第五話『最新の神話』
「──私は生徒会の者なのですが、明日行われる『決闘遊戯』について知りたいのです」
抑揚のついた声と可憐な仕草で、純白のエルフはそう言った。
「先ほど貴方の側から去っていった方は、ティトピア・ヴァルステリオンさんだとお見受けします」
「おう」
「という事は貴方も決闘の詳細についてある程度存じ上げているはず。よろしければ教えていただけませんか?」
ヴァルステリオンとロッドプレント姉妹の『決闘遊戯』の噂はかなり広まっている。詳細を知りたいと思う生徒が出てきてもおかしくない。そして、そんな風に野次馬根性の話ならばクロエが話す事は何もないのだが、目の前の少女はそんな凡人的な発想で動いているようには思えなかった。
(しかもコイツ、多分中等部じゃねえ──高等部の生徒だ)
身長、顔立ち、佇まい。
エルフとは長寿であり成長の早さは人間と異なる。だとしても、大人びた彼女の仕草などから考えれば分かる話だ。
「理由は? 知りたいだけか?」
「先ほども言いました通り、私は生徒会の者でして」
クスッ、と微笑みながら、少女は自身の胸元、制服に付けている記章を強調した。
神話や童話において賢者が被るような上に伸びた帽子のマーク。そしてその上に『✕』印を描くようにして交差する片手剣と杖。
『智慧』、『武術』の代表例である剣、そして『魔法』──それらが表すのは、マギスティア寄宿学校の掲げる三柱である。
そしてそれらを制服に縫い付け、高らかに掲げるのが『生徒会』。なるほど、納得できる話ではある。
「生徒会には『決闘遊戯』について把握する仕事があるのです。運営などの管轄は別ですが、それでも『生徒総会』ですので。最悪ヴァルステリオンとロッドプレントさんたちにだけ子細を聞けば良いのですが、せっかくならば第三者である貴方からもお聞きできればと思いまして」
「へぇ、なるほどな」
「当事者以外からの言葉も聞ければ、私たち生徒会は迅速に、正確に仕事を遂行出来ます。ですので、よろしければ協力いただけませんか?」
「いや、悪いけど無理だ」
筋は通っている。それに理由も明確だ。
生徒会の記章は制服に縫い付けられている代物で、腕などに嵌めるような物ではない。つまり身分を偽ることが難しく、目の前の少女は生徒会である事は事実だろう。
だが、それでもクロエは断った。
純白の少女の頭が僅かに動き、意外そうに口元が開かれる。
「それは何故でしょう?」
「他人の事情を勝手に話す訳にもいかねえだろ」
それはクロエにとって至極当たり前の事だった。これが単なる噂話や陰口程度ならばその限りではない。だが、今回の事案は、ティトピアやロッドプレント、そして噂を広めている生徒たちを見る限りかなり重要だ。『決闘遊戯』という事柄の大きさはある程度理解し始めている。
ならば、本人がおらず許可もないタイミングで、あくまでも部外者であるクロエがいう事は何もない。それは礼儀に反すると考えるからだ。
同時に少女も考えを理解したのだろう。再び流麗な微笑みを浮かべると、彼女は自身の胸に片手を当てた。同時に耳が上下に少し動く。
「───」
仕草の一つ一つが計算された美しさを持っている。しかしわざとらしいかと言われればそうではなく、内容にかかわらず会話が淀みなく進行している感覚があった。
ただ棒立ちのままポケットに手を入れているクロエよりも、目の前の少女の方が印象が良いだろう。
「ご安心ください。マギスティアの生徒は生徒会を始めとした委員会に協力をする権利と義務がございます。また同時に、生徒会には事情聴取を行う権利もございます。ですのでこの場で話されたことは口外はしませんし、また不義理に当たる事もありませんよ。罪悪感を感じられる気持ちも理解できます。しかし、ここはこの学校のためと思ってご協力いただけませんか? 誰かに聞かれる心配があるというのなら場所を移すことも吝かではございません」
「ほぉ……」
──コイツ、すげえな。
淀みなく言い切った少女に、クロエは思わず感嘆の声を漏らしていた。
話に穴がない。人情の面も、常識の面も、校則の面も全てを潰している。少女の言葉がすべて正しいのなら、話したところでこちらに非はない。むしろ感謝さえされるだろう。そして、彼女が生徒会である事は先ほど明らかとなっている。この状態で嘘をつく事は、相手にとって悪手でしかない訳で──つまりはこちらに話をさせるための完全体勢。
これに反抗するのは変人か、あえて規則を破ろうとする不良生徒ぐらいなものだろう。
──なお、クロエは変人である。
「それでもだ。俺も全容を理解してるとは言い難いし、下手な事を言って混乱させたくねえ。信条として不確かな事は言わないようにしてる。個人的な感情としてあんまり話したくもねえしな。悪いが、全部本人に直接聞いてくれ」
信条として、の下りは嘘だ。だがあまり話したくないのは事実である。
一般的に考えれば少女の言葉に矛盾はないし、筋も通っている。だがクロエにしてみればそれすらも『人としての礼儀』に反するのだ。
「ふふ」
断固として話そうとしないクロエに、少女は穏やかな、それでいて妖しい笑みを浮かべた。
同時に瞠目、数秒後に開眼。一時的に目線という特徴的な部分を隠す事で、自身の瞳を強調している。その証拠に、クロエは吸い込まれる様にて目線を合わせてしまった。
「義理堅いお方なのですね。善い事だと思います──しかし、私も仕事ですので……生徒会には、協力の義務を果たさない生徒に対してある程度の『強制執行』も許可されています」
「強制執行、ねぇ」
「ええ。貴方ならば意味はお分かりかと思います」
見透かすような彼女の視線を受けて、思わずクロエは逸らしてしまう。しかし頭はすぐに回転を始め、ある一つの事実にたどり着いていた。
「穏やかじゃねえなぁ」
「これも皆様の学校生活を円滑にするために必要な事ですので」
恐らく、強制執行の本来の意味はまた別だ。成績への影響や、食堂への立ち入りなど、遠回しな制限などのはずである。
だが彼女はクロエでも分かると言った。ならば話は至極単純。
「……実力行使」
「場合によってはそういう事もございます」
魔法、武術などによる実力行使。
それらを許可されているとは驚きだ。一介の学生組織にしては破格の待遇である。だが、安易にバレるような嘘を少女が吐くとは思えない。
「……はっ、おもしれえ。やってみろよ」
少し考えて、クロエは薄く不敵な笑みを浮かべながら少女と目線を合わせる。
邂逅の瞬間に感じた『ただ者じゃない予感』。少女の特異性は地位、種族、会話の中からでも十分に伺えるが、やはりその真髄にはいまだ触れていない。
実力行使という言葉が本当かは分からない。だが、嘘なら会話を打ち切るきっかけとなるし、本当ならば彼女の実力を探る良い機会となる。
灰色で現実離れした幻想的な瞳。様々な打算を込めた言葉に、比較的感情が伺いにくいその色彩が少しだけ輝いたような気がした。
「ええ──では、そうさせて頂きます」
そして、少女は感情の見えない美しい笑みを浮かべ、耳の上下と共にゆっくりと腰の剣へ手を伸ばす。
かつて親友から聞いた言葉に『色香』というのがあるが──『色』が『香』る。言葉通り一挙手一投足に色が付いている人間をクロエは初めて見た。
無意識に彼女を見つめてしまうのはその滲み出る天凛故だろう。
だからだろうか。彼女が左腰に下げた剣の柄に右手をかけ、力が籠った瞬間。
一瞬だけ逸らされた視線が再び強くこちらを射抜き、指先に純白の魔力が集まった瞬間。
こちらへ飛来する複数の斬撃を明確に認識できたのは。
「『其は我が身を守る胎動』」
鎌鼬のようにして空気を切り裂く飛ぶ斬撃に対して、クロエは咄嗟に動き出す。ポケットに入れた手の内、右手を抜き出すと、広げた状態で目の前に突き出した。
そして詠唱を開始。全身から滲み出した青い魔力が指先に集中していく。
「──『ウォーター・シールド』」
言葉と共に、掌から飛び出した拳大の水玉が弾けた。それは半円を形成し、中心から外側に向けて水流を発生させている。
これは基礎的な水元素魔法の一つだ。水流を伴った半円状の水を発生させ、接触した物理的攻撃をあらゆる方向に受け流す仕組みとなっている。相手の強さが未知数だった故咄嗟に繰り出せるこの魔法を選んだが、余計に魔力を込めておいたため性能は一級品だ。
魔法の展開とほぼ同時、瞬きの合間もない程に素早く飛ぶ斬撃は水球と接触。最初の着弾をきっかけとして、無数の斬撃が水流の盾を食い破ろうとしたが、やがて水流に屈したように軌道を曲げられた。
水に拳をぶつけた様な飛沫の音が鳴り響き、無数の斬撃はクロエに接触する事なく斜め後ろへと飛んでいった。次の瞬間、水盾とぶつかって消耗していたであろう飛ぶ斬撃たちは、空中へと溶けていく。
それ等を見届け、クロエは息を吐きながら魔法を解除。斬撃と共に役目を失った水たちは再び魔力へと還元されていった。
「……魔力の使い方がうめえ。俺の肌を切り裂くか、防がれたら消えるように調整したな」
「貴方こそ、ほぼノータイムの魔法の展開と対応力の高さ、お見事です。それに未だポケットに手を入れたままの事を考えれば、今の斬撃に余裕を崩す程の力はなかったようですね」
少女の飛ばした斬撃は、ハッキリ言って十分な量の魔力は込められていなかった。しかし絶妙だったのだ。例えクロエが魔法を防いでいなくても、彼の皮膚を薄く切り裂いた時点で消えていただろう。反対に防いだ場合はこの通り、校舎などを無駄に傷つける事なく空中で消えた。
対して、少女の言葉も事実だ。ポケットに片手を突っ込んだままで対応できるほどの余裕はあるし、また魔力の展開も高速で行えた自信はある。
互いに言いたい事を言い合えば、次いで彼女は何処からともなく紐を取り出すと、鞘と剣の柄を『✕』印を描くようにして結んでいく。
それは騎士団員などが訓練の際、木剣などでは不足だと判断し場合にする処置だ。鞘と柄を結ぶ事で刀身が飛び出さないようにし、疑似的な実践訓練を可能とする方法。
今の斬撃は牽制。
「ならば、ポケットに手を入れているほどの余裕──それを無くして差し上げます」
次の斬撃こそが、本番だ。
エルフの少女は軽く鞘付きの剣を振り、固定が完全である事を確認すれば構えた。
足を広げ、腰を落とし、重心を安定させた上で、両手で握り、地面に剣の先端をくっつけるような下段の構え。
あまりに滑らかなその構えは、恐らくは何かしらの流派に沿った構えだろう。
「……」
クロエはそれを見て、ポケットから手を抜いた。
体の調子を確かめるようにして掌を開閉し、やがて両手を自由にした状態で腰を落とす。
その構えに名前はない。ただクロエがやりやすい構えというだけだ。変に拳を握るよりも、攻撃や防御へ転じやすい。ただそれだけの、構え。
「……」
視線が交差し、思惑が刺さり合う。
互いに動かない。先に動いた方が負け、とは言わないが、やはり安易に動けば狩られる。先ほどの攻防で相手が一定以上の力量を持っている事は判明しているし、にらみ合いが発生する事は必然だ。
両方とも冷静に戦闘を進めるスタイルである事も起因しているのだろう。
「───!」
次の瞬間、純白のエルフは動いた。
広げた足に力を籠め、両手を前方へ移動させつつ、動き出した。
クロエも追随するようにして動き出す。
自由な構えから転ぶように姿勢を落とし、前傾姿勢を維持しながら。
互いの姿が一瞬にして消え失せた。否、消え失せたという表現が見合ってしまうほど、高速で前方へ動いたのだ。
勢いを維持したまま、二人は自分の矛を全力で振るう。
そしてそれは、完全にお互いの間合いだった。
剣と拳が必殺と化す、超至近距離の位置である。
「──『黎絶なる一閃』」
「──『海凪』」
詠唱は不要。魔法名のみを叫んだ。
エルフの少女の剣が加速する。
下段に構えられた鞘付きの刃は直線───少しの湾曲もなしに完璧な軌跡を描きながら、クロエの脇腹へと放たれた。
即ちそれは、斬撃に関する一切の減衰がないという事。空気抵抗、摩擦などの全てを排除した最も理想的で理論的な一撃である。
鞘付きである事だけが惜しい。真剣であれば、世界を震撼させるほどの一撃であったはずだ。
対して、反対の軌跡を描くようにして水を纏ったクロエの拳が唸る。
左手を前に突き出し、それを戻す勢いすら利用して放たれた拳。容赦なく顔面へと迫る拳は、粗削りだが驚異的な威力を内包した一撃だ。
四肢に任意の量の水を纏い、飛沫の勢いと発生する波によって加速し、同様の現象を拳に起こす事で超高速移動と超威力の打撃を可能とする魔法──それがクロエの『海凪』である。
本来ならばもっと水と調整を必要とする魔法であり、そもそも攻撃魔法ではないのだが、クロエの力量ともなれば瞬時に繰り出せる費用対効果の高い魔法と化した。
「……っ!」
エルフの少女が右から。
クロエまた同じく右から。
それぞれ点対称のように振るわれた必殺の一撃。
防ぐ障害は何もなく、また止める者も無し。
歓喜と羨望に満ち溢れた互いの矛は、寸分の間違いもなく迫り──
「「───!!!!」」
──直撃の瞬間、剣と拳は、激突する僅か数メリルの間隙で停止していた。
だが、それはあくまでも物理的な視覚の話だ。
込められた魔力とエネルギーは留まる事を知らず、純白と群青の魔力は混ざり合い廊下を凱旋する。
魔力衝突、衝撃疾走、即ち暴風。
剣と拳の間から爆発したような突風が発生。互いの髪を逆立てながらも教室のドアや窓ガラスを振るわせ、それによって大気が震える音が連続した。
まるで廊下が少女とクロエに支配されたような不思議な感覚。だが魔力の色が喜びに満ちているせいか、精神は潰れそうなほど苦しいのに心地よいという奇跡的なアンバランス。
しかし、止まった。
廊下を余波で盛大に荒らしながらも、何も破壊することなく終わったのだ。
「……」
「……」
それらが収まった頃、互いの荒い呼吸音だけが聞こえる。
接近に伴い近づいた顔だが、それでも視線は合ったままだった。
──笑っている。
少女が好戦的で、喜びに満ちた顔で笑っている。眼付きだけは強く、しかし口元は上品に。それらがアンバランスではなく完璧な比率で成立していて、それが技術なのか天凛なのかは分からなかった。
「───はぁ」
「……ははッ」
妖艶に、いっそ艶めかしい声を零しながら少女は息を吐く。
同時にクロエもこらえ切れないように笑い声を零した。
「……やめておきましょう。私たちがぶつかれば、校舎が無事では済みません」
「みたいだな。残念だ」
そして、互いに矛を抑えつつ構えを解除する。クロエはポケットに再び手を突っ込み、少女は鞘を腰の戻しつつ『✕』字の紐を外した。
本当なら、そのまま剣と拳をぶつけ合いたかった。その衝突の末がどうなるのか興味が尽きない。だが、己の欲望のままに行動すれば、少女の言う通り校舎が無事では済まないだろう。現に寸止めの余波だけで廊下は震えた。抑えなければ文字通り、破壊の嵐が巻き起こっていた。
互いに凶暴な『本能』を持ち、しかして理性が働いたからこそ、衝突の寸前で留まったのだ。
「ええ──本当に、残念です」
微笑み、目を細める少女からは、心の底からの感情を感じた。その落胆具合はクロエ以上だ。凶悪な『本能』はクロエと同じでも、しかし、単なる戦闘狂と判断するのには少し毛色が違う。
「さて、一先ず貴方から事情を聞くのは辞めに致します」
「……へぇ、いいのか?」
頭を少し振り、クロエはポケットに手を突っ込みながら、同様に髪の乱れを直し尋ねる。男女で考えた時、男の髪はこういう時に便利だなと益体のない事を考えていると、純白のエルフは最後に制服の乱れを直し、佇まいを流麗なそれに正した。
「どういう風の吹き回しだよ」
わざわざ鞘と柄を紐で結び、剣戟を仕掛けてきたのは『決闘遊戯』に関する事情を聞きだすためだったはずだ。
それを辞めるとはどういう了見だろうか。
「至極単純な事です。生徒会は確かに実力行使を認められていますが───しかしそれは、実力行使をしていいという意味ではございませんので」
「……うん?」
要領の得ない話だ。言葉的には同じ意味に思えるが、どこが違うというのだろうか。
眉を顰め、意図を汲み取ろうと唸っていると、エルフの少女は顎の下に手を当てながらクスリと微笑んだ。
「実力行使とはいいますが、はっきり言って実行すれば職権乱用です。例え規則で認められていてもそんな事を繰り返す組織に未来はありません。信頼はすぐに堕ち、実力行使を行えるだけの権力もなくなってしまうでしょう」
「……そんなものか?」
「うふふ、そんなものです」
事実が分からないクロエに対し、少女は心底楽しそうに笑みを浮かべる。
揶揄われている、のだろうか。クロエ自身、自分が変人であるという自覚はあるが故に、今まで僅かばかりの人間関係において上手に回られる事はなかった。初めて体感する未知の感覚に自分が戸惑っているのが分かる。
「じゃあなんで俺にはやったんだよ」
実力行使が認められているが、推奨されていないという事は理解した。次に浮かんでくるのは、なぜその行為をクロエに仕掛けたのかという疑問だ。
『決闘遊戯』は確かに神話に登場するほど大切な行為である。しかし、今この場で純白の少女が、推奨されていない行動に出るほどの事なのか。
言葉遣いや仕草などを見れば、彼女が規則を比較的大切にする人物だというのは見て取れる。ならばそれを覆すほどの理由があったという事になるが、流石に情報が不足していてクロエには伺えなかった。
すると、彼女は先ほどよりも幼くなった──否、年相応に見える顔つきで、こちらに視線を合わせてくる。そして人差し指を立てれば、微笑を浮かべながら口を開いた。
「それは……」
───瞬間、鐘の音が響き渡る。
校舎の上に設置され、授業の始まりや終わりに鳴り響く巨大な鐘が鳴らされた。
今は朝の始業前。そのタイミングで鳴らされるという事は、つまり授業開始の合図である。
なるほど、どうやら時間を忘れてしまうほど熱中していたらしい。そもそもティトピアとの会話を終えた時点であまり猶予がなかった事を考えると、鐘がなるのも納得だ。
「……どうやら話はここまでのようですね」
「おいおい、そりゃないだろ」
鐘の音を聞き、少女は立てた指を下げて肩を落とす。
眉を顰めため息とともに言葉を吐いたクロエも同様の態度だ。ただし、クロエの場合もう少しで疑問が解決しそうだったのに、遮られたという感情もある。
純白の少女は再び笑みを取り戻すと、胸に手を当てた。
「そう仰らないでください。新学期そうそう遅れるのはいけません」
「……そんなもんか?」
「っ、あはは……失礼」
堪えきれないように、一瞬素の笑いが少女から漏れる。すぐさま口元を抑えたが、その声色はクロエに届いていた。
どこが琴線に触れたかは分からないが、クロエの態度は彼女のお気に召したらしい。あまり体験した事がない故に言葉を重ねられないのが残念だ。
「ええ、そんなものです」
「……なら仕方ねえか」
言って、クロエがため息をつけば、少女は背後へと振り返る。クロエとティトピアがこの廊下へやってきた方とは反対。つまり、元々少女が歩いてきた方向だ。
「それでは」
革靴の音を響かせ、規則正しい足音が聞こえる。
その途中、首を傾けてこちらに振り返った。
「私たちはすぐに再会する気がします。その時にまで今日の詳細が分からないのでしたら、その時に」
「……おう」
「では、また会いましょう」
美しい笑みが零れ、彼女は去っていく。
「──クロエ・アリアンロッド君」
「あ……? なんで、名前」
「ふふ」
エルフの少女がもう振り返る事はない。ただ微笑を残すだけ。
確実に聞こえていたクロエの言葉に反応する事なく、廊下の向こう側へと消えていった。
「───」
しばらくの間、クロエは少女の消えた先を見つめていた。
それが数秒なのか、数十秒なのか、数分なのかは最早分からない。
──普段行わない実力行使。
────なぜだか知られていた名前。
──────少女の見せた凶悪な本能。
「っははは、はははは……!」
一つ確かなのは、その不確かな経過の後、クロエが考察の末に結論へとたどり着いた事だけだ。
「───っは! 全部掌の上かよ……!」
思わず、天を仰ぎながら顔を覆ってしまう。その下には凶悪な笑みが存在していた。
少女が行った事、それは即ちクロエの調査だ。
数日前に学校へ帰ってきたばかりの生徒に対する、取り調べのようなもの。
恐らくクロエからティトピアたちの『決闘遊戯』について聞き出そう、というのはブラフである。今思えばティトピアが去ってからすぐに少女がやってきたのもタイミングが良すぎる話だった。
その上、時々見せる意味深な笑み。脅しとも取れるような強い言葉。
実力行使など彼女の言った通り、職権乱用に当たる許されざる行為。だがそれをあえて行い、そしてクロエが応えた事で二人は一撃を披露しあった。
何も考えずに対応していたが、そもそもクロエが決闘遊戯について情報を握っている、というのは彼自身が言った事だ。
少女は教えてくれませんか、と聞いただけ。それに対して断ったのは、知っていると暴露したのと同義。
加えて、あえて実力行使について先んじて伝えたのは、クロエが校則と学校での常識について知ってるかどうかへの探りだ。
本気で実力行使を行う気があるのなら言う必要はない。あえて言った狙いはそれだろう。
素直にクロエが答えた事で、常識について疎い事が露呈した。
そして、実際に実力行使。
断られれば戦闘に対して前向きでない人物という事が分かるし、受け入れられればまた同様に。
更に牽制によってある程度の実力を知り、その上で一撃を放ち合う事によって戦闘スタイルや使用魔法の輪郭を把握。
その他多種多様な会話をする事で人物像を把握。
最初の会話から全て計算されていたという訳である。
「端から名前は知られていた。何も知らなかったのは、俺だけだ」
───私たちはすぐに再会する気がします。その時にまで今日の詳細が分からないのでしたら、その時に。
この言葉は、言葉と力を交わし合い、分析したクロエに対する評価だ。
自分が説明するまでもなく意図にたどり着くだろうという、クロエに対する賞賛の言葉。
彼女の調査は、次出会った時にクロエが意図に気づいたかどうかを確かめる事で完了する。すぐに再開するのではない。すぐに、会いに来るのだ。
だからこそ、その結論にたどり着いた瞬間には、笑いが止まらなかった。
気を抜いていた自分と、想像以上の力量を見せつけた少女に。
「おもしれえ」
振り返り、鐘が既に鳴っている事すら忘れてクロエは道を戻っていく。
「生徒会か───おもしれえな」
今まで知らなかった、生徒会という学校の組織。
だが彼女がいるならば、少なくとも退屈しない組織のはずだ。
「──楽しみだ」
これから出会う事になる生徒たちと、起こるはずの出来事に対して。
クロエ・アリアンロッドは、未来に向けて思いを馳せた。
「あ、名前聞くの忘れたわ……」
一先ず、やるべき事は決まったようである。