1本の電話
そんなこんなで,私の就職がやっと決まったころ。
…彼には一般企業からの内定について何一つ話していない。彼は,私が将来彼のもとで働くと思い込んでいる。秘書としての資格を取ったことは告げたので,彼の秘書としてのポストを用意してくれるつもりなのかもしれない。
唐突に実家から連絡があった。
私はこの連絡を大いに怪しんだ。当然だろう,家を追い出されてからこの方電話の1本さえなかったのだから。
警戒しながら電話に出ると,相手はなんと継母だった。
「お久しぶりです。一体何の用ですか。」
とげとげしさ満載の声音で聞いてみる。
「あら,冷たいのね。お義母さんに向かって。」
イラッ
「一度もそんな風に思ったことありませんから。それで,早く要件を述べてください。」
「明後日の放課後,暇かしら。良かったらカフェでお茶でもしない?」
…一体全体何の吹き回しだろう。
「…何の予定もありませんが。そんなことに割く時間はもったいないのでお断りします。話がこれだけなら切りますね。」
「あなたの今後に関して話があるの。聞かないと後悔するのはあなたよ。」
私の今後?
相続放棄の手続きとかだろうか。私の父親との間にできた,義弟の足場でも固めておきたいのだろうか。そんな事わざわざ会って話さなくても,勝手にしてくれたらいいのに。私は今後あの家に関わる気はないのだから。
…しかし,なんだか嫌な胸騒ぎがする。
「…わかりました。行きます。」
しぶしぶ承諾する。
「最初からそう言えばいいのよ。じゃあ明後日,5時に駅前のエトワールでね。楽しみにしているわ。」
継母はクスクス笑いながら電話を切った。
大きくため息をついて舌打ちしたとき,彼がタイミング悪く帰ってきた。
「どうした?でかい溜息だな。それに舌打ちって,お前ほんとにお嬢様やってたのかよ。」
彼がそう言いながら紙袋を渡してきた。
一緒に暮らすうちに気づいたが,彼は割と口が悪い。
「一言多い。…別に何でもないわよ。それよりこの袋何?」
「開けてみろよ。」
というので,遠慮なく紙袋の中の箱の包装紙を破く。
「これ!!黎明堂の水羊羹!!!」
それは私の大好物だった。
…しかし今日は特に何かの記念日ではないはず。なぜ?
そう聞いてみると,
「…店の近くを通ったんだよ。で,話に聞いていたから食べたくなったんだ。」意外と甘党な彼である。
「ふーん。ありがとう。」
それ以上追求しなかったが。この水羊羹は予約が一か月待ちだし,彼がこんな風にお菓子を持って帰るのは一週間続いている。
ご機嫌取りかしら?
彼が横を通り抜けるときに,ふわりと漂った香りに唇をかんだ。