第十六話『決着の時』
──まるで津波の様に止まらぬ疾走。
『海凪』の水流に乗るクロエの勢いは止まる所を知らない。
敷地内に人がいないというのはとても良い。おかげでクロエは周囲の目を気にすることなく全力を出せるというものだ。
『観戦室』から飛び出して一分も経っていないというのに、彼は既に広大なマギスティアの敷地を半分ほど縦断していた。
(一分もありゃ『聖域』までたどり着く。あっちで使える時間はどれだけあっても困らねえ)
三角屋根を跳ぶ──最早飛ぶようにしてクロエの体が宙へ浮く。建物を跨ぎ、飛び越え、跳躍を繰り返し『聖域』へ。
段々と近づいてくる『聖域』を確認しながらも、クロエは『聖域前広場』を視界に収めた。
「……あれは」
その時だった。
『聖域前広場』を見つめていたクロエの視界の端に、動く何かが目に入る。
先ほどから生徒を見かけた時は少し避けるようにして異動を続けていたが、まさか『聖域』にほど近い所で遭遇するとは思わなかった。
少将面倒だがリスクは避けないといけない。ならばと、クロエは移動する生徒に注目して──
「……なんでアイツが?」
思わず呟いて、クロエは屋根を疾走する足を止めてそちらに向き直る。
知らない普通の生徒ならば当然虫をするところだったのだが、生憎と彼女はティトピアの関係者だった。
荒い息を吐きつつ、『聖域』へ駆け足で向かっていく彼女。当然だがその速度はクロエよりも断然遅い。
流石に無視して直行する訳にもいかず、クロエはそのまま屋根を疾走し、女子生徒の移動距離を計算しながら、目の前に着地するように飛び降りた。
ものの数秒で地面が近づき、先ほどと同じく海凪の水流の力で衝撃を相殺。音もなく着地をしたクロエは彼女の方へ振り向くと、首を傾げながら尋ねる。
「ク、クロエ様!?」
「お前、こんなところで何してんだ? ──マリエル」
心底驚いて目を丸くし、大声を上げた女子生徒。
彼女は、ティトピアのお付きのメイドであるマリエルだった。
ティトピアに付いて行ったとは最初から思っていた。その途中で、彼女の代わりに人を助けるために残ったのだろうという事も、クロエは予想していた。
だがその先は──考えても意味がないというのもあるが──思考から排除していたが故に、こうして遭遇した理由が分からない。
『聖域前広場』に人は近づかない。決闘遊戯当日ともなれば近寄るなと言われるぐらいだ。なのになぜ、究極的に言えば無関係のマリエルがこんな所に居るのだろうか。
「わ、私は、えっと、『決闘遊戯』が終わった際に迎える人間が必要かと思って……そういうクロエ様こそ、なんで屋根の上から……?」
「あぁ~~、まぁ、詳しい話は省くが……ティトピアを助けに行こうと思ってな」
「助けに、行く……? そんな事が可能なのですか!?」
今一理解が追い付かなかったようだが、彼女にとっては可能かどうかは重要だったらしい。問い詰めると表現できるほどに焦りながら尋ねてくるマリエルに対し、クロエは息を整えながら粛々と答える。
「一応な。説明してる時間はねえが」
「そうですか……あの、ティトピア様は『決闘遊戯』に間に合ったのでしょうか!?」
「おう、ギリギリだったがな」
状況から察するに、マリエルはさっきまでずっとティトピアから受け継いだ『人助け』をしていたのだろう。
クロエが事実を告げると、彼女は少しだけ顔を綻ばせた。
「あぁ……」
段々と、彼女の声色が震え始める。
「そう、でしたか。ギリギリでした、か……」
頭が下がって、肩が落ちて、両の拳が強く握られていく。
「ギリギリ、でしたか……!」
「んだよ、泣く程安心したのか?」
明らかに涙を流しそうな様子でマリエルは震えている。
思わず過った感想をクロエは口に出したのだが──どうやら、少し違ったらしい。
「いいえ……違い、ます。ギリギリに、なってしまいました……!」
「───」
それはきっと、一つの懺悔だ。
ティトピア・ヴァルステリオンという少女に寄り添い続けたメイドの、誰も知らない後悔の。
「結局私は、お役に立てなかった!」
零れ落ちた透明な雫が地面を濡らしていく。
彼女の顔は、伏せられていて見えない。だが、握りしめられた拳だけがその感情の強さを表していた。
「──あの方の『人を助けたい』というお気持ちをずっと知りながら、それをいけない事だと否定して……! それでもあの方は変わらなくて、必要なのは否定よりも隣に並ぶ事だと理解して……それで、少しでも役に立とうとしたのに、結局ほとんど何にも出来ませんでした……!」
あぁ、と。
クロエは、自分の心のなかで一つの回答に辿り着いていた。
マリエルという一人の少女は、かつての自分自身だ。
大切な人のために寄り添いたくて、何かできる事を探して。それでも手が届かなくて、自分の無力に嘆くしかない、あの時の『彼』。
「クロエ、様……」
やがて彼女は涙で顔を濡らしながら、ゆっくりと顔を上げ、しかし力強い眼つきでクロエを射抜いて。
「──お願いします。あの方を助ける方法があるのなら、どうかお助け下さい……!」
「……」
「私では出来ませんでした。力も足らず、何よりもあの方の心に寄り添う事が出来ませんでした……でも、貴方様なら。あの雨の日に、躊躇いならも隣に並んだ貴方様なら──それが出来る気がします……」
そして深々と、腰の前で手を合わせて頭を下げた。
ただ一つ、クロエとマリエルの違いがあるとするのなら。
それは自分の感情に折り合いをつけたというところだろう。大切な人の事を過信せず、自分の立ち位置を明確に見極めて、それでもなお願い続けた。
だからこそクロエは、自信をもって答えるのだ。
「分かった。まだ知り合って日が浅いし、アイツにとってどうでもいい存在の俺が言えたことじゃねえけど──」
クロエは再び『聖域』へ振り返る。
視線だけを背後にいるマリエルへ向けて、少しだけ不敵な笑みを携えながら、言った。
「──後は任せろ」
過去の自分から、今の自分へと願いが繋がっていく。そして今の自分から、未来の自分へと、願いが途絶える事はない。
『大切な人を救いたい』。そんな小さな願いだけで、彼らはまだ抗い続けるのだ。
~~~~~~~~~~~~
「……『どうでもいい』だなんて、貴方様は言いますけど」
去っていくクロエの背中を見つめながら、少女は、ティトピアの従者であるマリエルは、溢れる涙をそのままに、少しだけ微笑んで。
「貴方様が助けてくれた日の夜。ティトピア様は、ずっと貴方様の話をしていましたよ──分かってくれる人がいたって」
言葉は強いはずなのに。
彼女はとても、満足そうに言ったのだった。
~~~~~~~~~~~~~
───次の一撃で決めるしかない。
リアの『雷霆の寵閃』を受けきったティトピアは、そう決意した。既に大剣を杖にしないとまともに立てない程の満身創痍。体力も魔力もとっくに限界を迎えている。これ以上長引かせる事が出来ないのなら、次の一瞬で決着をつけるしかないのだ。
「……正直、舐めていたよー」
ティトピアの方を見つめながら、不敵な笑みを浮かべてリアは言う。
彼女もまた、普段は慣れない戦闘を行った弊害か足元をふらつかせていた。この場でまだ万全なのは、リアに肩を貸しながらもう片方の手で大斧を持ったままのロアだけだ。
だが二つの陣営で明確に違う事は、ロッドプレント側はまだ魔力にも体力にも余裕があるという事。
いくらティトピアの実力が高くても、先に削られている事実は大きい。
「『お人好し』。強いとは聞いていたけど、それなりだと思ってた。でもまさか、色々と消耗した状態で私たち『ロッドプレントの双璧』と互角に渡り合うなんてねー……」
「……」
「だからこそ残念だよ。君の性格が悪かったら、もしかしたら肩を並べる未来もあったかもしれない」
あくまでも、過程の話だけど。
不敵な笑みを絶やさないままに、リアはそう告げてその視線を隣のロアに移した。
「ロア、あれやるよ」
「あれ……?」
「──合体魔法さ」
「……! わかったっ!」
元気よく頷いて、リアが離れていくと、ロアは片手で持っていた大斧を両手に持ち替え、その先端を地面に打ち付ける。
大地と金属がかち合う音が響き渡り、瞬間、彼女の大斧が透明で鋭利な結晶によって覆われていった。同時に洗練が開始。一回り大きくなった大斧は、砕けるような音を立てて凝縮されていく。
「───『鉱錬武装』っ!!」
物体を土元素魔法で作り出した物質によって覆い、洗練を行ったり単純に面積を広げる事で強化する魔法。魔法でありながら近距離戦闘を強くするという、大斧と土魔法を得意とするロアの十八番だ。
「リアお姉ちゃん!」
「ロア!」
両手で斧を持ち、肩上で構えたロア。彼女に寄り添うようにリアはゆっくりと移動して───大斧に、杖を翳した。
彼女の掌から魔力が伝わり、やがて何かを宣言するまでもなく杖の先端が雷元素の魔力を纏い始める。
紫紺の輝きを受けながら、リアは静かに詠唱を開始した。
「『静寂なる世界に振り下ろされし雷帝の矛』」
「……」
「『崇拝し、畏怖せよ』」
「…………っ!」
それを見て、ティトピアは掌を前に翳す。
「……『天に腕を伸ばせどなお、劫火の勢いは止まらず』!」
声を、気合を、意思を張り上げるようにして、ティトピアは詠唱を開始。
まるで狩られる寸前の獣の咆哮。風前の灯火は、放っておけば枯れてしまいそうなほどに脆い。しかして、手負いの獣こそが最も恐ろしいという事実を知らない者はいないだろう。
「『大地を焦がせ』『万物を滅却せよ』」
「『稲妻は我が掌に』──『雷躰纏の刻印』」
ティトピアの詠唱と被るようにして、リアの魔法が完成する。
だがそれはまだ前段階だ。ロアとの合体魔法を放つために必要な、準備。
魔法名を告げた瞬間、杖から紫紺の雫が零れ落ちる。潤沢な雷魔力を込めたそれは杖の真下にあった大斧の刀身へ吸い込まれ───瞬間、まるで雷が落ちたような衝撃と共に、大斧が途轍もない威力の電撃を纏った。
「……!」
しかして、担い手であるロアは全く感電している様子はない。それはそのはず。ティトピアの記憶が正しいのならば、その魔法は対象に自滅効果のない電撃を付与する魔法だったはずだ。ならばロアの様子にも納得できる。
『土魔法によって生み出される結晶は雷をよく通す』。これはある程度調べれば出てくる、魔法使いの間の共通認識で、故にロアの大斧は迸る電気を一切の無駄なく宿していた。
まるで彼女と大斧が輝いているかのような煌めき。姉の力を担い、今にも溢れんとする力を抑えながらも、ロアはゆっくりと構えを取る。
纏雷。姉の力を携えたまま、稲妻のように疾走して。
「さぁ、決着を付けようかロア! 土+雷合体魔法斧技───」
「「───『真雷斬』ッ!!」」
一瞬にしてティトピアの眼前に出現したロアが、大斧を全力で振るった。
「『我はティトピア』! 『偉大なるヴァルステリオンの血脈を継し者』ッ!!!」
避ける事は不可能。故に、ティトピアも同様に詠唱を完成させる。
同時に、雷と化したロアを迎え撃つようにして大剣を構え、力の限り振り抜いた。
大剣が熱を帯びる。それはある種の終局。ある種の終わりを告げるための一撃である。
「『炎帝の───
───ぁ……」
それは、あまりに唐突に訪れた。
この時、この瞬間、この間隙に。
大剣と大斧が激突する直前の、瞬きの間に。
火炎を大剣に纏わせた───魔法剣の下地を作ったのを最後にして。
ティトピア・ヴァルステリオンの『魔力』は、底をついたのだ。
「───────────────」
音が聞こえない。
視界がセピア色に染まり上げ、時間の針を強引に留めているかのように、ゆっくりと景色が流れていく。掌に込めた力が霧散していった。
直撃する大剣と大斧。
片方は何もなく、片方は結晶と雷を纏っている。勝敗は明らかなのに、避ける事も一閃を逸らす事すら敵わない。
「───────────────」
何も考えられなかった。何も。頭に浮かんでこない。それが何故だかも分からない。
ただ目の前の現実だけがゆっくりと過ぎ去っていく。
やがて大斧の一撃がティトピアを押し始め、限界を迎えた大剣に罅が入り始めた瞬間。
世界が色彩と正常な時間を取り戻して。
「あ」
終わった。
大剣を大斧が粉砕し。
その煽りを受けたティトピアの体が紙のように吹き飛んで。
視界が回り回り回り回り回り回り。
彼女の肉体は、空中に吹き飛ばされた。
大空が、魔法によって造られた偽りの空が眩しい。
何かを手にしたくて。
少しでも近づきたくて。
その輝きに手を伸ばして───結局は何も掴めないまま。
ティトピアは遥か下にある、偽りの海へ落下していった。
~~~~~~~~~~
「───止まれ。お前は……中等部か? 中等部の生徒がこの『聖域』に何の用だ!」
『聖域前広場』にたどり着けば、後は『聖域』まで十秒程度でたどり着く。だがそれは、『聖堂』の入口に立つ、この騎士を超えた先の話である。
地面に描かれたマギスティアの三柱の模様を肩に刻んだ純白の甲冑を着こみ、槍をクロエに突き付けてくる騎士。彼は『聖域』を守護するマギスティアの騎士だろう。
「……詳しく説明している暇はねえ。納得もされねえだろうしな」
「近づくな。質問に答えろ!」
吐き捨てて、前に進み騎士へ近づいていく。相手は『聖域』の守護を任されるほどの実力者。本来ならば何の犠牲も無しに無力化できる相手ではない。
だが、クロエがマギスティアの生徒である以上、容易に手を出す事は出来ないだろう。その認識は利用できる。
クロエは手をゆっくりと前に伸ばし、謎の行動に困惑する騎士を尻目に───勢いよく手を引き戻し、騎士の持つ槍を掴んで奪い取った。
「なっ……!?」
「わりいな、折りはしねえよ」
そのまま背後に手を戻せば、勢いのままに槍を投げ捨て、魔法を使わずに眼前まで詰め寄る。
生徒が起こした突然の凶行に騎士は反応できない。彼は優秀だ。優秀だからこそ、身内の攻撃には対応できない。
片手を伸ばし、鎧の上から頭を掴むと力任せに持ち上げる。騎士も身長はそれなりにあるが、持ち上げられてしまえば足も浮く。
「くそっ、なにを!」
「───『水連心廊』」
藻掻く騎士を早く沈めるため、クロエは魔法を発動。
対象の体内の水分に干渉する魔法。今回は脳の水を操作する事で、記憶と意識に干渉した。難易度も高く、少しでも魔法によって抵抗されてしまえば中断される精密作業。
だがクロエはそれを阻止するため、僅か数秒で事を終わらせる。
魔法が完遂。
やがて意識を失った騎士から全身の力が失われていった。
「ふぅ……」
鎧から手を離せば、意識を失った騎士の肉体が地面に崩れ落ちる。甲冑の音が響き渡るが、音が凄いだけで逆に肉体そのものは傷ついていないだろう。
そもそも多少荒く扱ったところで傷つくような人物は騎士を名乗れないはずだ。
「申し訳ねえが少し寝といてくれ」
騎士の体を抱え、槍と共に『聖堂』の入口に置いておく。
記憶にも干渉しておいたため、目覚めた時にはこの数十秒の出来事を彼は覚えていない。帰る際に色々と矛盾は出てくるだろうが、事を終えてしまえばすべては丸く収まる。
「───」
意識を切り替え、クロエは『聖堂』の中へ。
大理石の通路を靴の音だけが木霊する。本来ならここに甲冑の音も加わるのだろうが、生憎と今は不在だ。
白で埋め尽くされた異質な空間。貴族でさえもあまり体験した事もないようなそれに対して、クロエは一切を気にする事なく前だけを見つめて歩いていく。
数分、あるいは数秒が経ち、クロエは四方が水に囲まれた『聖域』へとたどり着いた。
階段を登り、その中心へと歩みを進める。
『平定のテーブル』の上には、『決闘遊戯』を行う当人であるティトピアとロッドプレント姉妹の物、そして執行委員会の物と思われるカップが合計五つ置かれていた。
どれも中身が飲み干されていて、彼らはこれを飲んだ事で決闘場に転移したのだと一目で分かる。
「───」
それらを把握し、クロエはテーブルに置かれていた予備分のカップを手に取ると、そこへティーポットの中身を注いでいく。
迷う事はない。戸惑いもない。転移の方法が分からなかったり、この魔法がどういう代物なのかと考える事もない。
───なぜなら、『茶会魔法』は、『彼』が開発した魔法なのだから。
「『実力行使の前にお茶会を』」
並々注がれたティーカップを少しだけ上に掲げ、一気に中身を飲み干す。
───瞬間、彼の姿は消え去った。