初恋の夢
疲れた日に見る夢にはいつも同じ人が現れる。
私の初恋の人。中学生の時に引っ越してしまってそれっきり。また会う日は来ないだろうと感じながら「またね」と言って、見送った。彼も「またね」と言って、去っていった。
これは多分だけど、お互いに初恋だったと思う。まだ恋と名前をつけるには早い、ふにゃふにゃした好きの形。もしも彼が引っ越さず、そのまま同じ中学に通っていたならば、立派な恋に実っていただろう。そういう初恋。
もしも、なんて無いのだけれど。
少しずつ大人に近づいていくうちに、少しずつ彼のことも薄れていった。声とか、顔とか、好きの気持ちとか。モヤがかかったようにぼんやりしてきて、でも、消えた訳でもなくて。私の中に確かにある。
色々な人と関わって、新しいことを体験していって、それがどんどん積み重なって、記憶の奥へ、奥へと押し込まれていった。普通のことだ。生きていれば。普通のこと。
高校の時、同じクラスの子に告白されて、ちょっといいなと思ってた人だったから好きの言葉に頷いた。その人と付き合うことにした。
その時に私は、心の奥底にあったふにゃふにゃとした恋のかけらを記憶の底から引っ張り出して重厚な宝箱の中にそっと入れた。
自分から開けなければ見ることはない。大切にしたい気持ち。きっともうその箱を開けることはないだろうと思いながら。祈るようにそっと鍵をかけた。
そうして、初恋に区切りをつけたと思っていた。
なのに、夢の中に度々君は現れる。記憶のままの小学生の姿だったり、私の知らない制服を着た高校生の姿だったり、大人の姿だったり。ころころと姿を変えて現れる。
不思議なことにどんな姿でも君だと分かるんだ。
夢の世界だから?と思う。現実の世界では君とすれ違っても多分、分からない。それくらいの時が経っている。
きっと夢の中だから。
夢だから、一目見ただけで泣いてしまいそうになるくらいほっとして、あぁ君か、と分かるんでしょう。
夢の中では、たまに君と話したりすることもあるけど、大抵はただ君の姿を眺めて終わる。
友達とふざけて笑いあってる姿とか、必死に勉強している姿とか、美味しそうにご飯を食べてる姿とか。何気ない日常を過ごす君の姿を眺めてる。
私が君と過ごせていたかもしれない、もしもの世界ではないけれど、私のいない君の世界をこっそり覗き見している、そんな夢。
ねぇ、転校した先で友達はできた?
私も君も勉強嫌いで、夏休みの宿題終わらなくて大変だったよね。
給食を美味しそうに食べる君が好きだったなぁ。
君がいなくなってからたくさん君のことを考えた。たくさん君を想ったよ。
あの頃の私たちは子供で、自分の家から歩いていける小さな世界しか知らなくて、その世界が、全てだった。そこで生きるのが精一杯で、例えば手紙とか電話とか何かで繋がっていることはできたはずのに、私たちはそれをしなかった。会うことが出来ないのなら意味がないと思ってしまった。
それを大人になった今、後悔しているのかもしれない。
この子がいれば大丈夫。そう思える子だった。
小さい頃の私は泣き虫で、ちょっとからかわれたとか転んだとか何かあるとすぐ泣いてしまっていた。そんな私の手をぎゅっと握って、にかっと笑ってくれたのが君だった。
夢は、思い出と気持ちからできるのだと思う。
辛いこと、悲しいこと、心が疲れてしまうこと。大人になるにつれて責任と一緒にどんどん増えてくる。
そんな時に君がいたらなと無意識に思って、夢を見るんだ。
私はこれからも誰かに恋をするだろう。次に好きになる人は傍にいるだけでほっとして心が軽くなる、君のような人がいいな。そうしたら君はもう夢に来てくれなくなってしまうかもしれないけれど。
君のような人と恋をしたい。
大人になった私は小さな世界から抜け出してどこにでも行けるようになった。全てが決まってない広い世界。
あなたの居場所を知ったならすぐに会いに行けるほど自由になった。それなのに居場所も連絡もあなたとの繋がりをぶちっと切ってしまった。また会える可能性を潰してしまった。君のいない未来を正解として忘れようとした。
君の夢にも私が現れること、あるのかな。いつか私の夢に君が現れなくなったら。ううん、そうじゃなくても。今度は私が君の夢の中へ会いに行くよ。大丈夫って心を救ってみせるよ。
「はぁ……」
友達が上手く出来なくて、落ち込んで、もういいやとばたんと眠りについた。
校庭みたいな風景が夢の中に形作られていく。それと一緒に自分と同じくらいの子が何人か現れる。
その中に初恋の子がいて、他の友達と一緒に楽しそうに遊んでいた。自分はその様子を上からぼんやりと眺めている。ただそれだけ。それだけだけど、なんかあったかい。
会えないはずの君を見て、あぁこれは夢だと分かるのに。泣きたくなるくらい安心して。
覚めたくない。このままずっとここにいたいと思うのに、朝は必ずやってくる。
「そろそろ起きなさい」と頭の中に声が流れてきて、嫌だなと思いながらも夢から遠のいていく。それでもなんとか夢の端をつかもうとして手を伸ばす。
その時ふと振り返った君が、夢を掴もうと伸ばした手をぎゅっと握って、にこっと微笑んだ。
起きた時、鼻がツンとして少しだけ寂しような気がした。
身体を起こしてぐーっと伸びをする。いつもより早く寝たおかげか昨日のもやもやはふっと消えている。
夢を、見たような気がするけど、どんな内容だったかは覚えていない。だけど、もう大丈夫となぜだかそう思える、そんな優しい夢を見た。