第二十一話『双子』
「──お前、こんなところで何やってんだよ」
『聖域前広場』から離れ、ロッドプレントの双璧を追う事数分。
マギスティアの中心へと向かうため裏道を進む最中、エルレインは片割れを見つけていた。
「……」
「姉はどうした。ていうかなんで膝抱えて座ってんだ」
「……」
「…………はぁ」
輝く金色の髪を一本に纏めて後ろに垂らし、膝を抱えたまま校舎の端で蹲る少女。真っ青なブルーの瞳、その中心に煌めくダイヤの瞳は今はくすんでいた。
呼びかけに答えず、舌を向いたまますすり泣いている少女──ミセリア・ロッドプレント。妹がそこにいた。
「……何があったんだ?」
「……」
ため息をつきながら少女の前でしゃがみ問いかけるが、返答はない。いつも元気な彼女がこうして一人で蹲り、姉と離れているのだから二人の間で何かがあったのは確定だ。
普段ならば放置したいところだが、いまエルレインはティトピアから命令を受けている。ならばそれを遂行しなければならない。
というかそもそも、この状況に追い込んだのは半ばエルレインのせいだ。エルレインが二者択一を迫ったからこそ、二人はこうして今敗北し、落ち込んでいる。殺し合いの場ならまだしも、これはあくまで決闘遊戯。それによって生じた不仲に少しばかりの同情を覚えるのは人間らしいと言えるだろう。
「俺に対してお前が良い感情を抱いていないのは知ってるし、乱入したのは俺だから理解も出来る」
「……」
「けどそうしてるだけじゃ何も解決しねえ。だからどうだ。俺になんでもいいから話してみろよ。そしたら楽になるかもだぜ」
エルレインとミセロアの関りは少ない。
恐らく彼が決闘遊戯に乱入する直前まで、彼女からの評価はさほど悪くはなかっただろう。
だが今は違う。ロアにとってエルレインはこの状況を作り出した原因の一つともいえる存在だ。
でも、だからこそ、胸の内を話した時に良い方向に向かう可能性がある。変に気負わなくて大丈夫なうえ、遠慮もいらないからだ。
「……アタシ、クロエ君の事嫌ってないよ」
「そうなのか?」
「うん。負けた原因はそもそもはアタシたちにあるもん。アタシたちが弱かったから負けたんだよ。それぐらい分かってる」
思ったよりも落ち着いた返答に、思わずエルレインは動揺してしまう。だがそんな感情が伝わったのか、ロアは少しだけ微笑んだ。
「なんでミセリアは逃げたんだ。そんなにショックを受けたのか? それになんでお前は一人なんだよ。お前アイツを追いかけてたよな?」
疑問点はそこだ。
『決闘遊戯』に負け、何かしらの反応がミセリアに起きる事は予測していた。だがまさか即逃げ出す程だとは思っていなかったのだ。しかも、半身とも呼べるミセロアを置いていくなど考えられない。状況的にミセロアは一度ミセリアに追いついたのだろう。その上で彼女は妹を拒絶した。
分からない。
ミセリア・ロッドプレンはもっと強い人間ではなかったか。冷酷に人を利用し、自身の心さえ材料にする強者ではなかったか。
しかし分からないのは当たり前だ。いくらエルレインが洞察力に優れているとはいえ、知り合って数日の相手を完全に理解する事など不可能。イメージが覆ったとしてもおかしい話ではない。過去という変数がある以上、他人の心など無限の形を為す。きっと魔法の全てを理解したとしても、人の心を完全に理解する事は出来ないだろう。
出来るとするのならば──それは、その人に最も近しい存在だけだ。
「悲しいのも混乱してるのも分かってる。だけど、少しでもいいから考えてみてくれ──ミセリアはなんであんなに傷ついて、なぜお前を拒絶したんだ」
「……」
言われて、彼女は少しだけ顔を上にあげながら考え始めた。
考えて、考えて、考えて。
そうやって十秒以上が経過して、彼女は口を開いた。
「……わかんない」
呟いて、彼女は自分の発言に驚いた様に目を見開く。
「……わかんないんだ、アタシ。お姉ちゃんどうして傷ついてるのか」
「──」
「妹なのに。アタシ、ずっと隣にいたお姉ちゃんの心の底が分からない……」
「仲良いだろ、お前ら」
「表面的にはかな……」
辛うじて浮かべられた笑みは、とても弱弱しいものだ。
「──小さい頃、ある時からお姉ちゃんの表情に陰が見え始めたんだ」
「……」
「元々あまり笑わない方だったけど、それでも分かりやすい……ううん、妹なら分かるぐらいには暗くなった。それぐらいの時からお姉ちゃんは魔法でも研究でもどんどん上達していって、普通の笑顔も増えていったの。だから、不思議には思ったけど、でもアタシはそのままにしてたんだ」
「……それはなんでなんだ?」
「怖かったんだと思う」
首を突っ込んで傷つくのが怖かったのだと、彼女は続ける。
齢十代の少女にしてはありふれている回答。仕方がない、と総判断される事さえある事情だろう。誰も強くいられる訳ではないのだから。
だが、その脆さがいまこの状況を招いている。
「アタシもお姉ちゃんのいう事さえ聞いていれば全部上手く言ってて、お姉ちゃんも幸せそうで……だからそんな現状に満足してずっとお姉ちゃんを見ようとしてなかった──アタシは、お姉ちゃんから、め、眼を逸らし続けてたんだ……!」
零れる涙は悔し涙か、あるいは懺悔か。
それはきっと、二人の弱さが招いた事態だ。
ミセリアは人を利用し、妹さえ利用していた。それはつまり本音を話していない事と同義である。反対にミセロアも姉に甘えて、本音を探ろうともしていなかった。表面に見える薄い幸せを真実だと思い込み、影に潜む本物のミセリアを知ろうとしなかったのだ。
この双子は欠陥が多い。
ミセリアが魔法、ミセロアが斧術に特化しているかと思えば、ミセロアの方も魔法が使えたり。
ミセリアが裏から引っ張っているのに、子分たちが実際に慕っているのはミセロアだったり。
ミセリアは本音を隠して、ミセロアは本音を知りたがらなかったり。
ここまで色々と欠けているのに、利益優先のミセリアが彼女を手放さなかったのはなぜか。反対に地頭は良くないにせよ、馬鹿とは言えないミセロアが姉から離れなかったのはなぜか。
彼女らが姉妹だったから? 双子だったから?
そんな理由なんかでは断じてない。きっとエルレインにそれは分からない。彼女らの心の底、今はまだ言語化出来ない深層に真実は眠っている。
だがそんな中、一つだけエルレインにも言える事はあった。
否、反対にエルレインにしか言えないだろう。この場において部外者であり、しかし冷静に俯瞰している彼にしか、それは言えない。
──離れなかった。
眼を逸らし続けても、どんなにすれ違っても、彼女らは互いに離れなかった。
その事実だけは確かなのだ。
「ミセロア」
だからその結論にたどり着いた時、エルレインがすべき事は決まっていた。
「──お前、どうしたい」
「えっ……?」
「このまま仲違いしたままでいいのか、それとも元通りに成りたいのか。あるいは本音で話し合って、きちんと前に進みたいのか」
結局のところ、エルレインは部外者でしかない。他人の問題に首を突っ込み、何もかも解決してしまうのはティトピアの様な天性のものを持っている人間だけだ。
ならば、エルレインに出来るのは支える事。願う未来へと導く事だけである。
「お前が選ぶんだ」
ここに姉はいない。
選択を決め、方向性を導てくれる指標はいない。
姉を選ぶのは良し。エルレインを動かしたティトピアにとって良い方向へ進むだろう。
あるいは、姉からの解放を喜び遠ざけるもよし。それはそれで良い未来へ向かうだろう。その場合エルレインはリアの方のフォローへ回る。最悪の結果にはならないはずだ。
だが、出来る事ならと。
エルレインは願う。
彼にはロアの背中に鎖が見えていた。
『姉』という絶対的存在の持つ、何層にも絡まった重厚な鎖。それは簡単には解けないし、受動的で有る限り永遠に少女を蝕むだろう。
「──前に進みたい」
音がした。
「お姉ちゃんに色々聞きたい」
一本の鎖が壊れる音が。
「『今までごめん』って謝りたい」
新に芽生えた願いが、老朽した姉という名の鎖を砕いていく。
「それで──また歩んでいきたい」
軽くなった体を動かすように、ロアはゆっくりと立ち上がる。
その背中に大空を飛び回る為の羽はない。だが、翼は確かにあったのだ。
『強い絆を結ぶ』──以前クロエから聞いたダイヤモンドという言葉の意味。
開かれた青いダイヤの瞳には、絆を結ぶための輝きを携えていた。
「そういう事だから、クロエ君も手伝ってね!」
「お? おぉ」
「こうなっちゃったのは君のせいでもあるんだから。ね?」
「さっき原因は自分たちにあるって……」
「負けた原因は、だよ?」
「……あいよ」
折れた様にエルレインが首を傾けると、ロアは満足そうに鼻息を吐いて頷いた。
「……ひひっ!」
──こうして『ミセリア・ロッドプレントの妹』は死ぬ絶えて、『ミセロア』の人生は始まったのだ。
「ミセロア、お前は先にミセリアを探しに行け」
「え、なんで?」
「すぐ追いつくからとりえず行っとけ。俺の予想だと──アイツ、少し面倒な事になってそうだ」
~~~~~~~~~~~~~~
「……」
──最早、歩いている理由はなかった。
それでも歩みを止めれば全てが終わってしまう気がして、無意識に足だけが動いていく。頭の中では無数の『なぜ』と過去の記憶だけが反芻していた。
すでに手遅れな事は分かっている。それでも無駄な抵抗らしき何かを止められないのは、きっとミセリアが人間だからだろう。
人は心が動かない場面でも無意識に体を動かしてしまう。それは『イド』と呼ばれる無意識的な領域が一部関係していて──なんて、無駄に蓄えた知識だけが出てくるのだ。
「───やぁミセリア」
そうして校舎の隣を意味もなく歩いている途中。ミセリアは行く手を複数の人間によって塞がれた。彼らの中心に立つのは緑髪の少年だ。付き従うように他の人間が控えているところを見ると、彼がリーダーなのだろう。
──彼は……あぁ。
無意識にその姿を捉えればすぐに正体は辿り着く。
緑髪、そして耳に付けたイヤリング。背丈は中等部三年にしては平均的。優し気だが怪しい雰囲気を持つ瞳。
ミズリ・シェインガルド。
彼はミセリアが用意した、ティトピアに対する妨害を行う人間の一人だ。
「まさか失敗してしまうなんて……ぼ、僕は信じていたのに……!」
「……下手くそな芝居はやめたらどうだい
「なんだよ、つれないねぇ」
その本質はリアと同じく『嘘つき』。ただし格リアと比べれば雲泥の差である。大人顔負けの力を持つ彼女とは違い、ミズリは良くも悪くも子供のお遊びの域を出ない。
「失敗した時は好きにしていい。そういう契約だったよね?」
「……」
「まぁ金品とかそういうのも欲しいんだけどさぁ。まずは落とし前つけようかと思って」
彼が合図をすると、控えていた生徒たちが笑みを浮かべながら前に出てくる。
その手に握るのは刃引きされた武器たちだ。殺傷能力はないが、剣、槍、盾と、辺り所が悪ければ撲殺も可能だろう。
「……はぁ」
リアは彼に、決闘遊戯で得る筈だった利益を分け与える事を条件に妨害を依頼した──というのは表向きの事情だ。
彼女は彼らの弱みをすでに握っている。決闘遊戯終了後にそれを提示して結果的にノーリスクで済まそうと思っていたのだが、それも今となっては色々と面倒である。
そもそも彼の家はロッドプレント家と対峙すれば吹けば飛ぶような家。加えてミズリを含め周辺にいる生徒たちも大した実力ではない。
無料で扱える体の良い生徒たちだから使っていたまでだが──今のミセリアには、彼らからの暴力を断る気力もないのだ。
「……もうどうでもいいよ」
「ふ~ん? 何があったかはまぁ知らないけど、いいや──お前たち、やれ」
合図を受けて彼の取り巻きたちがゆっくりと近づいてくる。これからリアは殴られ、嬲られ、強姦でもされるのだろうか。
でもそんな惨状を迎えたとしても、リアはもう何も感じない。価値を失い、ロアを拒絶してしまったリアには何も残っていない。
「──ロア」
やがて彼女の頭上に棍棒の影が見える。もう避けられない。魔法を使っても避ける事は出来ない。
「ごめんね……」
そんな中、最後に出てくる言葉は妹への謝罪で。
「──お姉ちゃんに」
刹那、リアの視界を金色の髪が埋め尽くした。
「何してんのよッ!」
同時に振るわれた大斧の一撃が、頭上に降りかかるはずだった棍棒を粉砕する。
頭を上げた先。
棍棒の破片と、結晶の混じり合う空間。
西日の逆光を浴びた大きな背中がリアを守るように立ち塞がる。
「なんで……」
「助けに来たよ!」
「なんで……!」
「決ってんじゃん!」
満面の笑みを浮かべた少女。
「アタシ、お姉ちゃんの妹だもん!」
ミセロアがそこにはいた。
~~~~~~~~~~~~~
「……ミセロア・ロッドプレント」
突如として現れた妹に、ミズリは忌々しげな感情を隠さず声に出す。
「まあ当然君は助けに来るだろうね。むしろいないのが不思議だったぐらいだ」
彼は二人が仲違いしていた事実を知らない。だからこそその感想が出てくるのだ。
だがリアにしてみればむしろ問いたいのは自分の方。もう二度と届かないと思っていた妹が、もう一度目の前にいる。
不思議で仕方がなかった。
「アタシだけじゃないよ」
「え……?」
「──よっ、ミセリア」
「っ!? クロエ君……!?」
思わずそちらへ視線を向ける。自分の横から突然飛び出してきた少年。
クロエ・アリアンロッドは、好戦的な笑みを浮かべながら声をかけてきた。
「ちなみに俺達だけでもねえんだなこれが」
「──くどいよ、アリアンロッド君? 同じ流れは厳禁だ」
「細けえ事気にすんなよ、執行官サマ」
勿体ぶったように告げたクロエの更に後ろから姿を現した黒い服装の集団。そして中心に立つ獣人の青年──バルザメイト・ディン・ファウラウスが、執行委員会たちを引き連れてこちらへ歩いてきた。
「……!? し、執行官まで、なぜ!?」
百歩譲ってクロエまでは分かる。あの夜に多少なりとも人となりを知っているため、まぁこういう時に動く事も無くはないだろう。
だが執行委員会が動くとはどういう事か。完全なる中立を保つはずの彼らが仕事以外で動く理由はない。
「クロエ・アリアンロッド、それに執行委員会だって!?」
「よう、また会ったな。ミズリっつうのか──魔法具の調子はどうだ?」
「っ、お前ッ!」
生徒たちを囲み始めた執行委員会を視線で追いながら、クロエとミズリは口戦を繰り広げる。なぜ彼らが知り合いなのかとか、一体どこまで見透かされているかなんて疑問が浮かんでくるが、今はそこまで結論を出す程の余裕はなかった。
「クロエ君から報告を受けましてね。『ミセリア・ロッドプレントを襲う集団がいるから捕まえてくれ』と。ここオルティス公国では戦闘行為及び暴力行為は重罪。そして私たちはそこの遮蔽物から貴方方がミセリア様を襲う瞬間を見ていました。──現行犯です。神話を穢した意味が分かりますね?」
「は、はぁ!?」
「あん時俺とお前が出会ってなければ、俺はこうなってるって思わなかっただろうなぁ。精々自分の不運を恨め」
つまり。
ミズリの事を何らかの機会に知っていたクロエは、彼の正体を推察しミセリアへの暴行を止めるために執行委員会を動かしたという事だろう。バルザメイトが『聖域』にいた事から、彼を動かす事はそれほど難しくないはずだ。
不運という言葉では表せない程、青年たちはツキがなかった。これがただの学校関係者ならば厳重注意程度で許されていただろうが、相手は決闘遊戯執行委員会。それも執行官。
この国における法の番人と呼んでもおかしくはない存在だ。
訓練というていを持った虐め、喧嘩、抗争。正直学校において多少の暴力行為などありふれている。だが、こうなってしまった以上バルザメイトは彼らを逃がさないし、バルザメイトは普段ふざけた態度を取っているが仕事においては意外と真面目である。それはローヴデリアでも有名な話だ。
「くそ、くそっ、くっそおおおおお! お前らぁ! やっちまえ!」
「「「あぁああああああああ!」」」
大人しくお縄に着く訳もなく、ミズリを含めた十数人の生徒たちは一斉に攻撃を開始した。狙いはバラバラ、無差別にミセリア達を狙おうとしているようだ。
「うっしミセロア。元気よくぶっつぶしてやろうぜ」
「わかった! お姉ちゃんはそこにいて。全部倒しちゃうから!」
「──こらこら。君たち」
すぐ様前に飛び出し臨戦態勢を取ろうとしたクロエとミセロア。
そんな二人を咎めながら、バルザメイトは彼らの間を通りながら集団へ近づいていった。
「もう既に『決闘遊戯』は終わっている。正当防衛ならまだしも、ここからは『執行委員会』の仕事さ」
「バルザメイト様、私たちはいかがいたしましょう」
「君たちは終わった後の回収作業とか、その辺頼むよ──
──十秒で終わるから、準備はしといてね」
バルザメイトは隣に佇んでいたエリザに対し掌を伸ばした。
「刃引き」
「はい」
冷静に、冷酷に。
受け取った短剣を掌で遊ばせ、やがて逆手に持って、彼は姿勢を落とした。
短剣を持った方の手を上にしながら、もう片方の手を地面にくっつけて。
まるで獣のように地面に体を近づけながら、彼は構える。
既にすぐそこにまで迫っている生徒たち。このままでは一番前に出ているバルザメイトがまずその被害を受けるだろう。
相手は十数人の集団。例えどんなに強者であろうとも袋叩きにあってしまえば負けてしまう。
「『鎧袖一触の御業』」
短剣に風を纏い始め、彼の四肢が緑色の魔力を纏って薄く発光する。獣人の優れた身体が地面を捉え、空気を掴んだ。
「──『獣魔執行』」
瞬間、バルザメイトの肉体が集団を超えた先にあると、誰もが認識した時。
『『『ぐぁああああああああッ!!!』』』
暴風が吹き荒れて、全員の体が宙へ舞う。
同時に凄まじい斬撃の嵐が彼らへ襲い掛かり、その手に持つ武器がひとつ残らず破壊されていた。
生徒たちが地面へと激突するが、彼らの体に何一つ怪我はない。だというのに起き上がる様子はなく、どうやら気絶させられているようだ。
あの刹那の間に武器と意識だけを確実に刈り取った神業。そしてそれを殆ど詠唱無しに行った技量。刃引きの刃ではなく、彼の持つ愛用の短刀であればどれほどの威力を発揮していただろうか。
──見えなかった。
ミセリアには、彼の動きが見えなかった。
辛うじて結果から推測が出来るだけで、眼で追う事はついぞ出来なかったのだ。
「凄い……」
隣に立つミセロアの感嘆と悔しさを含んだ表情から、彼女もバルザメイトの動きが見えなかった事が分かる。魔法専門のリアとは違い、ロアは接近戦専門のはず。それなのに見えなかった事実が、よりバルザメイトの凄さを引き立たせていた。
──これが『執行官』、『第五席』、バルザメイト・ディン・ファウラウスの実力の一旦。
明らかに手加減した一撃だというのに、既に底が知れなかった。
「まぁ、こんなものかな」
血など付いていないというのに短刀を振り、その一言でバルザメイトは制圧を終わらせた。
「はーい終わり。、執行委員は行動を開始して。怪我人はいないと思うけど万が一いたら医療室ね」
「「「はッ! お見事でした!」」」
「はいはいありがと」
執行委員たちの反応からして、彼らもバルザメイトの御業を認識する事は出来なかったのだろう。つまり精鋭たる彼らにとっても素早く隙の無い一撃だったという事だ。
「──風によって加速しながらの回転斬りか」
そんな中。
呟かれた一言は、ミセリアを一つの結論に導いていた。
「おもしれえな」
それが見えていたクロエ・アリアンロッドは、やはりただ者ではない。
ミセリアの心の中で根付いた結論が、感情に変化を齎した。
「お姉ちゃん」
そんなリアを尻目に、両手を握って来たロアは視線を合わせた。
「──アタシね……今までお姉ちゃんの事、ちゃんと知ろうとしてなかった。『このままでいいんだ』と思って、何かに悩んでる事分かってたのに無視してたんだ……」
「……そんなの、騙していたワタシに比べればなんてこと」
「アタシ、騙されてる事知ってたよ」
「っ、え……?」
告げられた一言は、リアを絶句させるのに十分だった。常識が、前提が覆っていく感覚。リアが他人を利用し始めたのは目の前のロアからであり、それに気づかれていたなんて──意味が、分からない。
「じゃあなんで、君は騙されたままで」
「少なくともアタシを利用している時のお姉ちゃんは、辛そうじゃなかったから。だから例え悪い事だとしても、そっちの方がマシだと思ってたんだ」
「───」
『利用していた』のではない。ずっとリアは『許されていた』。
騙されている事に気づきながらもそれを続けたのはロアだけで、他の人間はそうではない。だとしても始まりが彼女である事は揺るぎない事実だ。
「……っ」
本当なら気づけたはずなのだ。リアなら、ロアが本当は騙されていない事実に気づけたはず。それなのに今日に至るまで勘違いを続けていた事実が目の前にある。
それはリアがロアをきちんと理解していなかった証明であり──
「アタシ、お姉ちゃんの事なんにも分かって無かった……っ」
「──」
「どうして泣いてるのか、どうして辛そうにしていたのか、本当なら知ってないといけないのに。目を逸らし続けて現状維持を続けてたんだ……」
──彼女も同じだからこそ、ここに来てくれた事をいま理解した。
「騙す事も、見逃がし続ける事も!」
「──」
「アタシたち向いてない! 向いてないんだよっ!」
二人は互いに、互いを見ようとしていなかった。
人を騙す『姉』は、嘘をつき続ける『妹』を。
眼を逸らし続けた『妹』は、悪の道に進む『姉』を。
「リアお姉ちゃん」
姉の手を握る妹の手は震えている。
「今までごめんなさい……っ!」
頬を熱い何かが伝い始める。
「あ」
それは涙であり、後悔であり、感情だった。
「あああぁあああああああああ……っ!!」
殆ど無意識に伸ばした手が妹を抱きしめる。その熱が伝わって、妹も抱きしめ返してきた。
「ごめんなさいっ、ごめんなさいっ!」
二人はこれから語り合わなければならない。
すれ違った分の想いと後悔を、二人の考えが一致するまで。
でもそれは必ずしも悪い方向ではなく、きっと明るい未来のためのはずだ。
「今までごめんなさい──ロアッ!」
「うん──リアお姉ちゃん……!」
二人の号哭は、少なくとも数分間は止まなかったけれど。
それでも後には笑顔が咲いて。
──紆余曲折あった『決闘遊戯』は、こうして終わりを告げたのだ。




