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PILOTESS  作者: 蒼原悠
3/13

PL002 地上滑走




「へー、しゃべる飛行機ねぇ」

 実家の母に電話すると、母は呑気な声で答えた。「いいじゃないの。よく知らないけど、独自のシステムなんでしょう?」

「そりゃそうだけど……」

 続いて喉から飛び出かかった言葉を、すんでのところで歩美は飲み込んだ。

 歩美の実家は、遠い。東北に住む両親に心配をかけないように、帰省していない間も歩美はたまに電話で連絡を取るようにしていた。大学三年生になった今も、欠かさず。

 物足りなくなって見上げた夜空に、市役所の奥に建つ清掃工場の煙突が航空障害灯の赤色光を煌めかせている。体幹トレーニングに励みながらの姿勢では、それくらいの視界が精一杯だった。母が、優しい声色になる。

「もうすぐTFなんでしょ。いよいよって感じねぇ」

「うん。もう、明日」

「初めて飛ぶのは楽しみ?」

 どうだろう。試乗会の時のことを思い出して、歩美は苦い顔になった。

「自動操縦っていうのは、あんまり嬉しくないけどな。操縦まで含めてパイロットなんだって、あたし、テレビで見てた頃からずっと思ってきたもん」

「あんたは昔から鳥コン、夢中になって見てたもんねぇ」

 そうだよと鼻息を荒くする。歩美が実家から遠く離れた東京の多摩工大に進学したのだって、もとはといえば空に憧れたからだ。

 あるいは、自分のチカラを動力にして空を飛ぶ、人力飛行機に。

 その役割の一部を機械に奪われてしまったようで、なんだか気に食わない。──こんな考えが合理的でないことくらいは分かっていたが、だからって簡単にCAPASや空乃の存在を受け入れられるわけでもなかった。

(だいいち、そもそもの疑念の出発点は、なんで空乃(あいつ)を積むことになったのか分かんないことなんだから)

 歩美は深呼吸をした。そのうちの半分くらいはため息のつもりだった。

 別に空乃が悪いとは言わない。せめて、事前に教えてほしかった。これでは歩美がチームメートではないみたいではないか──。

「……ま、そうでなくてもあんたのところ、色々あったんだから」

 話題を変えたそうな声色で、母が言い添えた。「ともかく頑張りなさいな。ね」

 プランク──腕立て伏せの姿勢をやめて起き上がりながら、はーい、と歩美は返事をした。

 身体よりも心の方が、(だる)かった。




     ◆




 人力飛行機は通常、パイロットが漕ぐペダルの回転力をプロペラに伝え、プロペラで空気を切り推進することで、主翼から揚力を得て飛行する。

 口で言うのは簡単だが、実際、それは決して簡単なことではない。体力の限界を把握した上で、風を読みながら操舵して適切な状態に機体を維持、かつ安定的にペダルを漕ぐ──。状況判断をすべて委ねられるパイロットの負担はあまりにも重い。当然、いくら地上でトレーニングを積んでいようとも、いきなり搭乗してフライトを成功させることなど不可能である。

 そのための訓練の場として行われるのが、飛行試験(テストフライト)だ。頻度は週に二~三回。多摩工大の場合、普段はキャンパス内の多目的グラウンドを借り受けて、風の強くない早朝の時間帯にひっそりと行われる。

 サッカー部の朝練の邪魔にならないよう、開始は午前四時、終了は午前六時。機体の搬出入や組み立てには時間がかかるので、実際にはその三時間前には集合、作業を開始していなければならない。TFは寒さや眠気との戦いだ。




 グラウンドの中心を目掛け、十五枚の型枠用合板(コンクリートパネル)が並んでいる。深夜から時間をかけ、一年生部員たちの設置してくれたこの板が、TF中には離陸用の仮設滑走路になる。

 その仮設滑走路を眺めながら、歩美たちは機体の傍らで第一回TFの最終ミーティングをしていた。

「繰り返しになるが、今日は飛ばなくていい。あくまで地上滑走試験のつもりでいてほしい」

 念を押すように清が言った。「高山、CAPASの調整は済んでるか?」

「済んでるよー。高度を上げないように指示を出しておいた」

 歩美の後ろから顔を覗かせたすばるが、タブレットを指で叩きながら答えている。

 あたしはただ漕いでりゃいいんだな──。何となく醒めた気持ちになっている自分が、悲しい。プロペラ班の班長と確認を始めた清をよそに、歩美は背後の機体を見た。TFはもっとわくわくして楽しみなものだと純粋に思っていられた、つい先日の試乗会までの自分が、今となっては懐かしく思えた。

 普段、狭い作業場に分解されて閉じ込められている『グロリアスホーク』は、今は羽を存分に伸ばし、心地良さそうに風を浴びている。

 そんなことで腐るなよ、あたし──。

 気を引き締めようと、ぺちんと音を立てて頬に平手を当てた、その時。

『なーんだ。今日は飛べないんだね』

 コックピットが、しゃべった。『初めてのTFだって聞いて、ボク、期待してたのに』

 ぎょっとしたように振り向いた清たちが、なんだ、とでも言いたげに後ろを向く。すばるが慌てたように変な表情を浮かべた。「あ、もう先に空乃の電源入れちゃった」

 さすがの歩美も苦言を呈するのをためらわなかった。

「……あのさ。空乃(そいつ)、空気を読むっていう能力は備わってないの」

「ないよ」

「…………」

「作業場でもすっかりムードメーカーみたいになってるし、可愛いからみんな許してる(ふし)あるし」

 聞けば、日常の作業中にも基本的にはずっと作動していて、より円滑な会話の演習も兼ねて部員たちとしゃべっているのだという。トレーニングに勤しむために作業場にはあまり立ち寄らないようにしている歩美が、道理で知らないはずだった。

 グラウンドの整備が終わったらしい。明るみ始めた空をバックに、吹き流しを持った一年生が滑走路の両脇に立つ。風は、ない。

「やるぞ」

 清が声を張り上げた。「滑走試験一本目準備! 全員、配置について!」

 歩美も慌てて、機体に乗り込む。補助の手を借りながら狭い入り口に身体を押し込んで、どうにか座面に腰を乗せ、靴をペダルにセット。ヘッドマウントディスプレイを装着し、清の指示を聞こうと窓に耳を近付けると。

 空乃が、朗らかな声で言った。

『楽しみだね、アユミ!』

「……うん」

 歩美はぼそっと答えただけだった。試乗会前の自分に、今の言葉を聞かせてやりたかった。




 パイロットがペダルを漕ぐ訓練。および、それを支えるチームが機体発進時の動きを覚える訓練を兼ね、地上滑走試験は行われる。空を飛ばないからといって無意味なわけではない。

 徹底的な軽量化の図られている人力飛行機は衝撃に弱く、中でも大きな主翼はとりわけ脆い。墜落や衝突など、防げる事故はすべて防がねばならなくなる。そのため、機体の通過するコース両脇には手の空いている部員たちがずらりと並び、機体に何かが起きた時の緊急対処を引き受けている。『キャッチングランナー』と呼ばれる役回りである。

 それ以外の面々は基本、後方から機体を追い掛けることになる。専用の台を使ってコックピット前部を持ち上げる『キャリアー』、主翼下部に取り付けた紐を持って機体を追う『ウイングランナー』、パイロットの靴や上着を着陸地点に届けて着用を手助けする『パイロット補助』……。様々な役割を持ったチームメートたちが、機体の後ろに配置される。


 コックピットの窓から見るその眺めは、壮観だ。歩美はそっと、嘆息した。

(みんなが、あたしの走りを見てる)

 緊張なのか不安なのか、自分でも区別がつかない。すぐさま空乃が口を開いた。

『心拍数、上がってない?』

「余計なお世話よ」

『大丈夫! いつも通りやればいいんだから』

 うるさいうるさい──。今度は歩美も返答をしなかった。空乃が鬱陶しかったからではなく、清が最終点呼を始めたのが聞こえていたから。

コックピット(コクピ)傾き補正! 機体方向修正! 翼バランス調整!」

 点呼のたび、それぞれ待機している部員たちから「OK!」と返事が行く。こうしてひとつひとつ、トラブルの原因を念入りに取り除くのである。

昇降舵(エレベーター)方向舵(ラダー)!」

 声が飛んだかと思うと、それまで沈黙していたCAPASが動きを起こした。それぞれの舵を左右に動かし、中心位置で停止。そのブレを後ろから確認し、「OK!」の声が上がる。

「パイロット!」

「OKよ!」

 歩美も答えた。靴はペダルに固定されている。少し漕げば、左右のプロペラがきちんと回転する。問題はない。

 点呼はなおも続く。正面からの風、ほぼ無風。後方からの風、ほぼ無風。「キャリアー離脱!」の号令に合わせ、コックピットの前に突き出る主桁を台で支えていた面々(キャリアー)が台を外し、脇へ駆け抜けてゆく。

「滑走試験一本目、開始!」

 これで準備は整った。清の言葉を待っていた歩美は、大声でそれに応じる。

プロペラ(ペラ)回しま──すっ!」

 ぐい、と足を奥へ押し込むと、左右のプロペラがゆっくりと回転を始めた。ディスプレイに表示された回転数の数値が上がっていく。五……十五……二十五……。

 発進時の回転数に達した!

「行きます! 三、二、一、ゴー!」

 叫んだ。機体後部を掴む部員たちが一斉に前へ向かって押し、『グロリアスホーク』は板を蹴って滑走を開始した。

 その間にも歩美は漕ぐ力を増してゆく。もっと、もっと──プロペラだけの推進力で前へ行かねばならない。景色が凄まじい勢いで後ろへ流れていく。チームメートたちが続々と、遠ざかる。

『滑走路端到達! 落ちるよ!』

 空乃の声と同時に、どん、と衝撃が機体を揺らした。車輪が滑走路を飛び出したのである。

 二つの大きなプロペラを、早朝の天に強く唸らせ。『グロリアスホーク』は今、歩美ひとりの力でグラウンドを走り始めた。


 漕げ。

 漕げ。

 もっと早く、もっと長く。

 足に走った痛みと疲労の分だけ、あたしは、みんなの努力の結晶を前へ運べるんだ──。

 歩美は夢中になってペダルを蹴っていた。対地速度の数値がぐんぐん上がる。なるほど、確かにこうして色々な情報にいっぺんに接することのできるCAPASは、画期的なシステムなのかもしれない。

『速い速ーい!』

 愉快そうな空乃の声がした。が、もとより耳を傾ける気など歩美にはない。ただ前を見て、横を見て、その猛烈な機速を感じようとした。

(これが、あたしの憧れた世界)

 多摩工大の建物が残像のように視界を横切って、消える。人も、木も、まともに見えない。

(これがパイロットの目線なんだ……!)

 プロペラの風切り音が美しい。胸の奥で常に何かを爆発させているような心持ちに包まれて、歩美は機体にしがみつくようにペダルを漕ぐ。前へ、前へ、前へ──。

 突如、空乃の声量が大きくなった。

『止まって!』

 続けざま、ディスプレイに【減速指示】の赤文字が激しく明滅する。はっとして歩美は漕ぐのをやめた。不意に静かになったコックピットの中に、フェアリングの向こうからいくつもの声が聞こえてきた。

「減速! 減速!」「羽沢、止まれ!」「聞こえてるーっ!?」

 聞こえていなかった──。歩美が唇を噛んだのは、言うまでもなかった。

 プロペラの回転が止まっても、軽量かつ空気抵抗の少ない人力飛行機はしばらく惰性で走行してしまう。もちろん逆噴射で推力を抑えることもできない。衝突事故回避のため、一定の距離を走行するとパイロットに減速指示が出され、パイロットはプロペラの回転を止めなければならないのだ。

 砂を蹴散らす音をしばらく響かせ、『グロリアスホーク』はそこから三十㍍ほども走ったところでようやく停止した。

 垣根がすぐそこまで迫っていた。危なかった──。大きな息を吐き出した歩美に、空乃が口を尖らせる。

『前方障害物までの目算距離、五㍍。アユミ、夢中になりすぎちゃダメだよ。ちゃんと前を見なきゃ』

 耳が痛い。歩美は首を振って、ディスプレイを睨んだ。「……分かってるわよ」

『本当に分か──』

 そこまでしか言わせずに空乃のスイッチを切る。発進地点まで戻ったらまた、入れればいい。

 清たちが駆け寄ってきて、コックピットの扉を開いた。

「減速指示、出てたぞ」

「うん……。ごめん」

 清たちの前では素直に謝れるのは、どうしてだろう。入ってきた時と同じように無理な姿勢を作って、ようやく機外に出る。パイロット補助の後輩がブルーシートを引いてくれ、その上で靴を履き替えた。

 まぁ、と清は頬を掻いた。

「まだ一回目だから。とりあえず何もなくて、よかった」

「次は気を付けるよ」

「ああ。頼む」

 履き替えが終わった歩美も、清たちの隣に立った。機体にはすでに追い付いたチームメートたちが張り付き、それぞれの持ち場で機体を支えている。これから向きを直して滑走路まで戻し、それからふたたび、滑走試験である。一日あたり五回から八回ほど、この動作を繰り返すことになる。

 ビデオカメラを手にした部員が走ってきた。清やすばるたちがそちらに目を向けている間、歩美は額に滲んだ汗をそっと指で拭いながら、方向修正中の『グロリアスホーク』のコックピットをぼんやりと眺めていた。


 思っていたより、楽しい。

 そして、思っていたより、怖い。

 空乃がいるという事実は、その感想にどんな影響を落としているのだろう。

(これからずっと空乃(あいつ)と付き合っていくの、疲れるだろうな……)

 空乃のスイッチを切った指を額から離して、思った。






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