PL000 夜明け
この物語はフィクションです。
実在する団体、イベント、およびシステムとは一切関係がございません。
「ねぇ。覚えてる?」
尋ねた時、不意に足元を涼しい風が吹き抜けた。
ざらついたアスファルトの上を一通りさらった早朝の風は、長い長い道の上を遠ざかってゆく。戻ってきた静寂の中に、
『何を?』
ちょっぴり大人びた少女のような声が、重なった。
羽沢歩美は地面に腰を下ろして、両の腕で膝を抱え込んだ。艶を放つ赤白のフェアリングを撫でながら、答える。
「あたしとソラノが、今日まで一緒にやってきたこと」
彼女は即答した。『ボクは覚えてるよ』
「だよね。……あたしたち、頑張ってたよね。ちゃんと成果、出してきたよね」
『不安なの?』
その問いには答えず、歩美はじっと黙ったまま、目を細めた。
遥か彼方まで続くオレンジの線が、ここが滑走路であることを示している。その先には建物も、木々も、はたまた山も見えない。太い川の河川敷に位置するこの滑走路から飛び立てば、何の障害に出くわすこともなく、じきに海へと達することができるだろう。
ポニーテールの髪が風に揺られる。そうだねと笑って、首筋を掻いた。
「不安なのかも」
『本番前なのにそんなに自信なくしてどうするのー?』
冷えた静寂の中で、少し、身体を縮める。「だって……」
『大丈夫だよ』
開いた扉の向こうから聞こえる声が、優しい。
歩美は抱えた膝に顔を埋めた。五秒、十秒と時間を数えたところで、
『アユミにはボクがついてるんだから』
畳み掛けるように少女の声が笑った。
ようやく、うん、と頷く気になれた。
立ち上がって砂を払った歩美の隣には、一機の人力飛行機が巨大な横長の翼を広げ、滑走路の向かう先をじっと睨んでいる。
時刻は、午前四時。幅三十㍍以上はあろうかという主翼の表面に、まだ陽の昇りきらない朝の空が照って、輝く。
名前を呼ばれるまでの間、二人はただ黙ったまま、遥かな空から舞い降りてきた空の薫りに浸っていた。
広大な滑空場の中央に坐する、人力双発プロペラ機『グロリアスホーク』。
その操縦士を務める、羽沢歩美。
そして、人には見えないもう一人の操縦士──『空乃』。
決して偶然でない出会いを二人が果たしたのは、『栄光の鷹』が初めて地面を蹴り空へと舞い上がる、その数日以上も前のことであった。