第二節 栞姫
八犬士の一人・犬飼現八は対面の間に座っていた。彼の八犬士としての功績を讃え、彼の妻として里見義成の六女・栞姫を迎えることになった。
顔に牡丹柄があることをよく思っていない現八は布で顔半分を隠して対面に臨んだ。
現八が頭を上げるとそこには美しい黒髪に藤色の着物を着た、女性が現八をまっすぐと見つめていたのであった。
「信の玉を持つ八犬士、犬飼現八様。私は里見義成の六女・栞と申します。貴方様の妻としてこの身を捧げ、尽くすことをここに約束いたします」
現八は静かに頷くだけだった。現八の顔を隠す布が気になる栞姫だったが、初対面の相手に対して失礼だろうと感じ、何も触れなかった。しかし現八は彼女が目を逸らさずに自分をまっすぐ見据えていることに違和感を感じてしまう。
「栞姫さま」
「いいえ。現八様。私は本日より貴方様の妻でございます。どうぞ、栞と」
「あ、ああ。では、栞」
「はい、なんでございましょう?」
栞姫が顔を上げて現八を見据えた。現八は栞姫と自分を内心で比べていた。自分の右頬には八犬士の証である牡丹柄の痣がある。その痣はかなり目立つ。それによる差別も多少は受けてきた。今顔を隠す布を外せば、目の前にいる栞姫は驚いて逃げ出すと。
「あなたは残念だ」
「・・・残念? 一体何のことを」
首を傾げる栞姫をよそに現八は顔を隠していた布を外したのだった。栞姫は目を見開いた。現八のキリッとした顔とその右頬にある牡丹柄の痣。
栞姫の反応は予想通りだった現八はふっと皮肉めいて笑った。そして栞姫に吐き捨てるのであった。
「こんな人相の男の妻になる。屈辱と恐怖でしかないだろう。俺は嫁が欲しいとは思っていない。これに懲りて俺の妻になるというのは考えなおせ」
現八がそう言うと、栞姫は言葉を失った。まさか夫から突如として別れを切り出されるとは思わなかったからだ。しかし栞姫は現八の言葉に怯むことはなかった。現八のそばに擦り寄り、両手で顔を包んだのだった。
「考えなおせは愚問でございます、現八様。私は自らの意思であなた様へ嫁ぐことを決めたのです。こんなにも美しく、優しい顔をしたあなた様に屈辱と恐怖など感じません」
栞姫の言葉に現八は非常に驚き、今自分が何をされているのか理解するのに時間がかかってしまった。八犬士として幾多の戦いを乗り越えてきた尊いその人に、栞姫は最大の敬意を表していたのであった。
「風変わりなお姫様だ・・・」
現八は目を逸らして呟いた。
それを聞いた栞姫は静かに笑った。
「私は正直に言ったつもりなのですが」
「栞!」
現八は照れて声を荒げてしまったのだった。
こうして信の玉を持つ八犬士・犬飼現八は里見の六女・栞姫を妻に迎えることとなったのである。