01 ドワーフの都市
ベッドの上で体を起こして、枕元に置いてあった魔石を握る。
少しの間握っていると、僕の中の魔力を吸収して魔石は青白い光を放ち始めた。それをランプの中に放り込んで天井に吊るす。
部屋の中がそれで漸く明るくなる。
多少冷たい感じのする灯かりではあるけれど。
ここ、ザルフ・ユイムはドワーフによって作られた街だ。
ブリュスレイク山脈に掘られた坑道内に作られたこの街は、太陽の光とは縁のない地下都市だ。
名前の由来はドワーフの王、ザルフと、ドワーフ語での都を意味するユイムから来ている。つまり、ドワーフ王、ザルフの都、というわけだ。
尤も、最近では『冒険者の街』とか、『迷宮都市』といったほうが通りが良いかもしれない。
ドワーフたちによって掘り進められた坑道がダンジョンにつながったのが、一五年前のことだ。
それからというもの、一攫千金を目指した冒険者たちが、この街に押し寄せることになった。
当時から一五年経った今でもまだダンジョンはその最奥に冒険者を寄せ付けず、この街に向かう冒険者たちの流れも途絶えない。
そして、なにを隠そう、この僕、ノット・グラムもそんな冒険者のひとりだ。
「といっても、まだ僕は低ランクだけどね」
誰もいない家の中は物寂しい。最近では時々こうして独り言が出てしまう。
セラがいる時ならそんなことはないんだけど。
ギルドから支給された貸家は、寝室と居間、それに台所がついていて、ひとりで生活するには十分な広さがある。最低限の家具として、ベッドにテーブル、椅子が二脚。暖炉の前には二人掛けの小さめの長椅子が置かれている。
さすがドワーフが作っただけあって、どれも丈夫な上に使いやすい。
ただ、自分で選んだものではないので愛着を持ちにくいのが難点だが、それを言うのは贅沢というものだろう。
僕は台所で水を汲む。
昨日の夕食の、残りのパンと干し肉、それにチーズを用意した。パンにはナイフで切れ目を入れ、干し肉とチーズを挟む。
本当ならお湯を沸かしてファルシーの店で買った紅茶を淹れたいところだけど、そのためだけに火を熾すのも少しもったいない。
この地下都市では薪の値段はけっこう高いのだ。
簡単に朝食を済ませると、昨日の分の日記を書くことにした。
毎日つけることにしてる日記だが、昨日は少し遅くまで剣の練習をしていたせいで、ついサボってしまった。
テーブルの上に紙とペン、それにインクを用意して、なるべく見聞きしたものをそのまま書いていく。記録のためにやっていることなので、自分の考えを書く必要はない。
大事なのは正確さ。そしてできるだけ詳しく、だ。
やっと日記を書き終えると、丁度二の鐘が鳴った。
僕は革の胸当ての上から外套を羽織る。
腰の後ろに、愛用の小剣の鞘を括り付けた。
今日はグレイムの薬店に寄った後で迷宮に行く予定だ。
ギルドでなにか割の良い依頼が見つかればいいんだけど。
◆□◆□◆
グレイムの薬店は、ギルドから与えられた冒険者用の貸家が集まる地区から、ダンジョンの入り口でもあるギルドの建物に向かう途中にある。
魔石ランプの灯かりの下、働き者のドワーフたちは既に忙しく動いていた。
鍛冶工房からは煙が上がり、下働きの若いドワーフたちが重そうな鉱石を運び込んでいる。
樽のような体形の彼らの動きは決して早いわけではないが、力持ちの彼らは一度に運ぶ量が多いので作業効率は良さそうだ。
こうして僕がドワーフたちを見ていても、彼らと目が合うことはまずない。
露骨に避けられているとまでは言わないが、僕らのような冒険者はドワーフたちにとっては関わらないほうが良いよそ者なのは間違いない。
金を目当てに流れてきた食いつめ者、そう言った冒険者に対する見方も、間違いともいえない。
実際、そのような人間も多いのだ。
ごくごく一握りの成功者を除けば、冒険者なんてのは日銭を稼ぐだけで精一杯の単純労働者の別名に過ぎない。
この国でも、迷宮が発見された当初から、他国の冒険者を受け入れる、受け入れないですったもんだがあったのだ。
ドワーフ王は相当渋ったようだが、結局は各国の要求を条件付きながら受け入れることになった。
ギルドに所属し、その管理のもとに探索することと、迷宮内で得た収穫物を、この街から外に持ち出さないことがその条件だ。
迷宮は時に災害にもなるが、上手く利用してやれば迷宮内で取れる鉱物や魔石など、国の発展に大いに役立つ。それを勝手に持ち出されたのではたまらないということだろう。
そんなことを考えながら歩いていると、木造の小さな店が見えてきた。ホビットの経営する小さな薬屋。僕がセラの呪いを解くために、調薬を依頼しているグレイムの薬店だ。
薬店の店主であるグレイムさんのフルネームはグレイム・オランド。弱冠二一歳にして父であるサーバル・オランドから店を譲られた二代目だ。
といっても、サーバルさんはまだ引退するような歳じゃないから、店を譲ったと言っても形の上だけ。
実際のところは、グレイムさんは店主というより、薬の材料を仕入れるためにあちこちに出かける父の留守番というのが正確なところだろうけど。
店の古い木のドアを引く。開かないので反射的に押すがやっぱり開かない。
……そうだった。僕もいい加減覚えてもいいのに、なぜかいつも同じ失敗をする。このドアを開けるにはコツがいるのだ。
僕は蝶番のあたりを軽く蹴ってからもう一度ドアを引く。やっと開いた。
「ねぇグレイムさん、いい加減ドアを取り替えたらどう? って毎回言ってる気がするんだけど」
「うん、そうだね。近いうちに交換するよ。新しいドアは注文してあるんだ」
僕の胸ほどの身長しかないホビットのグレイムさんは、いつものように答えたが、絶対に嘘だ。
もう何か月も同じことを言っているが、一向に改善される気配はない。
元々グレイムさんは、自分の興味のないことに関しては指一本動かそうとしない男だ。つまり言っても無駄なのだ。
それでも毎回ドアのことを言うのは、僕なりのコミュニケーションってやつだ。
「それで、グレイムさん、薬はどうですか? 使えそうですか?」
僕はすぐに本題に入る。グレイムさんはカウンターの上に、黒いなにかの粉末が入った小瓶を置いた。
「一応できたよ。だが、前も言ったように、薬に含まれる魔力量が少ない。材料に含まれる魔力量を超えるものができるはずはないんだ。だから、……そうだな。効果がないとは言わない。いや、間違いなく効果はある。だが、やはり焼け石に水というやつだ。少なくともセラちゃんの呪いを解くことは出来ないよ。進行を多少遅らせるくらいだね」
「やっぱりそうですか」
特に驚きはなかった。前にも同じことは予め言われていた。だが、それでも失望がないわけではなかった。
「そうすると、次はどうしますか?」
「そうだね。方針は合ってるはずなんだ。薬の調合に使う材料の属性は大体定まってきている。あとは、やはり魔力の含有量の多い素材を試したい。例えば、グルナスの実に、キメラの牙、……いや、さすがにそれは贅沢かな。そこまでいかなくても、せめて角蛇の毒牙があれば……」
グレイムさんはぶつぶつと呟きながら考え込む。こうなると、放っておくといつまででも薬のことを考えている。
「グレイムさん、グレイムさん! それで僕はなにを用意すればいいんですか?」
「ん? ああ、そうだね。ノット君には、なんとかサリウムの葉を手に入れて欲しい。迷宮の八階層にあるはずだが、まだノット君はそこまで行けなかったっけ?」
「いえ、このまえDランクになりましたから、一〇階層までは行けます。八階層はまだ降りたことはないですが、なんとかしますよ」
「そうかい? じゃあ頼むよ。あとは、やっぱり金が必要になる」
それは予想していたことだ。こちらが依頼して薬を調合してもらっているのだから金を払うのは当然のことだ。
「はい。わかってます。どのくらい要りますか?」
「最低、大金貨六枚。もしかしたら八枚くらいまでかかるかも知れない」
「……前に渡した分の残りは?」
「ほとんどないよ。悪いね、新しい薬を調合するにはどうしても資金がかかるんだ」
これはまた厳しいことになった。今の僕の財産を全てはたいても大金貨五枚に足りない。
なんとかギルドで依頼をこなして、資金を集めなくちゃならない。
「わかりました。近いうちに必ず用意しますので、出来るところから進めておいてください」
「それは任せておいてくれ。調合は楽しいからね。まだ誰も造ったことのない薬を作る機会なんてなかなかない。喜んでやらせてもらうよ」
グレイムさんはニンマリと笑う。そして、思い出したように付け足した。
「そうだ。サリウムの葉以外にも、迷宮でなにか面白い素材を見つけたら、ギルドで全部売り払わないで、僕のところにも持ってきてくれないか? 特に植物系の素材がいいが、鉱物系も悪くない。もしかしたら使えるものがあるかもしれないからね」
「……考えておきます」
僕はグレイムさんのことを信用してはいるが、調薬の腕に比べると、正直さの評価は少し落ちる。
特に、彼が興味のある薬の原料についての話となると尚更。
依頼に託けて、僕に迷宮の素材を色々と持ってこさせようという魂胆が見え見えだ。
欲しい原料を手に入れるためなら、多少事実を誇張するくらいのことはなんでもないと彼なら思うだろう。
「おっと、ゴメン。お客さんだ!」
そう言ってグレイムさんは、店に入ってきたヒューマンの女性の元に駆け寄る。
……そうだった。グレイムさんって結構スケベなんだよな。しかも、好みの女の子は背が高くて、胸やお尻の大きな子。自分は背が低いのに。いや、だからこそ、なのかな?
◆□◆□◆
ギルドの中は相変わらず、荒っぽい冒険者たちの喧騒に包まれていた。卑猥な話題や噂話、出鱈目なホラ話、そんなものが部屋の中を縦横無尽に飛び交っている。真実と嘘の割合はざっと三対七というところだ。
この街のギルドがおかしいのは、ギルドの受付のすぐ隣がバーになっていて、いつでも酒が飲めるところだ。ギルドの職員のドワーフたちですら、時々酒を買っていくのだ。
彼らに言わせれば、仕事中だから軽いエールで我慢している、誰にも文句を言われる筋合いはない、とのことだ。
もちろん僕は、ドワーフに酒のことで文句を言うような命知らずじゃない。
丸テーブルを囲む四人の冒険者たちは真剣に顔を突き合わせている。これから迷宮に向かうところだろう。
中年のホビットのスカウトが、水タバコを吹かしながらナイフの手入れをしている。
中堅冒険者の男女はカウンターに寄りかかりながら笑い合っている。
タバコの煙の中にソーダの泡が弾け、獣人のウェイトレスは尻に伸ばされた手を蹴飛ばす。
僕はそんなギルドの雰囲気が嫌いじゃない。
だが、残念ながらここで僕に話しかけてくる人間はほとんどいない。
僕自身、自分が妬まれる立場だというのは理解してるので、仕方ないと半ばあきらめている。なにしろ、この酒場は言ってみれば下級冒険者たちのたまり場だ。
もっと稼ぎの良い中堅以上の冒険者たちは、たいてい街の中のもっと良質なカフェやバーに繰り出していく。
同じ下級冒険者でありながら能力のおかげでそれなりに稼いでいる僕は、彼らにとって格好のやっかみをぶつける対象だ。
『能力』。
この世界に現れる超常のモノ。異次元の生物。天使と悪魔。呼び方は色々だ。だが、様々な呼び名はむしろ、それらのモノを僕たちがなにも知らないと言うことを表している。
わかってるのはそいつらが力を持っていて、戯れにこちらに干渉してくるということ。あるものは――セラに対してそうしたように――呪いを与え、またあるものはそれ以外のものを齎す。……つまり、それが能力だ。
僕の前にそいつらの一人が現れたのは去年のことだ。
真夜中だった。
他のケースと同じく、僕もそいつのことはほとんど覚えていない。僕が覚えているのは、赤い目、艶めかしい唇、甘い匂い。
朝、気づいたときには僕は家の外で草の上に横たわっていた。
そして僕はひとつの能力を手に入れた。
僕の能力は、ギルドからは【木の担架】と名付けられた。ドワーフらしく、飾りのない実質的な名前だ。
要するに、人間を運ぶための能力だ。これのおかげで僕は迷宮の救命士と呼ばれ、そこそこの報酬を得ている。
今の僕の住処である貸家も、この能力のおかげで与えられたものだ。
ギルドもなにかしらの能力を持つ者を優遇するのだ。そう明言してはいないけれど。
「ちっ、人攫い野郎がいやがる。酒が不味くなるぜ」
アンジェロ・グレイはそう吐き捨てた。ドワーフほどじゃないにしろ、濃い顎鬚。頬には切り傷の跡。酒に濁った眼が僕を睨んでいる。
僕と同じDランクの冒険者、アンジェロ・グレイは僕が命を助けた男で、そのことで僕を恨んでいる。
間違いなく逆恨みだが、だからといって僕を恨むのは間違っていると、アンジェロを説得できる自信はない。
僕にできるのは、せいぜい全く気にならない振りをして、彼を避けることだけだ。
正直言えば、かつて僕が命を助けた人間にまで敵意を向けられるのはやるせない思いがするけれど。
「待てよ」
だが、彼の横を通り過ぎようとした僕の肩が捕まれる。
今日はいつもよりもしつこい。どうやら、聞こえるように嫌味を言うだけでは物足りない気分のようだ。
仕方なく彼に正面から向き直る。アンジェロの周りには、仲間の男たちが数人いて、面白そうに僕のほうを見ている。さてどうするか。
このまま放っておいても少しすればギルドの職員がやってくるだろうけど、それまでの僅かな時間に何発かは殴られるかもしれない。
素手じゃ敵わないし、武器を抜いたらそれこそマズイことになる。
だがその時、ギルドの入り口からひとりの少年が入ってきた。
少年は後ろに二人のエルフの少女を引き連れている。
冒険者たちの視線が彼に集中する。
黒くて長いマントを引き摺りながら歩いてきた彼は、僕に向かって手を上げた。
「久しぶりです。ノットさん、調子はどうです?」