第十七話『ティトピア・ヴァルステリオン』
なぜ、と。
一体何度尋ねられたか、彼女はもう覚えていない。覚えられない程聞かれたという事もあるし、その質問自体に興味がない事も理由の一つだ。
『お人好しの狂犬』と自分が呼ばれている事は知っている。誰かを救う際に荒っぽい方法を使う野蛮人であると。
だが、例えどんな呼ばれ方をされようとも、変わらない。目の前で助けている人がいるのならば、ティトピアは例え非難されようとも救い出す。
それこそが彼女だ。ティトピア・ヴァルステリオンという一人の人間なのだ。それを否定されるという事は命そのものを否定されるのに近い。
気にしないようにしているとはいえ、こうも言葉の暴力を振るわれ続けては心も疲労する。
なぜって。
そう聞かれても、決まっているじゃないか。
人を助けるという事は───
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ティトピア・ヴァルステリオン───ヴァルステリオンの皇族という恵まれた血統に生まれ、その才を遺憾なく受け継いだ彼女は、数多く存在する姉妹兄弟の中でも飛びぬけて強い存在だった。
特筆すべきは魔力の『密度』。魔力の密度が高いという事は即ち、そのまま魔法の威力が高い事に直結する。他人が努力し、工夫し、あらゆる方法で高めようとする魔法の力を、彼女は素の状態で常人の数倍の力を持つのだ。
唯一、魔力量が少ない事が欠点だが、これはむしろ『密度』が高い事の弊害だろう。密度が高すぎる魔力というのは人間にとって毒であり、故に彼女に肉体は成長過程で『量』を切り捨てた。そのまま成長していた場合、彼女は彼女自身の魔力に溺れて死亡する可能性があったからだ。
むしろこの事実は彼女の持つ特異性を強調する要素でしかない。
加えて魔法適正はヴァルステリオン皇族が発現しやすい、言い換えれば王道といえる炎元素。更に剣術の才能も十分にあり、これらを組み合わせた魔法剣を操る様はまさに天才と言う他なかった。
小国とはいえ由緒正しき『四大精霊』を原点に持つヴァルステリオン皇国にとって、ティトピアという天才の存在はまさに天啓。
ゆくゆくはこの国を背負い、ヴァルステリオンは更に発展していくと誰もが疑わなかった。
だがこの評価は、彼女が自我を持ち始めた六歳頃から変化し始める。
『ヴァルステリオンの第二皇女に似合わぬ暴力性』
『剣と魔法の才を活かせぬ愚かな皇女』
『権力を振りかざす濁った宝石』
それらは、彼女が幼少の頃から王宮を始めとした国民たちから言われ続けてきた言葉だ。理由も因果も分からぬが、彼女は『高貴なる責務』を理解せず───否、理解した上で無視した。
まるで自分の内側にこそ法があると言わんばかりに行動し、人を動かし、人を助け、時には身銭を切ってでも民を助けた。助けられた民は当然、彼女を支持したが、王宮やそれに近い貴族らは当然良い顔はしない。
それは打算的に、まだ幼く言う事を聞かない皇女に支持が集まっていくのがよろしくないという意味でもあったし、貴族として、正しい手順で民を助けなければ偏見や誤解が集まりやすいという意味でもあった。
即ち、『ヴァルステリオン皇宮は情には厚いが常識を守らない野蛮な場所である』という、偏見。
更に言えば、彼女の助け方は空腹な人間に直接魚を与えるようなものだった。
例えその場で空腹は避けられても、その後飢えを凌ぐ手段を知らなければまた飢餓に陥る。当然全てがそうではなかったが、物事が複雑になればなるほど、幼い彼女は直接的な解決を試みたのだ。
彼女の行動は百害あって一利なし。
そう判断した皇宮の人間は彼女を御そうと手を尽くしたが、箱入り娘らしからぬ胆力と根性によってそれは叶わなかった。
例え軟禁しようとも、食事を断とうとも、彼女は首を振らない。幼い上、皇族にそんな行為を働くなどあるまじき行為ではあるが、皇王と妃がそれを許可するほど彼女に対しては皆が手を焼いていた。
しかし権力を没収すれば国民から批判が出るため、そうする訳にもいかず、また兵士の中には彼女に助けられ忠誠を誓う者も多い始末。
加えて剣術、魔法、勉学の全てにおいて優秀な成績を収めているため、能力不足を理由に色々と策を講じる事すらできなかった。
『優秀な問題児ほど手が付けられない者はいない』。
ティトピアが生まれてからの十年弱で、皇宮の人間は深くそれを認識する事となった。
──そんな時だ。かの永世中立国オルティスが誇る最高峰教育機関、『マギスティア寄宿学校』へ彼女を留学させるという提案が出たのは。
当時、彼女は十一歳だった。この年になると、人より少ないとはいえ魔力量も増え、知識も増え、体力も十分に増えた。そうなれば更に彼女の活動範囲は広がり、更に手は付けられなくなる。
これで言う事を全く守らないのなら手段もあったのだが、『人助け』という一点が浮き上がった時のみ彼女に対する制御はまったく効かなくなるのだ。
最早自分たちの手に余ると考えた皇宮は、国の外に解決策を求めた。
それこそが留学である。
マギスティア寄宿学校は言わずと知れた教育機関であり、既に『茶会神話』始まりの二国を始めとした多くの大国の貴族が子供を送り込んでいる。
ここならば、あるいは彼女も分別を付けるのではないかと皇宮は期待したのだ。
こうしてティトピアのマギスティア寄宿学校への留学が決まった。
彼女が実際に留学する事になるのは、そこから数年後。
ティトピア・ヴァルステリオンが十三歳の年の事である。
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一方、彼女の異名にはこんなものがあった。
───『誰にも心を許さぬ獣』。
その名の通り彼女は普段から皇宮の人間を始めとして、基本的に尖った態度で接する。首を引き、眼付きは光り、口元は一文字に結んだスタイル。
初対面でそのような態度を取られれば、人は当然良い感情を持たない。
最低限貴族との会合などでは役割を果たせるだけの常識はあったが、それだけだ。『義務は果たしている』とばかりに淡々と会話をこなし、普段ならばもっと活躍できる場面で手を抜く。
実力があったとしてもこれでは評価は上がらない。いくら皇宮が声を大にしても、実物が証明を行わないのなら人々は信じないものだ。
なお ティトピアのこの態度は、皇宮の人間たちに対する認識が『悪い事しか言ってこない人たち』だからである。
都合の良い時は皇女扱いをし、良かれと思って行動をしてみれば『これだから第二皇女は』とため息をつく。
寄り添うのではなく、従って当然という態度で接して来れば誰も良い気分はしない。だが長い間閉鎖的な貴族社会で育ってきた人々は、思考が凝り固まってきた。
本来ならばティトピアもその一員になるはずだったのだが、何事にも例外とは存在するものである。彼女の思考はよく言えば皇宮らしからぬ視点と視野の広さを兼ね備えていたのだ。
───彼女が唯一といって良いほど明確に慕ったのは、同じ『例外』の一人だった。
「レクスお兄様!」
「やあ、ティア。今日も君は元気だね」
「うん! ねえ聞いて、この前話していた魔法ね、教師からコツを教わったら上手に出来るようになったの!」
「それは面白そうな話だね。少し待っていて、いま紅茶を入れさせよう───」
ヴァルステリオン皇国第一皇子、レクス・ヴァルステリオン。
成績優秀、冠前絶後、権謀術数に長けた天才であり、弱冠十六歳にして皇位継承者候補として名高い若き獅子。
レクスはティトピアと同じ貴族らしからぬ『例外』ではあったが、それはティトピアのように厄介な方向ではない。むしろ良い───この国の未来を切り開くような、貴族と民草の両方の立場に立てるような稀有な存在だったのだ。
もっと彼が幼い頃はまだ才覚を表しておらずティトピアこそ未来の女皇だとされていたが、年齢が大きくなるにつれて彼を支持の声が大きくなっていった。
今では完全に立場が逆転しているが、それでもこの時十二歳のティトピアが彼を嫌う事はない。
なぜなら彼は、唯一といって良いティトピアの『理解者』であるからだ。
「──それで、道で倒れてた人に目的地にたどり着くだけのお金をあげて助けたの」
「へぇ、それは良い事をしたね」
「うん! でも、御付きの人は『勝手な事』をするなってまた怒鳴ったわ……なんで良い事をしているのに怒られるのか分からないわよ」
俯きなながら言ったティトピアに対し、レクスは困ったように笑みを浮かべた。
「彼らにも事情があるんだ。決してティアの事を嫌いな訳じゃないんだよ」
「それは……そうかもしれないけど。でも、おかしいわ」
「言う事を素直に聞くのは癪だよね」
「……! そう!」
「分かる分かる、正直僕もそう思っているんだ。でも我儘だけじゃだめだから、少し自分で考えてみよう。答えを与えるだけじゃダメだからね」
「分かったわ!」
今にして思えば、それは兄から送られたヒントだったのだろう。
なんにせよ彼は皇宮とティトピア、両方の立場に立てる稀有な存在であり、また能力も申し分なく誰からも愛される人物だった。
やがてティトピアが十三歳になり、マギスティア寄宿学校へ留学した後も、生活自体は大して変わらなかった。
初めての寮生活で緊張はしていたが、お付きのメイドであるマリエルは傍にいるし、例えいなくとも優秀な彼女は既に一人である程度身の回りの家事などは出来た為だ。
『お人好し』の部分も変わらない。皇宮はマギスティアの生活において凶暴性の改善を試みたのだろうが、生憎とマギスティアはどちらかといえば放任主義の学校だ。自主性に任せている、という言い方もできる。
なればこそ、むしろ枷が外れた彼女はより人を助けるようになる。従者であるマリエルは優秀ではあるが、主人であり可愛い妹分であるティトピアに対しては甘い。基本的に人に優しいように思えるマリエルだが、本当ならば身内に対して厳しい性格なのだ。ティトピアに対する態度だけが特別なのである。
『お人好しの狂犬』。
そう呼ばれるようになるまでに、入学から一年はかからなかった。
幸いと言うべきか、マギスティアは未来の魑魅魍魎が集まる蟲毒である。
『最新の神話』ソフィア・フェンタグラムを始めとし、様々な逸材が存在するマギスティアにおいて、多少乱暴で人を助けているだけのティトピアはあまり目立たなかった。
これが普通の学校ならば腫物扱いされたり、学年単位で虐められたのかもしれないが、そうはならなかったのだ。
彼女が人を遠ざけるような性格をしているのも理由の一つだろう。マギスティアの生徒の大部分は貴族や商人の子息だったりと、比較的多忙な者が多い。
故に、自分から関わろうとしない人間と関わりを持とうするのは、変人か別タイプのお人好しか何かだ。
孤独を極める訳でもなく、しかし元来の性格によりあまり多くはない友人たちと過ごしながら、彼女はあっという間に中等部の最高学年へ。
それまでの二年間で彼女は、やはりヴァルステリオンの皇女として相応しいまでの実力を身に着けていた。
しかしそれは専ら人を助ける為だけに振るわれたため、目立つ事はない。例えマギスティアや王都マグテナで問題が起きたとしても、当然それらは公国騎士団や決闘遊戯執行委員会が対応する。
結果として、ティトピアの天凛が大衆に知られる機会は訪れなかった。もしその機会さえあれば、
彼女に対する人の眼は変化し、人生を少しだけ明るい方向へ変えていたかもしれないのに。
「───」
中等部二年生の冬休み。
それはつまり、中等部三年に上がる前の最後の時期。
ティトピアは長期休みを利用し、ヴァルステリオン皇国へと里帰りをしていた。それは皇宮から義務付けられていた事でもあるし、単純に彼女が故郷を恋しがっているのも理由だ。
そして何よりも───世界で一番尊敬しているレクスに会える。彼女は純粋に、その偉大なる兄を慕っていた。
時々多忙な時期と重なり、ティトピアの里帰り中に皇宮に居ない時もあったが、彼は基本的には彼女を暖かく迎え入れてくれたのだ。
しかし今回の里帰りは、少しだけ道中の事情が異なっていた。
オルティス公国からヴァルステリオン皇国に帰るまでの道のりは、途中に存在する巨大な湖を船などで突っ切るルートと、迂回して森を超えるルートが存在するのだが、前者の場合季節によっては魔物が活性化し通行止めになる事がある。
普段、冬に帰る場合はその活性化の時期に当たるので迂回ルートを取るのだが、この時は数年に一度の気候変動の影響でぎりぎり時期から外れていた。
普段ならば数日かかる所を湖を突っ切る事で一日に短縮。ヴァルステリオン皇国に着く日付が数日早まったのだ。
途中、ティトピアは数日早く皇宮へ着ける事実を報告しに先に戻る兵士の一人に言った。
「レクス兄さまには内緒にしてくれないかしら? まだ帰らないと思っているところを驚かせたいの!」
ティトピアとレクスの仲の良さは、皇宮の人間ならば誰もが知っている事だった。その程度の事なら断る理由は何処にもなく、兵士は一足先に戻った後、レクスの従者などにその事実を伝え、同時にティトピアの言葉を伝えてレクスの耳へ入らないようにした。
そこから数日して、ティトピアたちは皇宮へたどり着く。
帰還の挨拶などは程々に済ませ、彼女はすぐ様レクスが好んで住んでいる『別邸』へと向った。そこは彼の指示によって沢山の赤い花々が咲き誇る場所であり、ティトピアにとっても大切な場所だった。
数人程度の従者を引き連れて静かに別邸を歩き、やがて彼の部屋の前に到達する。
「ティトピア様、我々は少し距離を取って待機しております」
「ええ、ありがとう」
それは兵士たちなりの気遣いだろう。流石に護衛の問題上完全に離れる訳にはいかないが、少しでも二人だけにしてあげたいという、気遣い。
彼女はそれを有難く受け取ると、ドアの前に立ち、ふと気づいた。
『──で──よ』
『い──なぁ──か』
──誰かいるのかしら?
部屋の中からレクスの声とは別に、別の声色が聞こえてくる。彼が自分の部屋の中にわざわざ招くなどそうある事ではない。しかもその声は一度も聞いた事がなく、少なくとも皇宮の従者ではないはずだ。
不思議に思いながらも、彼女はそっと耳を扉にくっつけて中の会話を聞く事にした。ちょうど横を向いた先にいた兵士たちが首を傾げているが、口元に指を一本立てる事で静かにさせる。
それは妹の些細な悪戯だ。レクスは完璧な兄だが、それでも自分の前で恰好付けている事をティトピアは知っている。
だからこそ、本音の兄の言葉が聞けるかもしれないと思って──
『──それで、子供たちはちゃんと殺したのかい?』
尊敬する兄の声で聞こえて来た言葉に、ティトピアの世界から他の音が消えた。
『実験に使った人間は処理する決まりだ。一夜で片付けたが故に足も着いていないだろう』
『君は優秀だね。素晴らしいよ』
『お前の地位と権力があってこその事だ。そろそろ大詰めだが──五年年もかかったか』
『五年程度ならまだ良い方さ。本当は数十年単位の計画なんだから。まさか環境と人材が集まる事でここまで早く進行するとは思わなかったよ』
低い声と、兄の声。
会話自体はそこまでおかしくはないのに、一つ前の言葉が入る事で途端に凶悪犯罪の計画を聞いているような感覚に陥った。
思考と体が止まってそこから動けない。必然的に彼女はその際の会話も聞いてしまった。
『そういえば、そろそろあの妹君が帰ってくる時期ではないか?』
『あぁ、そっか』
『「そっか」、と。随分と薄情なのではないかな? 以前も仲睦まじそうにしていたではないか』
『薄情?』
兄の声が、醜悪に歪む。
『──いやいや、あんなバカ利用してるだけだよ。能力だけは高いし、恩を売っとけば後で回収できるからね』
『屑だな。酷い話だ』
『あっははははは! 同類の癖に何を言ってるんだい!』
『クハハハハ! 違いないっ!』
「───」
部屋のドアが分厚い。それは会話の内容が容易に外へ漏れないように工夫されているためだ。だから周辺に控えている兵士たちにその笑い声は聞こえていない。
ただティトピアだけが、尊敬する兄とは思えない声を聴いていた。
彼らの声が脳内で反芻していく。
言葉の意味は理解できるのに、それを事実として受け入れる事を精神が拒否していた。だって、到底受け入れられるような言葉ではない。
単純な悲しみではなく、何か自分の中から大切な物が失われたような感覚だ。どう表現してよいか分からない。表現するほどの余裕がない。
「如何なされましたか……?」
「……っ」
ティトピアの様子を不思議に思ったのか、見守っていた兵士たちが小声で尋ねてくる。思わず叫んで兵士を伴い突撃してしまおうか、なんて考えたがすぐにそんな考えは霧散していった。
普段ならば、悪人であればすぐにでも殴って解決しようとするが、なぜだか今回は何もできない。
確かめたい。今すぐに扉をあけ放ち、『どういう事だ』と問い詰めたい。
そうすれば全てはっきりするはずだ。
この胸にある爆弾のような感情も取れるはずだ。
「───何でもないわ。大丈夫」
それでも、ティトピアは笑顔を浮かべて返事をした。
分からない。何故だか分からない。
兄を問い詰めたいのに、それをすれば兄が困ると思って、下手な事が出来ないのだ。
いつもの猪突猛進さが失われれば、ティトピアはただの少女でしかない。しかしその状態でも他人を騙す事が出来るぐらいには優秀だったのだ。
動揺を隠しながら、まるで店頭に並んだような笑みを張り付けてノックをする。
「レクスお兄様、ティトピアです。ただいまお時間大丈夫ですか?」
『───っ、ティトピア!? 少し待ってくれるかな……!』
「……? はい。分かりました……?」
不思議そうに、何も聞いていないように、首を傾げてティトピアは言う通り少しの間待機する。その間に少し離れたところで待機している兵士に対し、驚かせる事が出来たという風に頷いておいた。
そして数秒が経ち、ゆっくりとドアが低い音を立てて開かれる。
そこには当然、レクス一人しかいなかった。
他には誰もいない。何の違和感もない。レクス・ヴァルステリオンならば、例え不都合な事があっても数秒あればどうにかして痕跡を誤魔化す事が出来るだろう。
それをわかっていたからこそ、ティトピアは何も考える事なくノックしたのだ。
「ティア、なぜこんなに早く……?」
驚いたように目を見開いたレクスにも違和感はない。
苦笑いもいつもと変りなく、優し気なままだ。
───けれどもうティトピアには、彼が別人に見えて仕方がなかった。
あの優しかったレクス兄さまはもう死んだのだと言われても信じただろう。
「ただいま、レクス兄さん!」
目の前の兄に対し、ティトピアはいつものように満面の笑みを浮かべる。
久しぶりに再開した最愛の兄の前で、笑顔が止まらないといった風に。
───嗚呼、私は今、ちゃんと笑えているのだろうか。
彼女はそれだけが気がかりだった。
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結局、探りを入れたところでレクスが何をしていたかは分からなかった。
直接尋ねる事は出来ないし、あまり大きく動けば感づかれてしまう。それをすれば兄が敵に回るかもしれない、なんて考えるだけで恐ろしい。
マギスティアに戻るまでの一ヶ月ちょっとの間、ティトピアはいつも通りに日常を過ごしながらも、ずっと思考を回していた。
兄の事、話していたのは誰なのかという事、『実験』とはいったいなんのなのかという事。数えだせば限がなく、またいくら考えても明確な答えは出なかった。
そもそもそれを考える事自体、ティトピアにとっては過去の記憶を掘り起こし汚すような行為。苦痛を伴う記憶のサルベージは長く続かない。
───だがその過程で、ティトピアは一つの『結論』へとたどり着いていた。
「……私が」
ティトピア・ヴァルステリオンは皇位、即ちこの国の皇という地位に興味がなかった。
単純にこれ以上の権力と金を必要としていないのもあったし、女に生まれた以上そこまで望むものではないと考えていたし、何よりも大きいのはレクスの存在だ。
王位継承者はレクス・ヴァルステリオン以外ありえない。それは既にヴァルステリオン皇国全体の認識と化している。当然、ティトピアもそう考えている一人だった。
彼が皇になれば、きっと多くの救われぬ人が助かり、国も大きくなる。それだけの力と才能が彼にはある。だからこそ、ティトピアは皇位というもう埋まった椅子に興味はなかった。
「……私が」
だが、今回の出来事でティトピアの認識がひっくり返った。
確かにレクスは『人体実験』をしていると言い、『子供を殺している』と言った。当然これらは許される事ではなく看過できない。
彼が皇になれば国は良くなるだろう───だが、それはあくまでも表向きだ。
レクスは権力や地位を利用する事に抵抗がない。それはドア越しに聞いた会話からも分かっている。
ならば繁栄の裏では彼の魔の手が伸び、多くの人や子供たちが犠牲になったとしてもおかしくない。困っている人を救うどころか被害者が増加することになるだろう。
それだけは、絶対に許してはいけないのだ。
「──私が『女皇』になる」
皇宮の小さな部屋の中で、少女の決意が花開く。
当然一人では皇位など狙えない。周囲の支援、実績、機会があってこそそれは為される。
ここで今まで好き勝手にやってきた事のつけが回ってきていた。ティトピアは自分の行動を公開していないが、それでも皇宮の意思に反し続けてきたせいで、周囲の人々からの評価は恐ろしく低い。
というよりも、彼らはレクス派と言って差し支えない。例えティトピアがこれからいくら活躍しようとも、何か奇跡が起きない限り靡かせる事は難しい。
ならば外側から埋めていくしかないだろう。
幸いにしてティトピアはマギスティア寄宿学校に通っている。『予備校』とも称される中等部は今年で終わり、来年からは高等部だ。
そこでなら、レクスの手が及んでいない人材も数多く存在するだろう。何よりもヴァルステリオンという小国にとって、外交関係に強い者が頂点に立つという事実は大きい。
当然レクスもその手の交流には強い方だが、限度がある。
『ティトピア派』を作る事。
これこそが、彼女がマギスティア寄宿学校で為すべき事だ。
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───とはいえ、そう簡単にいかないのが現実である。
再びマギスティアへと戻り、新学期が始まって数日。
知識もなく、頼れる人間もいないティトピアは、未だ行動を始められずにいた。
今回の事はそう誰にでも話せる事ではない。その手の知識──帝王学や人を導く事に関する知識がある相手でなければ意味がないだろうし、逆に知識がある人物という事はそれなりの地位の人間であり、他国の国家機密など容易には話せなない。
誰かに頼らなければいけないが、その相応しい『誰か』など存在していない。
教師などを頼るにしても、やはり少し心もとない。開始早々八方塞がりとまでは言わないが、少なくとも範囲での有効打はない状況だ。
『どうしたものか』と悩む日々が続いた。
そんなある日の事だ。
授業後、虐められそうになっている生徒を発見し、彼女らの後をつけて女子生徒を守ろうと戦った。
少し怪我をしてしまい、膝を抱えながらも痛みが引くのを待っていた、その時。
『なあ、何してんの?』
──少女は、運命と出会った。