第二話『狂犬から迷える者たちへ救済を』
マギスティア寄宿学校の敷地は広大である。
授業を受ける校舎、図書館、魔法研究所、寮、その他諸々。それ以外にも細々とした設備が揃えられており、ここはこの世界において最高峰の教育機関だ。各国から様々な人材がやってくるのも頷ける規模である。
故に、校舎から寮までの道は少し距離がある。中等部寮、高等部寮、男子寮、女子寮など、様々に分かれている中で、中等部の寮はどちらも高等部寮より遠方に位置していた。
「はぁ……」
そんな寮までの道を歩きながら、ティトピアはため息をつく。そういう教育を受けているのか、あまり音は出ないやり方だ。ありていに言えば下品ではない、上品な息の吐き方だった。
「ため息つくと幸せが逃げるぞ」
そんな彼女の隣を真顔で歩いているのはクロエだ。バッグの取っ手を掴み、腕を曲げて背中に掛けるスタイルは、貴族としては行儀が悪いがこの学校では許される範囲である。
歩く速度は若干遅い。『3.4メルチ』を超える彼が普通に歩いたらティトピアを置き去りにしてしまうからだ。
「どこの国の言い伝えよ、それ。アンタの地元?」
「さぁな。俺の『親友』が言ってた」
「……親友?」
「ん」
首をかしげるティトピアを見て、クロエは自分の失言に気づく。いうべきではない事を言ってしまった。それらを誤魔化すようにして首を振り、自分たちの背後へ視線をやれば──少し距離を取りながら、二人へ付いてくるマリエルの姿が。
話を聞かれたくないティトピア。
義務を果たさなければならないマリエル。
彼女らの要望を叶える妥協点としては、この辺である。
つまりは会話が聞こえない程度の距離で付いてくる事。最初、マリエルはこの提案にあまり良い顔をしていなかったが、目が届く距離という意味では変わらないと思ったのか了承していた。
それに、ここは学校の敷地内だ。警備員を始めとして様々な侵入者に対する防衛機構が存在する。従者たちが警戒するような事態は起きないと分かっているのだろうが、マリエルは義務を果たそうとしているだけである。それを咎めるのが些か心苦しい。
「ま、この辺が妥協点だろ」
「見られてるのならあんまり変わらないわよ。王宮を思い出すわ……」
「というと?」
「ルシェリアはどうか知らないけど、ヴァルステリオンの貴族は就寝時、護衛が部屋の隅で待機しておくの。寝る前も寝てる間もね。正直不愉快だったけど、学校に来てからはそんな事なくなったのに……」
彼女は長い髪を下から持ち上げ、その位置を直しながら目を細める。
聞いている限りでは確かに不愉快な話だ。だが、それは貴族が貴族として生きていく以上発生する責務でもある。
「ふ~んそんなもんか」
「そんなものよ。ルシェリアでは……アンタ記憶喪失だったわね」
「生憎、な」
もし部屋の外に待機していて、窓なんかを破壊され主人が暗殺されては目も当てられない。それに幼少の頃から部屋の中に護衛がいる生活を繰り返していれば、人間なのだからそのうち慣れていくものだ。
当然例外はいる。目の前の彼女もその一人だろう。
「──それで、話ってなんだ?」
雑談はこの辺りで良いだろう。
そう判断したクロエは、首をティトピアの方へ少し傾けながらそう問いかけた。
「アンタ、アタシが何してたか知ってたの?」
鋭い目線は、睨んでいるのか生来の顔つきによるものか。美人とはそれさえも絵になるのだから得だな、という益体の無い事を考えつつ、クロエは口を開いた。
「あぁ。見てたからな」
「そう……卑怯ね」
それには、『見ていたのに助けなかったのか』という口外の意図が含まれていた。
確かにクロエは最初から見ていた。ティトピアが校舎裏に連れていかれる女子生徒を見つけ、その後に起きる事を食い止めるために走った時から。
「それについては悪かった。少し興味があったんだ」
「はぁ? 興味?」
「こわぁっ」
言葉を選ばず言えば、ティトピアは同様に一切包み隠さず感情を伝えてくる。冗談交じりかつ聞こえない程度に呟けば、クロエは続けた。
「一体、コイツはどうするんだろうってな」
道を歩いている時、目の前に困っている人間が現れた場合、人の反応は大きく分けて三つだ。
見て見ぬふりをするか。
何かしらの方法で助けるか。
あるいは分類できない様な奇行に走るか。
クロエを分類するとしたら三つ目だろう。じっと見ているなんて事は普通しない。
対して、目の前の少女は二つ目の行動を取った。それを見た瞬間迷わず駆け出し、人を助け始めたのだ。
「危なそうだったら助太刀してたけど、そうでもなかったしな。まあ怪我はしてたみたいだからあんな感じで出てきた訳だけど」
「じゃあ、なんであの場で言い訳したのよ」
「素直に言ってたらあれ以上に抵抗してただろ。──「卑怯者から魔法なんて受けない」……ほらな」
ティトピアの返事を完璧に予想し、かぶせた言葉。当然彼女の眉間は再び寄る。
クロエは満足そうに薄く笑うだけだ。
「……魔法の処置が完璧だったのは認めるけど、私はあんな事頼んでないわよ!」
「俺が勝手にやっただけだ」
「なら私だって勝手に怪我していただけ!」
「勝手に怪我してただけって変な言葉だなぁ……じゃ、お互い様って事か。勝手同士でお相子だ。第一助かってるんだからいいじゃねえか。素直に魔法受けとけよ」
「ぐぬッ……!」
正直どっちの言い分もあんまり良くはない。だが詭弁を吐く戦いではクロエに分配が上がったようだ。身長が低いティトピアの顔を覗き込む様にすれば、彼女は悔しさと苛立ちを込めた表情で唸っている。狂犬ってこういう意味なのだろうか。
「こんのっ、バカ!」
「言う事なくなったからってシンプルに暴言かよ!? お前は子供か何かか!」
「うるさいわねぇ! 大体アンタ最初っからキザな態度が鼻につくのよ!」
「おい泣くぞ……! これでも周りの人間関係に馴染むために色々と考えたんだけど!」
「はっ、その結果がこれなら大した事──」
言葉に次ぐ言葉。これでは幼子の喧嘩だ。あまり他人に聞かれたくない話をするという事で、人通りが少ない通路を通っていなければ注目を集めていただろう。
中等部三年──成人が十五歳という事を考えれば、既に大人と分類しても良い。しかしティトピアから子供のイメージが抜けないのは王族故の甘さからなのだろうか。
そんな口論の途中。
ティトピアは腕を振って感情を表現していた。釣られるようにして顔を逸らした事が理由だろう。彼女の視線は進行方向へ向き、やがて一点を見つめ始める。
「……お? どうした」
「あれ」
突然言葉を止めたティトピアにクロエが尋ねれば、彼女は顎で道の先を指す。そちらに視線を向ければ、そこには兄弟と思われる少年たちがいた。
身長が高い方、つまり兄と思われる方はマギスティア寄宿学校の制服を着ていた。とはいえかなり幼く見える事から、恐らく一年だろう。そしてもう一人、彼よりも小さく制服を着ていない少年は、服を泥で汚しながら泣きじゃくっていた。
泣き声に比例して大きくなっているのか、少し離れていても兄の方の声も自然と聞こえてくる。
クロエとティトピアはその会話を聞く形となった。
「──ひっぐ、ひっぐ……! ここもなかった……」
「なあハイリ、今日はもう諦めよう。また兄さんが探しとくよ」
「やだやだ! 今日見つけて持って帰るもん!」
「気持ちはわかる。でも我儘を言わないでくれ……そろそろ門限だし、今度僕が見つけて届けてやるから!」
説得する兄と、泣きじゃくって聞こうとしない弟。会話の内容からして、落とし物でもしてしまったのだろうか。
空を見上げてみれば、色は茜色に染まっていた。門限は一日に三回鳴らされる鐘のうち、夜の鐘が鳴るまでであり、それは完全に空が黒くなる頃だ。要するに、門限までそれほど余裕はない事を意味している。
その上。
(──雲の動きが早い)
黒い雲がこちらに流れてきているのが見えた。近いうちに雨が降る。恐らくは門限より雨の方がはやく来るだろうし、即帰った方が良い事は確かだろう。
「落とし物か。まあ門限も近いし、職員の人に言えば探してもらえるだろ。とりあえずそれだけでもアイツらに言いに行って──」
「……」
「──ティトピア?」
かつ、と。
綺麗に手入れがされているその革靴の音は、やけに鮮明に響いた。
音は止む事なく響き続け、少年たちの方へ伸びていく。
「ティア様……」
「アンタらは先に帰ってなさい」
彼女の様子に何かを感じたのだろう。少し距離を取って付いて来ていたマリエルがいつの間にか傍まで来ていた。そして更にティトピアはそれも分かっていたようだ。故に、クロエとマリエルの二人に対し言葉を投げる。
「ティトピア、話聞いてたか? 雨雲も近づいてる。何より門限だ。それに俺達に物を探す──探知魔法は使えない。効率が悪いだろ」
「分かってるわよ」
「わ、分かってらっしゃるなら……!」
「でも」
二人の言葉に、ティトピアは少しだけ振り返る。
端正な眉を歪め、口を真一文字に結び、少しだけ拗ねる様に、怒るように。
「──あの子たちはいま困っているのよ」
ティトピアは返事を待たずして、少年たちの方へ近づく。靴の音が聞こえてきたのだろうか、彼らの視線を認識すると、そのまま目線を合わせるようにして膝を曲げた。
「何かを落としてしまったの?」
「ティ、ティトピア・ヴァルステリオン皇女様!? い、いえ! 貴方様の御手を煩わせる事では───」
「一年生だから分からないかもしれないけど、そういうのはここでは無しよ。私が皇族だからって何の意味もないの。いいから教えなさい」
「っ、は、はい」
ティトピアの顔と身分を知っていたようで、兄の方は慌てて誤魔化そうとしたが逃げられなかった。今は蛇に睨まれた蛙のように姿勢を正している。
「えっと、こっちの弟は今日、マギスティア寄宿学校の見学に来ていたのですが、その途中に落とし物をしてしまいまして……おそらくこの辺で落としたのですが、少し探しても見つからずこんな時間に」
そう語る兄の横には学校の花壇があった。敷き詰められた色とりどりの花と同時に、人の腰ほどの高さにまで草木が伸びている。
これでは物を落とした場合そう簡単には見つからない。小さい物ともなれば余計に難航するだろう。
「その落し物は?」
「ペンダントっ!」
弟はティトピアの言葉に声を張り上げる。その顔はいまだに涙とそれ以外の液体で汚れていて、嗚咽も止まっていなかった。
「母さんがくれたペンダントなの! 母さんは病気で、病院にいて、魔法じゃ治らなくて、だからあのペンダントが最後のプレゼントかもしれなくて……!」
「ハイン……」
言早に説明した弟──ハインに、兄は悲痛で顔を歪めて頭を抱きしめた。
兄の事情も分かる。門限を破れば寮長に怒られるし、時間になれば弟を学校の外へ連れ出す必要もあるだろう。弟の気持ちを理解しつつも、現実を取ろうとしているのだ。もうそろそろ暗くなる今よりも、後日の日中の方が探しやすくもなる。
だが、兄の言葉を、そしてクロエの思案を否定するようにしてティトピアは一歩踏み出した。
──そしてその瞬間、頬を水が叩き出す。
「降ってきやがった……」
予想以上に早かったが、そんな事を考えていても遅い。既に雨は降り始めてしまった。それなりに勢いのある雨は続々と降り始め、やがて地面や土の色を濃く変えていく。
「分かった。少し待ってなさい」
雨水が制服や体を濡らしていく中、関係ないとばかりに制服の袖を捲り、細い柔肌の腕を出しながらティトピアは花壇へ近づく。そしてしゃがみ込めば、花壇の木々をゆっくりと掻き分け──汚れる事を厭わずに、土を掻き分け始めた。
「ティトピア様、おやめください! 弟のためにそんな事はさせられません!」
「辞めないわよ」
「そんな、なぜ……」
皇族の手を煩わせる事を、恐れるとともに慄いているのだろう。兄の言葉にティトピアは首を振り、そのまま振り返って、不安そうに花壇を見つめる弟へ笑いかけた。
「──お母さんがくれた大切なペンダントなのよね。なら、すぐ見つけ出さないと!」
それは、どこまでも弟の心に寄り添った言葉だ。
彼はまだ小さい。恐らくは幼稚舎か初等部の初めの方ほどの年齢で、ならばまだ両親の愛が恋しいはずだ。しかし、母親が入院しているという事は、普段から会えている訳ではないのだろう。しかも、彼は母親が死んでしまうかもしれないと理解している。
そんな中、貰ったペンダントはかけがえのない大切な物のはずだ。兄の悲痛そうな表情からもそれは間違いない。
ならば門限など関係ない。多少の常識を無視しても、いまペンダントを弟の手に返す事こそが大事である。
彼女が浮かべる慈愛の笑みからは、そんな考えが伝わってくるかのようだった。
「どんなペンダントなの?」
「えっと、オレンジ色のペンダントで、宝石があるやつ!」
「そう、分かったわ」
弟から詳細を聞きだせば、次にティトピアはクロエとマリエルの方へ振り返る。
「アンタたちは戻ってて構わないわよ」
「そ、そんな! 僕たちも探します!」
「そ……なら、こっちをお願い。アタシは左側を探していくわ」
「分かりました! ほら、ハイン」
「うん! 頑張る!」
元気に返事をした弟が我先にと花壇へ近づき、濡れるのも構わないで探し始める。その横で、更に兄の方も動き始めた。
「ティ、ティトピア様!」
「はいはい、分かってるわよ! とりあえず門限ギリギリまでは探すわ」
「それだけじゃないんですけど、門限を超えたら……?」
「……探すわ」
「ティトピア様~~!!」
全然いう事を聞いてくれないティトピアに、マリエルは少し涙目になりながら肩を落とす。徐々に強くなる雨、濡れていき体温を下げていく主人。しかし傍を離れる訳にはいかなくて、彼女が困惑しているのは見て明らかだった。
雨足が強くなる中、土は徐々に重さを増していく。それでもティトピアは手を止めない。時に土を手で掘り、魔法で退かし、段々と範囲を広げていく。
「ん」
そしてその途中、思い出したかのように振り返り──ずっと一連の出来事を眺めていた、クロエに視線を合わせた。
瞬間、雨が目の近くに落ちたのだろう。煩わしい物を払うかのように、土のついた手で雨粒を拭った。当然顔が少し汚れるが、それを気にしていないようだ。よく見ればそれ以外にも顔に土の汚れらしきものがある。だが彼女は気にしない。服が、顔が、肌が汚れようとも。
「……はッ」
こらえきれなくなって、クロエは思わず噴き出した。
濡れた髪が重くて邪魔だ。水を吸った服と皮膚が気持ち悪い。だが、そんな不愉快の一切合切が気にならない程、目の前の光景に夢中だった。
「……一体、何人」
───何人の貴族が、こうして自分の犠牲を顧みずに人を助けられるだろうか。
彼女らは上位者だ。生まれた時から優位を決定づけられた、天性の勝ち組だ。泥に汚れる必要などなく、むしろ誰かを泥の中に沈める事だって容易。
人の命すら簡単に左右できてしまう権力者、それが貴族だ。それこそが、貴族なのだ。
だが、ティトピアはどうだ。
あれが皇族? それも他国の? 平民の為に自身を汚し心に寄り添う存在が、皇族? 服が汚れるのを嫌い、スプーンとフォーク以上に重い物を持った事がない──そんな怠惰と傲慢の塊であるはずの貴族が、目の前で土にまみれている狂犬だとでもいうのだろうか。
それは確かに皇族らしくない。権力を扱えていない地位を上手く活かせていない。最も効率よくペンダントを探し出す方法は、他人を動かし探させる事だ。傘の一つも差せばいいのにそれすらもしないのか。ティトピアは常識の全てを無視している。
こんな事をしてヴァルステリオン皇国の評判が下がると思わないのか。自身に仕えてくれるマリエルの献身を考えないのか。皇族に手伝いをさせている兄弟の心労を考えないのか。文句はいくらでも出てくるし、むしろ褒めるべき所よりそっちの方が多い。
だが、それでも。
ティトピアの行動は、そんなくだらない一般常識よりも、『人』として大切な事のはずだ──!
「っ……」
彼女の姿が、クロエの頭の中の記憶と重なる。
ノイズがかかったようにぼやけている古の記憶。もう元には戻らない、『親友』の記憶。それはクロエに、目の前の愚かな皇女を助ける十分な理由を与えていた。
「……不器用なところまでそっくりとか、どんな悪夢だ」
呟くような言葉に、もう意味はない。
事実を噛みしめるように息を吐くと、クロエは少し離れたところにいる少女へ声をかけた。
「……マリエル、だよな」
「は、はい?」
「傘はあるか? ないなら少し持ってきてくれない? 雨の中に体を晒し続けたら、三人が風邪を引いてしまう。当然ティトピアもだ。頼む、『傘を』『持ってきてくれ』」
「わ、かりました」
ティトピアに振り回され、慌てていたマリエルに指示を出す。言葉の最後に何をすべきかを繰り返し、目的を明確にすればいくら混乱している人間だろうと動けるものだ。
彼女はクロエの言葉に頷くと、校舎の方へ走っていった。
それを見送り、クロエはゆっくりと三人の傍に歩いて行く。雨に濡れる体を気にせず土くれで全身を汚している彼らの横に座り込んだ。
「……アンタ」
「───効率が悪い」
「はぁ?」
藪から棒という感じで文句を口に出したクロエに、ティトピアは不機嫌を隠さない声色で唸る。
だがクロエは髪の先に溜まった水を払うように頭を振ると、それを気にせずに言葉を続けた。
「こんなに近くに固まってたら見つからねえだろうが。もう少しばらけて……そうだな、おい兄弟の兄の方」
「あ、兄の方?」
「弟と反対の花壇を探してみろ。こっちの花壇だって思ってても、案外焦ってる時は記憶に混乱が出てくるもんだ」
「えっと……は、はい。わかりました!」
若干混乱していたようだが、クロエの顔を見て真面目に言っているのだと分かったのだろう。兄は弟の手を引き、反対側の花壇を探し始めた。
「まだ探してない所はどこだ?」
「……どういう風の吹きまわしよ」
「あぁ?」
気が早っているせいか、思わず強い言葉が飛び出した。それを誤魔化すようにして咳払いをする。
最初からティトピアは気にしていなかったのだろう。怖い顔をしたまま、続けて尋ねてくる。
「アンタ、ずっと見てただけじゃない。あの時と同じ様に。なんでいきなり探す気になったのよ。門限でも何でも守って帰ればいいじゃない」
「……」
──言いたい事は分かる。
虐められた少女を見ていたクロエに対し、ティトピアは『卑怯者』と罵った。そんな人物がいきなり能動的に動いた事が不気味だというのは、正直分かる。
だが、ならばクロエとて言い分はあるのだ。しかしそれを説明している暇も、説明する気もない。なぜ相手が大雑把に物事を運んでいるのに、こちらが馬鹿正直になる必要があるのか。
クロエは「はぁ」とため息をついた。
「うるせぇバーカ」
「バッ……はぁっ!?」
「いいから教えろ。早くあの子のペンダント見つけるんだろうが」
「むっ……」
反対側の花壇で探している二人を親指で指せば、ティトピアはむすっとした表情のまま激情を飲み込んだ。
そして勢いよく人差し指を花壇の方へ向ける。
「ん」
「あそこか?」
「んッ!」
「いや、ちっさい子供みたいな返事だな」
話したくないとばかりにそんな声を出すティトピア。クロエは思わずそんな事を口に出して睨まれるが、詳しくは聞こえなかったらしい。鋭い目線から逃げるようにして、示された花壇の方へ近づいた。
「──傘をお持ちしました!」
「おっ、早いな」
遠くの方から足音が聞こえ、何事かと思い振り返ればマリエルが傘を持ってきた。雨の中でも聞こえるほどの足音という事は相当急いで持ってきたらしい。ティトピアへ対する献身だろうか、この魂胆に感心しながらクロエは彼女の方へ視線をやる。
マリエルはクロエの傍までくると、手に持っている傘を差し出してきた。合計で三つ。この国で普及している一般的な動物の骨を利用して作られた代物だ。
「学校の方に借りてきました! どうぞ!」
「悪い、助かる。だが俺には渡さなくていい。二つはアイツら……ええっと、ハインたちに。もう一つはお前がティトピアと自分で差せ」
「えっ、アリアンロッド様は……」
「俺は良い。詳しくは言えないが、水には強いんだ」
クロエはそう言い切ると、再び花壇の方へ向き直りペンダントを探し始める。背後でマリエルの困惑する声が少しの間聞こえていたが、取り付く島もない事を理解したのだろう。やがて小さく「……分かりましたっ」と呟けば、指示通り兄弟へ二本を渡し、もう一本をティトピアと自分を守るために差した。
「よし……」
すでに濡れてしまった分は仕方ないが、これ以上悪化する事はなくなった。ならば後は───ペンダントを見つけ出すだけである。
「そっちは見つかったか?」
「まだです! こっちにはやっぱりないかもしれません!」
雨という異常事態では時間の感覚が確かではない。いつ門限の鐘が鳴らされるか分からない中、そう簡単に探し物は見つからないという現状だった。
「……別の場所か?」
ここまで見つからないとなると、最早別の場所で落とした可能性すら出てくる。意識しておらず、しかも幼子の記憶ともなれば不確かこの上ない。
やがて数分が経過した。
本格的にティトピアの説得に動いた方が良いかもしれない、なんて事を考え始めた時───
「あっ」
突然ティトピアが上げた声は、小さいがやけに明瞭に響いた。
勢い良く、ティトピアは木々の間に手を突っ込んだ。
がさり、と揺れる音が何回か響き、枝で手を切ったのかティトピアの表情が少し歪む。
それが数回繰り返された後、彼女は思いっきり手を引き抜いた。
───掌から零れる銀色のチェーン。そしてその中心で輝く、琥珀色の宝石。それはまごう事なきハインの落とした『ペンダント』である。。
「や、やった、やった───ハインッ! あったわよ!」
「わ……わぁぁあああっ! ペンダントあった!」
「ヴァルステリオン様……!」
「おめでとうございます!」
手を限界まで伸ばし、振りながらペンダントを掲げるティトピアと、ジャンプしながら喜びんでいるハイン。そして、感謝するように指を交差させて拝む兄と、ティトピアの傍で喜ぶマリエル。
「……はぁ~」
無事にこれ以上の面倒ごとも無く、事を終わらせる事が出来た。
それを確認したクロエは、雨に濡れた髪をかき上げながら瞠目する。
「あ~ぁ。洗濯大変だろうなぁ……ずぶ濡れだし寮の入り口どうやって入ろうか……ていうかもう寮長に怒られんだろこれ……まぁでも」
──そんな事どうでもいいか。
『常識学び直し中』──クロエは、この数日間で得た常識を守れない事を一瞬嘆くが、すぐに思考を放棄する。
視線は自然と喜びを露にする四人の方へと。
そしてその中心で笑顔を浮かべている、ティトピアの方へ。
泥まみれで、艶やかな髪はくすんでいて、服もどろどろで。
でもその分、純粋で、高貴で、一生懸命で。
「やったっ……!」
───八重歯を見せながら、泥中の中で咲いた笑顔を、クロエは何よりも美しいと思った。