婚約破棄の現場で~病弱な婚約者~
王宮で開かれるパーティーで王子は婚約者であるポイディクス家の令嬢アポロニアを探していた。
「おかしい。アポロニアが見つからない」
「エスコートなさっていたら、そんなことはなかったと思われますが、ミカエリス様」
婚約破棄したいミカエリスの意向を汲んだ親友はデビューして以降、社交界から姿を消している王子の婚約者を絶対に出席させる方法を告げる。
「だが、それではクロイが参加できないではないか」
「それは私にお命じくださればクロイ様をお連れいたしましたのに」
「クロイを他の男に任せたくない」
「まあ、ミカエリス様」
王子の傍らにいるクロイが頬を染めてはにかんだ。
「独占欲がお強いのですね」
幼馴染の惚気に親友は呆れたように言ったが、目は見守っているかのように優しい。
「当たり前だ。わたしはクロイを愛しているのだぞ」
ミカエリスが言えば、クロイもその気持ちに応えるように言う。
「私も愛しております、ミカエリス様」
王子とクロイが見つめ合って二人だけの世界を作り出しているのを側近たちは静かに笑顔で見ている。
クロイと王子が愛し合うようになったのは、社交界にデビューして以降、病気がちになったミカエリスの婚約者が社交界で不在になったことが要因の一つだった。
元々、家同士の婚約だったが、病に倒れたアポロニアとはここ二年ほど王子は会うことができないでいる。親しくなかった上に、手紙のやりとりしかできない病弱な婚約者の存在はミカエリスの中でどんどん薄くなっていった。
それどころか、一年以上、社交界に出て来ないことから、王妃になるには不適格だという声も囁かれはじめ、その婚約自体も危うくなってきている。しかし今はポイディクス家のほうが病弱な娘が死ぬまで夢を見させて欲しいと頼み込んで、婚約を継続させている状態だ。
次の婚約者を決めなければいけないと思われはじめた時、既にミカエリスの傍にはクロイの姿があった。
死に行く若い令嬢の為に婚約を続けていた王子だったが、流石にそろそろ我慢も限界に達していた。いくら王子の婚約者や王妃になる夢を見せたいからと言って、これ以上、縛り付けられるのも恋人のいる今の状態では嬉しくない。
そこで、婚約破棄を申し付けたいのだが、今夜もまた婚約者の姿はなかった。
親友の言うように、エスコートして無理にでも連れて来なければいけなかったと後悔したその時、婚約者の両親の姿が目に留まった。
「こんばんは、ポイディクス」
「ああ、これはミカエリス殿下。いい夜ですな」
「そうですね。実は今宵はポイディクスにお願いがあるのですが、それを聞いていただけないでしょうか」
「・・・!」
ミカエリスのお願いに見当がついているのか、ポイディクスは身構えた。
「お気付きかと思いますが、私には愛する女性がおります。しかし、病弱なご息女との婚約が障害となっていて、彼女との関係を正式に進めることができません」
恋人との仲を正式に認めてもらって、婚約したいと告げるミカエリスにポイディクスはしどろもどろになった。
「そ、それは・・・。どうか、娘との婚約を止めると言わないでください。実は娘が病気だと言うのは真っ赤な嘘でして・・・」
「病気は嘘だと?!」
怒りのあまり、取り繕っていた王子の口調が崩れる。病気だと言われていた婚約者がそうではなかったからだ。余命いくばくもないからと婚約を続けていたのに、それが嘘だったなど、悪ふざけにもほどがある。
「はい。お恥ずかしいことながら、娘は消えてしまったのです」
ポイディクスの口からは病弱設定どころか行方不明という、それ以上の言葉が飛び出てきた。
「行方もわからないのに婚約させていたのですか、ポイディクスは!」
「お怒りはごもっともでございます。娘はある日、母親の目の前で、忽然と姿を消したのです。あれは人知の及ぶものではございませんでした。娘がこのような状態ですから、我々の心情を慮ってくださった陛下が婚約の継続をお許しくださったのです。殿下と婚約しているとなれば、娘がまだ生きていると我々が希望を持てるようにと」
ポイディクスが話している途中で夫人が泣き崩れた。娘が姿を消したその時のことを思い出したのだろう。
ミカエリスも予想していなかった展開に怒りが引いた。娘が生きていることを願って、戻ってきた時の居場所を残しておく為に婚約を継続させていた父王の判断を見て、自分の矮小さを思い知らされる思いだった。
はじめは病に倒れた婚約者の見舞いに行っていたが、会えないことから次第に手紙になり、その手紙もここ数カ月送っていない。
それどころか、別の女に熱をあげて、結婚したいと願っている始末。
知らされていなかったとはいえ、アポロニアに不誠実な態度だった。
「何故、それを早く言わないのです! そのような事情があるのなら仕方ありません。ポイディクスたちの心の整理がつくまで、もうしばらく待ちましょう」
アポロニアの神隠しを知らされていたらとも思うが、それならそれでいつ戻るかわからない婚約者をどこまで待てただろうか?
ミカエリスは自問自答し、病弱な婚約者がいた時よりも待てなかったと答えを出した。
この婚約は政治的な理由からおこなわれ、自分とアポロニアはそれほど親しくなかった。恋心があれば何年も待てただろうがそうではない。状況が変われば変わる婚約だったのだ。
「いいえ。殿下に婚約の解消を切り出され、わたしも諦めがつきました。娘は人の手には負いかねる状態になってしまった身。家督は息子に譲って、妻と共に娘が返って来るのを待とうと思います」
泣き崩れた妻を支えながらポイディクスは言う。
目の前で消えてしまった娘が戻ってくるのだと思いたいのだろうに、いなくなった事実を受け入れるように婚約解消を受け入れるポイディクスの姿にミカエリスは胸が詰まるような思いがした。
「ポイディクス。・・・感謝します」
王子はなんとかその言葉を口にした。
「ああ、アポロニア。お前の危惧していた婚約はすっかりなくなったようだぞ」
そう言って笑うのは、その場にはいなかったはずの鮮やかな赤い髪の美男。その背には蝶の羽のような炎が揺らめいていて、一目で人外だとわかる姿をしている。
男の腕には黒髪の少女が抱きかかえられていた。だが、その服はこの国ものではなく、ガウンのような古めかしいデザインだ。
「アポロニア!!」
少女の親であるポイディクス夫妻には彼女が王子の婚約者であった娘のアポロニアだと一目でわかった。夫妻は再び目にした娘の姿に感動で身体が震えたが、駆け寄りたくてもその場から動かない。動いてしまえば、幻のように娘が消えてしまうかと思うと、怖くて身体が動けなかないのだ。
ポイディクス夫妻の呼びかけで虚ろな目をしたまま少女が顔を上げる。
「・・・」
「アポロニア!」
「アポロニア! ああ、よく無事で。もっとよくその顔を見せて」
ポイディクス夫人は弾かれたように娘の元へ駆け寄り、その顔をまるでその感触を手におぼえさせるかのように撫でる。
「お母様・・・? お父様・・・?」
少女は自分が夢を見ているのかと思った。攫われ、帰してくれといくら頼んでも、髪を櫛けずるばかりで男は家に帰してくれなかった。賭けを持ちかけられても、それが果たされるとは信じられず、このまま囚われの日々を過ごすのだと思っていたのだ。
会いたくてたまらなかった両親が目の前にいる奇跡を信じられなかった。
「アポロニア。お前の婚約者は三年を待たずに婚約を解消した。これでわたしの勝ちだ。お前の家には約束通り火の妖精であるわたしの加護を与えよう。その代わり、お前はわたしのものだ」
声にならない声を上げて少女は嫌がるように首を横に振るが、笑顔の男は意に介さない。
「王子に祝福を! 火の妖精に婚約者を差し出した彼の者に祝福あれ!」
男がそう叫ぶと、城の外で大きな音がいくつも起きた。夜空には色鮮やかな炎の大輪がいくつも咲き、花開く時にあたりを一瞬だけ昼間のように照らす。何度も。何度も。
その光は少女の頬を伝い落ちる涙で反射する。
少女の涙が床に落ちた時には少女も妖精の姿もなくなっていた。
こうして、王子が婚約解消を切り出したことで、一人の少女が美しい妖精に囚われた生活を続けることになった。命が続く限り永遠に。
王子は選択を悔やむが、かといって現実は変わらない。
夜空に咲いた炎の花の怪異とどこからかこの婚約解消の場面の話が広まり、ミカエリスは婚約者を火の妖精に差し出して祝福を得た王子として有名になって、自分の選んだ妻と共に苦悩を抱えながら生きていく。
ポイディクス夫婦は火の妖精の加護で火で傷を負わなくなり、火の妖精が生まれた子どもを預けたこともあって、その家は火の妖精の血を引く言われるようになる。そして、先祖返りで発火能力を持つ赤毛で報われない恋をする者たちが生まれてくる。
ミカエリスが王になった後も悪評は消えることなく、何代もかけて王家は吟遊詩人たちに王子様の為に試練を受けたお姫様の御伽噺として広めさせ、後世の人々はポイディクス家がどうして火の妖精の血を引くのか疑問を抱かず、王子様とお姫様が結婚して幸せになったと思っている。