第十三話『そうして少女は聖域へとたどり着く』
──その作業は、難航した。
(……『道』が複雑すぎるわ。どうしてこんな構造に)
ティトピアが少年から請われた事、それは『魔法具』の解除だった。
正方形をした掌大の魔法具は、通称『収納箱』と呼ばれる代物。表面の『通り道』と呼ばれる溝を掘る事で鍵をかける事で物を保存できる魔法具だ。
その性質上、かけた本人が解けるほどの難易度でなければ、二度と開かない可能性もある。もちろんプロの魔法使いに頼めば開けてもらえるだろうが、その場合料金がかかるだろう。
だからこそ、本人が理解していれば解ける程度の難易度の『通り道』にするのが典型だった。
「ごほっ、ごほ!」
「っ、大丈夫?」
「は、はい……」
突然咳き込んだ少年にティトピアが声を掛ければ、彼は苦い笑みを浮かべた。
曰く、少年には持病がある。
曰く、『収納箱』の中には薬が入っている。
曰く、定期的に薬を飲まなければ体調が悪化してしまう。
──だから、箱の中の薬が必要なのだと、彼はそう言った。
「……」
疑問点はある。箱の中身を取り出すよりも保健室へ行った方がいいんじゃないかとか、自分より教師の所へ行った方が良いんじゃないかとか、そもそもなぜこんな『聖域』の近くにいるのかとか。
だが、目の前で困っている人がいる以上、ティトピアが動かない理由はないのだ。
「───」
問題は、やはりそこではない。
想像以上に魔力を使ってしまっている事だ。
『収納箱』は、一度間違えるとそれまでの魔力を消費してしまう。その為何回も繰り返す事が出来ず、限られた回数の中でなんとか間違えずに道を選択していかなければならない。
「……ッ」
今、道を間違えた。
こうなればもう一度最初からだ。幸いにして途中までは道を覚えているが、その為に頭の容量も集中力も使ってしまっている。
元々少ない魔力がどんどんと減り続けていた。魔力薬があるため完全に尽きるとまではいかないが、このままでは『決闘遊戯』に残す魔力がなくなる。
「……!」
ならば、と。
ティトピアは目を見開き、一気に『通り道』へ魔力を通していく。魔力をこれ以上余分に使う訳にはいかない。故に使うべきなのは集中力だ。頭をフルに回転させて、その複雑な構造をした溝へ魔力を通していく。
上へ、右へ、今度は下へ、今度は先ほど通った線を飛び越えるように左へ──
そうして冷や汗が出てくるほど意識を集中させて十数秒、カチリッ、という耳障りの良い音がして、『収納箱』が弾かれたように花開く。
「やったっ───え?」
箱の中には、何も無かった。
広がるのは唯の虚空だけ。薬も、それ以外の物も、何もない。
その事実に一瞬硬直してしまって、ティトピアは思わず両手に持った魔法具を落としてしまう。
軽い音を立てて地面へ激突する魔法具。形状的に落ちた後、少しだけ転がって──少年は、ゆっくりとそれを拾い上げた。
「あ、ごめんなさぁ~い」
貼り付けた様な、薄い笑み。
少年は拾い上げた魔法具を少しの間見つけ、再び同じように『通り道』を設定すると、それをポケットへ仕舞う。
そして反対側のポケットに手を突っ込むと、そこから金属製のケースを取り出した。
擦れる音を立てて開くケース。その中には、まごう事なき細長い錠剤が。
「こんな箱の中に薬なんてありませんでした。いや、ほんと……無駄な努力させて、ごめんなさぁい」
「───」
「というか、それにしても」
薄い笑みを、更に厚塗りして。
「結構時間かかりましたね。あ、未熟なのかな……」
「───」
明らかに、こちらの神経を逆なでするような言葉。そして言動。
考えるまでもなくこちらを怒らせる罠だろう。『通り道』を解除する際に魔力と集中力を消費させられ、更に解除した道をすぐに再設定された。
文字通り、全てが無駄になったのだ。
わざわざ足を止め、時間がギリギリになっても続けてくれた純粋な善意を、少年は悪意を以て粉々に粉砕した。
それを受けて、ティトピアは──
「──それ、本当に持病の薬なの?」
「そうだよ? でもま、いまは安定してるし、こんなの必要ないんだけどさ。あぁ、いくら無駄な事させられたからって怒らないでね~? そんな事してもなんの──」
「そ」
ただ平然と、小さく呟いて。
「なら良かったわ。じゃ、その薬があればアンタは無事なのね」
「……?」
「体は大事にしなさい。『通り道』、次はちゃんと解けるようにね」
「…………は?」
友人に、家族に微笑むように、ティトピアは笑顔を浮かべていた。その表情は純粋に相手を心配しているかの如く屈託がない。
助けたのにも関わらず、騙し、煽り、罠に嵌めてきた相手に対し──ティトピアは、安堵したように笑うだけだった。
「アンタ、何を言って」
「──それじゃ。アタシは先を急ぐから」
「えっ、あっ」
悩み事が解決したのなら、もうティトピアの出る幕はない。
毒気を抜かれたように呆けた顔をしている少年を尻目に、ティトピアは手を振ると、駆け足で『聖堂』の方へ駆けていく。
もう、彼女が振り返る事はなかった。
~~~~~~~~~~~~~
「……何だアイツ。えぇ? なんだ、アレ」
そうしてティトピアが過ぎ去った後で、イヤリングの少年は悪態をつく。
口調はひどく乱暴。彼女に対して使っていた言葉のすべてが嘘だったかのように、雑で顔に似合わないものだ。
「きっも……やべえぐらいお人好しじゃん……えぇ?」
ため息をつき、まるで醜いモノでも見たかのように顔を顰める。
癖なのだろうか、収納箱を持つ握手はそれを手の中で遊ばせていた。
「バカな皇女……自分が破滅に向かってるのにも気づかないの? ──あ~ぁ。邪魔して損した……でもま」
肩を落とし、次いで薄い笑みを浮かべる。
「──時間稼ぎにはなったかな。開始時刻一分過ぎ……十分でしょ」
ティトピアが解いた『通り道』と、全く同じ模様が再び刻まれた『収納箱』。
少年はそれを、力強く握りしめて。
「精々頑張りなよ、ミセリア・ロッドプレント」
『聖域』へ向けて呟き、背を向けて去っていった。
~~~~~~~~~~~~~~
その大地は、眩しいほどに白かった。
マギスティアを象徴する三柱の印と、顔を反射するような聖なる色。しかして、ティトピアはその全てを気にする事なく、真っすぐに走り、入り口に近づくにつれてその速度を緩める。
「──」
「……まさか」
息を切らしながらも、ティトピアは兵士へ近づけば、彼は声色を驚きに染めながらそう漏らした。鎧で顔は見えていないが、もし見えていたとしたらもっと分かりやすかっただろう。
しかし彼は自分の漏らした声を失態だと感じたのか、少し頭を下げながら「失礼しました」と謝罪をする。
「本日『決闘遊戯』を行われる、ティトピア・ヴァルステリオン様ですね」
「……ええ」
「諸々、優れないようですが……」
「……何も、ないわ。気にしないで」
手に傷を負い、服の一部が裂け、髪も乱れて、息も絶え絶えのティトピアを見て、騎士は指摘する。明らかにボロボロで、明らかに不調だ。止めるのも無理はないと思うが、ティトピアは首を振ってそれを否定した。
「……畏まりました。あと数分以内に『聖域』にたどり着かなければ失格となってしまいますので、おいそぎください。ご案内いたします」
「わかったわ」
駆け足で先行する騎士の後に続き、ティトピアも足早についていく。
『聖堂』の通路はそれなりに長さはあるが、走れば一分もかからない。やがて視界の先で豆粒と化していた『聖域』が輪郭を帯びていき、そこで騎士は止まった。
そして、こちらに振り返れば敬礼。
荘厳な雰囲気の中、騎士の甲冑が良く映えていた。
「──ティトピア様」
「……?」
騎士に呼び止められて、ティトピアは咄嗟に視線を送る。
すると彼はゆっくりとティトピアに近づいてきて、槍を持っていない方の左手を翳した。
「『揺らめく紺青』『捻じれる翆緑』『死回復生と甦る光』───『ヴァリアブル・ヒーリング』」
「……!」
騎士の掌から魔力が迸り、それは淡い緑色の光となってティトピアを包み込む。まるで花畑の中にいるような感覚と共に、全身の傷による嫌な感覚が消えていくのを感じた。
やがて光が空間に溶けていけば、その頃には彼女の全身に存在した細かな傷は消滅。
「これって……いや、なんで……」
「時間がございませんから単刀直入に言わせていただきますが──私はヴァルステリオンの国民でした」
なぜ回復魔法をかけてくれたのか分からず、困惑のままに尋ねれば、騎士の彼は小さな声で言った。
「職のため知り合いを訪ねにオルティスに行こうとした際、私は不慮の事故で荷物を失ってしまいました。しかし、そんな時偶々通りかかって金銭の援助をしてくださったのが──幼い貴方様です」
「……樹の傍で野垂れていた、あの時の」
「……! 覚えていて下さったとは」
「助けた人の事を忘れた事はないわ」
一瞬にして、ティトピアの頭を記憶が満たす。
確か、ヴァルステリオンの地方都市に行った際の事だ。帰り道の途中、森の半ばの樹の傍にボロボロの少年が倒れていた。制止する使用人たちを振り切って手を差し伸べ、その時自由に出来た金銭で助けた記憶がある。
その時、野垂れ死にそうになっていた少年が、いま治療を施してくれた騎士だというのだ。
「あの救いの手があったからこそ、私はいまオルティス公国の騎士団で不自由のない生活を送れています。本当は私の立場で誰かに肩入れするのはご法度なのですが───騎士ではなく『私』という個人として魔法をかけさせていただきました」
「……」
「治したのは肉体的な傷だけで、体力や魔力はどうしようもありませんが、気休めにはなったはずです──御武運を。我らが高貴なるティトピア様」
掌を胸に当て、次に肘を張った状態で首元まで腕を上げて、その状態で頭を下げる。
オルティスのそれとはまったく違う、ヴァルステリオンの騎士が行う挨拶である。彼はいまこの瞬間だけ、ヴァルステリオン皇国の人間としてティトピアを送り出してくれたのだ。
「ご苦労。大義である──ありがとう」
だからこそ、ティトピアもいまこの瞬間だけは、『皇族』としての言葉を告げる。
そして一瞬だけ微笑むと、彼女は振り返る事なく足を速めた。
~~~~~~~~~~~~~~
──そうして少女は『聖域』へとたどり着く。
体を傷つけ、魔力を使い、大量を消耗して、ボロボロになりながら、それでも。ティトピア・ヴァルステリオンは、『聖域』へと足を踏み入れたのだ。
既に中にいた人間達の視線が突き刺さる。それは彼女が時間に間に合わなかったからだけではないだろう。
「……本当にギリギリですが、間に合ったようですね」
今回の『決闘遊戯』を取り仕切る執行官、バルザメイト・ディン・ファウラウスが、自身の持つ時計を見ながら言う。
噂では穏やかな性格だと聞いていたが、『聖域』にいるが故だろうか、その温厚さは少し鳴りを潜めていた。
「おやおやー……遅かったね」
「すっぽかしたかと思ったわよ!」
意味深に微笑むリアと、恐らくは何も知らないであろう腕を組んでいるロア。
思うところは色々あるが、今は込み入った話をしている暇ではない。ティトピアは目を細めながらも、鼻を鳴らした。
「アアクシデントがあったのよ。むしろ間に合った事を称賛してほしいぐらいだわ」
「──人助けでもしていたのかい?」
「──ええ、人助けをしていたのよ」
交差するティトピアとリアの瞳。なるほど、相手は自分の策だという事を隠す気はないらしい。証拠もないのだから自分が罰せられる訳がないという確固たる自信があるのだろう。
「……」
それどころか、リアは不満そうだ。本当ならば『罠』にはめたまま不戦勝で事を終わらせたかったのに、ティトピアが間に合ってしまった事に対しする感想がその態度である。
ティトピアもそれは理解していた。故に思惑を打ち壊せた感情を表すため、舌を出し煽りを込めて少しだけ挑発。
「申し訳ございませんが、時間が押していますので始めさせていただきます」
二人の会話に割り込み、困ったように笑みを浮かべたバルザメイトが『聖域』、その中心へと近づく。
そこには、一つのテーブルが存在していた。
まるでそれを強調する様に、地面から一段、二段と高く作られた段差。そして空間と同じ色をした、しかし少しだけくすんでいる白磁器のようなテーブル。
左右には椅子が合計三つ設置されていて、見るからにティトピアとロッドプレント姉妹が座る事を考えられていると分かる。
───『平定のテーブル』。
戦争の際、ルシェリア王国とローヴデリア魔王王国の国王たちが和平交渉を行い、まさに『茶会神話』が起きた時に使われていたテーブルそのものである。
テーブルが作られて優に数百年は経過しているが、このテーブルには『時間停止』という当時の魔法使いが粋を凝らした魔法がかけられており、例え何年経とうとも壊れないし錆びる事もない。
『決闘遊戯』はこのテーブルから始まるのだ。
「お三方とも、こちらへ」
バルザメイトと秘書のエリザがテーブルの奥に立ち、手を出して左右の椅子を差す。
ティトピアとロッドプレントたちは、まるで前哨戦と言わんばかりに視線を飛ばし合いながらも、椅子へと近づいて行った。
それを見届けつつ、エリザは密かに『聖域』の端へと移動する。白い壁のうち、一か所だけ色彩が異なる、金属のような質感の魔法具。
魔法レンズと呼ばれるそれに、手を添えた。
「『聖域よ、我が祈りに応えよ』『繋げ』『繋げ』……」
~~~~~~~~~~~~~~~
「……『繋げ』『繋げ』『捧げる我らに視界を齎せ』──『聖域共鳴』」
『観戦室』にて、決闘遊戯執行委員会の委員が、『聖域』のエリザと同じように魔法レンズに手を沿える。
瞬間、設置されている魔法レンズに魔力が灯り───空間が歪むような圧と共に、『聖域』が映し出された。
それは、『聖域』と『観戦室』という二つの空間を繋ぎ、観戦を可能とする特殊な魔法だ。
通称『茶会魔法』と呼ばれる様々な属性の魔法たちの全ては、『茶会神話』を再現するために作られ、運用されている。
『聖域共鳴』と呼ばれる魔法もその一種。本来ならば短距離の景色と景色を繋ぎ、視覚を共有する『共鳴』を起こすための魔法だが、魔法レンズを介する事で遠距離の『共鳴』を可能としている。
詠唱者が二人いるのも、この魔法の特徴だ。空間を操作するような魔法は難易度が高く、また維持も難しい。そこで詠唱者を増やす事で負担も半分にしているのだ。そのためには高度な魔法理解と操作技術が必要であるため、執行委員会に入る最低条件としてこの魔法の習得も存在しているという噂がある。
───やがて『聖域』の光景が映し出され、『観戦室』の面々はそこに映っていた光景にざわめきはじめた。
「……おや、まるで既に戦いを終えた後のような格好ですね」
純白の少女、ソフィアは顎の下に手を当てながら、両隣に座る者たちに向けてそう呟く。ただ座り声を発しているだけなのに絵になるのは流石といったところだろうか。
「『罠』とやらの結果だろう」
左隣。更に横の椅子の背もたれに腕を置きつつ、鋭い目つきで魔法レンズを睨むのはリヴィドランだ。こちらはソフィアとは真反対で、『絵』ではあるのだがまるで死に際の作品を見つめた時のような威圧感があった。
彼らの視線の先に映ってるのは、そして観戦室の面々がざわついている理由は───『聖域』中央の平定のテーブルを囲む、ティトピアとロッドプレント姉妹の姿だ。
特に、皆はティトピアを見て驚いている。なぜなら彼女はまだ決闘遊戯の前だというのに、服が汚れ、髪が乱れ、表情に疲れが見えていたからだ。単純な寝不足や遅刻などではこうならない。明らかに何かがあった事を表しているその姿に憶測が飛び交うのは無理もないだろう。
「何があったかは分からん。しかし、最低限『決闘遊戯』に参加する資格がある事は──クロエ?」
「───」
そして、ソフィアの右隣に座る少年、クロエ・アリアンロッド。
彼は魔法レンズを見つめて目を見開いたまま、微動だにしていなかった。一瞬本当に動いていないのではないかと思うほどの静。しかしそれは、驚くほどの集中力でレンズに見入っているだけだと分かるだろう。
不思議に思ったリヴィドランの言葉にも、反応しない。
だがやがてゆっくりと瞠目すると、眼を細めて言った。
「……助けていたんだ」
「どういう事だ」
「アイツは───ティトピアは、人を助けていたんだ」
魔法レンズに彼女の姿が映し出された瞬間、クロエは全てを理解していた。
『罠』の内容を、ミセリア・ロッドプレントの策略とは何だったのかを。
「あぁ……なるほどなァ……! 道に困っている人間を設置しておくだけ───たったそれだけだが、その罠はアイツ以外には効かない。だがアイツを対象にした時だけは絶大な効果を発揮するだろうよ。実際そうなった訳だ」
思えば簡単だった。ティトピア・ヴァルステリオンという少女をどうにかしたいのならば、困っている人間を置いておけばいい。一見意味のない、たったそれだけの行動で、彼女は途端に崖際へと追いやられる。
こうしてティトピアが『聖域』へと到着している以上、完全に罠に嵌める事は出来なかったようだが、それでも見るからに体力は削れているし、恐らく魔力もかなり消耗している事だろう。
加えて、この罠はティトピアの行動を読んだ上でのモノだ。
クロエの考えもあくまで推察に過ぎないが、おそらくティトピアは聖域へ行く際に人通りの少ない道を選んだ。となればそれを読んだリアはあえて人通りの少ない通路に困っている人を設置したと考えるべきだろう。
更に攪乱のため、悪意のない一般人すら利用しているはずだ。状況は仕組まれたものだが、困っている人がいるのは本当──そんな風にすればより助けざる負えなくなる。
そしてその内容はなるべく魔力や体力を使わせる方向。例え何かの間違いで罠を突破し、こうして聖域にたどり着いても、消耗が激しく勝負にならないようにするためだ。
多分に妄想が含まれているが、正直リアならばここまでするだろう。あの少女は大胆のように見えて案外臆病で怖がりである事をクロエは知っている。
「……つう事は、アイツはそういう事か」
思い出されるのは観戦室に来るまでの記憶。道の端で『収納箱』を弄りながら、焦ったように声を出していたイヤリングを付けた少年。
明らかに違和感のある行動から考えれば、彼はリアが配置した『困っている人』の一人だろう。お人好しの狂犬であるティトピアが彼の隣を通れば助けない訳がない。
加えて、少年はクロエの去り際に『道』に関する感想を聞いていた。咄嗟に簡単だと答えていたが、いま考えればクロエのその言葉は『道』の難易度を上げたのだろう。
『決闘遊戯』当日という事で気の抜けていた自分を恥じつつも、クロエは再び魔法レンズに映る聖域を睨む。
「やっぱ性格わりいな。人の良心をここまで堂々と利用するか、ミセリア・ロッドプレント……!」
『聖域』の映像は魔法レンズを通してこちらに映るが、音声までは聞こえてこない。だからこそ三人が何を話しているか分からないが、どうやら今は口戦を繰り広げているようだ。
「……バカかよ」
口から自然に零れるのは、ティトピアに対する言葉だ。
何度も何度も本人に言っている言葉ではあるが、今回のそれは少し意味合いが違った。
「今日は『決闘遊戯』だろうが……間に合わなかったらお前が大変な事になるんだぞ……」
人助けは素晴らしい事だ。だが、必ずしも自分を犠牲にしてまで行う事ではない。自分があってこその他人であり、それは例えどんなにお人好しでも変わらないはずだ。
だが、常識は彼女に通用しない。自分優先という原理原則を崩してまでも、彼女は人の為に動いてしまう。
「なんで、そこまで」
──それだけがずっとずっと疑問だ。
世界は甘く優しくない。マギスティア寄宿学校という蟲毒ではもっと顕著で、実力違いは多分にあるにせよミセリアのような人間は数多く存在する。
人を助けても何も良い事はないはずだ。もし仮に見返りがあったとしても、損をした事の方がよっぽど多いはず。
苦しんだはずだ。悲しんだはずだ。裏切られた事だって何度もあるはずだ。
けれど、ティトピア・ヴァルステリオンは人を助ける。止められても、咎められても、例え『お人好しの狂犬』と呼ばれていても、自分の意志を貫き、人を助ける。
その理由だけが、どうしてもわからなかった。
「……」
瞬間、泥の中で藻掻いているようなティトピアの姿と頭の中の記憶が重なる。
ノイズとも、頭痛とも取れるような不愉快極まりない感覚。もう絶対に取り戻せない、美しき『親友』の記憶。
「……似てんだ、やっぱり、アイツに」
今回はそれが一際大きい。どうしても重なって仕方がないのだ。
それほどまでに、ティトピアと『親友』は似ている。性格や外見の事ではない───『お人好し』という点で、似ているのだ。
「……」
クロエは一度、ティトピアの事を心の中で蔑んだ。失望を感じ、少なくとも強さの土俵から外した。
だが、もし彼女が度を過ぎたお人好しならば、また話が変わってくる。
「何か飲みましたね」
「……恐らくは魔力剤だろう。しかし色的にあまり質が良くないな。ティトピア・ヴァルステリオンならばもっと良い物を用意できるはずだが」
クロエと共に魔法レンズを見ている二人の会話。その内容に引っかかるところがあったので再びレンズへと視線を向ければ、ティトピアが懐から取り出した瓶、魔力剤を飲んだ所だった。
確かに、リヴィドランの言うとおり、その質はあまり良くない。というより瓶もお粗末だ。皇族である彼女ならば金は幾らでも持っているだろうし、魔力を回復させる目的ならばもっと良い物が手に入るだろう。
だが、まるでそれは素人が作ったような物で──
「───そういう事か?」
クロエの優れた洞察力が、一つの回答を導き出していた。
それは細い糸を結びつけるような考えで、正しい根拠あまり多くはない。だが、一応は筋が通ってるという程度の、考え。
ティトピアは昨日、『かつて助けた生徒たちが今度は力になる』と伝えてきたと言っていた。そして、いま魔法レンズ越しに見えている彼女の外見。服が所々裂けていているのに、肉体には傷一つ見えない。
更にいま飲み干した魔力薬。明らかに専門家が作ったのではなく、生徒が作った未完成品のようだ。
───ティトピアは、『聖域』にたどり着くまでに、様々な人間に助けられた。
これならば、リアの様々な状況を考慮されていたはずの策を突破出来た事の説明にもなる。体の傷がないのは回復魔法を受けていたからで、魔法薬はかつてティトピアに助けられた生徒が渡した物だろう。
眉唾物の考察だが、こうなると辻褄があってしまう。
「そうなりゃ、話が違ってくる」
この事実が告げるのは、ただ恩返しがあったという事ではない。
それは一つの証明だ。ティトピア・ヴァルステリオンという少女にある一つの『能力』があるという、証明。皇族である彼女にそれが備わっているのはある意味当たり前なのかもしれないが、それでも強い意味を持つ。
『カリスマ』。
人の上に立つ際に、最も重要な要素にして才覚の一つ。
人を助ければたちまち助けた相手を魅了してしまう才能。それらは紆余曲折はあれど、巡り巡ってティトピアの助けとなっている。
であるのならば、ティトピアを『愚か者』と切り捨てたクロエの判断は時期尚早であったと言わざる負えない。
と同時に、クロエは認識する。
ティトピアという少女が持つ可能性の強さと、危うさを。
「……ッ」
ノイズに乗ってクロエの脳を侵食するのは、ティトピアと同じ才能を持っていた『親友』の記憶。
かつてクロエの力不足で、コミュニケーション不足で───あらゆる事が未熟だっただけに、間に合わなかった少年の記憶である。
「───」
「漸く開始か」
「最初から番狂わせというのは……珍しいですが、『面白い』ですね」
「そう思うのはお前ぐらいだソフィア。問題が起きれば困るのは執行委員会、ひいては執行官だ。俺にとっては他人事ではないが故に落ち着かん」
「それは分かっています。しかし───」
『聖域』の中心に三人が揃い、観戦室の熱気が最大になる頃。
二人の会話は隣で聞こえてくるのに、なぜか遠くから聞こえてくるような不思議な感覚。
「──お前はなんだ、ティトピア・ヴァルステリオン」
疑問だけがクロエの心を支配する。反芻し、考えても、答えは出ない。
「なんでそこまでして、人を助ける……?」
画面越しに映る歯を食いしばった彼女の姿だけが、脳裏に焼き付いて仕方がない。
聞くしかない。
ざわめきを解消する方法は、直接彼女に問いただす事だ。
「なんで……」
うわ言のように繰り返しながら、何かを耐えるように画面を睨み続ける。
───隣の竜と会話をしながら、鋭い視線を送ってくる最新の神話には気づかないままに。
~~~~~~~~~~~~~~~
「それでは、お注ぎ致します」
円形である『平定のテーブル』を挟み、椅子に座るティトピアとロッドプレント姉妹。
彼女らの目の前には人数分のティーカップが置かれている。テーブルや『聖域』の大地と同じ色の、純白で空のカップ。
バルザメイトは静かにそう告げると、両手で大事そうに持った、同じく純白のティーポットを傾け、ティーカップへと注いでいく。
中身はかつてルシェリアで流行していた紅茶、『ノーサンティー』。いまはもうほとんど生産もされていない絶滅危惧種だが、この『茶会』においては神聖な紅茶だ。
即ち、『茶会神話』の際に国王たちが飲んだ紅茶こそ、このノーサンティーである。『決闘遊戯』が始まる際は、この紅茶を飲むことが規則なのだ。
紅茶を注ぎ終わり、バルザメイトは一礼すると、平定のテーブルよりも一回り小さく、低い位置にある木のテーブルに置かれた二つのティーカップに、再び中身を注いでいく。
『決闘遊戯』を行う執行委員たちも同様に紅茶を飲むことが義務付けられているためだ。
「カップをお持ちください」
バルザメイトの合図で、『聖域』にいる全員がティーカップを頭上に掲げた。
「───場所は『天空決闘場』。方法は『直接戦闘』。勝敗は『降参』を示すか『記章』を破壊した場合に決着。よろしいですか?」
「ええ」
「いいよー」
「うん!」
三者三様の肯定。
それを受けて、バルザメイトは柔和に、それでいて鋭い目つきのまま頷くと、ゆっくりと息を吐いた。
「それでは───皆様、ご唱和ください」
『実力行使の前にお茶会を』。
───全員が同時にティーカップを傾け、中身を飲み干した。
~~~~~~~~~~~~~
瞬間、彼女らの肉体はここではない場所へと飛ばされる。
一瞬の浮遊感と感覚が無くなる感覚を味わい、ふと自分が目を閉じている事に気づいた。
それはある意味睡眠にも似ているし、気絶にも似ている。だが一つだけわかる事は、その瞬間自分は意識を失っていたという事だ。
やがてゆっくりと意識がはっきりとし、閉じられていた瞳が開眼する。
「───」
視界一杯に広がる空、空、空、海、海、海。
彼女らはいつの間にか、聖域と同じような円形の大地に立っていた。否、大地と呼ぶのは正しくない。なぜなら彼女らは今───空の上にいるのだから。
『決闘遊戯』は何も、『聖域』そのもので行われる訳ではない。そんな事をしては歴史的な建物が崩壊しえないだろう。
故に、この作られた魔法空間で行われる。
視界に映る空も、海も、大地も、これらすべては魔法によって用意された、限りなく本物に近い性質を持つ偽物だ。
これも『茶会神話』が発生した当時に存在した最高峰の魔法使いが作り上げた英知の結晶である。
その詳細は明かされていないが、『設定』した通りに魔法空間を作り出すという魔法だ。今回ならば『天空決闘場』。辺りにほかの構造物はなく、また円形の大地以外に足場もない。その円形の広場も、大海から伸びた四本の柱で形成されているのみだ。
「『転移』の成功を確認。皆様、ご無事なようで」
軽く頭を下げながら、バルザメイトは粛々と告げる。どうやら彼は慣れているようで、三人が感じているであろう不思議な浮遊感に苛まれていないようだ。
内臓が上向きの重力に襲われているような感覚と、地面に足が付いていないような感覚が共存している。これは『聖域』から移動する際に発生する弊害だ。魔法によって強制的に飛ばされるのだから、むしろ影響は少ない方である。
(……不思議な感覚ね)
当然だが、ティトピアがこの『転移』を味わうのは初めてだ。『空間移動系魔法』はその移動距離が長いほど人体の負担が大きくなる性質を持つが、いくら皇族とはいえ滅多に体験できるものではない。まだ齢十五歳のティトピアはその機会に巡り合った事がなかった。
あまり良い感覚ではない事は確かだ。しかし十秒程度経てば、段々と気分は良くなってきた。しかし耐性の無い人間は影響が大きいだろう。
「お三方とも負担の方も少ない様なので、安心しました。気分は……よろしいようですね」
頷き現状を確認すると、バルザメイトは隣にいるエリザに目配せ。何か意図を受け取ったのか、彼女は頷き返して、二人は円形の広場の外側の方へ歩いて行く。
そして端まで到達すると振り返り、広場全体を視界に収めた。
「──静粛に」
三人の頬を一陣の風が撫でる。
それは彼の風元素魔法を利用したものであり、そこまで大きい訳ではない声が風に乗って耳を叩いた。
まるで空間まで静かになった様な不思議な錯覚。思わず三人は彼に視線を向け、呼吸すら一瞬止めてしまう。
「──武器の用意を」
言葉に従い、ティトピアは背負った大剣を鞘から抜き去り、ゆっくりと両手で持ち直す。腰を落とし、腹の辺りで剣を構えた。
対して、ロッドプレントの双璧も同様に。リアが元気よく背負った大戦斧を取り出すと、一度地面に下ろし、引きずるようにして──下段に構えた。姉の方は対称的で、何処からともなく長い特殊な素材で出来た杖を取り出すと、調子を確認する様に回し、やがて地面に先端を付ける。
ティトピアとロアの得物はそれぞれ、事前に申請して運んでもらった自分たちの代物だ。『決闘遊戯』において、武器の使用は当然許可されており、その場合自分で『聖域』まで装備していくか、それとも事前に申請を出して武器を提出する事で、当日に受け取る事が出来る。
リアの場合取り出した方法が不明なので、恐らく魔法具か魔法を利用した収納でもしていたのだろう。
「……ヴァルステリオン皇国第二皇女。ティトピア・ヴァルステリオン」
「ローヴデリア魔法王国ロッドプレント辺境伯家が次女、『双璧』、ミセロア・ロッドプレント」
「同じく、『双璧』、ミセリア・ロッドプレント」
武器を構え、名乗りを上げて、全ての準備は完了する。
──絶対に勝つ。
大戦斧を構えるロアと、杖を携えたリア。二人を鋭い視線で貫きながらも、ティトピアは徐々に大剣へと
力を込めていく。
意志を完璧に大剣へ。開始の合図と共に最大の一撃を叩きこめるように。
──元々少ない私の魔力。『聖域』に辿り着く途中で更に少なくなってしまった。
魔力薬で若干回復したとはいえ、それでもかなり減ってしまっている。その上人数的不利を抱えているのだから、時間が経てば経つほどその差は大きくなるだろう。
ならば、ティトピアが取るべき戦術はたった一つ。
濃度の高い魔力を活かした『短期決戦』。
──数分で決着を付ける。
全身を巡る魔力が熱を持ち始めた。
ティトピアの視界に映るのはただ二人。そして耳が聞き取るのは開始の合図のみ。
「『茶会神話』に感謝を。恒久的な平和に感謝を。永世中立国オルティスに感謝を。今日この日、この決闘に関わる全ての人々に感謝を」
バルザメイトが腕を振り上げる。
「『決闘遊戯』」
勢い良く、その腕は降ろされて。
「──開始」
「「「───ッ!!!」」」
大剣が纏うは灼熱の劫火。
大戦斧が纏うは全てを砕く結晶。
二人の持つ刃が、瞬きの内に煌いて。
──『決闘遊戯』が、始まった。