青春とは年齢の若さである
三か月前までなら真凛がLINEを送信して、既読がつけば、秒で返信してくれた星吾だったのに、既読がついて四時間経っても返信は来なかった。もう日付が変わろうとしている23時56分。返信の来ないトーク画面のディスプレイ。真凛のやりどころのないもやもやは、美紅への怒りに変わっていた。
美紅さえいなければ、わたしと星吾はずっとずっと愛しあえたはずだ。
だって、星吾はいつもわたしに「好き」と言ってくれた。
「わたし以外の女には興味を持てない」とも言ってくれた。
「わたしだけを愛してほしい」と言ったら「もちろんだよ」と答えてくれた。
星吾の顔に嘘はなかったと真凛は思うし、真凛だって星吾以外を愛することは考えられなかった。
わたしには星吾しかいない。そして星吾にもわたししかいない。
それは苗字が矢部から緑川に変わるのを想像しても違和感がない、絶対的な真実だと思っていた。
その真実を壊したのは美紅だ。
美紅が星吾と付き合いだした時、なんで? なんでなの? と真凛は荒れた。
真凛に瑠夏は「真凛とは違うタイプだからだよ」と、冷静に教えてくれたのだけが救いだった。たしかに、地味でおとなしいあの子はわたしとは全くタイプが違う。
甘いものばかり食べていたら辛いものも食べたくなるでしょう。だけど本当に甘いものが好きならば、辛いものをちょっと食べたあとは、また甘いものが食べたくなるよねと瑠夏に言われ、すぐに美紅とは別れ、星吾は真凛のところに帰ってきてくれると信じていた。
思惑通り、真凛は星吾と四か月付き合えたけど、美紅は一か月で振られた。
だけど、星吾は帰って来てくれなかった。
こんなに好きなのに、どうして星吾は気持ちをわかってくれないんだろう。
あんなにわたしのことを好きだと言ってくれたのに。
堂々巡りに何時間もそんなことを考えていると、どうしても憎しみは、星吾と真凛の仲を引き裂いた美紅にたどり着いてしまうのだ。
きっと星吾が振り向いてくれないのは美紅に未練があるかもしれないからと思っていた。
真凛は中学三年の頃から男子にはよくもて、星吾と出会うまで七人の男子と付き合った。たしかにどの男子も真凛のことを真剣に「好き」と言ってくれた。だけど、最後の男である星吾にしか未練がない。
そう考えると、星吾にとって最後の女は真凛ではなく、美紅なのだ。
日付は変わり0時を過ぎていた。
真凛は感情を抑えきれず、「そんなに美紅がいいの?」とLINEを送信した。
すぐに既読はついたが、返信は来なかった。
真凛はこの夜、なかなか寝付けず、ベットの上で何度も枕を叩きつけていた。
真凛からのLINEが届いた時、緑川星吾は家族が寝静まったのを見はからって洗面所に入り、鏡に向かっていた。
自動車学校の帰り道、彼女から首の付け根につけられたキスマークが、制服のシャツのボタンを外すと、隠せそうにない感じなのだ。
「ごめん」と言って彼女が貸してくれたコンパクトケースから、首元にファンデーションを塗っている。うまく隠せるだろうか、シャツにつかないだろうかと不安になるが、前に真凛に首にキスマークをつけられたときは絆創膏を貼ってしまったから、絆創膏を貼るわけにはいかなかった。
彼女とは自動車学校で知り合った。星吾より大人な21歳の大学生だった。
「大人のくせに勘弁してくれよ」
化粧品の甘いにおいが洗面所に広がっていた。
LINEの通知が鳴ったので携帯を見た。真凛からのLINEに「またか」と思う。真凛のLINEに返信する気はなかった。
他の生徒、というか星吾の目もあるため、真凛は学校では美紅にちょっかいを出さない。
教室ではいつも仲良くしている綾巴や慈子と美紅は話していた。真凛や瑠夏のような男子たちとも話す活発なグループではなく、おとなしい子たちのグループだ。
綾巴が美紅の前で手を合わせる。
「ごめん、昨日バイトだったんで」
美紅は「もう進路決まってやる気ないんでしょ」と笑いながらも、数学のノートを綾巴に見せる。宿題を写させてあげたのだ。
学校ではいつもと変わらない平和な時間が流れていた。
ただ昼休み、真凛に話しかけられるや、「急いでいるから」と逃げるように教室を出ていった星吾の様子が気になった。そして「なによ」とふてくされてつぶやいたあと、美紅は真凛に、にらまれたような気がしたのだ。
今日もあのおじさんが現れてくれるとは限らない。
綾巴や慈子は「美紅はわたしたちと帰るから」と真凛や瑠夏に言われたら何も言えなくなり、ついてきてくれないのだ。
放課後に向けて気が重くなる。
でも、と美紅は昨日のことを思い出しては、助けてくれたあのおじさんにちゃんとお礼ができていないなと思った。
昨日のことはほんの偶然で、今後助けてもらうことは、もうないかもしれない。どのみち、半年もすれば卒業して真凛とも別れられる。
だけど、人に助けてらったならば、お礼をしないと気持ちが悪いと美紅は感じた。
大人だったらこういうときはお菓子を持ってお礼に行くのかもしれないけど、美紅にはそんなお金はない。
笑われちゃうかもしれないけど、気持ちが伝わるといいな。
美紅はそう考えると、美術で使うスケッチブックを一枚破り、はさみで切って工作を始めた。
去年、ボランティアで幼稚園の夏祭りに参加したときに、後日お礼と言って、園児の男の子から手作りのカードをもらって、すごくうれしかった。おじさんから見れば美紅は園児みたいなものだろう。喜んでくれるかもしれない。そう考えて、昼休みの40分間をほとんど使って、美紅は二つ折りにしたメッセージカードを作った。制服のポケットに入れたままにした名刺を見て、「辛島さん、ありがとうございました」という言葉をかわいくデフォルメして書いた。
午後の授業が終わり、ホームルームも終わった。担任教師に礼をして放課後になる。真凛は美紅をにらんでいた。瑠夏が話しかけようと美紅に寄ってくる。綾巴や慈子はそれを見守っている。
そのときだ。
瑠夏と美紅の間に入って、星吾が話しかけてきた。
「美紅、久しぶりに一緒に帰ろうぜ」
「いいの?」
美紅が訊く。返事もしないで星吾は美紅の手を握った。
唇をかみしめて、真凛がその光景を見ていた。
教室を出ると星吾はすぐに手を離した。
その手を離す冷たさに、美紅は星吾の気持ちを察する。置いてる距離を元に戻す気はないらしい。
「大丈夫なのか? 放課後、矢部真凛にやられてるんだろ?」
美紅が、はっとする。もしかして、あの動画とか、星吾くんに見られてしまったのだろうか。
「どうしてわかるの?」
「そんな話を聞いたからさ」
「え! どういうこと! どこまで知ってるの?」
美紅は立ち止った。
本当にどこまで知っているか知りたかった。動画を見られてるなら悲しすぎるが、知りたい。
星吾は顔色を変えた美紅を見て「落ちつけ」と言う。
「ここだけの話だけど、御船瑠夏が教えてくれたんだ。やめさせたいって」
「瑠夏ちゃんが?」
美紅をいじめるとき、先陣を切って美紅を追い込むのは瑠夏だった。その瑠夏が? でもたしかに真凛に同じ役割をさせられたら、美紅も自分を守るためにああなってしまうかもしれないと人の弱さを思う。
「帰る途中に寄りたいところがあるんだけど、つきあってくんない?」
美紅は話を変えた。
「どこ?」と星吾に聞かれて、実はおじさんに、真凛からいじめられそうになった時に助けられたと話をした。
「お金ないから何も買えないけど、カードで気持ちだけでも伝えたくて」
「なるほど。大丈夫だよ。相変わらず、美紅は優しいな」
星吾が感心したように言う。
置かれた距離は縮まなくても、こういう友達感覚で話せるだけでも楽しいなと美紅は思った。
辛島英也は慌てて歩道橋の階段の下に身を隠した。
45歳と18歳、冷静に考えればそうだよなと思う。
そして清純そうな身なりをしていても、今どきの女子高生はやることはやってるんだと歯ぎしりした。
昨日と打って変わって今日は仕事の調子がすこぶる悪かった。電気代がいくら安くなるのか説明した顧客には「思ったほど安くないね。このくらいなら大日本でいいかな」と提案を一蹴された。アポをもらおうと飛び込んでも門前払い。成果が出せない。
だが、昨日と同じこの時間、あの歩道橋には行こうと思っていた。
毎日このあたりをこの時間は営業で回ってるんだと言って、偶然を装い、話しかける練習もシミュレーションしていたのだ。
それが……。
美紅は、三角北高の制服を着た男子生徒と親しげに話しながら歩道を歩いていた。
45歳の辛島が割って入れる余地はない。
そうだよな、こんなおっさんなんか好きになるはずないよな。
高校生だもん、恋愛ぐらいするよなあ。それなりにあの子、かわいいもん。
おれも高校生の時に恋愛しとくべきだった、
辛島は自分に言い聞かせるように、そうぶつぶつ呟いていた。
通り過ぎる時にふたりの笑い声が聞こえる。
あんな青春が辛島にはなかった。そして二度とやってこないのも辛島は知っていた。