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第六話『決闘前夜』

 ──改めて教室を見まわしていると、色々な事に気づく。


 翌日の『決闘遊戯』について噂話をする者、最近の流行について話している者、貴族としての責務を面倒だと嘆く者、授業について会話する者。

 貴族といえども、比較的家の格式から解放された空間ではこんなものだ。それが良いか悪いかは大人たちが決める事だが、少なくともこの数年間は将来、家を背負っていくうえで掛け替えのない経験になるのだから、悪くはないだろう。


 この場で得た人間関係は貴族社会での身の振り方にも繋がるし、貸し借りや情報は大いに役立つはず。加えて、商人や平民などにとっては自分の人生を変える絶好の機会だ。貴族王族とのコネクションは人一人の人生ぐらい、簡単に変えてしまう。


 そう考えれば、この学校はよく考えられた箱庭である。この学校にいる何人の生徒がこの先の世界を担う存在になるのか、想像が出来ない。警備体制は万全と聞いたが、この学校が例えば丸ごと潰されたら損失は幾らになるのだろうか。


思惑が渦巻き、魑魅魍魎が育つ蟲毒。

それが、オルティス公国寄宿学校マギスティアである。

 

 ──その最たるものが、これか。


 クロエは掌に持つ、決闘遊戯の規則書ルールブックに目を通す。分厚くもなく、かといって薄くもない程度の本だ。

 この世界において本というのは基本的に高価な物だが、少なくとも時計よりかは手が届きやすい。そして、『決闘遊戯』ともなればマギスティアにおいて最も大事な概念であり、故に、場所は限られているが教場には規則書が置かれている場合もあるのだ。


 ただ、少なくとも中等部三年になってまで規則を把握していない者はいないらしく、置いてあるだけの無用の長物と化していた。

 だからこそ、クロエが自分の手元に置いてじっくり読む事が出来ている。


「──そこで、ローヴデリア出身の少年が」


 現在は『オルティス憲法』の初回授業中だ。

 基本的にクロエは授業をまじめに聞く性格だが、この授業は少し『オルティス史』と被る。つまり初回は丸ごと『茶会神話』の説明に費やすため、もう知っている以上暇なのだ。

 

「……」


 講師の言葉を右から左へ流しながら、規則書を読み進めていく。

 

 内容はそう突飛な物ではない。文字で記された茶会神話と、決闘の際に守るべき規則、神話に対する考察や、後は本を作った編集者についてなど、一般的な範囲だ。

 

「……なるほどな」


 だが、そんな内容でも知らないクロエからしたらありがたい。色々と学びはあったし、明日の決闘遊戯のために色々と予習が出来た。たとえ自分が決闘をする事があっても『常識知らず』とまでにはならないはずだ。


「それでは、今回の授業はここまで! 次回からは憲法第一条から第三条について詳しく話していきます」


 鐘の音と共に講師が授業の終わりを宣言。

 すると、生徒たちは水を得た魚のようにして椅子を引き動き始める。


 ──さて、俺も移動するか。


 規則書を読んでいたクロエは、鞄に荷物を詰めた後、本を教室の本棚へ返した。そして手首を曲げて肘を張り、鞄を背中に垂らすいつものスタイルで教室を出ていく。


 オルティス憲法の授業については友人と共に取っていないため、このように一人だ。だが普段友人に囲まれているせいか、逆に一人で行動するというのは新鮮だ。

 そのためか他者の存在を気にする事もなく、人の観察や調べ物に集中できた。


 廊下へ出て、次の授業の教場へと向かう。一人が新鮮、とは言うが、次の授業ではすぐに元通りである。それが嫌だとは思わないし、むしろ面白い。

 親友・・の『人間は一人になりたい時があるんだ』という言葉が不思議と脳裏を過った。


「……お?」


 生徒たちの喧騒を眺めつつ廊下を歩いていると、目の前から複数の女子生徒たちが足早に──否、ほぼ走っていると言える速度でやってきて、すれ違う。


「──ほらほら、行くよお姉ちゃん!」

「ロアー……引っ張らないでくれよぅ」

「あっはは、リア姉さまが遅いんですよ!」

「そうです! 背中押しますから、急ぎましょう!」

「わかったわかったからぁー……」


 すれ違ったのは、ロッドプレントの双璧たちだ。

 彼女らはクロエの横を駆け足で通り過ぎていく。


 なんとなく視線で追ったために認識できたが、笑顔を浮かべたロアが、リアの腕を掴んで強引に前に進ませていた。

 ではリアは嫌がっていたのかと思えばそうではなく、浮かべていた苦笑いにはどことなく慈愛があったように思える。


 どちらかといえば印象に残ったのは、他の女子生徒たちだ。

 言葉遣いや態度から伺えるが、恐らく彼女の取り巻きであろう者たち。


 ──その中の一人は、ティトピアが追い払った生徒である。


「……」


 別にそれ自体に思う事はないが、なんというか、思っていたより仲がいいのだなと感じている。

 てっきりリアは恐怖心かなにかで子分たちを率いているのかと思っていたが、そんな事はないようだ。むしろどちらかといえば彼女は振り回される方で、ロアこそが集団のリーダーという印象を受ける。


「……そんなタチじゃねえだろ、お前」


 クロエだからこそなのか、それとも他人も感じているのかは分からない微細な違和感。リアへ向けられたものなのか、ロアに向けられたものなのか。

 喉に刺さった魚の骨のようにして、クロエは曖昧な言葉を吐き捨てた。


~~~~~~~~~~~~~~~~


「だーーー! つよっ!」

「クロエ腕上げたなぁ。何があったんだよほんと」

「まさか誰も勝てないとは」


 一人は横たわり、一人は膝をつき、一人は壁にもたれ掛かるようにして、少年たちは口々に言う。動きやすい軽装、手に持っている木剣や木槍──彼らは、模擬戦をちょうど終えたところであった。


 マギスティア寄宿学校訓練場。

 それは、三柱のうち『武術』及び『魔法』の研鑽を行うためには欠かせない場所である。まだ太陽が落ち切っていない時間帯である今。彼ら以外にも多くの生徒が訓練を行っていた。


「水魔法得意だっけ?」

「さあ? 前を知らねえから分からねえよ」


 尋ねられた疑問に、クロエは真顔のまま答える。彼の友人である少年たちが道具を持っているのとは対照に、クロエは何も持っていなかった。

 合う武器が見つからないとかそういう理由ではなく、単純に武器を必要としないからである。彼の戦闘スタイルは魔法『海凪』を基本とした『殴る蹴るステゴロ』。故に、いついかなる時も全力を出せるのが強みだ。


 この日、クロエは友人たちと訓練場に赴いていた。本当ならば昨日に行く予定だったのだが、部屋の掃除をするという予定を優先させてもらったのだ。なお、その予定すらもティトピアのせいで潰れたのはご愛敬である。


 そんな訳で、延期になってしまった約束を果たすためにこうして訓練を行っていたのだ。

 内容は模擬戦。

 一対一を繰り返す総当たり戦であったが、クロエはその全てで勝利を収めた。


「ところでどうよ、訓練場は」

「ん……おう、良いところだな」


 周囲を見まわし、全体を今一度把握しながら答える。


 マギスティア寄宿学校の土地は、広大だ。ともなればその柱の一部を担うと言っても過言ではない場所、訓練場も同様に巨大である必要がある。

 第一訓練場から第五訓練場まで存在し、それぞれ別々に管理する職員を配備。様々なシチュエーションに対応した設備を搭載。その上で生徒たちの為に武器や道具まで完備している。


 訓練場の一部には魔法に強い素材──魔力による防壁を携えた魔防レンガを使用しているという。事前に申請をすれば訓練場の貸し切りなども可能で、至れり尽くせりとはまさにこの事だ。

 クロエがマギスティアに帰ってきて以降、この学校が名門であるという認識を最も強くしたのはこれだ。流石は各国から逸材が集まるマギスティアである。


 現にいまクロエたちがいる第二訓練場も、魔防レンガは使用されていないが数十人が一堂に訓練を開始しても大丈夫な大きさを誇る場所だ。


「にしても不思議だよな。記憶喪失で、帰ってきたら強くなってるなんてよ」


 クロエの感想を聞き終えて満足したのだろう。それぞれ少しだけ頷くと、次に一人がそう切り出した。話の切り替えの早さは思春期特有のものである。

 すると、それに反応するように別の一人が指を立てた。彼は何度もクロエを誘ってくれている彼である。


「性格も変わってるしな。顔は同じだけど……明らかに背は伸びてる」

「髪色もだ」

「なあ、クロエ。本当に記憶喪失なのか?」

「おう」


 尋ねられ、クロエは即答した。

 口ごもる必要も、戸惑う必要もない。それは事実・・だからだ。


「なんも覚えてねえんだよ。気が付いたら実家の……アリアンロッド領の敷地内で倒れていたらしい。目覚めたらこんなんで、魔学者が言うには『帰巣本能』ってやつらしいぜ」


 嘘ない。

 ただ不可解なだけだが、クロエが記憶喪失である以上事実は不明である。


 事実、クロエは記憶喪失の帰ってきた息子として家族に迎えられた。当初両親は戸惑っていたし、混乱もしていたが、息子が帰ってきたという事実が先行したようであまり気にされなかった。

 何より彼が『クロエ・アリアンロッド』であるという事実は、顔立ちを見ればわかる。


 それ以上に決定的だったのは、彼の血液である。血と血を照合しその血族かどうか判断するような魔法はないが、魔法具──武器や道具が注ぎ込まれた魔力と融合し、偶発的に魔法を内包した物──の中には、自分の血族を指定し、血液を使用する事で鍵を開けるという物が存在する。


 偶然、アリアンロッドの家宝はそれに該当する物だった。

 そしてクロエがそれを開けた事で、彼がアリアンロッド一族であるという証明がされたのである。


「へぇ、不思議な事もあるもんだ」

「不思議と言えば……明日の『決闘遊戯』だよな!」


 ──切り替え早いなコイツら……いやまぁ突っ込まれないほうが楽でいいけど。


 早速次の話題に移った友人らに対し、クロエは若干呆れた顔をしながら内心ごちる。

 それに気づく事なく彼らは話を続けた。


「例年三年の最終学期に解禁されはするけど、大体は高等部に入ってから『決闘遊戯』が起こるって聞いたぜ。だから今回の事は高等部の先輩たちも注目しているらしい」

「へぇ、面白いな」

「でも明日は『天曜てんよう』だからな。観戦する人が何人いるかはわからないと思う」

 

 『天曜』とは、要するに休みの日だ。 

 となれば当然学校の講義も存在せず、寮生活を行う生徒たちは、もしオルティス公国に実家があるのなら帰省する生徒もいるし、そうではない生徒も繁華街で遊楽と興じる者もいる。


 決闘遊戯は確かに大きな行事だが、絶対ではない。観戦も義務ではないとなれば、どれほどの人物が足を運ぶかは明日にならなければ分からないだろう。


「おっ……」


 訓練後、そうして雑談を繰り返していたクロエ達だったが、友人の一人が視線を別のところへ向けながら声を漏らした。

 自然と皆でそちらを見れば、すでに多くの生徒たちが帰寮を開始している。太陽も落ちた頃だ。


「──っし。じゃあ帰るか」

「さんせ~」


 一人が言いながら膝を叩き、起き上がれば、追随するように残りも立ち上がる。向かう先は訓練場の横に備え付けられた更衣室だ。訓練を行い、汗が出るのはしょうがないとしてもそれを放置するのは不快でしかない。それにそのまま寮へ帰れば渋い顔をされるのは必然である。


「よし、行ってこい」

「いやいやクロエ。お前も行くだろ?」

「俺はいい──汗かいてねえから」


 不自然かと思い、一応着替えた訓練着の胸倉ら辺を摘まみ、見せる。そこには一滴の汗すらついておらず、着替える必要なんてないだろう。

 この程度ならば寮へも直帰できる。部屋で着替えれば面倒が減るので、そちらの方がクロエにとっては都合がよかった。


「なんでだ……」

「いや、俺ほとんど動いてねえし。全員カウンター一発だったし。雑魚だったから」

「くっそ、なんでほんとコイツ強くなったんだ……」


 クロエ達の模擬戦。

 模擬戦、といえば聞こえは良いが、クロエと誰かが戦った時のほとんどは一撃で終わっていた。隙だらけの懐に拳一発KOである。


 そんな事を繰り返していれば、いくら時間をかけようとも汗はかかない。ほかの奴らがやっている時は休憩する時間すらあったのだ。


「そういえば、昨日の雨の時も───お前濡れてなかったよ・・・・・・・・・・

「借りた傘が大きかったんだ」

「へぇ……じゃあまあ、お前は待ってろよ。混んでなければすぐ戻ってくるわー」

「あいよ」


 適当に話を流し、クロエは更衣室へ向かう面々に手を振る。

 

「……不快だったから水全部追い出したのはやりすぎだったか」


 呟きが聞こえない程度の位置まで遠ざかったのを確認すれば、クロエは少しだけ昨日の反省をする。


 ──水元素魔法を使えば、自分の衣服や体表の水分などを完全に追い出すことも可能だ。昨日は肌に吸い付く衣服の感覚に嫌気が指し、思わず魔法を使ったが、次からは控えるべきだろう。


 過ぎた魔法を使えば目立つだけだ。有名人になりたい、最強を目指したいなんて目標があればそれも良いかもしれないが、目下の目的は『常識』の学び直しである。


「……さて、アイツらが帰ってくるまで暇だし、魔法の確認でも──」


「クロエ君」


「あ……?」


 完全なる、認識外からの声。

 友人たちとの距離が離れて油断していたというのもあるのだろう。思わず不機嫌にも聞こえる声を漏らしてしまった。


「おや、気分を損ねたかなー……」

「違う。そんなんじゃねえけど、突然話しかけてくるのが悪い」

「足音出たままだったけどね。ワタシは足音消せないしー……それに隠れてもないしー」

「はいはい俺が悪かったうるせえなおい」


 頑なに認めない態度に、クロエは思わず頭の後ろを掻きながらため息をつく。

 隠れてはいなかったし、足音も出ていたし、なんなら手を振っていた。こちらが悪いと言われればその通りだが、認めてしまうのも癪だと思うのは相手・・が相手のせいだろう。


「そんで、何の用だよ──ロッドプレント姉」

「ミセリア~」


 白衣の袖で口元を隠すが、それでも目元から笑みを浮かべている事が丸わかりな少女──ミセリア。『ロッドプレントの双璧』の片割れである彼女がそこにはいた。

 怪しく油断できない雰囲気とは裏腹に、間延びする言葉遣い。相変わらず不思議な女である。


 リアはクロエの言葉に、少しの間黙った。

 考えているのか、それとも躊躇しているのかは定かではないが、目線はこちらに向いたまま。普段なら急かす事でもないが、突然来られて対応させられている現状は面倒だ。少しだけ溜息を吐いた。


「そうだねぇ……ワタシは、単調直入な言葉が好きだ」

「へぇ」

「言った時の相手の相手の反応が好きだし、話題が早く進む。慎重に言葉を選ぶ必要はあるにせよ、気を遣わなくてよい関係ならばメリットの方が多い。なにより明朗で曇りがない。魔学者であるワタシ好みだからねー……」

「発言と同時に矛盾するとは器用な奴だな。そのお前の言葉がもう既に単刀直入でも何でもねえ、っていうのは言った方がいいのか?」


 好みかどうかは知らないが、少なくとも彼女の言葉は単刀直入でも何でもない。そういう風に指摘すれば、リアは再び笑みを浮かべた。


「地雷を踏んでしまわないか考えているのさ。言っただろう? 『気を遣わなくてよい関係』ならと。この言葉はワタシなりに、君には気を遣っているよという意思表示のつもりだったんだけどね」

「気遣いねぇ……」


 相手の狙いが分からず、クロエは相手を見つめる。

 利点がない。気を遣い、言葉をわざわざ考える利点が。そんな殊勝な事をする性格ではないだろうし、何かしらの目的の上だと考える方が自然だ。


「もう一度聞くぞ、何の用だ」

「おや、単刀直入がお好みという事らしい。なら良いだろうー……」


 少し、息を吐いて。

 口元に置いた袖をどかし、彼女はわざわざ姿勢を正して、笑った。


「──クロエ・アリアンロッドくん。君、本当は記憶喪失・・・・なんかじゃないだろう~?」


「……!」


 咄嗟に、魔力が飛び出しそうになった。

 それに単純な魔力ではなく、この場合殺気の混じった凶悪な代物が。そんな物騒なものを放出しては穏便に済まなくなる。だからこそ、クロエは凶悪な『本能』を抑えた。


 クロエの様子に気づいていないのだろう。返事がない事に対し続きを促されていると感じたのか、リアは言葉を続けた。


「ワタシの『情報』では、君は知恵はあるが魔法と身体能力は優れている訳じゃなかった。むしろ、それらが得意じゃないからこそ、智慧を磨いていたはずだ」

「……」


 彼女の情報網は甘くない。恐らく、学校中に自分の手先を置いているか、魔法か何かで情報を回収しているはずだ。

 でなければクロエのように役職にもついておらず、功績を残していた訳でもない一般生徒の情報をここまで知っている訳がないのだから。


「それに、昨日見せたあの──『海凪』という魔法、いや、魔法と体術の混合かなー……? ワタシは水元素魔法に詳しくはないけど、あれがそこまで難しい魔法でない事はわかる。となれば~……」


 首を傾げ、こちらを射抜く。


「……技術と、経験で補っていると考えるのが丸いかな」


 どう? ばかりに、今度は首を下げ上目遣いでこちらを見つめてくる。

 だが、そうされてもクロエは答えない。ただ真顔のままリアへ視線を合わせるのみ。すると彼女は、再び言葉を続けた。


「君は一体、誰なんだ?」

「俺はクロエ・アリアンロッドだ」

「だが、説明がつかない。あまりに乖離している」

「根本的な部分は変わっていない。だからこそ、俺の友人たちは俺を受け入れてくれている。なにより、血液は『アリアンロッド家』の物だと判明しているし、顔立ちもそのままだ」

「うん? そうなんだ。それは……」


 リアは少し悩むように顎に手を当てる。

 クロエの言葉に対し、虚偽を疑わないのは、調べればすぐに分かる事だからだろう。その場しのぎの嘘とも取れなくはないが、その場合次のタイミングでは更に逃げられなくなる。


 頭の回転が速いようで、彼女が言葉を失くしたのは数秒間。

 すぐ笑みを浮かべた。


「となると、中身だけという風になるのかな……」

「何が言いたい」

「精神だけ。精神だけが、クロエ・アリアンロッドの物と変わった……そう考えると、辻褄が合う気がしないかい~?」

「はっ、さてな」


 鼻で笑い、吐き捨てる。

 そんなものはあくまで推察だ。証拠はないし、なによりクロエが『クロエ・アリアンロッド』である事は事実。邪推をされたところでどうしようもない。


 なぜなら、彼は記憶喪失なのだから。


「お前こそ、色々と矛盾しているだろ」

「話題逸らし~」

「だが事実だ」


 何時までも主導権を握らせている訳にもいかず、クロエは渋々ながらもリアを問い詰める。


「最初は妹の方がお前と子分たちを引っ張ってるんだと考えてた。性格的にも妹の方が人を引き付けやすいし、何より行動的だ。お前が研究者だというのも影響しているだろう。研究者は往々にして暗い人間が多いと聞くからな」

「実際そうだよー……ロアは我儘でね。ワタシはいつも引っ張られているんだ」


 口を白衣で隠すリアは、微笑むだけ。

 思い出されるのは昼間の廊下の光景だ。ロアがリアの手を引き、それを子分たちが追従する。笑いながら移動していた事から、それが日常である事は疑いようがない。


 だが。


「──全部、お前が仕組んでいるんだよな?」

「……へぇ~?」

「『妹に振り回される研究者の姉』──って立場は、都合がいいだろうからな」


 思い返せば、矛盾点はいくつかあったのだ。

 別にそれを問い詰めるつもりもなかったが、相手がこちらに仕掛けてくるのならば話は別。


「一番大きい違和感は、『決闘遊戯』の報酬についてだ。ティトピアは虐められてた女子生徒の安全、ロッドプレント妹は謝罪の要求。そして、お前はティトピアに対する自分の研究への支援要請。──明らかにお前だけ得してるよな」

「……」

「あと、お前はティトピアの助けたヤツの家を潰すって言った時、妹に耳を塞がせていた。魔法も使ってたから多分聞かせないのは一回だけじゃないんだろう。つまり、常習犯だ」


 どうだ? と、意趣返しのようにしてクロエは首を傾げる。

 だがリアは答えない。笑ったままこちらを見つめるだけだ。


 ──そっちがその気なら、いいだろう。


 どうやら相手も聞く姿勢に入っているらしい。ならばクロエも、更なる証拠を出すだけだ。


「加えて、今朝流れていたお前たちとティトピアの噂。『情報』を資本だと語っていたお前だからこそ出来る事だ。そして大体の場合、世論を動かし少しでも有利な状況を作り出すってのは手慣れたやつのやり方だろ」


 関係がないとしても、知らない周囲の誰かの声というのは、自然と聞こえてくる。その中に自分を批判する言葉があるというのは多かれ少なかれストレスだ。

 知らない人間にすれ違いざまに暴言を吐かれて不快にならない人間はいない。例えそれがお人好しだったとしても。


「これだけならお前たち二人……ひいては、子分も加えたロッドプレント勢力による画策だと思わなくもない。お前が全員の意見を受け取り、策を練っているだけだとな」

「その通り。みんなで考えた作戦──」

「だが」


 クロエの言葉に便乗し、言い訳をしようとした少女に釘を刺す。


「──お前、中等部にしては賢すぎるんだよ」

 

 そう、それだけが、彼女の弱点だ。


「策の練り方、手段を選ばない残忍さ、隙を与えない行動力。それら全てが優れていて、お前を相手に理論で戦った場合勝てる同年代はまずいない。高等部は知らねえけどな」

「……」

「お前だけが、目立ってる」


 ロアという少女は十分優秀だ。武術は噂を聞く限り素晴らしい成績を収めているし、魔法だって悪くない。頭の回転も遅くはないだろうから、学問ならばそこまで悪い成績は残さないだろう。


「妹や他人を隠れ蓑にするのは正解だ。そうしなければお前の犯行だとバレるからな。──でも足りねえ。お前を隠すのには不十分だ。優秀であり、謙虚だからこそ今のお前があるとしても、賢すぎる故に隠れていない」


 つまり、ロアたちを自分の隠れ蓑にしていても、意味がない。彼女らがリアという才覚を隠すにしてはまだ小さすぎる。

 優秀な人間ほど、自分がどれだけ優秀かを気づかない。なぜなら上ばかり見るからだ。


 ──それが、今回の流れにおいて、彼女にたった一つ明確に存在する隙である。


「まだ、説明はいるか?」

「……っはは」


 少し喋り過ぎたか、と後悔するも、口から出た言葉はかき消せない。

 自分の事を誤魔化そうとしてつい饒舌になってしまった。だが久しぶりに感情のまま言葉を吐きだしたのは、正直悪い感覚ではない。ある種のストレス解消と似ている。


 表情を変えずに返事を待っていると、彼女は浅く笑った。


「──その通りさ。あぁ、その通りだよ。ワタシが全部を後ろから支配している」

 

 話し方はいつも通りで、表情も変わらない。唯一つ変化したのは、まるで『自分は脇役です』と言わんばかりの雰囲気が消え、自我が出ている事だ。

 彼女は笑みを深めながら、肩を竦める。


「そっちの方が都合がいいからねー……ロアは君の言う通り、武術と魔法に関しても天才的だ。だからこそ、自分の思うが儘に操った方利益になる」

「……は、この野郎、言い切ったな」


 家族が、利益になると、彼女は言い切った。


 普段のまるで『ロアのため』と言わんばかりにいう事を聞く態度とは大違いだ。つまり、いまクロエに晒している態度こそリアの本音。


 ミセリア・ロッドプレントの本性である。


「──人間とは思えねえな、悪魔の子かよ。性格悪りぃ」

「いやいや、貴族社会じゃこんなの結構ありふれているよ? ──だから、貴族らしいと言ってくれた方がうれしいなぁ」


 純粋で、凶悪で、それでいて妖艶な笑み。

 目の前の少女がありふれているとは、貴族社会とはどんな悪夢だろうか。しかし一概に否定できないところが少し怖かった。


 血統主義、歴史主義、年齢主義。

 貴族といえば、権力を持つがあまり暴走したり、自分の歪んだ欲望を満たす事も多いと聞く。そしてそれらは更に子孫へ受け継がれ、権力を失わない限り歪み続けて行く。


 齢十五歳の少女が邪悪な心を抱えていたとしても、違和感はない話だ。


「じゃあ聞くけれど──そんな人間ワタシは嫌いかいー?」

「……それ聞いてどうすんだよ、気持ちわりぃ」


 言葉だけを聞けば恋する少女の発現だが、目の前のリアがすると寒気しかない。思わず顔を顰めて首を引っ込めるが、彼女はむっとした顔で少し近づいてくる。


「酷いなぁ。暴言は二回目だよーそれ」


 長い袖のせいであまり見えないが、張った袖の形からどうやら二本指を立てているようだ。

 それに対し、謝る気はないので冗談交じりに舌を出せば、彼女は一応満足したように笑みを浮かべた。


「単純な興味さ。君の思考回路に興味がある」

「ほー……」


 何か企んでいるのではないか。

 そんな風に鋭い視線を送るが、一切逸らしてこない。悪だくみしているようにも思えなかった。


「──信頼できるかどうかは置いておいて……悪くはねえ」


 結局、答えても損はないと判断してクロエは答えた。


「策を講じ、自分だけではなく他人を動かし自分の得意分野で勝負を仕掛けようって人間は一定の評価をおける。大体の場合自分を強く持っているし、何より目立つからな。信頼は出来ねえけど」

「それも二回目だー」

「色々振り返ってみろ、バカが」


 再び指を立てる少女に、クロエはそう吐き捨てる。


 リアは、強者だ。

 見た事はないが魔法の成績も優秀で、何よりこの年にして策略を巡らせる頭脳を持っている。学会において論文を提出し、評価を得ている大人顔負けの力と立場すらあるのだ。

 

 再三になるが、信頼は出来ないにせよ認めて良い人間である。


「───いや、シンプルに嬉しいね。ありがとう」


 少しだけ、何時もの笑みとは違う純粋なそれを浮かべて、リアは感謝を述べる。

 今更しおらしい態度を取ったところで印象は変わらないが、相手もそれは分かっているだろう。となると、これは心の底からの感情だ。


「君は凄いなー……強く、賢く、そして底が知れない。簡単に見破られたワタシとは大違いだ」

「……何が言いたい」

「そんな君に一つ言おうか」


 再び、いつもの怪しい笑みに表情を戻すと、リアは顎に手を当てつつ上目遣いをする。人間は下から覗いてくる相手に対して無意識に警戒心を解いてしまう、なんて話を聞いた事があるが、もしかするとそれを意識しているのだろうか。


「──ワタシはお眼鏡・・・に叶ったかな?」

「……なるほどなぁ」


 リアの言葉。それは、クロエを静かに感心させるのには、十分だった。

 だがまだ十分ではない。僅かな言葉で相手を惑わせ、失言をさせる策などありふれている。


「一応、詳しい事を聞かせろ」

「いやなに、君、なにやら私たち……ティトピアくんもかな。色々品定めをしていたみたいだから」


 『観察』。

 リアの言う通り、クロエは色々な生徒たちを観察していた。それはロッドプレントの双璧しかり、ティトピアもしかり、エルフの少女もしかり。生徒ならば誰も例外ではないが、可能性があると判断した者たちを特に見ていたのは確かだ。


 そしてそれをリアは見透かしていた。恐らくだが、クロエの記憶喪失に関して違和感を抱いたのも、その過程でだろう。


「人を品定めするという事は、人を使う、もしくは協力した上で果たしたい『目的』があるという事に他ならない。じゃないと説明がつかないからねー。違うかい?」

「違わねえな」

「どうかな」

「うん? 何がだ?」


 惚ける様にして、クロエは片目を閉じて視線を逸らす。

 視界の端で彼女が頬を膨らませる様が見えた。だが、自分の思い通りに事が進んでいる事に満足したらしく、満面の笑みのまま言葉を続けた。


 同時に、革靴の音を響かせながらゆっくりとこちらに近づいてくる。


「──君の目的の協力者パートナー、ワタシはどうかな」


 一歩踏み出せば届く距離で、リアはこちらを見つめたまま、後ろで手を組んで、首を体ごと大きく横に曲げた。


「なんで俺の隣を狙おうとする」

「理由はさっき言ったと思うけど? ロアを完封するほどの強さを持っていて、魔学者であるワタシでさえ知り得ない魔法の使い方を知っていて、何より底が知れないし、人を引き付ける引力もある」

「お前が得るメリットは?」

「当然、ワタシたち『ロッドプレントの双璧』に対する協力さ。これからの魔学者人生、ロアは武闘家人生を歩む上で、使える物──者は何でも使う覚悟だからね。君ならば様々な状況で役立つだろう」

 

 吸い込まれそうなスペードマークを秘めた紫紺の瞳。ダウナー系で生気のない眼にはいつの間にか未来への展望が映っていた。

 くすんだ金髪が、心なしか輝いて見える。


「……ハッキリ言うぞ」


 クロエは、鋭い視線でそう言うと──強く獣のように鋭い笑みを浮かべた。


「──『無し』じゃ、ねえ」

「……!」


 リアの表情が歓喜に満ちる。

 だが言いたい事はまだ終わっていない。故に、クロエは掌を前に出した。


「粗削りだが、お前は行動力があり頭もいい。魔法学会に認められているぐらいだから実力も申し分ねえ。何かを行う際の協力者として選ぶのにはかなり良い条件だ」

「なら──」


 クロエが言葉を終えたタイミングと、ほぼ同時にリアは言う。

 掌をゆっくりと前に下ろし、上に向けて、まるで舞踏会のダンスに誘うかのように。


「ワタシは君の目的の手伝いをするから、君はワタシの手伝いをして欲しい」


 だから。


「──双璧と」


 クロエに近づき、リアは抱き着いてきた。

 女性特有の柔らかさと年齢に似合わぬ重量がクロエの胸板を刺激する。


「ロアと」

 

 同時に、袖から零れた綺麗な指はクロエの顎へ伸びてきて、強制的に瞳を合わせられる。

 艶めかしい吐息と、上気した頬。

 一度触れれば溶けてしまいそうな唇が、視界に飛び込んできた。


「──なにより、ワタシと共に歩もう、クロエ・・・くん。その為ならばワタシを自由にしても構わない」


 二人きりの世界に、静寂が満ちる。

 それは劇薬とも言えるような言葉だった。相手は血気盛んな十五歳。そんな男の目の前に果実をぶら下げる行為の意味を理解していない訳がないだろうに。


 恐らくダメ押しの行動だったのだろう。成功率を上げるための、必死の行動。


「ふぅ……っ」


 どちらのとも言えない吐息が顔を撫でて、クロエの手がリアの顔に伸び──







「顔がちけえよ、バカ」

「あてっ!?」


 その額に、デコピンをかました。


「……?? へっ? ぅ? な、なに?」


 目の前の現実が受け止められない様に、リアは自分の額に両手を当てる。普段の怪しい表情の一切は取り払われ、そこには驚きを隠せないだけのただの少女がいた。

 こっちの方が全然かわいげがある顔をしていると思うのは、クロエだけではないだろう。


 だが、それ以上に。


「っは……」


 その顔が、間抜けすぎて笑えてくるのだ。


「っはははは! おま、お前、なんだその、っくく……!」

「わら、う──笑う事ないだろうぅ!? こっちは真剣なんだぞぉ~!?」

「くははは!!!! 初めて見たっ!!」


 両手を上下にぶんぶんして暴れる少女に、クロエの笑いは止まらない。

 袖の中に腕があるのも相まって何か不思議な動物の暴走にしか見えない。美術館に飾れば人気が出るのではないだろうか。


「──はは、は──あはは……! はぁ~~~……」


 だが、何時までも笑っている訳にはいかない。

 クロエは自然と動いてしまう頬を引き締めると、ポケットに両手を突っ込んだ。そして、リアが何かを言い出す前に後ろを向く。


「話は分かった。だが、すぐに結論は出さねえ」


 そのまま、クロエは入口の方へ歩いて行く。

 この場にリアがいる以上、彼女をどかすより自分が更衣室へ向かった方が良さそうだ。会話を友人たちに見られるよりも面倒が減る。


「……こ、ここまでしたのに」

「──『無し』じゃねえとは言ったが、『有り』とも言ってねえだろ。これを覆したきゃ、まずは明日の『決闘』に勝て。話はそれからだ」


 足取りを止めて、一瞬だけクロエは振り返る。


「そしたら俺の『目的』も、『正体・・』も話してやる。でも、そん時はお前の事も全部話せよ」

「……!」


 指を突きつけられたリアは、眼を見開いてこちらを見つめた。

 話題を変えてまで明かす事を渋っていた、目的と正体。言い方を変えればクロエの『全て』。決闘に勝てばそれを明かすというのは、とても大きな事である。


 そしてそれは、クロエの協力を取り付ける事に関して、王手をかけたも同然だ。


「……なんで、手を出さなかったんだい? さっきなら私を自由にできたはずだ」

「なんだよ気にしてんのか? 魅力なかったとかそういうんじゃねえ」


 ただ。


「──いま、手を出されなくて心底安心してるお前が理由だよ」

「ッ、はは……」


 汗を流し、恐怖に体を震わせている少女。

 今にも泣きそうな少女。

 

 リアは、その場に崩れ落ちた。


「はは……私もまだ、小娘だったって事だね」

「ま、そうだな」


 クロエは振り返らず、ひらひらを背後に手を振って、訓練場を去った。


「──明日、楽しみにしてんぜ。まぁやりたいようにやれよ・・・・・・・・・・

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