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鯉釣りのような努力で恋は寄ってくる?

 土曜日は休みだ。10時過ぎに辛島は起きた。起きるなり、風呂に湯を張り、コンビニで買ったバラの香りがする入浴剤を入れた。香りを身体に染み込ませるように浸かる。

 湯槽の中でイメージする。ネットで、年下女性へのデートの誘い方を検索したら、もっともスマートなのはストレートに誘うことと書かれていた。流行りのお店や話題の映画など、女の子が行きたくなるキーワードを前置きにして言えば、成功率が高いと言う。

 三十分ほど浸かろうと思っていたが、気が急いて、十分で湯槽から上がった。入念に髭を剃り、鼻毛のチェックをする。

 ワイシャツに着替えると、ドライヤーで髪型を入念に整えた。

 会社に行くときよりも完璧にスーツを着こなして、辛島は1DKのアパートを出た。



 時間は正午過ぎだった。

 辛島は歩道橋付近をスーツを来て歩く。

 早い時間に会ってしまえば、今日は土曜日だから、早めに営業をしていると話せばいいと思っていた。

 土曜日となると、美紅も制服を着ていないかもしれない。どうしても私服の女性の顔をひとりひとり見てしまう。

 すれ違った二十代ぐらいの女性と目があった時、きーっとにらみ返されて冷や汗が出た。

 もっとも根拠のない自信だが、辛島は美紅が自分を見かけたら、美紅から声をかけてくれるだろうと信じていた。

 なんといっても彼女はおれを尊敬しているのだ。おれに感謝しているのだ。おれを恩人と思っているのだ。

 まだ気持ちは恋愛感情には発展していないかもしれない。

 でも、彼女は好きか嫌いかで言えばおれのことを好きだろう。だから、気づいてくれたら絶対話しかけてくれると自信を持っていた。



 夕方まで歩いても、辛島は美紅とは出会えなかった。

 辛島は、子供の頃の父の言葉を思い出す。父親は、川に鯉を釣りに行くのが趣味だった。

「なにも収穫がなかったように見えるかもしれないが、一日中、いま鯉が釣れるかもしれないとわくわくできた。それだけで今日はお父さんにとって素晴らしい一日だった」

 父親は大きな鯉を釣ってくることもあったが、丸一日釣りに出掛けても、なにも釣ることができずに帰ってくる日もあった。そんなときでも父は笑顔で言っていたのだ。

 同じように辛島は考える。

 あの子に会えるかもしれないとドキドキできた。

 それだけで今日は素晴らしい一日ではないか。

 辺りは次第に暗くなってきていた。秋の夕暮れは日が落ちると、分刻みで闇が増す。

 辛島は楠浦に来たしるしに、あの子がアルバイトをしているコンビニに向かった。普通に夕食を買うだけだが、あの子が火曜日と木曜日にアルバイトをしているあの店で買い物をするほうが、今日一日の記憶に華が残る気がした

 店内に入る。急激に猛烈な空腹が辛島を襲った。あの子に会いたい。そのことに頭がいっぱいで、今日一日なにも食べていないことに気づいた。

 おにぎりでとりあえず空腹を落ち着かせよう。それからは肉、肉だ。ビーフジャーキー、あとはあたたかいもの。肉まんと唐揚げ。買うものを頭の中で整理しながらおにぎりの棚で、おにぎりの味を選んでいた時だった。肩をとんとんと叩かれた。振り返るとあの子がいた。コンビニのユニフォームを着こなしているあの子がいた。

「こんにちは、辛島さん」

 灯台もと暗し。

 辛島は、心臓が飛び出しそうになった。

「そ、そっか、こ、こ、こでアルバイトしているって、ゆゆゆ、言ってたね」

 辛島なりに自然な口調で言ったつもりだが、声は震えていた。

「辛島さんこそお仕事だったんですか? ずっとこの辺り歩かれてましたよね」

 見られていたようだ。

 気持ち悪いほど何度も何度もうろうろしていたので、コンビニでレジを打ちながら美紅は気づいていた。

 だけど、辛島は、外を歩いているのがおれだと気づくほどおれのことを気になってくれているんだと嬉しくなる。

「この辺りにお客さんが多いからね」

「土曜日にお仕事お疲れさまです」

 そう言って美紅は話を終わらせ、レジに戻ろうとしていた。

 ストレートに誘おうと辛島は思った。それがスマートなのだ。

「アルバイト、何時までなの?」

「18時までです」

「終わったら、かぼちゃのパンケーキでも食べに行かない?」

「え?」

 美紅は明らかに驚き、そして困った顔をした。

 だが、辛島は今日の目標である誘うことができた! という満足感に心が満たされ、その美紅が表情に浮かべた微妙な不快感というのを察知できなかった。

「すみません、家にご飯があるので」

 美紅は優しすぎる。

 相手を傷つけないような断り形をしてしまった。

 辛島はそれを聞いて、実家暮らしの高校生だもんなあと思った。行きたくないから断ったのではなく、家にご飯があるから断腸の思いで断られたのだと思ったのだ。むしろ、家でご家族が夕飯を用意しているのに、それを無視して遊びに行くような子ではないよなと誘ったくせに納得し、さらにそういうとこも好きなんだよなあと胸の奥で笑う。

 でも、あきらめない。

「じゃあ、明日のお昼は」

 困ったように美紅が黙る。

 年下の女性はリーダーシップを期待しているから、弱気にならず押したほうがいい。

 辛島は、ネットで得た知識を頭に浮かべた。

「カードのお礼ってことで、どう?」

 美紅は額に皺を作って、申し訳なさそうに掌を立てて言う。

「明日は友達と遊ぶんで」

 それでも「おじさんとご飯なんか食べに行けません」ときっぱり断れないのが、美紅の優しさだった。

「じゃあそのお友達も一緒に。ヌーベルアモールのパンケーキ、どう?」

「友達に聞いてみます」

「いつそれがわかる?」

 辛島にそう食い下がられ、美紅は痛恨のミスを犯してしまった。

「LINEしますね」

 美紅がそう言うや、辛島はスーツのポケットから携帯を取り出していた。

「じゃあ、LINEを教えて」

 おにぎりと肉まんと唐揚げを買ってコンビニを出る時、辺りは夜のように暗くなっていた。

 辛島は美紅からLINEを教えてもらったことで、大きな鯉を釣りあげたような満足感に満たされていた。

 女子高生が簡単にLINEを教えてくれたのである。これを好意の裏返しと言わずなんであるだろう。

 明日は友達と遊ぶと言っていた。そのため、食事の誘いは断られるかもしれない。

 でも、それは先約があり、そちらを優先されただけだ。辛島への好意には関係ないはずだ。

 いい一日だった。辛島は下弦の欠けた丸い月を見て呟いた。



 日曜日の午前10時、辛島は開店と同時にヌーベルアモールに電話をした。12時に三人、個室が予約できた。

 美紅との駅の待ち合わせは11時45分だった。

「ごめんね、今日は」

 美紅は瑠夏に話しかける。綾巴と慈子は、綾巴の彼氏とその友達と出掛けているらしい。二人で会うのは抵抗があったので、瑠夏を誘ったのだ。

「いいよ。かぼちゃのパンケーキ、ちょっと楽しみだし。家にいてもゲームしかすることないしね」

 陽射しは強いが風の冷たい心地よい秋晴れ。今日は美紅もうっすら化粧をしていた。それでもファッション雑誌のような格好の瑠夏には気後れする。

「でも、驚いたなあ。あのときのおじさんと美紅が繋がってたなんて」

 瑠夏は辛島とは二回会っている。一度目は歩道橋で逃げて、二度目は美紅の親戚のおじさんかなと思っていた。

「なんだかね……」

 カードのお礼と言われれば、断る理由はない。

 でも、なにかすっきりしない。せっかく瑠夏とかぼちゃのパンケーキを食べると考えると楽しいことをしているはずなのに、なにか楽しくなれなかった。心の奥にずんと重いものが引っ掛かっていた。

 行きすがら、事情を話すと「まああんまりおじさんにおごってもらうのもね」と瑠夏は同情するように言ってくれた。

 美紅の浮かない表情を見て、「なんでコンビニで話しかけたのよ」とも瑠夏は言った。「だって知ってる人だったし、そんな人と思わなかったから」と美紅が答えると、瑠夏は笑った。瑠夏が「今日断ればよかったじゃん」と更に言うと、「断ったらまた誘われるかもと思うと早めに終わらせたかったんだもん」と美紅は言う。瑠夏があきれたようにそれを聞いて「もしかして美紅ちゃん、そのおじさん好きなの?」と真顔で聞いたら、「嘘でしょ」と自分のことなのに他人事のように答えた。

 駅では、すでに辛島は待っていた。

「あのとき、注意された御船瑠夏です」

 瑠夏は大胆に自己紹介する。

「もう仲直りしたんだ」

 茶髪の派手な子。まさにあのとき歩道橋で美紅をいじめていた子だった。

 ただ、仲直りしたのならもうおれの役目は終わったと考えればいいものを、そう考えないのが辛島だった。

 おれのおかげで美紅は、いじめっ子と休みの日に遊べるまでになったんだと、改めてあの日の歩道橋での行動を振り返り、いいことしたなあと自画自賛していた。しかも、そのいじめっ子と美紅を食事に誘うなんて、おれってなんて気の利いた男なんだろうと思う。

「仲直りしてくれておれもうれしいよ。行こうか」

 そう言って、辛島は歩き出した。

 辛島の期待していたように美紅が肩を並べて歩くことはなかった。辛島の後ろを美紅と瑠夏は二人で並んで歩いている。それでも、辛島はわくわくしていた。


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