いざ!弟と彼氏本気の決闘
暦は五月で時は今日(金曜祝日)。私は人生で始めてできた彼氏から、私の弟に決闘を申し込まれたから一緒に来てくれという連絡を受けた。
国道が通っている橋の下、川原で二人の少年が向かい合っている。車が通る音を聞き、風が頬に当たるのを感じる。よく晴れたので薄着にしてちょうどよかった。
私は村崎麻波。まだ受験生になり切れない中学三年生。彼氏あり。
道行く人に自慢してまわったら蹴られそうなくらい自慢の彼氏が同い年の園山殊希君。身長は170センチくらいで体がけっこう引き締まってて眉毛がちょっと太めできりっとしてて髪は自然なかんじで短めでいつも落ち着いて大人なかんじなんだけど照れるとほっぺからじわーってまっ赤になっていってかわいいの。今は正面に立つ少年を険しい表情で見つめている。
その子は私の弟の村崎碕斗。同い年でなぜか体格も私と似ている。私はさほど背が高くないので、弟は男子としては小さい。髪が長くておかっぱみたいになっているのと合わせて女の子みたいだ。余裕のある笑顔で殊希と対峙している。
碕斗は竹刀袋を肩からさげている。家で竹刀を二本入れているのを見た。だとするとこの決闘は竹刀で殴りあうというバイオレンスなものになるのだろうか。
始まる前に止めようと思っても、何と言っていいか分からない。私のために争わないで、とでも、定番過ぎるというかふざけているようだ。そもそも私を取り合ってるのどろうか。私に関係あるの?無いわけないか。
「あの二人とも、ごめん。わたしが」
「全然気にすんなよ。ほとんど俺の問題だし」
碕斗が私の言葉を遮った。殊希が続く。すこし抑揚のある独特なしゃべり方。
「それに、人を好きになるのも、きょうだいがいるのも悪いことではないはずさ」
好き、きょうだい、と聞いて碕斗が含んだように笑った。
「奴の気持ちと俺の立場が対立したから決闘する。いたって紳士的だ」
そう言って碕斗は竹刀を二本取り出し、一本を殊希へ投げてよこした。うまくキャッチする。剣道場で竹刀を投げるとすごく怒られるだろうが、決闘が始まろうとしているこの場で、わざわざ竹刀を手渡しにいくのは、なんというかスタイリッシュではなのだろう。
「決闘のルールを説明するっ」
ルールの無い決闘は決闘にあらず。ルールの上で闘うからこそ理性的に雌雄を決することができ、お互いが後腐れなく日常を取りもどせる。と、碕斗が朝話してくれた。
「先に負けを認めたほうが負けだ。どうだ、分かりやすいだろう」
分かりやすいがとてつもなく難しいルールに思えた。そうとう暴力的なことになりそうだぞ。殊希は静かに碕斗を見据えている。私も彼氏の顔を眺めることにした。髭が剃ってあって、それでいて男の子らしい顔つきだ。
「お前が負けたら姉ちゃんと別れてもらう。ついでに志望校も変えてもらおうか。どうせ姉ちゃんと同じとこにしてるんだろ」
「ばれていたのか」
「恐ろしい弟ね」
「で、俺が負けたら付き合うのを認める。ついでに二人から距離を置くことにしよう。高校だって全寮制のとこにいってやるよ」
「さっきから進学まで絡めるのはのはさすがにやりすぎだと思うけど」
「それでいいこう。始めるぞ」
私の反論は彼氏に無視された。既に互いしか見えていないのか。
「いくぜっ」
竹刀を振りかぶりつつ突撃する碕斗。殊希の肩をめがけて叩き付ける。殊希も竹刀で弾き、碕斗の胴に一撃を食らわす。硬い音に続いて鈍い音が殊希の竹刀から響く。
碕斗は腹を押さえつつ間合いから出、体勢を整える。
碕斗と殊希は剣道をしていた。碕斗は小六の時だけだが、殊希は中学入学から先月まで、つまり直近の二年間竹刀を振っていた。帰宅部の碕斗はどう考えても分が悪い。なのになぜ、弟はこの勝負を挑んだのか。
「へっへっへ、園山君よう」
距離をとった碕斗が気色悪い笑い声をあげた。
「知ってるか園山君、俺の姉ちゃんは普段、裸で寝てるんだぜ」
弟が突然、私の情報を暴露した。
「ちょ、いきなりなんてこと言ってんのよ!」
「本当なのか。麻波が、毎日裸で布団に包まれていると言うのか」
「そうだ。全裸になって自室のベットで眠る姉を、俺は毎晩見ている」
「何で毎晩私の部屋に入ってるの!?」
「ちなみに裸で寝るようになったきっかけは、風邪引いて寝てると寝汗でパジャマがびしょびしょになったので脱いで布団に戻ったらものすごく気持ち良かったからだ」
私の弟が信じられない。
「どうだ園山。自分の彼女が夜毎に裸でいることなんて知らなかっただろう。悔しいだろう。敗北感があるだろう」
碕斗は唖然とする殊希を指差して高笑いをかます。
碕斗の作戦は殊希の知らない私の情報を口にしその勢いで負かす、というもののようだ。だとしたらその作戦は、私が一番恥ずかしい。
「碕斗、それ以上は何も――」
私が言う間に、気を取り戻した殊希が接近し鍔迫り合いになった。
「今度はこっちの番だ。碕斗、僕がいつ麻波に告白したか知っているか?」
「二月の半ば、と聞いているぜ」
彼もこの流れに乗るつもりのようだ。しかし何を伝えようとしているのか。
「正確には二月十四日、バレンタインデーだ。放課後麻波を教室に呼び出して、僕に君のチョコをくれと言ったんだ」
平然と自分が告白した時のことを語る。男子ってそういうの恥ずかしくないのだろうか。
「そのバレンタインデーの意味を色々履き違えた告白がどうかしたのか?」
「そうしたら彼女はこう答えた。『君の思いに答えられるチョコを、今から一緒に探しに行こう』と」
過去の自分が嘘みたいに気取ったことを言っていた。
「僕たちの初めてのデートはデパートでチョコ探しになった。二人でデパ地下を回って楽しいひと時を過ごした」
「だから、それがどうしたんだ」
「その時彼女が買ったチョコレートは二つ。僕が貰ったもの、そしてお前がその胃に納めたものだ」
瞬間、碕斗が雷に打たれたかのように痙攣して膝から崩れ落ちた。
「俺が食ったチョコが、あのチョコが、姉ちゃんがお前なんかと買ったものだというのか」
弟がそこまで衝撃を受ける理由が私には分からない。そういう意味で殊希はすごい。チョコのことで碕斗にこれほどのダメージを与えられると判断できたのだ。
「そんな酷い話が存在するのか。弟へのチョコが、家族愛を超えた俺への愛情が篭っていたはずのチョコがこんな男に汚されていたというのか」
碕斗への愛情は家族愛を超えていない。
「嘘だ嘘だ嘘だ。みんな嘘つきばっかりだ。やはりこんな腐った世界には、俺の姉ちゃんへの愛しか確かなものなどないのか。いったい何を信じて生きていけばいいんだ」
「そうだ疑え村崎碕斗。はたして僕はお前の愛しの姉ちゃんとどこまでの関係になっているのかな」
立ち上がった碕斗は咆哮の後、拳を突き出す。殊希は素手で受け止め腹に膝を入れる。
碕斗は蹲るが顔を上げ、黙って殊希を睨みつける。目前の少年への憎しみを隠さない。
「こないのか碕斗。ならこっちからいくぞ。僕と麻波の初キ――」
「ストップ!それは駄目、言っちゃ駄目!」
彼氏のほうも何を言い出すか分からなくなっている。いつもはもっと慎み深いというかこんなに開けっ広げなところはないのだけれど。決闘恐るべし。
碕斗はこの隙に転がって距離を取った。口元に笑みを取り戻して言う。
「ちゅー程度がどうした。俺だって姉ちゃんと間接キスしたことあるぜ。昨日も歯ブラシ舐めたしな」
冗談やろ。
「姉の歯ブラシを・・・舐める」
「えっと碕斗、私の、それを舐めるのって、そんなにうれしいことなの?」
「そりゃあめっちゃ興奮する。ていうか言わせるなよ、恥ずかしいなー」
身体をくねらして恥らう弟。羞恥心レーダーが馬鹿になっている。
殊希もあきれて、諦めた様にため息をつく。
「お前本当に姉ちゃんが好きなんだな」
こんな文脈でも彼氏が「好き」と口にしたら照れる。私の羞恥心はまだ正常のようだ。正常だよね?
「そうさ。だから大好きな姉ちゃんに寄ってくる虫は、俺自ら排除する」
碕斗が大きめの石を投げた。殊希は余裕でかわし距離を詰める。
お互いに竹刀を叩き付け合う。頬に。肩に。腹に。下半身に。
「園山ぁ、てめえさえいなければ、姉ちゃんとの蜜月が訪れるはずだったんだ。それを貴様はぁ!」
「お前は何も分かっていない!」
「うるせぇ!姉ちゃんを幸せにできるのは俺なんだ!」
「お前の言う幸せが、間違っていると言ってるんだ!」
「うあぁぁぁぁ」
「うおぉぉぉぉ」
青春ドラマみたいに魂のぶつかり合いを演じる。二人ともノリノリでそれっぽいことを叫んでいるのが透けて見えた。
「教えてやろう碕斗。先週僕は麻波と映画を見に言った」
「殊希くん、それを言うのはやめて」
「映画デートだと!暗室だと!貴様ぁ」
「映画の詳細は伏せるが、途中にあったラブシーンで麻波はひゃぁ、と声をあげてしまったんだ」
「言わないでって言ったのに!!」
なんで言っちゃうのだろう。これは私への攻撃にしか思えないのだけれど。
「ほぼ満員の中での『ひゃぁ』って声と、暗い劇場でも分かる赤い顔が、もうたまらなかったぜ」
彼氏は喜色満面でそんなことを言う。弟のほうはずいぶんと歯痒そうにしている。
碕斗は竹刀を振るが殊希にいなされる。体力的にも限界が近そうだ。弟がこの不利を覆すのに使える武器があるとしたら。
「大丈夫か碕斗。古今東西でもするか?」
彼氏のほうは色々吹っ切れたようだ。いい顔している。
「古今東西―『えっちだと思う麻波の身体の部位』脇!」
すごいたのしそう。出ているわけではないけど袖口を引っ張ってしまう。半袖だし。
自分の脇が彼氏にそういう目で見られていたのか。これからのファッションには気を遣おう。あと肌のケアも?
「ほら碕斗お前のターンだぜ。こーこんとーざい」
殊希は手拍子を打って囃す。
「言わないのか。降参か。僕の勝ちでいいのか」
碕斗は無視して空を仰いでいる。そして薄く笑った。
「園山、ひとついいことを教えてやろう」
「おぉ、次は何だ。麻波ちゃんのどんな秘密を教えてくれるんだ?」
「実は俺と姉ちゃんは、血が繋がっていないという話さ」
そう聞いた殊希は、顔には驚きを表さず今までのハイテンションを消して次の言葉を待っている。
「俺の母さんが今の父さんと結婚して一緒に暮らすようになったんだ」
私にとってそのことは自明で、慣れてしまって、さほど気にはしていなかった。でも彼らがお互いをどう思っているかは、私が想像すべきだったのだろうか。
「しかもだな、母さんが再婚したのが俺が小六のときだ。物心付く前からずっと一緒って訳でもなくて、ここ数年の話だよ。俺と姉ちゃんは、たった数年の関係なんだぜ」
たった数年。正確には二年半、先行する年月を弟はそう判断している。
「お前の彼女が、血の繋がりもない他の男と、他人と一緒に生活しているんだぜ。同じ飯を食って同じシャンプーを使って、パジャマも下着も裸も見られ合ってるんだぜ。なあ、今まで俺が言ったことを全部思い出してみろよ」
この二年半は、自分に弟ができたと自覚するには十分な時間だった。碕斗も、私のことを姉と認めてくれていると思っていた。きょうだいになれたと思っていた。
「羨ましかろう妬ましかろう。俺は親の事情っていう棚ぼたで、お前よりも長く一緒にいられるんだ。他人の俺が、麻波ちゃんのすぐ隣にな!」
碕斗は思いを吐き出して達成感に満ちた表情をした。
私も殊希も黙っている。殊希のほうは大してショックを受けたような顔をしていない。
殊希は碕斗への返答を練り、やがて口を開いた。
「お前と麻波の血が繋がっていないのは、もう聞いていた」
「何だとぅ!」
実は、既に私から伝えていたのだ。
「二人の口から聞いても信じられないな。いかにもきょうだいってかんじなのに」
血の繋がりなんて関係ないさ、と言った。
碕斗が鼻で笑い、やれやれというふうに首を振る。
「姉とキスする弟がどこにいるんだよ」
「僕はきょうだいがいないからよく知らないけど、どこのきょうだいもキスくらいしたことあると思う」
確かにきょうだいでキスしたことがあるという話を聞いたことはある。
「普通それは『ちっちゃい頃は』の話だろ」
「君らの場合はきょうだい暦三年だろ。きょうだいになってからの年数で計れば、時期は一致する」
つまり小さい頃キスをしていたきょうだいと、きょうだいになってからの期間がまだ短い私たちを比べると、「きょうだいになってからキスをする期間」が大体同じだという意味だ。
筋が通ってそうに見えるが、何か見落としているような。
だが碕斗は納得したようで、反論できず唇を噛む。
「でも俺は姉ちゃんをおもいっきりえろい目で見てるんだ。こんなの弟失格だろ」
「麻波ちゃんみたいな可愛い子をえろい目で見ない奴が人間失格なんだよ」
私が今まで貞操を守ってこれたのが奇跡に思えた。
「だとしても、俺が弟だと言い切ることはできない」
碕斗はがんばって抵抗しようとする。
殊希は竹刀を放り捨てると、碕斗に歩み寄る。そして碕斗の頬に手を当てて、やさしくなぞった。
「そもそも麻波に似てこんなに可愛いのに、きょうだいじゃない訳がないだろ」
碕斗の目が丸くなり、まなざしは熱を帯びていく。
「いきなり可愛いとか、にゃ、にゃに言ってんだよ」
離れようとする碕斗の手を取る殊希。
「あのな、碕斗…」
「しゅ、殊希…」
私がどんどん蚊帳の外になっている気がするが、彼らの呼び合う声にきゅんきゅんしてきた。どきどきしてくる。なんでこんなに背徳感がするんだ!
弟と彼氏を眺めているだけなのに!!
「碕斗、僕の弟になってくれないか」
もう告白にしか聞こえない言葉が出て、いよいよ弟と彼氏のロマンスが始まりそうになった時だった。
頭上の国道から、けたたましいクラクションの音が鳴り響いたのだ。
熱に侵された頭に響くその音は、変なスイッチの入っていた弟を正気に返した。
碕斗は殊希から露骨に顔を逸らす。彼らとたぶん私も羞恥と興奮で顔が赤い。特に碕斗は火傷したみたいに赤くなって身を震わせている。
「ばーかばーかっっ」
殊希を突き飛ばし、碕斗は駆け出した。竹刀を持ったまま止まらず振り返らずに走り去っていく彼を、ふわふわした感覚で眺めていた。
それからしばらく、私たちは頬の火照りを冷まそうと黙って並んで立っていた。たまに殊希のほうを見ると目が合ったりして、また頬が熱くなったりして、素敵に不毛な時間を過ごした。
よく考えると、あのまま彼らがいくところまでいってしまったら私と殊希の関係は崩れていたかもしれない。助かった。
春風に遊ばれる髪を抑えていると殊希が申し訳なさそうに切り出してきた。
「今日は、その、色々変なこと言ってごめん。碕斗を口説くつもりもなかったんだけど」
「うん。じゃあ別れようか」
「えぇっ!」
少しだけ仕返しだ。狼狽する彼氏を眺めながら、冗談だと言う時を計っていると、私の携帯からメールの着信音が鳴った。
――俺はまだ負けていない
彼らの決闘はまだ始まったばかり!