしたことを伝えた時のかの者の顔、絶望した顔をしておった。これほど愉快なものはない!」
玉梓は笑った。
栞姫は自分は現八を誘き寄せる囮であることを自覚した。しかし、栞姫はそれでも冷静でいようと自らを奮う。ここで泣き叫んでは玉梓の思う壺であり、現八にも迷惑がかかると思ったからだ。
「現八様はあなたなんかに負けない。現八様は、八犬士で正義感の強いお方! 必ず、呪いを消す。現八様の長十手が、必ず!」
それを聞いた玉梓の顔は歪んだ。そして黒い霧が栞姫を取り囲んだ。
「随分大口を叩く姫だねえ! そこまであの男を信頼しているというのか? だが、お前を嬲り殺せばあの男はどんな顔をするだろうねえ! あの絶望した顔がさらにどん底へ叩き落とされるのを見れるからな!」
玉梓は呪いのこもった力を手で振りかざす。すると黒い霧は長い刀となって手へ収まった。
玉梓の刃が栞姫に振り下ろされた次の瞬間だった。強い光の一閃が玉梓と栞姫の間を通過した。怯んだ玉梓だったが容赦無く刃が振り下ろされた。栞姫がもはやこれまでか! と覚悟を決めて目を閉じた。しかし、何も起こらない。目を開けるとそこには今すぐに会いたい存在がいたのだった。
「現八様!」
栞姫の唯一である夫の現八だった。現八は栞姫の前にしゃがみ込み、玉梓の刃を長十手で受け止めていた。金属の擦れる音が響く。長十手で玉梓の刃を抑え込み、押しのける。
その瞬間、現八は栞姫へ向き直った。
「栞! 無事か?! 怪我は?!」
「私は大丈夫です!」
「・・・そうか。良かった、本当に良かった」
現八は栞姫を腕に閉じ込めた。栞姫の存在を確認するかのように。そのぬくもりは栞姫も感じている。現八の体はとても熱かった。本当に焦っていたのだろう。額には汗が滲み、体は熱く、呼吸も荒い。
存在を確認すると現八は栞姫を後ろへ下がらせた。
「魔女玉梓! よくも栞を拐かしたな! 俺は信の八犬士・犬飼現八! お前の呪いを断ち切る!」
現八は長十手を構えた。玉梓は高笑いをして現八を嬲り殺してやる! と叫んで襲いかかる。現八は長十手を構え、玉梓の攻撃を抑え込む。力は五分五分にも見えたが、実際は玉梓の方が上手だった。
しかし現八は負けるわけにはいかない。
長十手に力を込めて対抗する。八犬士としての力で押さえ込んでいるが、体はすでに満身創痍。体は傷だらけで気力で立っている。応援を呼ぼうにも他の八犬士はそれぞれで発生した黒い霧の対処に追われてここには来られないときた。
現八は呟く。
「万事休すか・・・」
現八は膝をついた。その様子を見た玉梓は笑う。
「八犬士とあろう者がこうも容易く膝をつくとは・・・。つまらぬ! 赤子の手をひねるようなものだ!」
現八は苦々しい顔をする。
その様子に栞姫は現八へ駆け寄ろうとするが、現八がそれを止めた。栞姫は理由を聞く。現八は顔についた血を袖で拭うと長十手を支えに、ゆっくりと立ち上がった。
「これは・・・俺への罰だ。お前を傷つけてしまったことへのな。栞、お前を探していたときに、八犬士の珠に誓ったんだ。どんな罰も受けるから、お前の居場所を教えてくれとな! 俺は八犬士。俺にとっての『唯一』を守れなくて何が八犬士だ! 八犬士の名にかけて必ず!」
現八の横顔は今まで見た現八の横顔のどれよりも、輝いていて凛々しかった。栞姫は現八を信じようと決めた。
現八は長十手を構え、玉梓へ向かう。
「悪き魔女玉梓! その呪い、俺が断ち切ってやる!」
「やれるものならやってみろ! 信の八犬士よ!」
現八が長十手を構えた瞬間だった。懐にしまっていた珠が光を放つ。現八は珠を取り出して構える。
「信の珠よ! 俺に力を! この長十手に闇を切り裂く聖なる光を!」
信の珠から放たれた強い光は現八の持つ長十手をまとう。その瞬間、右頬の痣も疼き出す。八犬士の力がしっかりと発揮されている証拠だ。
「なんだ、この忌々しい光は!」
玉梓が長十手の放つ聖なる光に怯んだ。現八は長十手を構えて、玉梓に攻撃を仕掛けた。長十手の光がまるで玉梓を縛る鎖となって襲いかかる。
その光で玉梓は苦しみ、断末魔をあげた。
そしてその間に現八は長十手で玉梓の体を抑え込んだ。長十手は刃物ではない。刀ではないため、切れない。長十手は捕縛などに使用される制圧する武器だ。八犬士の聖なる珠から放たれた光が玉梓の体を拘束し、そして現八も玉梓の体を長十手で抑え込んだ。
もう玉梓は動けない。
「・・・勝負ありだ」
現八が言った。すると、腰に下げていた短刀を抜いた。そしてそれを玉梓の首にかける。この短刀が引かれれば、玉梓は永遠に闇へと葬られる。つまり玉梓の呪いの終焉を迎えることになる。
「玉梓。お前の呪いをここで断ち切る」
すると玉梓が笑う。
「妾の呪いを断ち切る、だと? 笑わせる。誰かが恨み、辛み、嫉妬を重ねればまた種がまかれる。呪いを連鎖を止めることは叶わぬ! ここで終わりと思うな」
「・・・八犬士を舐めるな。栞に手を出したこと、あの世で悔い改めろ」
現八はそう言うと短刀を引いたのだった。
その瞬間に、玉梓は断末魔をあげて黒い霧と共に姿を消し、現八と栞姫は霧の外へ追い出されたのだった。




