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PILOTESS  作者: 蒼原悠
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PL006 ともに進む路





 視界が高い。複雑に絡まる誘導路の向こうに、空港の施設や駐機場の飛行機がずらりと並ぶ。その奥に頭を覗かせるビル群は、調布の駅前のそれか。

 漕げば漕ぐほど感じる速度は上がり、同時に不安定な揺らぎが全身を襲う。包む。

 これが、自分の足で空を飛ぶ感覚──。

 歩美の意識は今にも身体を離れてしまいそうだった。空乃の言葉で、我に返るまで。

『今が目標回転数だよ!』

 見ると、グラフの線と線がぴったり重なっている。左右プロペラの平均回転数、五十。

「これを維持しろってことね」

 歩美は頷いた。事前に説明を受けておいて、よかった。

『うん! ちなみに、減速指示ポイントまで残り百㍍!』

 それだけあれば回転数維持の練習には十分だ。グラフの数字を見つめ、よし、と腰に力を入れ直す。

 弾き飛ばされた空気がフェアリングを掠め、両脇の主翼へと流れ去っていく。小刻みに機体を揺らす力の正体は、風圧か、それとも。たった一㍍の上昇で、搭乗の感覚がこうも変わるものか。

 歩美は夢中でペダルを漕いだ。機関の構造に丸ごと取り込まれてしまったかのように、力を入れただけで勝手にコックピットの先へ足が吸い込まれてゆく。漕ぐたび、機体が見えない力に押されて前へ進む。

『ちょっとペース早いかも! 落とそう!』

「分かってる!」

 回転数グラフが過剰上昇するたび、空乃とそんなやり取りを交わした。減速指示が出るまでに二、三回はあっただろうか。

 長距離を飛行する機体に求められる対気速度は、およそ秒速五~七㍍前後だ。百㍍を通過するのに要する時間は、約二十秒。

 空が、近い。

 地面が、遠い。

 重力の呪縛を知らぬ無の世界を、歩美はただ、がむしゃらに駆け抜け続ける。


(初めて、空を飛んだ)

 肺胞を満たす空気の温もりに痺れながら、何度、心の奥で叫んだだろう。

(あたしでも飛べた。飛べてる。空を飛ぶってこういう感覚なんだ)

 それは、どんな形で実現するにせよ、幼い頃の歩美がずっと、ずっと憧れてきた夢への到達でもあって。

 ああ、何も言えない。

 この幸せは言葉には置き換えられない──。


『減速指示!』

 空乃の警告が出た。すぐさまペダルを漕ぐ足を止め、歩美は周囲を見回した。

 左右のプロペラの回転が止まる。今や滑空機となった『グロリアスホーク』の背後を、チームメートたちが懸命に追い掛けてきている。着陸するよ、と空乃が続けた。

『上手く行かないかもしれない! アユミも操縦桿(サイドスティック)を握っておいて!』

「言われなくても!」

 歩美も怒鳴った。

 推力という支えを失った機体は、不安定にふらつきながらも徐々に高度を下げていく。今のうちにと姿勢を正し、左右の手で操縦桿を握り直した。自転車と同じで、パイロットの姿勢がバランスを欠いていると機体は着陸後に転倒してしまう。

 吹き抜ける風の音が、そして地面が、迫る。着陸(ランディング)だ──。

 どん!

 突き上げるような振動の後に、砂利を蹴散らす車輪の音が機内に立ち込めた。追い付いてきたチームメートたちが、掴め、停止させろと声を上げている。

 空乃は楽しそうである。

『やったー! 降りられたね!』

「偶然降りられた、みたいな言い方しないでほしいんだけど」

『えー、だって初めてのが成功したんだよ!』

 空乃の言葉の合間にも、胴体(フレーム)を捉えられた機体はさらに減速。アスファルトの破片を巻き上げながら、停止する。

「自動操縦システムなんだから着陸できて当たり前でしょ! 偉そうに言わないでよね」

『む! それ言ったらアユミだって、一定速度で漕ぐのくらい一回目からできてるべきだったと思う!』

「う、うるさいわよ! あれはただちょっと夢中になってただけで!」

 停止したことにも気付かず言い合いを続けていた歩美の足元に、不意に冷たい外気が流れ込んだ。

 うわ、と声が出てしまった。清たちがコックピットの扉を開けていたのだ。

「お疲れ」

 清は微笑んでいた。「初めてとは思えないくらいのフライトだったと思うぞ」

 あれで、よかったんだ──。歩美が安堵の息を漏らしたのは言うまでもない。

 ヘッドマウントディスプレイを取り外してから補助の下級生の手を握り、上半身から先に機体から這い出る。振り向けば、広い滑走路の中心に、たったいま天から舞い降りてきたばかりのような顔をして、『グロリアスホーク』はその巨大な羽を下ろしている。

 こんな大きなものを歩美は飛ばしたのだ。言い得ぬ達成感に包まれた、直後。

『お疲れさま!』

 空乃の声が空気を震わせた。

『次のフライトも、よろしくね!』


 なぜだろう。笑い返した方がいいように感じて、歩美はそっと口角を上げていた。

 この笑みが空乃に伝わることはないと、分かっていても。

(空乃(あいつ)と飛ぶのも案外、悪くないかも)

 その一瞬、そして空乃と共に搭乗するようになって初めて、そんな風に思えたからかもしれない。


 ねぇねぇとすばるが駆け寄ってきた。「ソラノとどんな話してたのー? ちょっとは打ち解けられた?」

「え、いや別に、大したこと……」

「えー、勿体ぶらないでよー。電装班一同ずっと気に揉んでるんだからね? ソラノが邪魔になってないかなーって」

 もうすでになっている、などと毒を吐く気にはなれそうもなかった。清が渋い顔で苦言を割り込ませる。

「高山、後にしてくれ。次のフライト二本目なんだけど、注意点は──」

 他の班長たちも集まってきて、離陸前のブリーフィングが始まる。清の話に耳を傾けながら、歩美たちは揃って発進地点へと向かい始めた。

 その背中の向こうでも、メンバーたちに手や支持棒で支えられた機体が持ち上がり、同じく発進地点へ戻されようとしている。

 空は紫色のままだ。夜明けまではまだ、少し。




 歩美はペダルを漕ぎ、プロペラを回して推力を産み出す。

 空乃は操舵で機体を制御し、正確かつ安全にフライトを遂行する。

 本来はパイロットが単独で行うべきことを、歩美と空乃は分業で補っている。どちらの仕事も欠けてはならず、そして今回は、どちらの仕事も上手くいった。


 空乃は口うるさくて邪魔なだけの存在──昔は、そうとばかり感じていた。

 癪だけれど、考えを改めた方がいいのかもしれないと思った。鬱陶しくても空乃は与えられた任務をこなした。歩美への支援も怠らなかった。二回目も、三回目も、四回目も。

 空乃の働きは完璧なのだ。悔しいほどに。

(……あたし、我、張りすぎてたのかもしれないな)

 着陸して機体を降り、お疲れさまと声をかけられるたび、歩美は足元を見つめた。段々と空は東の方から明るくなり、いつしか足の先にはぼうと黒い影が伸びていた。

 身体と影が一体であるように、動力(パイロット)機体制御(オートパイロット)は一体でなければならない。もっと分かり合える努力をしよう──。

 そう心が決まった時、不思議と、凝り固まっていた肩の何かが降りたような感覚が走った。




     ◆




 歩美は作業場に足繁く通うようになった。

 時間帯は夜、トレーニングを終えたあと。目当てはコックピットの空乃である。


 調布TFでの初飛行達成を受け、グラウンドTFでも飛行試験が始まった。多少、飛べる距離は短くはなるが、それでも得られる情報は山とある。

 空乃と話し合う内容は大きく分けて二つである。歩美の改善点の洗い出しと、フライト中に話す内容の打ち合わせ。

「こないだの第六回のデータ、出せる?」

 などと話しかけると、空乃はいつでもモニターにTF中の各種諸元を表示してくれる。それをもとに、二人で検討を重ねる。

『回転数を気にして初速が落ち気味になってるんじゃない?』「うん、それ自覚あってさ。やっぱり控え目な値になっちゃってんな……」『うんうん。離陸はできる速度だけど、離陸滑走中にできるだけ加速は済ませておきたいよね』

 空乃の指摘は容赦がない。しかし余計な忖度を挟まない方が、きちんと対策を練りたい歩美にとっては都合がいいのも事実で。メモを取り、戦略を考え、次のTFに活かす。繰り返すうちにその流れにも慣れてきた。

 それから、もうひとつ。

『こないだから離陸の時も文字で警告するようになったけど、アユミ、どう思った?』

「やっぱりない方がいいや、あれ。思ったより視界が遮られて怖いんだよね」

『じゃあ、今まで通りボクが【離陸します】って叫ぶだけでいいね!』

「いいけど、声量はもう少し下げられない?」

『うん! じゃあ、ボリューム三段階くらい落としとくね』

 ──こんな具合に、空乃と歩美の交信の内容も検討するようになった。

 理由は単純で、不必要な会話や台詞は歩美の集中力を削ぐことに繋がるから。歩美だって一生懸命にペダルを漕いでいるわけで、そこに呑気な言葉をかけられてもちっともありがたくない。具体的には『がんばれー!』だとか。

 だから事前に確認しておくのである。何を話し、何を話さないのかを。

『ねー、でもボクやっぱりあれは言いたいんだけど』「何を?」『離陸可能回転数突破! ってやつ』「ぜったい要らないから言わないで」『そんなぁー。本物の飛行機みたいでかっこいいじゃん!』「あんた本物の飛行機なんか知らないでしょ」『アユミだって知らないくせに』「うるさい! 言わないでいいの!」

 はたから見れば単なる言い合いにしか見えないのかもしれないが、これでもそれなりに真面目な打ち合わせのつもりなのである。そうでなければ、終バスを逃すほどの時間まで作業場に居残ったりはしない。

 それに、こんな形でも空乃と向き合えるようになっただけ、きっと歩美にとっては進歩なのだ。

(普通に話す分には面白いんだよね、この子)

 決め台詞を封じられて不平を垂れるコックピットを前に、何度、そんな前向きな感想を抱きそうになったか知れない。はなはだ不本意ではあったのだが。




 歩美と空乃の関係の変化を一番に喜んでいたのは、他でもない電装班の面々である。

「ああいうのを求めてたんだよー!」

 などと、すばるには今にも顔が裂けてしまいそうなほどの笑みを見せつけられた。「私たちにはパイロットの事情は分かんないし、ああやって話し合ってシステムを調整してくれるのが一番なの! やっと分かってくれた!」

「だったら初めからそう言ってくれればいいのに……」

 歩美のぼやきはみんな聞き流されてしまう。近頃、確信を持って言えるようになってきた。空乃の人格(キャラクター)モデルになっているのは、開発者のすばるに違いない。

 会話特化型の人工知能【空乃】では、複数層の神経回路網(ニューラルネットワーク)を用いた機械学習──すなわち、データ集合の解析による自力での知識吸収や思考の発達を行っているらしい。つまり、開発当初にインプットされていた知識がすべてではなく、その後の空乃次第ではいくらでも表現や判断基準、規則を増やしていけるということ。歩美(パイロット)とのフライトや話し合いを重ねることで、空乃はより歩美や『グロリアスホーク』に最適化された人工知能へと変化してゆけるのである。

「長い距離を飛べば飛ぶほど、ソラノと一緒にいる時間は長くなるわけだし、せっかくだからうんと仲良くなっちゃってほしいんだよねー」

 すばるを含めた電装班のメンバーたちは、しきりに『仲良くなる』ことを強調したがる。そしてその理由もまた、もっともでもある。

 鳥人間コンテスト上位常連校レベルにもなると、フライト時間は平気で一時間や一時間半を超えていく。それ以上の飛行距離を、歩美たちも目指すのであれば。

(あいつと二人きりの時間がどれほどあっても耐えきれるくらいには、仲良くしゃべれるようになっておいた方が得策よね)

 歩美の考え方も徐々に変わっていった。──空乃が同じことを考えているかどうかは、定かではない。


 TFでの飛行試験は、比較的安定的に推移している。

 飛距離は百五十㍍まで延ばした。高度二㍍前後、すなわち人の背丈を上回るレベルの高さでも、もう恐怖を感じることはなくなってきている。

 調布飛行場での初の飛行試験から、もうすぐ二週間。

 歩美も、空乃も、それから離着陸を支えるスタッフたちも、誰もが『グロリアスホーク』のフライトに慣れを覚え始めている。





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