過去
1925年東京の愛宕にある病院で生まれた。だがそのあと父が長崎の佐世保に異動をしたため、私は母に連れられて長崎県の長崎市に移り住んだ。私の母はいわゆる良家の出で、父は海軍造兵士官だった。母の家は代々軍人の家系であり、母方の祖父は日露戦争で装甲巡洋艦日進に乗艦していた。
太平洋戦争中、父は華の二水戦と呼ばれた第二水雷戦隊に所属となり神通に乗艦したが、その後自ら建造に携わった戦艦霧島に異動が決まり、ソロモン海戦で霧島と共に海に沈んだ。そして父や母の兄弟や従兄弟たちのその子供たちの中には、この話に憧れを持ったのか海上自衛隊の隊員として勤務している者もいる。
兄は父や祖父に憧れて海軍に志願し、重巡洋艦愛宕に配属された。俺も父や祖父、兄に憧れて海軍に入りたく海軍に進むことのできる中学を選択し、その後空母瑞鶴の整備兵として配属された。だがレイテ沖海戦のエンガノ岬沖海戦で瑞鶴は沈んだが俺は辛うじて生きていた。呉で療養後すぐに空母鳳翔に異動され若い兵たちの育成を任された。呉は何度も空襲にあったが俺はまた生き延びた。
だが広島に原爆が落とされ、そのあとは母と弟がいる長崎に落とされた。俺の母が長崎に居ることを知っていた上官はすぐに俺を長崎に向かうように手配をした。だが母は亡くなっており、弟は俺の目の前で力尽きた。何度も死のうと思ったが、あの時止めてくれた軍人や「俺の代わりに長生きしてな」と伝えた弟が何度も脳裏によぎった。
戦後、俺は戦友が行っている小さい工場で働き、金属加工の技術を学び、あるときは別の戦友が行っていた大工仕事を手伝い、あるときは農業を手伝ったりなど職を転々としていた。そのどれもが昔からの友人や戦友の所だった。そのとき俺はとある女性と出会い一目惚れをし、相手も俺に好意があったようだったが、俺はそれを自ら突き放してしまった。
「俺は人を殺し、目の前で救うことができる命を何度も見捨てた人間だ」
と言い、俺を嫌いになるよう仕向けた。だが彼女は諦めなかった。彼女は俺に近づこうとしたが、俺は彼女にさようならと伝え逃げた。今思えば最低な行為だったと反省している。俺は彼女を事を忘れるためまたいろいろなことをしていた。
そんなことを続けて数年後、自衛隊が発足された。俺は年齢の問題で正式に自衛隊に入ることはできなかったが、特別講師として呼ばれた事は何度もあった。そこで自衛官たちから信頼を得た俺は練習航海などに参加することもあり、非公認ではあるが自衛官の一員として勤務していた。
そして自衛隊から離れることになった俺はまた友人の所で転々としながら仕事を始めた。そんな生活を80になっても続けていたせいなのかついに体を壊し始めた。若い頃、友人からは「お前はもういい歳なんだから早く結婚しろ!」と言われ続けたが、俺はずっと独身のままでいた。別に結婚したくないわけじゃない、ただできなかったのだ。
そんなある日のことだった。いつものように朝起きて布団を片付けているときだった。体が急に重くなり、頭が割れるように痛くなった。
たまたま挨拶がてら様子見にきてくれた友人が救急車を呼び俺は一命をとりとめたが、もう長くは無いだろうと医者から言われた。それから入院生活が始まり、病院ではいろいろと検査を受けたり、点滴を打ちながら寝る日々が続いた。
俺は死ぬ前にもう一度だけ自分の人生を見つめ直したかった。今まで何度人生をやり直すことができたらと思っていたことか…。
だからだろうか?あの地震の時、俺が自ら死を選んだ理由は。最期に誰かを助け、自己満足をしたかったのだろうと今ではそう思う。
「と、まぁこんな感じだな」
「…こんな事は聞くべきでは無いのですが…あの時私を救ってくださった理由はこれなのでしょうか?」
違う、単純に心配だったからだと言いたかったが俺は言わないことにした。こんな話をした後に否定してもしょうがないと思ったからだ。
「まぁ、そんな所だな」
「……そうですか…やはりあなたは…自分を隠すのですね…」
そうですか、としか聞こえなかったが、聞き返すのも野暮ったいので気にしない事にし、そのあとも彼女たちからの質問にひたすら答えていた。この世界で何をしに来たのか、死ぬのは苦しいのか、何をしたいのかなど。ついでに女性の好みや好きな食べ物や嫌いな食べ物なども聞かれた。何でそんなこと聞くのか疑問だったがそれにも答えた。
「んで、ケンイチの好みの女性って誰なんだ?」
「いやメリッサ、んなこと聞かれても困るぞ…」
「まぁまぁ、とりあえず聞かせてくれ」
「…答えとしては最悪かもしれないが、君たち全員だよ」
すると彼女たちが一斉にえ?と言って顔を赤く染めた。やられっぱなしなので少し仕返しをするつもりだったのだが、思いの外それが大きいダメージだったようだった。
しかし、やっている事が女たらしのそれだったため、俺は反省をする事にした。